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新・生長の家大論争掲示板1

1448その1:2012/03/23(金) 11:48:04

>日時:2011年09月11日 (日) 10時41分
名前:「靖国見真会」参加者
「役行者」様には、本当に感謝しております。
私の拙い投稿に、ここまで時間をかけ、思いを込めて回答下さったことにただただ感謝の思いでいっぱいです。

何とか「和解」して、生長の家の教えが大きく広がってほしいと念願されていることに、感動すら覚えております。
これは何もおためごかしで言っているのでも何でもありません。
素直な感想なのです。

そのことを前提として、お聞きいただければと思います。

折角の労作を前にして、何かそれに水をぶっかけるようで、甚だ申し訳ない気がするのですが、私の最も不審な点を申し上げさせていただきます。
たとえば、この文章です。

〉現総裁の『古事記と現代の預言』を絶版にした理由が、愛国心の暴走を抑制するためとしたならば、それについては吟味熟読し、話し合い、解決しなければならない問題と存じます。

そもそも、『古事記と現代の預言』を絶版にした理由を、このようにあれこれと忖度しなければならないこと事態が異常だとは思われませんか?

確か、谷口雅宣総裁は「焚書坑儒はしたくない」と言ったと記憶しています。
なのに、こうして絶版が相次ぐ。
神示講義『神ひとに語り給ふ 教の巻』まで絶版にしているのですからね。
心ある信徒はみんな心の奥底で不信感を抱いていますよ。
教団は、まずそのことへの「説明責任」をしっかりと果たすべきだと思うのです。

よく「売れないから」ということをその理由にあげる向きがありますが、そんなことは何の説明にもなっておりません。
だって、テキストにすればいいだけの話なのですから。
『小閑雑感』がそのいい例でしょ。
講習会等のテキストにしているからこそ、売れる?(そこそこでしょうが。その筋の人の話によれば、見渡す限り『小閑雑感』の在庫の山山山なのだそうです)のでしょう。

そうなんです、「売れない」のなら、テキストにして「売れる」ようにすればいいだけの話なのです。
問題は、何故、テキストにしたくないのか、そこなのですよ。

これは、絶版になっていない本でも言えることなんです。
例えば、『限りなく日本を愛す』
ご存じのように、絶版ではありませんよね。
だからと言って、それがテキストに指定されたという話をお聞きになられたことがありますか?
ないでしょう?
心ある講師が、絶版になっていない本だからということで、それをテキストとして申請したら却下されたという話を聞いております。
何で???
これが多すぎるのです。
まるで「ブラックボックス」の中にいるような話ではないですか?
だから、疑心暗鬼にとらわれてしまうのです。


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