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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
1125
:
義春
:2011/10/05(水) 05:09:14 ID:iu5Ar./Q
【補足】
補足1:イエズス会について
どうも直感的なものですが、イエズス会のこの侵略的な手法に
騎馬民族的なアシュケナジー的なものをかんじています。
証明するのは困難ですが、この異常過ぎる集団はヨーロッパ各国に
恐れられ、挙句の果てにはローマ教皇からも解散の指令が出て、一時解散しています。
補足2:イエズス会に対する信長と秀吉の違い
織田信長という人は、よく独創的な人物の様に言われますが、
私には、この人ほど、学んだ人もいないと思っています。
例えば、軍団制については今川義元に学び、楽市楽座については、
近江の六角定頼、美濃の斉藤道三に学んでいます。
又、彼自身は漢学を修め、周の文王にならい岐阜と名づけたり、
安土城の天主に儒教で聖人とされた人物を描かせたことにも、その影響を見れます。
それ故に、イエズス会についても、真摯に学ぶ姿勢だったと思います。
それに対して、豊臣秀吉は豪農の生まれであり、大名の子として生まれた
信長と違って、学ぶという姿勢がありません。
だから、イエズス会に対しての視線が元からクールであったのだと感じています。
補足3:江戸時代の女性
江戸時代が日本を作り上げたといっても過言でもありませんが、江戸時代の
女性をして、その完成を見たと私は感じております。それは、江戸時代は
男女の調和を非常に重んじていました。日本は鎌倉時代に於いては、女性にも相続権を
認める、又、戦国時代にあっても大友家の部将の立花道雪は娘に家督を継がせるなど、
元から女性の立場を認める風土がありましたが、江戸時代にあって、
それが、高度に花開き、女性の母性が良い様に出たからこそ、閉鎖系社会が
円滑に回ったと感じております。
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