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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
1447
:
SAKURA
:2012/02/11(土) 22:05:10 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ
本日は「建国記念日…」やはり日本国民と致しましては?
【日本国のかたち???】これからの行く末…真剣に考えてしまいますが…
更に「生長の家…」現状を踏まえまして…
未来の??【「生長の家」のあり方…如何に?と…自問自答してしまいます…。
【生命の実相 35巻…】
生長お家ではまず内在せる神というものを
「われわれの内にやどっているところの無限の善さ」と定義いたします。
無限の善さ、無限の愛、無限の深切さ無限の美しさ―――
そんな尊いものが、われわれ人間の中には宿っているのであります。
その無限の善さが、少しでも余計出れば、われわれは歓びを感ずる。
喜ばずにはおれない。そしてさらにその善さをいっそう余計にあらわしたい、
そして遂に無限にまで到達したく、希うところの、無限に対する要求というものが、
わがうちにやどっているのです。
解りやすい例お引けばわれわれが金を儲ける、
百円儲ける、百円欲しいナと思っている時に百円与えられましても、
それで満足できずに、今度は百円ではつまらない、
二百円欲しい。二百円儲けると、また千円欲しい。
千円儲けるとまた千円ではつまらない。
一万円欲しい。一万円儲けるとまた一万円つまらない、百万円欲しい。
また今度は千万円欲しい、さらに一億円欲しいというように、
さらにさらに…無限にまで、その欲望または憧憬(どうけい)が到達するのです。
そういうように、われわれのうちには無限に対する憧れが宿っている。
無限を発揮するまでは、それを憧れ求めずにはおられない。
それは何故であるか?それは「無限なるもの」自分のうちにすでに宿っているからです。
そして、その無限なるもの―――無限の善さ、無限の美しさが、
われわれの念のレンズをとおして、意識なり、観念を指導すべく、
ある標準を示した場合、これを、理想と言います。
ですから理想というものは、形には見えないけれども、
われわれの内部に 宿っているのであります。
芸術家が絵を描くにしても、彫刻をするにしても、
まだ十分自分に内在する「美」が開発されていない時分には、
先生の彫刻や絵画を見まして「先生のように、あんなに巧く描けたらいい」
と思いますが、だいぶ描けるようになると、まだまだこれでは足りないというように、
理想がもう一歩前進する。
そして、より完全なものを欲するということになるのです。
かくして、現象の上の理想の殻が一枚一枚破れて、常により高い理想が
内部から掲げられることになります。
つまり、理想はそのまた奥にあるところの理念によって動かされ、
進化されているのであって、われわれに、たえず、理想をもたせ、
標準を持たせ、規範をもたせている、その「奥にあるところの理念」が、
すなわち神であります。
この内在の神性――すなわち理念――は無限に完全なものですから、
現象界でこれだけ到達したら、
もうその理念が完全に表現され終わったということはないのです。
かくのごとくして、現象の上で、内部から現われた理想が飽和されると、
自分の奥の奥にある理念と比較して、まだまだ不完全だということになり、
今の状態、現れている状態に不満が感ぜられるのであります。
そして、こういう思考のprocess(過程)は理念によって現象を照らし、
さらに現象の立場から理念を眺めた場合に導き出されてくる反照作用でありまして、
その微妙な反照作用を考慮に入れて、実相、すなわち理念の自性を考察するとき
自己内在の神性がわかるのです。
(谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
人間の欲望ははかり知れないものを……
先生は描写的に、書いておられます〜ョネ!
確かに【希望が叶う】と…無限に「夢」が広がります〜〜モノ〜〜☆
無限に広がる……!!!!
<つづく> No.1
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