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新・生長の家大論争掲示板1
3015
:
スターダスト
:2012/09/08(土) 05:56:10
☆唯心論とは
心は脳にあるのではなく、肉体は心の映像であるため、脳も心によって造られた映像
に過ぎません。つまり、夢のように現象世界は心の働きであり、時間も空間も心で造
った映像であり、宇宙は心の外にあるわけではありません。
夢と同じで現象世界にあるもの一切(物質も人間も)心に中にあるのです。
たとえば何かを発明した場合や善い行いをして人々に喜ばれた。
それを発明したのは人間でしょうか。善い行いをしたのは人間でしょうか。それは違
うのです。
どんなことでも、どんなひらめきでもよいものは神から出て天使から善霊を経て人間
に伝わっているのです。その人が努力によって得た手柄ではないのです。神の手柄を
自分のものと思ったとき、その報い消えてしまいます。
また、反対に殺人や窃盗を犯した者は人間でしょうか。それも違うのです。
人間の欲望を駆り立てている悪霊が行ったのです。しかし、人間はそれを自分が犯し
た罪であると考えています。その考えによって、殺人や窃盗の罪はその人間に帰せら
れるのです。実際には人間は悪霊の道具に過ぎなく、人間が犯した罪などはないので
す。
よいことは自分の努力によって行ったのだと考えたとき、自分が行った悪いことも自
分が行ったという意味になり、罪は自分のものとなり、罰せられなければなりません。
これが法則なのです。
すべては善霊や悪霊の行ったことであり、自分には何の関係もない。という考えが真
理なのです。
これはスエデンボルグの述べた真理ですが、生長の家の『人間は神の子であり、罪は
無い』というのと同じ真理ではないかと思います。
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