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新・生長の家大論争掲示板1

1649名無しさん:2012/04/03(火) 22:48:18

>「聖経」は「補強」しないといけない…?NEW (7982)
日時:2012年04月03日 (火) 22時26分
名前:「靖国見真会」参加者


今回の長編詩の発表について、「唐松模様」3月31日の記事には、こういう断り書きがあります。

〉聖経で説かれた真理を引用しながら、聖経では強調されていなかった方面の教義−−例えば自然と人間との関係など−−について補強を試みている

ここで気になったのは、「補強」という表現です。

辞書を繙くと、こうありました。

「補強とは、足りない所や弱い所を補ったり強くしたりすること」

そうなんです、谷口雅宣先生は、谷口雅春先生の「聖経」には“足りない”“弱い”所があると思っているということなのです。

この発想は、「神想観」のニューバージョンでも見られたことでした。

つまり、谷口雅宣先生は、自分の方が谷口雅春先生より上だという認識をしているということなのです。

そうでなければ「補強」なんていう表現が生まれよう筈がないのです。

これが如何に傲慢な態度であるのか…。

例えば、ピカソの絵を見て、“足りない”“弱い”所があるとして、だから「補強」しなくてはいけない…。

そう思って、そこに手を入れたとしたら、どうなりますか?

いっぺんにその芸術的価値は喪失してしまうでしょう…。

それと同じことを言っているのですよ、これは…。

「補強」しなくてはならないと言った段階で、はっきり言って、谷口雅宣先生は、「聖経」の価値を著しく貶めてしまったのです。

“足りない”“弱い”所のある「聖経」をどうして読誦することができますか…?

蛇の如き賢しらな知恵で、おそらく、谷口雅宣先生は、そのうち、こんなことを言うのではないでしょうか…?

朝は今までどおり、「聖経」を読誦してください。しかし、それでは“足りない”“弱い”ところがあるので、それを「補強」する必要性から、夜は私が書いた「長編詩」を読誦するようにしてください…。

もう、その光景が目に浮かぶようではないですか…。

いずれ、こうなる日も近いと思いますよ。

“朝は聖経読誦、夜は補強読誦”


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