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【資料】神秘主義の系譜【探索】
178
:
名無しさん
:2013/07/22(月) 21:05:35
国体思想
こくたいしそう
天皇統治の正当性または日本国の優秀性を唱える思想をいう。〈国体〉の語は,政治学・法律学上その概念を使用する場合には主権の帰属いかんによって国家を区別する場合に用いられ,通常,君主国体と共和国体に区別される。しかし日本では特殊に,万世一系の天皇によって統治される優秀な国柄を表す概念として用いられ,(1)永久不滅の天皇主権を指す場合,(2)君臣の特別の情誼関係を指す場合,(3)国風文化全般を指す場合等,きわめて多義的な内容の概念として使用された。
[江戸時代] すでに北畠親房の《神皇正統記》等に神国思想に基づく皇国論が存在したが,江戸時代に儒学が正統学になるとその中華中心主義への反発として儒学者内部から,日本こそ放伐のない,すなわち天壌無窮の神勅以来君臣の道の定まっていたすぐれた国柄であるとして,日本をたたえる思想が生まれた。次いで国学の発生により古代日本そのものを賛美する思想が生まれ,古代中国の聖人の道を賛美する徂徠学等と論争が生じた。後期から幕末にかけては,儒教的道徳とくに君臣の大義が神代から行われていたとして日本の国体をたたえる後期水戸学と,より排他的な日本中心主義を唱える平田篤胤の平田国学とが,国体思想の二大潮流となった。幕末の欧米列強による開国の強要は尊王論と攘夷論の結合を生み,国体思想はいっそう排外主義的ナショナリズムの様相を濃くした。
[明治期] 明治維新により朝廷に政権が帰し,かつ人民を直接維新政権が掌握せざるをえなかったため,国体論は天皇統治の正当性を人民に論証するためにその全エネルギーを集中した。そのため復古国学者らにより,天照大神の最高神化とそれが下したとされる神勅による正当性論が主流を占めた。また政府も1873年に新聞紙発行条目を定め,国体誹謗(ひぼう)の禁止を定めた。しかし明治10年代までは近代西欧思想の流入もあり,自由民権思想のなかにみられた契約国家論,国約憲法論や,イギリス君主制の〈君臨すれども統治せず〉を是とする福沢諭吉の《帝室論》(1883)等,さまざまな見解が存在した。明治憲法制定過程においては立憲政治への移行が国体の変更であるか否かが政府内で議論されたが,最終的には立憲政治への移行は政体の変更で国体の変更ではありえないことに決着し,伊藤博文の公認の憲法解釈書《憲法義解》にそのことが示された。そして明治憲法によって国体の基礎的原理が示され,教育勅語によってその解釈基準が示されたものとされた。しかしそこでは天皇統治の正統性が万世一系ということにあることと,若干の徳目が国体の精華として示されたにとどまったので,なぜ日本の国体が万邦無比であるのかをめぐってさまざまな見解が生じた。日清・日露戦間期には帝国主義ナショナリズムの台頭に伴って,天皇を族父とする特有の民族的結合関係から国体の優秀性を説く高山樗牛,加藤弘之らの族父統治国体論が流行し,日露戦争以降は皇室を宗家とする家族国家論的国体論が一般化していった。1911年,小学校の国定教科書の南北朝記述をめぐって南北朝正閏問題が起こったが,北朝系の明治天皇の勅裁により君臣の大義から南朝正統が決定した。
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