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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

1112義春:2011/10/02(日) 04:34:53 ID:iu5Ar./Q
ここでは以下の事について述べていきます。
1)  突厥分裂の真相
結論)隋の文帝の巧妙な政治・外交により、突厥内部で2つの勢力が争って分裂した。

2)  ハザール後のアシュケナジーユダヤ
結論) アシュケナジーはスファラジと同じく、貿易に長けていた。そのうえで、金融を学んだ。

3)  大航海時代と国際金融
結論) 国際金融の発生によって、利子と云うものを払う為に戦争が必要になった。

 この突厥が中国で活躍していた時代に役行者様が仰る
「2つのエージェントが対立を引き起こさせる」という話の原型が起きています。
まず、そこから触れていきます。ここから、突厥の独特名前が頻繁に出てきます。
正直申しまして、昔から突厥関係の名前の読みには自動的に拒否感が起こっています。

隋の文帝の計略を具体的に上奏し実行したのが長孫晟です。
彼については此処をみるとわかりやすいでしょう。
(参照:http://www.geocities.jp/fukura1234/rekisi/100/058.html

 この参照ページでは簡略に書いていますが、彼は突厥について調べつくしました。
地形、地勢、部族関係・・・これを総合して、文帝に計略をメインに戦争はサブで使うという策を実行します。
具体的な内容は、遠交近攻の作戦で、離間して突厥族の強力な部族を圧迫し、弱小な部族を援助するというものです。

もっと具体的に観ていきましょう。
参照:http://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tokketutouzai.htm

沙鉢略可汗:突厥東西分裂前の可汗(=王)阿波可汗を元から警戒していた。分裂後、東突厥の王になる。
阿波可汗:突厥東西分裂後に即位した西突厥の可汗、沙鉢略可汗に一族を殺され、決起した。
達頭可汗:両面突厥という突厥の部族の王、沙鉢略可汗と対立、阿波可汗を助ける。

 これによると、この二つの勢力を争わせ、隋はどちらにも良い顔をしていましたが、
どちらからも援軍の要請があっても断って、結果的にどちらの勢力も隋そして唐により、衰退させられていきます。
まぁ・・・この手の話は、よくユダヤの戦略と出てくるのですが、先祖がされたことを語り継ぎ、
それが肌身に染みていたから使えた計略なのかもしれません。


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