したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

1617うのはな:2012/05/26(土) 17:19:19 ID:???
一大事と申すは、今日只今の心なり。『正受老人集』 道鏡慧端

「至道無難」と「白隠」の項でも登場した道鏡慧端、正受老人の言葉である。
「もっとも大事なことは、今日ただいま、この瞬間の心である」と言っている。
禅では、「今、ここ」ということを大事にする。とうに過ぎ去ったことも、まだ来ぬ未来も、
今という瞬間に凝縮してある。いかなる空間も、ここという一点に凝縮してある。
だから、今ここにすべてを注ぎ込んで生きることが人生において肝要であるという。
釈尊も次のように言っている。

 過去を追うな。未来を願うな。過去は過ぎ去ったものであり、未来はいまだに至っていない。
現在の状況をそれぞれによく観察し、明らかに見よ。今なすべきことを努力してなせ。(『中部経典』)

 今日ただいまの心を生きることは、道鏡慧端の悟境でもあったのだろう。慧端はその悟境を白隠に伝え、
白隠は臨済禅を中興した。目立たずとも、慧端の業績は大きい。
 慧端は、信州松代藩主・真田信之の庶子と伝えられるが、なぜか飯山城で生まれたという。
その理由は明らかでない。早熟で、十六歳で悟りを得たといわれ、十九歳のときに飯山城主松平忠倶の参勤交代に
随伴した折に抜け出し、江戸麻布東北庵の至道無難を訪ねて出家する。
 その翌年には印可(悟りの証明)を与えられ、三年の東北行脚に出た。

 行脚から戻ると、東北庵は東北寺という大寺院となっており、無難から住職になるように勧められたが、名刹を嫌う慧端はこれを断り、
飯山に帰って正受院に隠遁する。越後の高田英巌寺で鐘の音を聞き、悟りに至った白隠が訪ねたのはこの正受庵だ。
このとき、白隠には悟りへの慢心があった。慧端はこれを見抜き、山門から白隠をけ落として慢心を打ち砕いた。
慧端はさらに厳しく白隠を指導する。そして、ついに「今日只今の心」は白隠に受け継がれるのである。


  『折れない心をつくる名僧の言葉』 田中治郎 著


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板