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【資料】神秘主義の系譜【探索】
158
:
名無しさん
:2013/07/22(月) 19:15:37
弓削氏
弓削氏(ゆげうじ/し)は、「弓削」を氏とする氏族。
古代の日本で弓を製作する弓削部を統率した氏族で、祖先伝承や根拠地域が異なる複数系統がある。物部氏と関係が深く、一部の系統はその傍系とも称した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E5%89%8A%E6%B0%8F
氏寺
うじでら
氏族の氏上・族長が自身あるいは一族の現世安穏と故人の菩提を祈るために建立した寺。氏神が守護神・祖霊神で,一族の崇敬を得たように,氏寺は氏族一門の現世安穏を祈る祈願所であり,氏人は寺の管理権をもつかたわら経営維持に任じ,寺僧・別当も氏人の僧が選ばれた。氏寺の名は805年(延暦24)に初見するが,仏教伝来以後,崇仏毀釈の政争を経て,仏教は氏族間にも漸次流布するに至り,盛んに建立されるようになった。680年(天武9)に官寺となる飛鳥元興寺は,もと蘇我馬子の建立にかかる蘇我氏の氏寺であった。仏教の受容に敏感に反応した渡来系の氏族はこぞって氏寺を創建するようになるが,秦河勝の建立した秦氏の氏寺広隆寺(太秦(うずまさ)寺),西文(かわちのふみ)氏の西琳寺,鞍作氏の坂田寺(金剛寺),東漢(やまとのあや)氏の檜隈寺(道興寺),坂上氏の支流呉原氏の呉原寺,船氏の野中寺,損井氏の藤井寺,百済王氏の百済寺などが,奈良時代にかけて建立された。一方,日本の氏族の建立にかかるものとしては,蘇我山田石川麻呂の山田寺,阿倍氏の崇敬寺(安倍寺),損城氏の損木寺,巨勢氏の巨勢寺,紀氏の紀寺,小野氏の願興寺,大宅氏の大宅寺,中臣(なかとみ)氏の粟原寺や中臣寺,弓削氏の弓削寺,下毛野(しもつけぬ)氏の下野寺,佐伯氏の香積寺(佐伯院)などがあり,中でも藤原氏の興福寺(山階寺)は,明治初年に至るまで,氏寺としてその法灯を伝えた。平安時代に至っても,のち興福寺末となった京都清水寺は坂上氏の氏寺であり,洛西の神願寺(神護寺)は,和気氏の氏寺であった。624年(推古32)9月には寺が46あったことが正史に伝えられているが,その多くは有力な氏族の氏寺により占められていたと思われる。
奈良時代における国家仏教の成立という発展過程に占めた氏寺の位置は,はなはだ大きいといわねばならない。氏族は氏寺を祈願所とし,寺院経営維持のために,寺領や資財などを寄進し,有力者が檀越(だんおつ)として運営に当たったが,檀越の中には往々にして,寺田を私有化し,資財を横領したり,また,王臣貴族に寺を寄進し,王臣家などは代々相承してきた檀越を追放するという現象が,9世紀ころから生じてきた。こうして氏寺は氏族の興亡盛衰に左右されて,有力な大寺の末寺と化するようになっていく。氏族の盛衰は氏寺の盛衰に直結していたといえる。 堀池 春峰
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