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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
1530
:
八咫烏
:2012/03/20(火) 01:12:01 ID:4II9ac7k
志恩 様
私のコメントへの感想をくださり有難うございます。
私は実際には雅宣総裁を全く知りませんが、以前のブログを名前は忘れましたが、少し読んで、あまりに面白くないので、ブックマークをする気も起こらずに消してしまいました。
志恩 様のコメントを読んで、今、唐松模様を検索して、「言葉について2」を読んでみました。読んでこの方がほんとに宗教センスのない方というか、あるいは文章を読む読み方が、理系的文章の読み方しかできない方なのか、いわゆる文学的な感覚のない方なのだなあと思いました。雅春先生のご文章は、非常にわかりやすく、真理が柔軟に解かれているので、ある時には一見矛盾するような言葉が出てくる時もありますが、それが矛盾しているのではないことは、前後の流れからしっかりとわかり、真理が自由自在に描かれていることが誰にでも分かるような文章です。中にはわからない人もいるかも知れませんが、一定のレベル以上に学んだ人が間違うことは先ずないと思います。それを聖典を文字通りの解釈などといっているのは、自分のことではないかと思います。自分が文字通りの解釈しかできないのではないでしょうか。雅春先生のご文章は、自然に行間から伝わるものがあるから、文字通り読んでいながら、文字通り以上のものが伝わってくるのです。そこが霊感によって書かれた文章の凄さだと思います。
ところが、この雅春先生のご文章を、総裁は、ほんとに文字通りにしか視ていないのだなと感じさせるブログ記事であり、これには驚きました。だから文章というものがこの人には、伝達の記号というか、コンピューターのプログラム言語のようにしか見えないのかなという気もします。文字以上の部分が読めない人なんですね。
総裁が引用されている部分で、コトバとカタカナで書かれているものは、雅春先生は、人間の言葉ではなく、人間以前の神のことばとして人間が使う言葉と区別するためにコトバと書かれたのであって、身、口、意になる前のコトバという意味で使われたのではないと思います。だから、あの図で、総裁がカタカナでコトバと書かれたのは、雅春先生のコトバとは意味が違います。しかもわざわざ図にするほどのことでもないものに図を使われて、思わせぶりに解釈しておられますが、雅春先生のご文章をしっかり読めばわかるはずです。聖典を文字通りでは真理が伝わらない場合があるだとか言うのなら、雅春先生のご文章はたくさんあるのだから、沢山読み何度も読みすれば良いだけだとおもいます。繰り返し読んでいればわかってくるのが普通です。それを真理を誤解するから読まないようにするなんて、おかしいし、しかも千年前の文章ならばともかく百年以内そこらで、なんで文章がそのまま伝わらないなどということがあるでしょうか。伝わらないのはよほど頭がわるいのかと思います。原理主義だとか言いながら、原理をおろそかにしているから、どんどん衰退しているのではないですか。原理をしっかりと把握しなくては何事もうまくできません。昔から、初心忘るべからず、原点回帰、全て、物事は根っこが大事なのです。原理原則をしっかりと把握しないから、原理主義などという、ほんとは原理主義ではなく、形式主義、上面主義、に陥るのです。スポーツでも基礎トレーニングができてないと、一流にはなれません。基本は大事です。雅宣さんの言われるような原理主義とは基本をおろそかにするところから発生するものであり、聖典をよく読み込まないところから出てくるものです。しっかりと聖典を読み込んだ人が原理主義に陥ることはありません。原理主義に陥るのは、雅宣さんのような人が陥るのです。唐松模様を読めば、雅宣さんが字面しか読んでいないことが分かります。これを文字通りの解釈しかしない原理主義というのです。
なんか読んでいたら腹が立ってきて、つい書いてしまいました。
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