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新・生長の家大論争掲示板1

1916名無しさん:2012/04/24(火) 11:10:49
★吾等従軍の眞意義★  谷口雅春

 宇宙大生命の代表神位、中心神位にましますのが天皇であらせられる。天皇に帰一するの法的歓喜に比ぶれば、利権であるとか利益であるとか立場の相違で色々とくっ付けた現象的な理由は、実に実に顕微鏡で見なければ判らない程に微小なものであるのである。天皇の御命令(おほみいのち)に帰一する法的な大歓喜を忘れて了つて、利権がどうだから戦争せよ、理屈がどうだから戦争せよと云ふ方に力点を置くときは、大象のような大きな歓びを忘れて了つて、蟻のやうな小さい悦びを探し出して彼是いっているのと同じであるのである。利権や利益のために戦争するのは他国の軍人のことである。帝國の軍人は利権や利益のために生命を捨てるのではない。そんな個我的な、一切の欲望を捨てて、ただ天皇陛下の大御命令(おほみいのち)のために生命を捧げ生命を帰一せしめるのである。だから帝國軍人が戦死する時には何と云ふか、『利権万歳』とも『権益万歳』とも云はないのである。もう家の栄えも父母のことも妻子のことも、悉く一切の私情的利権や権益を捨て切った帝國軍人である。ただ彼らには天皇陛下の大御命令(おほみいのち)に帰一するのが喜びなのであるから、『天皇陛下万歳!』である。真宗の信者が臨終に『南無阿弥陀仏』と唱へて阿弥陀仏の無量壽に帰するのを悦びとしているのと同じ様に、否、それよりも一層厳粛なる心持にて、彼等帝國軍人は、天皇陛下の大御命令(おほみいのち)に帰一するの法的歓喜を味つてゐるのである。
 帝國軍人が、天皇陛下の大御命令に帰一して、生死を超越して、爆薬を抱いて死地に飛び込み、或は、数千米突の高空から急降下して敵陣に火焔となって散ることも惜しまないのは、一つに、この大御命令に帰一する喜びのためである。
 仏教では、釈迦の心に考へられたる仏の生命に帰一するのであり、基督教は、そんな心に考えた架空な本尊ではなく、歴史的に本当に存在したイエスの生命に帰一するのだと云ふが、帝國軍人はそれ以上に尊い本尊――仏教のように釈迦によって考へられたる架空の本尊でもなく、基督教のやうに、歴史的に過去に存在したのみの本尊ではなく――――生ける天皇神の信仰であって、天皇は過去に在(ましま)し、未来を永劫に貫いて在すばかりでなく、今現に具体的に在すところの宇宙生命の最高表現であらせられ、最高神位に在(ましま)すところの現人神なる天皇を、生命の本源と仰ぎ奉り、その大生命に帰一する最大崇高なる宗教的行事として戦争に従事するのである。従軍する者は全て、もう既に千仭の絶壁から跳んでゐるのである。戦死しない者も、戦死する者も、永遠に天皇と申上げ奉るところの、具体的な大生命の中心神位に帰一してゐる―――この帰一の崇高極まりなき行事が従軍である。かうなれば、もう御心のままである。戦死を早まる必要もないし、生還が帝國軍人の恥辱でもないのである。ただ命これ従ふ、死ねよと云はれれば死ぬるし、生きよと云はれれば生きるのだ。この崇高極まりなき行事を利権のためだなどと云ふことは、此の実相をくらまし汚すことになるのである。
 
(谷口雅春「吾等従軍の眞意義」『谷口雅春選集』潮文閣、1941年、306−308頁)


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