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宗教・哲学・思想を語るスレッド
435
:
修道
◆xvhaSPKbVw
:2012/08/15(水) 19:38:55
>>433
>>433
ミカL樣、初めまして。いつも興味深く讀ませていたゞいてをります。
「秦氏」ですが、景教徒だといふ説がありますね。
秦氏創建の広隆寺の彌勒菩薩像の右手の指印は、景教のものと同じです。
彌勒菩薩半跏像(広隆寺)
http://bell.jp/pancho/travel/taisi-siseki/temple/images/miroku01.jpg
景教の司教
http://a0.att.hudong.com/71/51/01300000082697121189516514376_s.jpg
436
:
ミカL
◆b9uVALk3K6
:2012/08/16(木) 08:53:28
>>433
「生贄」
>諏訪大社では、「御頭祭(おんとうさい)」という祭がある。まず、ひとりの男の子を柱にくくりつけ、
いけにえとする。そして神職が刃物で男の子を殺そうとすると、別の神職が現れて制止する。そして、
代わりに鹿をいけにえとして捧げる―――というものだ。明治以降は「野蛮」であるとして、男の子を
縛ったり鹿をいけにえにすることは廃止され、鹿は剥製で代用されるようになったという。ともあれ、
日本にも生け贄を捧げる祭があったのだ。これは、イスラエルに由来するものなのだろうか。
聖書を知る人ならわかるとおり、これは明らかに、「アブラハムのイサク奉献」の物語を模したもの
である。しかも、聖書でこの事件があった舞台は「モリヤ山」であったが、諏訪神社の山も「守屋
(もりや)山」なのである。
http://blogs.yahoo.co.jp/judahephraim/9484680.html
*(´ε`;)ウーン… あまりにも・・・有り得ない!・・・奇跡的 偶然だw
437
:
ミカL
◆b9uVALk3K6
:2012/08/16(木) 09:03:42
>>435
修道様
>ミカL樣、初めまして。いつも興味深く讀ませていたゞいてをります。<
ご存知のように、初めてでは無いですねw ご配慮、感謝しますm(_ _)m
ところで、やはり、「神道」は 「聖書の神」 だと思えますねw ということは、日本中に
「聖書の神」が「神社」として祀られてるのです。
これって「凄い事」ですよねw そこで近頃、気になるのが 「ヨハネの默示録」です。
もしも、神が現在も働かれてるのならば、そして、「黙示録が正しい預言」 ならば、神の計画は
成就するはずです。
「籠の中の鳥は、いついつ 出やる 夜明けの晩に・・・」 (´ε`;)ウーン… 近い!と、感じるのですwww
438
:
ミカL
◆b9uVALk3K6
:2012/08/16(木) 09:14:49
諏訪大社に伝わるイサク奉献伝承
なぜ聖書のイサク奉献伝承が、日本の諏訪大社で祭りとなったのか。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/096suwa.htm
>今日、考古学者の研究により、多神教は一神教の堕落した形態であることが、明らかにされている。
エジプトの宗教を研究したフリンダース・ペトリー卿は、エジプトの多神教は、はじめは一神教だった、
と述べている。考古学上最も古い民族の一つと言われるスメリヤ人も、その文化の終わり頃には
五千の神々を持っていたが、初期にはただひとりの神「空の神」がいただけであった。
同様に、日本の「八百万の神」の多神教も、じつは堕落した形態であって、本来は一神教だったに
違いない。古代の日本人は、唯一の神、また真の神であるヤハウェを知っていたのではないか。
私たちが本当に拝むべきお方は、じつは聖書の教える神ヤハウェであり、またその御子イエス・
キリストなのである。私たちはこのお方に立ち帰るとき、祖先の信じた真の神に立ち帰るのである。
*(´ε`;)ウーン…、探求、瞑想してみようw
しかし、天は、「必要な時、必要な時期を選んで」 与えられるようだw 「汝、求めよ!さらば与えられん!」
439
:
修道
◆xvhaSPKbVw
:2012/08/16(木) 20:44:50
>>438
諏訪大社は謎の多い神社なんですよねえ。
御祭神の建御名方神(たけみなかたのかみ)は、大國主神の御子なのですが、
建御雷之男神(たけみかずちのおのかみ、茨城縣鹿島神宮の御祭神)との國讓りの談判で
力比べに負けて、出雲から遥々諏訪まで逃げて來るんですね。
しかし、諏訪大社にはそれ以前から色々な神々が祀られてゐたのです。
ミシャグチ神などと呼ばれます。白蛇の神だとも謂はれています。
それがなぜ主祭神になつてしまつたのか、よく判らないのです。
440
:
修道
◆xvhaSPKbVw
:2012/08/17(金) 20:23:51
>>437
>「籠の中の鳥は、いついつ 出やる 夜明けの晩に・・・」 (´ε`;)ウーン… 近い!と、感じるのですwww
二十一世紀版ABCD包圍網ですかね。中北韓露。TPPが新ハルノートか?
今度こそは御神意を取り違へる可からず。
441
:
ミカL
◆b9uVALk3K6
:2012/08/18(土) 11:24:40
>>439
修道
ミシャグチ神
>【神長官守矢家邸内のミサクチ社】
>ただ聖書では、人間は決して「神」とは呼ばれない。日本では偶像教との結合により、
イサクは"イサク神"となって神格化されてしまったのだろう。
そして神格化されたイサクの霊を、「おこう」と呼ばれる少年たちが受け継ぎ、地方をまわって
土地の豊作を祈るというのが、この御頭祭の意味であるようである。 このように御頭祭には、
異教臭さがあり、不純物や変質が見られる。しかし核の部分では、諏訪大社の御頭祭はやはり、
旧約聖書のイサク伝承をルーツとするものに違いない。
それは古い時代に、ヤハウェ神を信奉し、イサク伝承を持つ一群の人々の渡来によって、日本に
もたらされ、諏訪大社で祭となって古くから生き続けてきたのであろう。諏訪研究会の清川理一郎氏
は、その著『諏訪神社 謎の古代史』の中で、こう述べている。
「私は、諏訪の地に渡来した人たちの中には・・・・M・トケイヤー氏が指摘した偶像崇拝の人たちが、
かなり含まれていたと考えている。しかし、諏訪の前宮にイサク伝承を伝えた一派は、これら
偶像崇拝の人たちではなく、ヤハウェ信仰の一神教の人たちであった。
この人たちが中核となって、諏訪にイサク伝承を正確に、そして確実に伝えたのである。一方、
その頃の諏訪の地には、縄文時代に栄えた蛇神や、陰陽石に対する信仰の色が濃い文化が、
依然として残っていた。そしてヤハウェ信仰の人たちがイサク伝承を伝えた時点から時を経て、
イサク伝承は、諏訪の蛇神が濃い既存の文化と次第に融合し、現在のミサクチ神の姿に変貌し
ていった(清川氏は、ミサクチの「チ」は蛇の意と解している。ヤマタノオロチなどの「蛇」である)。
私は、このイサクをミサクチ神に変貌させた主役は、ほかならぬ偶像崇拝の人たちであったと考
えている。そして変貌の過程で、現在私たちが見ることができるミサクチ神の神器である陰陽石、
鉄鈴、鉄鐸などが次第に誕生したと思われる。とくに陰陽石の場合は、既存の陰陽石の信仰と
融合しやすかったと考える。・・・・重要なことは、イサクがミサクチ神に変貌したとき、ミサクチ神の
外見は、既存の諏訪の文化が形成した厚い外皮に覆われたが、中身を形成する"核"は、イサク
伝承のまま残ったことである」。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/096suwa.htm
442
:
ミカL
◆b9uVALk3K6
:2012/08/20(月) 03:32:25
旧約と新約
「神と人間との古い契約、新しい契約」の意味で、元々ユダヤ人のみの神と捉えられていたが、
イエスが来ることによって、「新約」となり、イエスの教えを実行する者が「神の民」となるという
「新しい契約」。
ユダヤ教は未だにイエスを救世主とは認めず、2000年以上たった今でも、「メシア」を待ち続け
ていることになっている。しかし、「新約」から言えばユダヤ教は「神の民」とは言えないことになる。
しかし、ユダヤ教の人々は「選民思想」を持っていて、他宗教の人々は「異邦人」「異教徒」なのだ。
ゴイム(家畜)という呼び方もあるらしい。つまり、ユダヤ人以外は、ゴイムなのかなw
不思議なことだが、私が思うにユダヤ人と韓国人は、似ている。ただ、ユダヤ人と言っても、本来の
ユダヤ人とアシュケナージのユダヤ人は違うらしい。現代はアシュケナージが多いらしい。いわば、
アシュケナージにのっとられてしまったのだ。
日本には在日と呼ばれる韓国人が居るが、彼らは帰化して日本人となれば、見分けがつかない。
韓国人や中国人が大量に移民してきて、帰化すれば、大和民族は消えて、日本は彼らに乗っ取られる
かも知れないw
443
:
ミカL
◆b9uVALk3K6
:2012/09/03(月) 16:47:01
>>441
Ⅲ 諏訪大社 「御頭祭」(オントウサイ)
http://www.youtube.com/watch?v=myanKsdETSM
明らかに、「イサク献祭」伝承だと思われる。鹿の耳が裂かれているのも、聖書に書いてある、「生贄を
裂く」ことから、来ているのではないかと思う。
創世記22章
>アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せ
た。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を
呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使が言っ
た、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子
をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。
この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。
アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。それでアブラ
ハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と
言う。
444
:
ミカL
◆b9uVALk3K6
:2012/09/03(月) 16:54:03
★相撲は古代イスラエルの神事だった★?
http://www.youtube.com/watch?v=U9NqwW6Bka8&feature=related
面白いなwww
445
:
ミカL
◆b9uVALk3K6
:2012/09/03(月) 17:09:20
>>444
つまり、諏訪大社の「御柱」というのは イスラエルの神、ヤーベを現してるんだろう。
ヤコブと戦った天使は、「柱」を上り下りしたと、書かれてあったはずだ。柱は神に通じる「道」なんだな。
諏訪大社の「御柱祭」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%9F%B1%E7%A5%AD
446
:
ミカL
◆b9uVALk3K6
:2012/09/05(水) 10:04:55
しかし、もしも、大和民族が北イスラエルの10部族だったとしたら、それが「何」だろう?
【大和民族が北イスラエルの10部族だった】としたら、世界がどうなるのだ?私の人生がどうなる?
【大和民族が北イスラエルの10部族だったとしたら】・・・まず、この命題から【考察】してみようかwww
それには「ヨハネの黙示録」と旧約聖書の預言書を、【考察】しなければならない。では、次回からw
†o(#^.^#)o††o(・・;) アーメン
447
:
修道
◆xvhaSPKbVw
:2012/09/23(日) 19:40:25
他のスレでも指摘されてゐましたが、中共への煽り映畫と云ひ、トクマなる淺はかなオオバカモノによる尖閣への突撃上陸と云ひ、
幸福の科學が曲なりにも眞正保守を自稱するなら、かう云ふサイトも偶にはご覽になつて勉強なさると佳い。
↓
http://6131.teacup.com/dartford/bbs
448
:
修道
◆xvhaSPKbVw
:2012/11/11(日) 13:38:08
あちらのスレに、幸實黨の政策として“核抑止力の早急な整備のため、核兵器は米国や
ロシアからの購入やレンタルも検討します。”といふのがありました。
核兵器の購入やレンタル?購入はまだしも(出來る譯ありませんが)、レンタル???
發想が小學生ですね。何考へてるんだらう・・・。いや、何も考へてないんだらうな。
449
:
ミカL
◆b9uVALk3K6
:2012/11/14(水) 08:10:03
2010/1/10
天皇家と失われたイスラエル十支族 秦氏・日本とユダヤ文化
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1041.html
【失われたイスラエル10支族】
日本の天皇家は、現存する皇室としては世界最古の歴史を持ち、日本建国から同じ血統をひく一族で、
まさに天皇家は日本の歴史そのものといっても過言ではありません。
日本書紀によれば、神武天皇が帝国を創建したのが紀元前660年ですが、この時代は古代イスラエル
王国がソロモン王の死(BC928年)後、北イスラエル王国(10支族)と南ユダ王国(2支族)に分裂し、
北イスラエル王国はBC722年にアッシリア帝国に滅ぼされ、10支族はイスラエルの地から連れさられ、
以後行方不明(失われたイスラエル10支族)になります。 南ユダ王国はバビロニアに滅ぼされ、2支族
はバビロニアに連れさられますが(バビロン捕囚)、ペルシャ帝国がバビロニアを滅ぼし、ユダ王国の
2支族は故郷に戻る事が許されました。
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1041.html
現在イスラエルでは、失われたイスラエル10支族の探索と帰還を図るため、「アミシャーブ」という専門の
機関を作り、既にアジア各地でDNA鑑定も含め10支族の末裔を見つけておりますが、最も有力な候補と
して日本の天皇家をあげています。
「アミシャーブ」の探索によれば、シルクロードの終点にある日本にも「失われた十支族」が来日し、日本
の中枢に大きな影響をあたえた証拠が多くあるとし、特に神道の祭祀にヤハウェの神殿の祭祀との偶然
ではありえないような類似点が多く残っていると言っています。 また、聖書に記述にある「過越しの祭り」
「仮庵の祭り」も日本の正月の祭りなどに残されているということです。
私は、この可能性はかなり高いと見ており、その有力な情報の一つに、神武天皇に至るまでの日本神話の
系図と、旧約聖書にあるエフライム族の系図とが、また話の内容が全く同じである事があります。これだけ
の一致は、まず偶然ではありえないと思います。
以上↑【転載記事】
450
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2012/11/19(月) 20:02:33
幸運、不運については、
KKでは、自己責任、因果応報などで説明するのだろうけれども、
キリスト教の本などをみていると、神の御心によるという考え方が強いようです。そっち系の本を読んでいると、「好ましいだけを受け取り、そうでないことは受け取らないということは許されないんだ」という発想をちょくちょく見かける。
無神論や唯物論から見たら、幸運不運は偶然にすぎないとなるのかもしれません。
自分は、若い頃は、自己責任や因果応報という見方でしたが、年を取るにつれて、この世の不条理を感じることが多くなっているせいか、後の二つの考え方に共感する傾向が年々強まっております。
451
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2012/11/19(月) 20:12:22
>>450
×好ましいだけを受け取り
○好ましいことだけを受け取り
452
:
タム
◆M/L2k2Eq72
:2013/01/09(水) 07:18:54
「第9回 大本教 民衆は何を求めたのか 〜出口なお・王仁三郎〜」、見ました。
虐げられている民衆と、公権力との戦いという視点から構成された番組だった。
そのくせして、なぜ、大本教はあそこまで弾圧されたのかという問いには答え
きれていないようだった。
その要因として、大本は国家神道と重大な相違点を有し、かつ多くの民衆の支持
を得たためとしていたようだが、それだけで、あれほどの弾圧が行われるのだろうか。
その動機としては弱いように思えてならない。
自分としては、大本と国家神道との関係だけでなく、
大本と法華信者との関係に興味がわいてきました。
453
:
UMA
:2013/01/10(木) 13:26:07
>>452
> 大本と法華信者との関係に興味がわいてきました。
聞いた話ですが、戦後の新宗教の系譜は、大きく分けて、大本系と法華経系の二つがあるとか。(以下の図参照)
park8.wakwak.com/~kasa/Religion/relational.html
GLAや幸福の科学、オウム真理教などは、両方の系統からの影響を受けている感じはします。
454
:
修道
◆xvhaSPKbVw
:2013/01/10(木) 21:03:33
>>453
面白い系統圖ですね。少し大雜把ですけど概略は其のとほりだと私も認識してますね。
あまり細くいふと差し障りがあるので、いひませんが。
455
:
修道
◆xvhaSPKbVw
:2013/09/11(水) 20:22:20
皆樣、この現象をどう思はれますか?
石が浮いてゐます。トリックはありません。撮影者は私では御座いませんが。
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