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【資料】神秘主義の系譜【探索】
127
:
名無しさん
:2013/07/20(土) 23:57:49
崇福寺
すうふくじ
滋賀県大津市にあった古代の官寺。志賀山寺ともいい,668年(天智7)天智天皇が霊夢により大津宮の北西山中に創建したと伝える。《扶桑略記》が引く縁起によると,諸堂舎がそなわり,弥勒の丈六像を本尊とした。798年(延暦17)には十大寺の一つに数えられたが,921年(延喜21)火災のため焼失した。再建の後もまた965年(康保2)火災にあい,しだいに衰退し,13世紀以後まったく廃絶した。 中井 真孝
[崇福寺跡] 二つの小さな谷をはさんで南北3ヵ所に礎石が残っている。1938年,39年発掘調査が行われた。中央の舌状台地に西に小金堂,東に塔があり,谷をへだてた北の山腹を削り出した段に弥勒堂とよばれる講堂が構えられ,両者を橋で連絡していたことがわかり,これが668年につくられた大津宮(近江大津宮)と考えられる。39年の塔の発掘で地下1mに心礎が検出され,心礎の東側面に横穴状の舎利孔が創建当初の状況でみつかった。ここに金のふたをしたフラスコ形の緑色ガラス製の舎利容器が,長方形の内にガラス容器をのせる蓮華座をつけた金製の内函,同形の銀製中函,香様(こうざま)の台をもつ青銅製外函に収められていた。これに金銀平脱鉄鏡,無字銀銭,鈴,玉を伴っていた。中央台地北斜面から7世紀中葉の瓦とともに柿仏,塑像片などが発見されている。この寺の廃絶後桓武天皇がこの地に臨みこの寺を復興させた。小金堂,塔,弥勒堂のほかに中央台地より谷をへだてた南に金堂と講堂と現在よんでいるより規模の大きな堂宇もつくられ,これらすべてを梵釈寺とよんだとも考えられる。泥塔,緑釉陶,須恵器硯をはじめ平安時代の瓦が全域で検出される。八花鏡,佐波理(響銅(さはり))鋺なども採集されている。 坪井 清足
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