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【資料】神秘主義の系譜【探索】

199名無しさん:2013/07/22(月) 23:28:28
神宮寺
じんぐうじ

神祇に仏教的宗儀をささげるために建立された寺院。神宮院,神願寺,神護寺,神供寺あるいはたんに宮寺ともいう。多くは神社の境域内に建てられたが,なかには遠隔の地に設けられたものもある。社僧(宮僧(くそう),供僧(ぐそう),神僧とも呼ぶ)が住み,仏事をもって神に奉仕した。神宮寺は,日本固有の神祇信仰と外来の仏教信仰が融合ないし混交した文化現象である神仏習合の思想にもとづいて出現した。文献上の初見は,《藤氏家伝(とうしかでん)》に藤原武智麻呂(むちまろ)が715年(霊亀1)越前の気比(けひ)神の託宣をうけて建てたという気比神宮寺であろう。つづいて養老年間(717‐724)に和宅継(やまとのやかつぐ)が若狭の若狭比古(わかさひこ)神のために建てたという神願寺,763年(天平宝字7)に満願(まんがん)禅師が建てた伊勢の多度神宮寺(法雲寺),また同じ満願が天平勝宝年間(749‐757)に建てたという常陸の鹿島神宮寺がある。時代の下降とともに神宮寺は増え,おおむね諸国の神社に設けられた。神も衆生(しゆじよう)の一つで,仏法を聞くをよろこび,仏教に帰依して業苦(ごうく)からの救済を願いのぞむという思想に始まり,やがて神の威力を仏法によって増益させることを意図し,さらには神と仏は相互に助け合うといった考えなどが,神宮寺建立の基底にある。上記のほか,山城の賀茂神宮寺,石清水(いわしみず)八幡宮護国寺,大和の石上(いそのかみ)神宮寺,摂津の住吉神宮寺,伊勢の伊勢大神宮寺,能登の気多(けた)大神宮寺,豊前の宇佐八幡神宮寺(弥勒寺)などが有名である。しかし,明治維新の神仏分離でほとんど破壊された。⇒神仏習合‖神仏分離            中井 真孝

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