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新・生長の家大論争掲示板1

2825名無しさん:2012/08/13(月) 09:28:29
、「甘露の法雨は聖経として成立した」と表現しても間違いではないだろう。しかし、本欄の第12回で述べたように、詩文の異同を子細に検討してみると、『生長の家』誌に発表されてから5年がたとうとしている昭和10年の時点でも、詩文の変化はあったのである。またその時、私は「実はこの後にも、やや大きな変更が行われるのである」と書いた。「やや大きな」というのは、必ずしも「重大な」という意味ではない。詩文の意味は変わらなくとも、第12回で紹介したように、「押える」を「圧える」に変えるような使用漢字の変更、そして、送り仮名の使い方や句読点の打ち方にも、一部だが変更が行われている。これらいくつもの変更をこの場で網羅的に示すことは、煩雑すぎるのでしない。また、現行の「聖経 甘露の法雨」の詩文がいつ決定したかを調べることも、ここではしない。「甘露の法雨」の中で説かれている真理は、そんなことによって揺らぐものではないからである。ただ、どういう種類の変更が行われたかを示すために、以下に『生長の家』誌発表時のものと現行のものとの異同例を若干記そう−−

○「迷い」から「迷」への変更……『生長の家』誌発表の詩文では、前者が多く使われていたのを、後に原則として後者に統一。10箇所。
○「病い」から「病」への変更……上記と同じ。11箇所。
○「第六官」から「第六感」……“神”の項の終りから2行目。(p.12)
○「実在にあらざる者」→「実在にあらざる物」……“霊”の項の中間。(p.16)
○「実在のほかに非ざるなり」→「実在のほかに在らざるなり」……“霊”の項の後半。(p.17)
○「真理のほかに非ざるなり」→「真理のほかに在らざるなり」……“霊”の項の後半。(p.17)
○「光のほかに非ざるなり」→「光のほかに在らざるなり」……“霊”の項の後半。(p.18)
○「現界の生命ことごとく光を仰ぎ」→「現世の生命ことごとく光を仰ぎ」……“霊”の項の終りから3行目。(p.20)
○「非実在なり、仮妄なり」→「非実在なり、虚妄なり」……“罪”の項の後半。(p.55)
○「死を超えて永遠に生きん」→「死を越えて永遠に生きん」……“罪”の項の最終行。(p.60)
○「『真性の人間』に非ず」→「『真性の人間』にあらず」……“人間”の項の前半。(p.71)
○「最初の夢無ければ」→「最初の夢なければ」……“人間”の項の半ば。(p.77)

 このような変更例を見ていくと、「甘露の法雨」という自由詩は、結構長い時間をかけて現在の「聖経 甘露の法雨」の詩文に定着していったことが分かる。このことはまた、宗教上の真理を言葉に表現することが如何に難しいかを示しており、いわゆる“オリジナル”の表現が必ずしも“完成”ではないことを有力に物語っている。
 


総裁は甘露の法雨の経緯を分析しだしてるが何が言いたいのだろうか?

紆余曲折があってできたので完成された物ではないから、これからの

新聖経が正しいとでも言いたいのだろうか?


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