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新・生長の家大論争掲示板1

1906名無しさん:2012/04/23(月) 00:34:32
割腹自決というと、三島由紀夫氏を直ぐ に思い浮かべるが、最近ある人の話から、大東塾の影山正治氏のことを思い出した。名前は昔聞いた記憶はあったがあまり存じ上げてはおらず、元号法制化の運 動を頑張っておられたくらいしか記憶になかった。この影山正治氏が、昭和五十四年(1979年)元号法制化の法案が参議院で決着するかどうかというときに、その祈願を込めて、自らの身を玉串と捧げて、割腹自決された話を最近になって知った。



 当時、国民の大多数が元号の法制化を 願っていたが、革新政党やキリスト教徒が反対しており、予断を許さない状態だった。昭和天皇はお年を召されてきており、法制化が遅れれば、万が一の時に は、長く続いた日本の元号の伝統が絶たれる可能性さえあった。それは天皇国日本の崩潰をもたらすことを、愛国者たちはみな懸念していた。日本の元号を廃 し、キリスト教歴の西暦のみを使用するというのは、まさに日本人の魂が失われて行く感があった。



 元号法制化の決定がなされる直前の五月二十五日に、大東塾塾長の影山正治氏は、次のような辞世の歌を残して割腹自決された。



 一死以て元号法制化の実現を熱祷しまつる



民族の本(もと)ついのちのふるさとへ はやはやかへれ戦後日本よ



身一つをみづ玉串とささげまつり 御代を祈らむみたまらとともに



この日五月二十五日は、忠臣楠木正成公の命日ということで、勤王の志士の集団として、大東塾では、楠公祭日ということだった。この日を選んで、元号法制化のために一身を瑞玉串として捧げられたのであった。



 聞くところによると、影山正治氏の父、 影山庄平翁は、大日本帝国が惨めな敗戦の日を迎えてから十日目の八月二十五日に、代々木原頭で大東塾塾生とともに十四名で、皇居に向かって割腹自殺をされ たそうである。これは代々木公園内に烈士十四名の碑が、その場所に置かれているようである。



 その庄平翁の辞世の和歌はつぎのものである。



    清く捧ぐる吾等十四の皇魂誓って無窮に皇城を守らむ







こんとんをひらきて今や大地の始発の時と祈り行くなり




國うれふやたけ心のきはまりて静かなるかも神あかるとき







戦いつかれて、精神的に肉体的に疲弊困憊していた日本全国の国民は、大きな衝撃を受けて奮い立ったということである。この時、長男であった影山正治氏は、まだ戦地におられたそうである。きっと、この父庄平翁の自刃は、ずっと影山正治氏の心の中にあって、自分もまた自刃の時を待っておられたのかも知れない。



 そして、五月二十五日に、大楠公の命日であり、また父庄平翁の割腹自殺された八月二十五日と同じ二十五日という日を好機到来の日として、皇国日本へ、身を捧げられたのではないかと思う。



そして、その年五十四年六月六日元号法制化は実現し元号法が制定された。



また生長の家において有名な 「日本のためにならないなら生長の家のひとつやふたつ潰してもかまわない」という

話は景山正治氏の前で語られていたことは大東塾の資料にも残されているようである。

その言葉を聞き後事を谷口雅春氏へ託し自決した景山氏があまりに浮かばれない。


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