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死んだらどうなるの?

30メビウス@管理者:2011/12/30(金) 23:23:23
なぜ自己意識、または「私」の連続性について、心の哲学が説明に苦慮しているかといえば、
実はクオリアが「変化」しているということを前提としているからであり、
そのクオリアの変化について合理的な説明ができないからなんです。
>>20で書いたように物理主義では「創発」の概念でクオリアの生成を説明します。
しかし「創発」は因果的な説明を放棄しているに等しいですから、チャーマーズのような
学者は汎経験説を主張してクオリアを「原意識」に還元しようとします。しかしこれも
既述のように因果的な説明として無理があります。

クオリアが変化することに合理的な説明ができないなら、そのクオリアと論理的に
イコールであるとされる「私」の継続性と変化に合理的な説明ができるわけはないのです。

で、ここから先は私の個人的な信仰の問題になってきますが、問題の究明を阻止している
根本的な障害物は、パルメニデスが指摘した「変化」というものの矛盾なのだと思います。

人格の同一性のページで書いたことですが、「人格」概念はクオリアに還元することが
可能ですが、クオリアはそれ以上還元することができません。
ぼんやり海を見ている人には「青」のクオリアがあるかもしれませんが、その海に
巨大な津波が現れるのを見れば「恐怖」のクオリアが生じるでしょう。
しかし「青」のクオリアのどこを探しても「恐怖」のクオリアは見当たりませんから、
「ゼロはいくら足しても乗じてもゼロである」という論理から演繹して考えると
「青」が「恐怖」に変化したというのは単純にナンセンスに過ぎません。

結局、パルメニデスが主張した変化の矛盾を放置したまま心の哲学、意識のハードプロブレム
をいくら考究して仮説を立てたところで、それらは全て砂上の楼閣かもしれないのです。

仮に変化の矛盾を認めて、時間と空間の実在性を否定するならば、その砂上の楼閣を一気に
崩壊させることにもなります。むろん、これは論証が困難ですが。

あるいは、チャーマーズは自身が主張した汎経験説の不合理性を自覚していたからこそ、
情報の二相理論の「It from bit」というくだりにおいて、時間と空間さえも情報内部の
性質である可能性を展望しているのかもしれません。


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