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死んだらどうなるの?

40hijk:2012/01/25(水) 16:52:23
>>29
>クオリアが常に変化していながらも「私」が同一であるよう
>感じられるのは、確かに安易に解答できない難問であり、
>実は心の哲学でもあまり多くは語られていないトピックなんです。

クオリア≒現象的意識のうち「自のクオリア=自我核=イマココ」を
特別視すると解答できないでしょうか。外界からの知覚情報(血の
赤さや空の青さ)とは関係の無い、純粋に自分が自分であるという
感じ、これは文字通り外界からの知覚情報とは一切無縁な無色透明
無味無臭なクオリアなので「直接的には一切感じられないクオリア」
という逆説的なものですが、私自身は瞑想的な状態で自分の核にある
「自のクオリア」に接近できるような気がすることがあります。
(※錯覚かも知れませんが…(笑)。)

生命身体のような自我境界線の内部で脳のような情報処理機能が
外界の対象の何者でもない=いかなる対象よりも最も内奥にある
<これ>を計算し続ける時、それは即ち極限としては<イマココ>
を計算しようとしているわけですが、このような連続した情報処理
過程が現象的意識を因果的に発生させているのではないか、と。
(※相対論チックに情報処理伝播速度に上限があると考えれば
  「遠く=より過去」「近く=よりイマに近い」「最内奥=イマ」
  と時間的な対応も取れると思います。)

すると、現象的意識=「私」の連続性は、生命身体のような
自我境界線(内側が定義できる境界線)の連続性に担保されて
いることになります。このように考えれば、「私」の意識が
将来別のBさんに飛び移るような不自然な解釈も回避できる
のではないか、というのが私の主張です。
(※自我境界線を持たない意識のようなものが思考実験であれ
  説得力を持って想定できるのであれば、私の主張は誤り
  ということになると思います。)

以上の考えが正しければ、適切な自我境界線を設定して、
自のクオリアを計算し続けるコンピューターを構成すれば、
そのコンピューターは現象的意識を因果的に発生させるだろう
と私は思います。
(※でも、そのような方法で現象的意識を再現できたとしても、
  空間や物質や現象的意識の本質が明らかになるわけでも、
  「物質が現象的意識を因果的に発生させる」の「発生」
  という言葉の中身(機序)が明確になるわけでもなく、
  心の哲学の不思議は(この仮説だけでは)何ら解決して
  いない、ということは承知しております。)
(※ちなみにこのようなコンピューターを構成するには、
  メモリと演算装置(CPU)が別々のアーキテクチャ
  ではダメで、演算装置の可塑的な変化そのものが記憶
  でもあるような構成(記憶なんてモノはなく、思い出す
  という計算だけがある構成)、計算過程自身が計算過程を
  変化させるようなアーキテクチャが必要だろうと思います。)

板違いだったらゴメンナサイ。


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