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【資料】神秘主義の系譜【探索】

187名無しさん:2013/07/22(月) 22:46:34
神梢官
じんぎかん

(1)7世紀以来の律令体制下で朝廷の神梢行政を管掌した官衙。古訓では〈カンヅカサ〉と読む。日本では古来神梢を尊んで祭祀を重んじたため,古代中国の令制にはない神梢官を太政官とは別に置いた。しかし現実には太政官の八省と同格であり,その権能は小さかった。大化改新,天智朝には〈神官〉と呼ばれたが,天武朝の官制で初めて神梢官と称された。官衙の場所は宮城内の郁芳門の南脇にあった。神梢官の長官は神梢伯といい,従四位下相当官。神梢の祭祀,祝部(はふりべ),神戸(かんべ)の名籍,大嘗,鎮魂,御巫(みかんなぎ),卜兆および官事を惣判することを任とした。ほかに官員として次官である大・少副,判官の大・少祐,主典の大・少史各1人が置かれ,また神部30人,卜部20人等の職員が置かれた。中世以降は他の官司と同じく特定の氏族により官職の世襲が行われるようになった。伯には平安中期以降,皇親である諸王が就くようになり,中世には任伯と同時に王氏に復する花山源氏の白川家が世襲する例が開かれ,次官である大副・権大副も大中臣氏,卜部氏がそれぞれ世襲した。鎌倉時代以後,うち続く戦乱のため,朝廷権力の衰微とともに神梢官も形骸化し,応仁の乱で庁舎は焼失した。1590年(天正18)に至り吉田神社(京都)の斎場所(さいじようしよ)に神梢官八神殿をうつし,1609年(慶長14)から神梢官代となし,また白川家邸内にも神梢官八神をまつって明治維新に及んだ。
                        阪本 是丸

(2)1868年(明治1),祭政一致をスローガンとした明治維新政府は神梢官の再興を企て,太政官の下に神梢官を置き,翌年にはこれを太政官より独立させた。神梢官の管轄事項には新たに宣教にあたる宣教使のことがつけ加えられ,長官,次官,正・権判官,主典,史生を置き,判官以上を神梢官職員の兼務とし,各藩に宣教係が置かれ,神道国教化政策が展開された(初代長官は中山忠能神梢伯,次官は福羽美静神梢少副)。しかし明治政府の富国強兵(〈近代化〉)政策の展開の中で,71年には神梢省に格下げされ,さらに翌年にはこれも廃止されて祭典関係の事項は式部寮に,宣教関係の事項は新設の教部省に移され,宣教使はしだいに教導職に吸収された。なお,のち1940‐46年の戦時体制下に,神梢に関する独立の中央官庁として神梢院が一時設置された。
                      中島 三千男

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神梢官 → 神祇官


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