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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
1527
:
志恩
:2012/03/19(月) 15:55:43 ID:.QY5jUA6
八咫烏 様
本日の朝のこと、ここの別の板に、
教団所属・役行者様が、書き込んでおられるのですが、それによりますと、
役行者様は、昨日、山梨県で開催された生長の家のご講習会に、全日参加されたそうですが、そのときの
総裁先生のご講話の中で総裁は、今までに無いことを、おっしゃったそうなのです。
『「生命の實相」に帰ろう』と。
これが、口と行いが、今後、一致されれば、信徒として、これ以上の喜びはないと思われますが、まだまだ
総裁の,今後の行動を拝見しないと、本気かどうか、総裁の真相は、わからないと思っております。
ナニセ,今までの総裁でしたら、善意で言っても、ちょっとでも逆らおうものなら、突然、左遷、首切り、
格下げ(本部講師を炊事係にする等の)おそろしげな面を持ったお人でしたからね。知ってる人は、知っている。
雅春先生の愛国の書は、絶版にしまくるし。
そして、つい最近、3月8日の、総裁先生のブログ「唐松模様」で、『「ことば」について2』という題で、総裁は、
記事を書いておられるのですが、身、口、意の表現とコトバの関係について、説明されてますが、
このコメント欄にてN氏という信徒に対する、総裁の返信は、
「コトバとコトバが直接触れ合うことで、、と言い、文字も教典もなくても、真理を伝達できるということを、
仏教は、きちんと説いて来ました。原理主義から抜けられない人には、雅春先生の真意も伝わらないのです。
残念なことです。」と結ばれております。
これは、真綿に包んだような言い回しですが、私は「文章も教典もなくても、真理は伝達できる。コトバがあれば大丈夫。
この考え方は、雅春先生の真意であるぞよ」と発言されたのかな、とも、受け取れていました。はっきりは、わかりませんが。
これを書かれた10日後の,昨日の講習会で,総裁は『「生命の實相」に帰る』と、講話されたわけです。
それで、私は、口でなく、行動がともなわなければ、またまた、仰ったことが、大嘘つきのコンコンチキに
なってしまうと、考えているところです。
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