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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

1146義春:2011/10/08(土) 19:06:50 ID:iu5Ar./Q
【パレスチナ問題】
 話はローマに戻ります。
66年-73年に起きたユダヤ戦争(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%88%A6%E4%BA%89)
・132年-年に起きた135バル・コクバの乱(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%AF%E3%83%90%E3%81%AE%E4%B9%B1)
により、ハドリアヌス帝はユダヤの反乱はユダヤ教にあると感じ、ユダヤの聖なる都であるエルサレムからユダヤ人は追放し、
戻る事も許されず、又、ユダヤ暦を廃止、ユダヤ教の指導者は殺され、律法の書物は埋められ、
そして属州ユダヤの名もユダヤ人の敵対者であるペリシテ人から取った【シリア・パレスティナ】とするなど
ユダヤ教の完全絶滅に目指しました。

 しかし、ローマも滅び、その法も共に滅びたので、ごくごく僅かですが、ユダヤ人は戻ってきました。
そして、イスラム教のアラブ人と共生する事で、戦争は多々ありましたが、おおむね平和に暮らしてきました。
それが、第二次大戦後、アシュケナジーユダヤの起こしたシオニズムにより、(アシュケナジーよる)イスラエルが建国され、
多数のアラブ人と共に本来のユダヤ人も経済封鎖により迫害されるようになりました。
(そのあおりで周辺国では本来のユダヤ人まで財産没収などにあってもいます)
その中で、先月、パレスティナ自治区が国連加盟に提出しました。
今の所、イギリスやEUの態度は棄権か反対かになっています。
しかしながら、パレスティナが国連加盟を提出した会議において、パレスティナのファヤド首相の隣には
イギリスのブレア元首相が座っていたのです。あまりにはっきりパレスティナ支持を出せば、アメリカと対立するので、
隣に座るという行動で言外で支持を出していると思えるのです。
それが血を流さない戦争である外交の見えにくさであるのだと思うのです。
おそらく、これからも、そういった政治的なバランスで支持をハッキリ出さないにしても、
少しずつ態度を出していくと思われます。

 そして、この問題自体は最終的にはアメリカが折れて、妥協点を見出すと思われます。
何故なら、いきなり国連にパレスティナ加入と云うことになれば、アメリカの面子丸つぶれになり、イギリス即ち、EUと
おもいきり対立する構造がハッキリ出てしまいます。
それだから、先ずはバチカン市国と同じようにオブサーバーとしての立場になるのじゃないかと私はかんじています。
そして、その時こそが、EU(=スファラジ・ユダヤ)がアメリカ(=アシュケナジー・ユダヤ)に勝った時だと思います。
しかし、このユダヤというものには更に奥があるのです。


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