したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

1128義春:2011/10/05(水) 05:40:11 ID:iu5Ar./Q
…まぁ、陰謀を認めると、立場が無いので、決して認めていませんが、葵新吾様の仰ることは大概認めていました。
そして、この組織が政治と関わりが無いとは全く思えないというのが正直なところです。

そして、西郷隆盛はそんなメイソンによって作られ、日本を西洋に売り渡そうとする明治政府に
非を唱えるが為に挙兵をした…それを江藤淳が南洲残影に於いて説いています。
該当ページは此処になります→http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/files/ronbun106.html

ただ、私は西郷が明治天皇に敵対したと思っておりません。
それは明治天皇が西郷を思慕し続けた事と、メイソンの影響があると思われる明治政府が進めた日清・日露戦争に
明確な反対を唱え続けていたからです。
日清戦争の折には現代訳にすれば『この様な戦争を皇祖皇宗にどうやってご報告せよと申すのか、それに苦しむ』
と【激怒】され、『この戦争は汝等が勧めるから仕方なしに認めるのだ』とまで仰っています。
又、日露戦争も同じです。昭和天皇が大東亜戦争の会戦の詔勅の折に読み上げられた

四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世に
など波風の 立ちさわぐらん

はこの時に明治天皇が詠まれた大御歌です。

 そして、日露戦争の時にはロスチャイルド財閥が日本に資金援助しているから、最早ユダヤの関与も明確になってきています。
ちなみロスチャイルドはスファラジ・ユダヤの出で元々からユダヤの貴族のだったのではないかと言われています。
又、この頃にはイギリス王室の財産などを扱ってもいましたから、イギリス政府にも多大なる影響力もありました。

 明治天皇御自身は、文明開化を日本が列強の中で生き残れる手段として、取り入れたのだと思いますが、
文明国として認められる成果、つまり戦争に対しては先ほども上げたように一貫して否定的であられました。
この明治時代の後、大正時代は平穏に過ぎていきました。
そして、昭和、大東亜戦争に突入していきます。

今回はここで終わりに致します。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板