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新・生長の家大論争掲示板1

26@@@@:2011/07/01(金) 15:31:27
★「おまえはまだあの天皇信仰を負んぶしているのか。わしはもうとうに降ろしたよ」★
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 『生命の実相』の中にも書いてある話でありますけれども、ある二人の坊さんが話しながら東海道を旅して大井川までやって来たということです、そうしたら大井川は出水で渡れなくなっていた。するとそこへ美しいお嬢さんがどこかへ早く行かんならんというので、たぶん親が危篤だったかもしれない、「これは川止めになってしまったら困る、是非渡らんならん」と思っている時に、その二人の坊さんのうちの一人の禅宗の坊さんが「お嬢さん、私が負んぶして渡して上げるから、どうぞ、私の肩におんぶしなさい」と言って、自分が尻をまくって、河の中へとびこんで、お嬢さんを背中におんぶして、大井川をトットと渡って行ったというのです。そしたらこれを見ていたもう一人の真宗の坊さんが「あいつ、うまい事しやがった、尻をまくって、その上に若い女をのせて歩いた。あいつは精進堅固な禅宗の坊さんかと思うとったら、あいつは生臭坊主だ。正体を現したぞ。一つあっちへ行ったらトッチメてやろう」と思いまして、自分も河を渡って行った。そして対岸へつくと、先に負んぶして行ったお坊さんはそのお嬢さんを降ろしてお礼を言うのも聞かんふりで、トットトットと向こうへ行ってしまった。
 連れのお坊さんは追っかけて行って、「おいおい貴様は禅宗の坊主のくせにけしからんぞ。あんな若い女を、喜んで背中にのせて尻をまくって河を渡るやつがあるか。おまえは精進堅固な坊主だと思っていたら、よっぽど生臭坊主だ」と言った。そしたらその坊さんが「おまえはまだあの女を負んぶしているのか。わしはもうとうに降ろしたよ」と答えた。という意味は、心の世界にいつまでも過去を負んぶしているような事ではいかんということです。
 (途中省略)
 兎も角、つかむという事は、病気でも、不幸でも、災難でも、何でもつかむといかん。「放つものは生きる」というのは生長の家の教えであります。放てば生きる!
(谷口雅春著『神ひとに語り給ふ』神示講義 教の巻、昭和35年、日本教文社28−31頁) 
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(コメント)
 現在、生長の家で起こっている争いは、雅宣副総裁が「おまえはまだあの天皇信仰を負んぶしているのか。わしはもうとうに降ろしたよ」と、とっくに天皇信仰を心から放ち去ってトットトットと大井川を渡り終え、「今の教え」(地球環境保全)を説いているのに対し、いまだに天皇信仰をおんぶし続け、心から天皇信仰を放ち去っていない信徒が多数存在しているという点にある。何でも(何でも、だからもちろん天皇信仰を含む)つかむといかん。(天皇信仰を)放てば生きる!……谷口雅春先生の説かれたこの教えを忠実に実行し、信徒の心から天皇信仰を「放つ」ために、雅宣副総裁は現在、「不立文字(ふりゅうもんじ)」、「マサハル原理主義の危険性」「雅春著聖典絶版処分」「地球環境保全」といった新しい教えや運動に真剣に取り組んでいると考えられる。


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