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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

1103うのはな:2011/09/28(水) 21:30:47 ID:iM0b0bt6

 毘廬遮那大仏を建立したこと自体が、日本の伝統的な信仰精神と仏教の融合
=仏教の日本化なのである。
毘廬遮那大仏は天照大神のお姿そのものである。廬遮那とは光明遍照といふ
意味であり、インドの太陽神にほかならず、後の真言宗の本尊である大日如来
に当たる。聖武天皇は、蓮華座の中心(蓮華は宇宙を意味する)に座して照り輝く
太陽神=毘廬遮那大仏を天下万民と共に拝することによつて、明るく大いなる国家の
実現を願はれたのである。『大神宮禰宜延年日記』といふ書物によると、
『大仏建立の詔』が発せられる二年前の天平十三年(七四一)十一月三日、
聖武天皇の命により右大臣諸兄が伊勢の神宮に参拝し、東大寺建立の発願にあたり伊勢の
大神に祈願したことが記載されてゐる。
 諸兄はこの時、「当初は神国なり。尤も神明を欣仰し奉り給ふべきなり、
而して日輪は大日如来なり、本地は毘廬遮那仏なり、衆生此の理を悟り解いて、
当に仏法に帰すべし」といふ示現(註・神仏が不思議な霊験をあらはすこと)
を得たといふ伝承がある。
かうした伝承が生まれるのは、わが日本民族は神と仏とを理論・教義によつて識別しようとする
以前に、信仰的・心情的に神仏を一つのものとして仰ぐといふ態度を持つてゐることによるものである。
これはわが国思想史・宗教史に一貫する誇るべき特質である。

 天照大神信仰といふ日本伝統信仰の端的な表現が、奈良の大仏の建立であつた。
太陽信仰=天照大神信仰と、毘廬遮那大仏への信仰は本質的には一つであつた。
 
  (中略)

 神仏を一体の存在として敬ひ奉るといふのが聖武天皇の大御心であつた。
即ち、現御神天皇の国家統治の伝統の上にさらに「三宝」への帰依が加はつたのである。
ここにわが国体の包容性・重層性がある。
 これはわが国伝統の破壊ではない。むしろ仏教の日本化である。
全く嘆くことはいらないのである。
 わが国においてもつとも尊貴な神・皇室の御先祖神と仰がれる天照大神は太陽神であられる。
太陽を中天に仰いで、明るい国家を建設していかうといふのが、聖武天皇をはじめとしたこの時代のわが民族の
願望であつた。つまり、わが国の天照大神への信仰といふ伝統が仏教的に表現されたのが、
奈良の大仏の造立だつたのである。その太陽神を中心に仰いで国家を救済しようといふのが
聖武天皇の大御心であつた。

  中略

 天皇中心帰一の理想の姿を地上に正しく実現することが、イエス・キリストの
「み心の天になるがごとく地にもならせたまへ」といふ「主の祈り」を実現することとなる。
そしてそれが、日本建国の大精神であり、生長の家の人類光明化運動の目的なのである。
 生長の家の人類光明化とは、天皇信仰・真理国家日本の実相を恢弘することによつて
世界の永遠平和を実現することである。生長の家の教への根本である天皇信仰・大日本真理国家論を
度外視したら、真の人類光明化運動にはならないことを強調して筆を置かせていただきます。


 天照大神信仰の仏教的表現が奈良の大仏の造立  四宮 正貴 先生

 谷口雅春先生を学ぶ 平成十五年十二月号


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