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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
1087
:
うのはな
:2011/09/26(月) 16:17:19 ID:iM0b0bt6
● 生老病死の四苦を超えて 人間の生命は永遠不滅である ●
谷口雅春先生卆寿祝賀秋季記念式典の御言葉
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
皆さんよく私の卒寿祭をお祝いに来て下さいまして、この篤き真心に
感謝せずにはいられないのであります。
卆といいますのは、卒業する卒という字の略字でありまして、もう人間と
しての一人前の力がこれで最高に達して、これ以上は伸びることが出来ない
というですね、その頂上に達したわけでその時は既に私の二代目が、或いは
三代目までも、四代目までも、もう既に現実世界に肉体をもって出現している
のであります。
全て形あるもの、肉体あるものには寿命というのがあるのであります。
吾々現象界のものに宿っている生命は、全て現象的なものは、年を経る
に従って、その時期相応の形になって散ってしまいますけれども、散ってしまうから
といって、なくなったんじゃないんです。
吾々もやがて地上から姿を消すであろうと思います。けれども悲しむことはない。
あの柿の新芽が、春の花咲く桜よりも美しく、緑の新緑の葉をひろげてくれるのと
同じようにですね、吾々は永遠に死なないのであります。
皆さんも永遠に死なないのであります。人間の生命は無限であります。
皆さんの生命も無限であります。私の生命も無限であります。
いつか私がこの地上から姿を消すように見えたので、谷口雅春はとうとう
亡くなったと思う時がくるかもしれんけれども、決して亡くならないんです。
またお目にかかります。皆さんもその時には、また別の立派な生き生きとした
姿で現われておられて、再び会うことが出来るのであります。
神の子たる吾々は神縁深く、一度会った人と別れるということは決してない
のであります。度々お目にかかる機会がきますから、その時には、やはり今日の如く
多勢集って御挨拶を申し上げ、その挨拶を受けて下さることになると信ずるので
あります。
私の誕生日の祝いにこういう話をするのは、私は誕生した時に生まれたのではない、
もっとずうっと前から生まれて、また、やがて死ぬ時があっても死ぬのではないのである。
永遠の生命であるということを、皆さんに知って頂き、私の生命が永遠の生命であると
いうことを知って頂くためであります。これが“生命の実相”の悟りであります。
今日は、私の誕生祭に多勢集って下さいまして有難うございました。
これをもって挨拶と致します。
しみじみとこう語られる先生のお言葉に、皆、むせびないたのであった。
生長の家誌 昭和58年2月号
おしえおや うまれたまいし よろこびの 此の日このとき
かみの子と 生まれしわれら みなひとに やどれるかみを
ひたすらに たたえまつらん
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