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新・生長の家大論争掲示板1

2247本流より:2012/05/31(木) 10:13:23

>観世音菩薩讃歌について②NEW (9681)
日時:2012年05月31日 (木) 10時02分
名前:信者

『「観世音菩薩は山におらず、
川におらず、
社寺におらず、
市井におらず、
汝の内に在るなり」


「観世音菩薩すべてに宿り、
すべてのもの
観世音の教え説かざるはなし」』

 
 自他一体を悟った瞬間から、自分の中に観世音菩薩が宿ることを悟れば、すべての人・事・物に宿ることも悟ります。

 おそらく雅宣総裁の一文目は「神はここに見よ、かしこに見よというがごとくある特定部分に存在するものではない。」という事を仰りたいのだと思います。もしそれが仰りたいのならば「山におらず、川におらず、社寺におらず、市井におらず」の「おらず」という表現は不適切で「のみにはおらず」というのが適切でしょう。

 また「現象の中に神や観世音菩薩は存在しないのだ」という事が仰りたいのであれば、「現象の我=現象の汝」にも観世音菩薩は存在しません。

 我のうちに観世音菩薩の存在を認識できるという事は、「実相の我=神の子の我」を自覚したという事ですから、その瞬間自身の周囲に展開する世界にも観世音菩薩や神の存在を認識できるはずなのであります。

 今回の雅宣総裁の作品で何がおこっているか。

 ゴッホやピカソの絵を「アッ、ここのタッチいい。アッここも」といいながらカッターで切り一種のパズルにして、それらのなかにご自分の書いた絵の一部をおりまぜテープでつなぎあわせて一枚の作品にしたわけであります。

 ゴッホやピカソの書いた部分はおそらく刻まれたとしても輝きを失うことはないでしょう。そこの部分に魅了されて作品全体がすばらしいと錯覚する方もいらっしゃるかもしれません。

 テープでつなぎあわされた作品も奇跡的な確率で前衛的な傑作になることもあるかもしれませんが。

 今回の作品が傑作かどうかは、読む人々の判断にゆだねられるのであります。

 作者が大天才であれば、過去の大天才の絵を切り刻むこともゆるされましょう。しかし真にそのものが大天才であれば、謙虚な精神性がかつての傑作を切り刻むという行為を拒むでしょう。


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