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【資料】神秘主義の系譜【探索】

120名無しさん:2013/07/20(土) 23:50:04
朝鮮美術

【彫刻】
 三国時代の4世紀末に仏教が朝鮮半島に伝えられ,彫刻は仏像を中心に展開する。その初期には3国とも中国仏像の直模的な表現による扁平で硬直した体賭,衣紋が左右対称に広がる正面観主体のものが造られた。高句麗は3国のうちで最も早く仏教および仏像を受け入れたが,遺品はきわめて少ない。遺品のほとんどが小金銅仏であり,その代表的な様式は三尊仏である。遺品中で最古のものは延嘉7年(539)の造像銘をもつ金銅如来立像である。高句麗の仏像はその地理的関係から中国の北魏を主とする北朝様式の影響を強く受けている。

 百済の仏像はほぼ600年ころを境にして前期と後期に分けられる。前期は一光三尊形式の小金銅仏や小型石造の半跏像などが中心であるが,6世紀後半にはまだ中国六朝や高句麗系の様式が残っている。後期には比較的大きな金銅仏や石窟寺院形式の磨崖石仏,大型石仏が造られており,7世紀前半に至って隋・唐両王朝の新しい影響を受けながら百済独自の作風を帯びるようになった。顔は丸く温和で,〈百済の微笑〉と呼ばれる特有な笑みを浮かべている。百済は6世紀前半に日本に仏教を伝え,飛鳥,奈良の地に仏教文化を開花させたが,その仏像製作には百済の帰化人の手が大いに及んでいるものと考えられる。

 古新羅の仏像は弥勒信仰を背景とした弥勒仏や半跏思惟形の菩醍像の製作が盛んであったことが特色である。2体の大型金銅半跏思惟像(ともにソウル国立中央博物館)は3国中のいずれの王朝の造像であるのか不明だが,そうした弥勒信仰を背景として生まれたものであろう。古新羅末期にはこれらの金銅仏とともに石像も発達し,三尊像や半跏像も造られた。

 続く統一新羅時代には3国それぞれの仏像様式が統合され,石像,銅像,塑像など多くの仏像が造られ,現存する作品も少なくない。特に統一以後盛んであった阿弥陀信仰による造像と,薬師信仰による金銅像の盛んな造成が注目される。この期の最大の傑作は慶州吐含山の石窟庵本尊の如来石像とその一群の脇侍たちである。石窟庵本尊の偉容は東洋各国の石仏中の精華とも称えられているが,これは新羅の石像彫刻の200年にわたる伝統の上に完成されたものであり,また良質な石材に恵まれた朝鮮の風土と民族の造形感覚との密接な関係を示すものといえよう。しかし,石窟庵の石仏群を頂点として,以後,朝鮮の仏像は作風の低下をきたしていく。高麗時代は前代に引き続き仏教は盛んで,仏教美術は諸方面に新たな展開を見せるが,仏像は秀麗にして力感に満ちた前代のそれを凌駕することができなかった。
                        吉田 宏志


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