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新・生長の家大論争掲示板1

2375なるほど・・・・・・・・:2012/06/14(木) 07:22:42
本流より


マサノブ暴走列車、第3号NEW (10249)
日時:2012年06月13日 (水) 13時12分
名前:鳶の子

「唐松模様」  2012年6月12日 (火) 聖経について (3)

 この中で「本部の発行じゃなかったのであります」という部分は、見方によっては雅春先生が「自分の意志じゃなかった」という意味で書かれたと解釈できる。またさらに拡大解釈すると「自分は東京の本部にいて知らなかった」という意味にも取ろうと思えば取れる。しかし、当時の状況を詳しく知り、教団の中での先生の位置や信徒の尊崇の念を考慮に入れれば、先生の著作物であり、かつ教団の運動中で重要な役割を果たしつつあった「甘露の法雨」の詩編を当時、先生に断りなく誰かが発行する可能性などゼロに等しいと言える。それよりもむしろ、この御文章中にある「最初は京都の教化部で」の意味は、「聖経」という呼称のことではなく、「経本型」での発行のことを指している、と私は考える。つまり、「聖経」と呼ぶことは先生御自身のアイディアであったが、「折本型の経本」という体裁で発行したのは京都が初めてだという意味なのである。
(谷口雅宣)



・またまた、京都にて“聖経”が発行された経緯をのべています。

・『この御文章中にある「最初は京都の教化部で」の意味は、「聖経」という呼称のことではなく、「経本型」での発行のことを指している、と私は考える。つまり、「聖経」と呼ぶことは先生御自身のアイディアであったが、「折本型の経本」という体裁で発行したのは京都が初めてだという意味なのである。』・・と断定しています。

・マサノブ教祖は、『「聖経」と呼ぶことは先生御自身のアイディアであった』ということ、そして『「折本型の経本」という体裁で発行したのは京都が初めてだという意味』ということを強調しているのであります。


・だから、何を言いたいのだろうか?  これがまだまだ不明であります!!






お経にするつもりは無かったNEW (10256)
日時:2012年06月14日 (木) 02時43分
名前:清流

京都の発行の件

谷口雅春先生も最初から経本にされるつもりは無かったが京都教化部が勝手に発行しそれが聖経となった。

だから私も(雅宣)聖経に代わるものでは無いと言っている。しかし九州本山や他の処で経本として出されてもそれは止めようがない。

と言いたいのでしょう。


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