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新・生長の家大論争掲示板1

1412名無しさん:2012/03/20(火) 13:53:00
(1411つづき)
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注(※1) 谷口雅春先生は『生命の実相』において以下のように説かれている。

○「草でも一時刈ったり、牛にでも食われたりいたしますと、表面は一時なくなるけれども、それが適当に行なわれることによって次にその草はいっそう大きく生(の)びてくるのであります。…(省略)…樹木でも毎年剪定といって枝葉を適当に切らなければよいぐあいに元気よく育つことはできない。樹木はこれを切ってくれる人があるのでいっそう大きく元気に育ってゆくことができるのです。みんな生かし合いの世界なのです。……具体的にいえば、個体はなく、民族があり、国家がある――これは近頃ドイツで称えられる哲学ですが、これは生長の家の「本来肉体なし」の哲学によって初めてよくわかるのであります。個体というものが本来ないということがわかれば、一個の野菜も個体としては存在しないから、その個体が殺されて食べられるということもない。野菜は理念的存在であって、永遠不滅の野菜の理念が、常に殺されず滅せず、かえって生かされて明年はいっそう大きな優秀な顕われ方をする――すなわちいっそう大きく生かされることになるのであります。」
(谷口雅春著『生命の実相』39巻42−43頁)

【解説】
 上記『生命の実相』39巻の文章中の「草」と「野菜」を生長の家の聖典に、「剪定」を絶版に置き換えれば次のようになる。:

 生長の家の聖典でも一時絶版にされたり、重版保留にされたりいたしますと、表面は一時なくなるけれども、それが適当に行なわれることによって次にその聖典はいっそう大きく生(の)びてくるのであります。…(省略)…樹木でも毎年剪定といって枝葉を適当に切らなければよいぐあいに元気よく育つことはできない。樹木はこれを切ってくれる人があるのでいっそう大きく元気に育ってゆくことができるのです。みんな生かし合いの世界なのです。……具体的にいえば、個体はなく、民族があり、国家がある――これは近頃ドイツで称えられる哲学ですが、これは生長の家の「本来肉体なし」の哲学によって初めてよくわかるのであります。個体というものが本来ないということがわかれば、一個の聖典も個体としては存在しないから、その個体が絶版処分にされてこの世から消えてなくなるということもない。聖典は理念的存在であって、永遠不滅の聖典の理念が、常に殺されず滅せず、かえって生かされて後世はいっそう大きな優秀な顕われ方をする――すなわちいっそう大きく生かされることになるのであります。」

 以上の「みんな生かし合い」の考え方にもとづいて生長の家本部は雅春先生の愛国聖典をほとんど根こそぎ絶版処分にしているのではないか。つまり、永遠不滅の雅春先生の聖典の理念が、常に殺されず滅せず、かえって生かされて後世はいっそう大きな優秀な顕われ方をするために、本部は雅春先生の愛国聖典を適当に「剪定」しているだけなのではないか。だとすればわれわれ生長の家信徒は愛国聖典絶版処分に感謝すべきであるということになるのかもしれない。
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