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宗教・哲学・思想を語るスレッド
441
:
ミカL
◆b9uVALk3K6
:2012/08/18(土) 11:24:40
>>439
修道
ミシャグチ神
>【神長官守矢家邸内のミサクチ社】
>ただ聖書では、人間は決して「神」とは呼ばれない。日本では偶像教との結合により、
イサクは"イサク神"となって神格化されてしまったのだろう。
そして神格化されたイサクの霊を、「おこう」と呼ばれる少年たちが受け継ぎ、地方をまわって
土地の豊作を祈るというのが、この御頭祭の意味であるようである。 このように御頭祭には、
異教臭さがあり、不純物や変質が見られる。しかし核の部分では、諏訪大社の御頭祭はやはり、
旧約聖書のイサク伝承をルーツとするものに違いない。
それは古い時代に、ヤハウェ神を信奉し、イサク伝承を持つ一群の人々の渡来によって、日本に
もたらされ、諏訪大社で祭となって古くから生き続けてきたのであろう。諏訪研究会の清川理一郎氏
は、その著『諏訪神社 謎の古代史』の中で、こう述べている。
「私は、諏訪の地に渡来した人たちの中には・・・・M・トケイヤー氏が指摘した偶像崇拝の人たちが、
かなり含まれていたと考えている。しかし、諏訪の前宮にイサク伝承を伝えた一派は、これら
偶像崇拝の人たちではなく、ヤハウェ信仰の一神教の人たちであった。
この人たちが中核となって、諏訪にイサク伝承を正確に、そして確実に伝えたのである。一方、
その頃の諏訪の地には、縄文時代に栄えた蛇神や、陰陽石に対する信仰の色が濃い文化が、
依然として残っていた。そしてヤハウェ信仰の人たちがイサク伝承を伝えた時点から時を経て、
イサク伝承は、諏訪の蛇神が濃い既存の文化と次第に融合し、現在のミサクチ神の姿に変貌し
ていった(清川氏は、ミサクチの「チ」は蛇の意と解している。ヤマタノオロチなどの「蛇」である)。
私は、このイサクをミサクチ神に変貌させた主役は、ほかならぬ偶像崇拝の人たちであったと考
えている。そして変貌の過程で、現在私たちが見ることができるミサクチ神の神器である陰陽石、
鉄鈴、鉄鐸などが次第に誕生したと思われる。とくに陰陽石の場合は、既存の陰陽石の信仰と
融合しやすかったと考える。・・・・重要なことは、イサクがミサクチ神に変貌したとき、ミサクチ神の
外見は、既存の諏訪の文化が形成した厚い外皮に覆われたが、中身を形成する"核"は、イサク
伝承のまま残ったことである」。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/096suwa.htm
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