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新・生長の家大論争掲示板1

5677名無しさん:2014/12/06(土) 00:04:27
仕組まれた「水子信仰」のルーツと展開 http://www.lovepiececlub.com/mizogutchi/09.html

「水子信仰」の発端は、「生長の家」谷口雅春(1959年創立)による。

保守政治家たち(【鳩山一郎】、【中曽根康弘】など)と関係を結び、政治的に運動を達成しようとした。会の運動は、「生活難を理由に、避妊、堕胎はすべきではない」(1952年に『100万人の児童を救う運動を起こせ』と提唱)という主張から、「人口流産堕胎防止」運動が開始された。(1959年) この運動は、52万人の「優性保護法改正」の請願署名簿の政府提出(1960年)と外郭団体をも組織した「人命尊重推進委員会」を発足(1961年)させた。

一般女性を対象に、「こどもの命を守る会」を血清。こちらは200万の請願署名を政府に提出した。社会浄化、保守改革の目標として、玉置和郎を中心に、「日本宗教政治連盟」を結成(1956年)し、参院選で2名を当選させる。(1959年)。

優生保護法改正案は、1964年に審議未了となり、廃案になったが、生長の家はこの失敗から、新たに玉置和郎を中心に、政治派閥結成を目指して政治結社「生長の家政治連合」を結成する(1964年)。さらに、「生長の家政治国会議員連盟」の結成(1975年)。

1982年、「生長の家」は、中絶条項の「経済的理由」の削除を条件にした「優性保護法改正案」の再上程をめざして、運動を開始する。

米国大統領レーガンの「国家祈祷朝食会」に反中絶派のメンバーを送り、「モラル・マジョリティ」(1979年設立)と連帯し、その後は西欧諸国や米国政治の影響をうけ、キリスト教的胎児解釈や、教会の伝統的論争を、自分たちの教理・運動に習合させた。

1983年に米国で開かれた反中絶運動の歴史的大イベントであった「生命尊重全米大会」には、【村上正邦】議員ら出席。レーガンを筆頭に、いわば右翼国際連合が達成されたが、この影響は日本に及び、水子供養は霊友会、立正佼正会、パーフェクトリバティなど霊魂への回向祈祷を宗旨とする新宗教の方針に取り入れられた。

国会(1982年3月)参議院予算委員会では、【村上正邦】議員が鈴木首相に「刑法212条」「水子の詩」を読み上げ「葬り去られた胎児のみたまに懺悔し、みたま鎮まれと祈り、合掌しつつ、本論に入らせていただきます」とキリスト教の祈祷を真似て祈った。 法観念の東西の違いや、政治や法律とモラルとの違いという問題は不問のままに、女性たちへの「中絶=殺人」キャンペーンは浸透した。 この後ろにはテレビや週刊誌や新聞の「胎児の生命」「水子供養」「水子寺」についての連日に及ぶ報道があった。政治と結びついたマスコミが「中絶反対」運動推進のための思潮をつくりだし、女性攻撃の役割を果たした。

マスコミの報道に脅された女たちは、寺に水子霊の回向を求めた。 寺院は闇に埋もれていた「水子霊」という新商品を発見し、経営戦略の目玉にした。

水子供養は、政治の表舞台と直結する天皇信仰とむすびついた「まつりごと」としてはじまったが、これに対し、多重層構造である「日本宗教」の下部、民族信仰によって水子儀礼を開発し、大衆の救済祈願を利用し、水子ブームのきっかけをつくったのは、橋本徹馬である。彼は、直接的に政治運動を志したのではなかったが「日本宗教」の一パターンであるエリート主義による大衆(女性)支配という政治色の濃い宗教活動であった。


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