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新・生長の家大論争掲示板1
3309
:
名無しさん
:2012/10/18(木) 09:42:09
マサノブ氏の倒錯した心情の原因は何かNEW (2560)
日時:2012年10月18日 (木) 08時04分
名前:中村晃生
谷口雅春先生がお作りになった生長の家の「法灯継承者」を自称している(私は認めませんがね)マサノブ氏の、雅春先生を抹殺しようとする様々な工作(重要な書物を再版しないことで、信徒に読ませなくするなど)、また「今の教え」と称して教えそのものを変える、生命の実相を使用する講師は教団から追放する、そして今度は聖経「甘露の法雨」の代替の駄作の経本を作る――など、こうした「法灯」を継承する人間なら絶対にしてはならない事。つまり、雅春先生に対する「親殺し」にも似た倒錯した心情を、何時マサノブ氏が持ったのか?
これは私も含めて多くの人々のナゾである。おそらくは、様々な原因が錯綜して、マサノブ氏の異常な対応になっているのであろうが、そういえば私の個人的な体験で、1つ思い当たることがあるので、困惑している多くの信徒のみなさんの為に公表しようと思います。
もう30年も前のこと、私が田中六助代議士(当時は通産大臣だった)の大臣秘書官をしていた昭和55,6年のころだったと記憶しているが、長崎の本山に何かの大会で大臣と同行して行った事がある。その時、マサノブ氏が顔見知りの私を見て、話しかけてきた。その時の言葉が、「玉置は嘘つきだ」という衝撃的な発言だった。それも私に何度も「嘘つき」と言う。当時私たち政界事情に詳しい人間には、マサノブ氏が参議院の大物になていた玉置和郎先生のお陰でサンケイ新聞に入社していることは、いわば「公然の秘密」だった。当時は彼が何を言わんとしているのかがピンと来ず、「コイツは何と忘恩的なことを言うのだろう」と、いぶかしく思ったものである。
今から考えると、それは彼が熱望していたサンケイ新聞の政治部に希望通りに入れなかった事を指していたのだろう。(あるいは)玉置先生が入社に際して、政治部に行けるようにするよといったリップサービスをしたのかもしれない)。でも新聞社に入れば良く分かることだが、政治部はいわばエリートが行くところ。それなりの実力がなければ、とても政治家の口利きで入れる部署ではない。新聞社には独自の判断があるわけだから、いかに生長の家の御曹司であろうと、実力が無ければオイソレト行けないのである。
で、結局は彼は念願の政治部に入れず、教団に就職することになるわけだ。私がこんなことを言うのも、実は私はマサノブ氏を指導したことがあるからだ。私は、東大を卒業後、昭和48年に読売新聞に入社し、最初の赴任地が青森だった。その翌年だったか、懇意にして頂いていた村上正邦先生から電話があり「マサノブ君が今度サンケイに入ったので、新聞記者の先輩として、その心得などを教えてやってくれないか」との要請があった。
たしか赤坂の料亭だったと思うが、2人で食事をしながら話したことを記憶している。その時のマサノブ氏はまだ初々しかった。新聞記者としての希望に燃えていたと思う。その後、教団に入ってからも原宿の教団本部で何度か会う機会があったが、彼は傲慢な男に変質していた。でもその都度、私に「今政治部ですか?」と聞くのだ(彼は私も読売の政治部に行きたいと志望していたことを知っていたからだと思う)。彼はやけに政治部にご執心だった。その後、人づてに伝わってきた話では、どうやら彼は政治家を志望していたらしい(!!)。
こうした彼の人生での大きな挫折感が、教祖に対する屈折した心情の一因になったのではないかと、私は思っている(デモ生長の家の教えを正しく勉強すればそんなことにはならないですがね、みなさん!)。
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