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新・生長の家大論争掲示板1
4146
:
名無しさん
:2013/02/24(日) 13:53:23
生長の家では(=宗教では)脳死・心臓死のいずれをも認めない。しからば生長の家では(=宗教では)何を以って“肉体人間(現象生命)の死”とするのか? 此の答えを三代目・雅宣総裁は提示していない。正確な宗教上の答えを出さないで、一足飛びに實相人間は不死であります。と云う。
開祖・谷口雅春先生はその御著書の中で、肉体人間の死について心霊学上から明確に説いて頂いております。即ち、肉体人間が死ぬ時には、霊魂が肉体から抜け出し霊魂と肉体とを繋いでいる“霊線”(霊視可能)が完全に切れて、霊魂が肉体に再び帰還できる可能性がゼロになった時が“肉体人間の死”であるのであります。
そして、肉体を離れた本当の自分である霊魂は、無限の實相顕現を目指して次なる霊魂進化の世界へと進んでゆくのであります。三代目・雅宣総裁は宗教者としての此の部分の大切な説明を落としているのであります。(本当は、雅宣総裁は霊的音痴でありますから、霊的なことは理解できないのであります。)
唯物論者である総裁なら肉体の死が人生の終了なのでそれを死と捉えるべきだが
死が怖いのでこの時だけは肉体無しを好きなように引用し 肉体の死は死でないと
恒例のご都合主義で解釈してると言えよう
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