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新・生長の家大論争掲示板1

532名無しさん:2011/12/13(火) 12:46:30


なぜ、宗教に関わっている人の文章なのに、「神」「仏」が一度もなく、「悟り」も「信仰」も「罪」もないのでしょうか。

「神」は本文の中で、「日本では神社の境内に木が残っている」のみ。「仏・悟り・信仰罪」は全くナシ。ついでに「明」は「明治通り」のみ。

「生長の家」の御教えの真髄である「物質なし・肉体なし」はナシ。だから「環境も自然も本来神の現れ」なし。あるのは「物質の環境・自然」だけ。

私はたまたま数ヶ月前に拝読した同誌の純子先生のご文章の中に「神・仏」が一度も出ていないのを不思議に思っていましたが、それは偶然ではなく先生の意志の結果なのですね。

白鳩会員である私の家内は平然と、
「『白鳩』は体験談と雅春・清超両先生の文章だけを読んでいる。私は良い所どりなのよ。」と言っています。

純子先生は信徒を馬鹿にしておられるのでしょうか。
もしも、「いや、そうではない。」とおっしゃるのならば、「生長の家」の御教えの神髄をお説きになってください。



上の御文章は男の文章か女の文章か……私はジェ○ダー・フリーの女性学者がまじめな顔をして文章を書いている姿を連想しました。

 「〜である。」「〜だ。」の多用。
 「〜と思った。」「〜感じられる。」という、厳粛だが余韻を立ちきる表現の多用。これは学者的です。
 「〜と苦々しく思う。」「進めなくてはならない。」になると、渋面の男性学者。
  女性らしさを感じさせる「〜です・ます。」「〜なのではないでしょうか。」は
  一度も使われていません。



一方、輝子先生の文章は女性的な柔らかさを感じさせる文章だが、「強さ」を感じさせる文章、つまり「女性の強さ」を感じさせる文章でした。たとえば、「女(おみな)といえども〜」という輝子先生のお言葉。

純子先生はこの御言葉そのものを「女性蔑視」として退けなさるのかもしれません。

それならばそれで結構ですが、女が男の文体に近づく(あるいは真似る)だけでは、男女の個性を、特に女性の個性を女性みづからが否定・抹殺するだけの事ではないでしょうか。



女(女性)の文章ならば、女性らしい柔らかみのある文章をお願いします。
谷口純子先生は「個性」を嫌っておられるのではないはずです。女性が男のような文章を書いてくださると、男は男らしい文章の書きようがないではないですか。既に私の文体の方が純子先生の文体よりも「女性的」になってしまいました。


ぜひぜひ私をはじめとする世の男をオ○マさんにしないような御配慮を。これで最後に困るのは若い白鳩たちなのですよ。



生長の家とはすでに総裁の浪費の館なのである、しかし白鳩の多くが暗黒面は無視しているために講習会は多くが集まってますので総裁は支持されてると
勘違いのままです。

その浪費を賄うべく白鳩は存在するのですから、惜しみ無くつぎ込んでいただきたい。

止めるも止めないも若き白鳩会員とその夫次第です。


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