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【資料】神秘主義の系譜【探索】
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:
名無しさん
:2013/07/20(土) 23:41:40
比丘尼
びくに
出家して戒を受けた女性,仏教教団の正規の女性出家者。尼僧のこと,単に尼(あま)ともいう。サンスクリット bhikoul ̄,パーリ語 bhikkhun ̄ の音写。日本における比丘尼のはじめは,蘇我馬子が桜井道場で弥勒像をまつらしめた善信,禅蔵,恵善の3人であり,彼女らは神に奉仕する巫女と同じであった。以後,仏教受容は急速に進み,624年(推古32)には尼569人に達した。比丘尼に限らず,古代の僧尼は巫覡(ふげき)的な性格が著しく,仏教的呪力に対する期待から,集団的得度さえ行われた。平安時代には皇女や貴族の子女を教育する尼僧が現れ,また比丘尼となる皇女も出た。皇女が尼僧となって住した寺を江戸時代には比丘尼御所と称した。
一方,民間では,律令時代からひそかに僧形をとる巫覡が続出した。治病,託宣などを行う漂泊の自由出家者群であり,聖(ひじり)と称されるものに対応するのが比丘尼であった。比丘尼は巫女的女性であるが,なかでも熊野比丘尼が知られている。熊野比丘尼とは熊野信仰を伝える巫女の別名で,熊野系修験者が巫女の随従を認め,彼女らに比丘尼の名を与えたものと考えられる。中世中ごろから各地を旅し,持参の熊野那智参詣曼陀羅,熊野観心十界曼荼羅,熊野本地絵巻などを絵解きして,熊野信仰と観心という仏教教理を広めていった。また勧進(かんじん)比丘尼といわれるように,各地の社寺の修復にも努めた。しかし幕藩体制が確立する江戸時代になると,回国できなくなり,村落に定着せざるをえなくなった。やがて〈小歌を便に色をうる〉(《人倫訓蒙図彙》)歌比丘尼に零落した。東北から中国,四国地方にかけて,各地に白(しろ)比丘尼,八百比丘尼の伝承がのこっている。1449年(宝徳1)には,白髪の巫女めいた老尼が都に現れ,みずから若狭白比丘尼とも八百歳老尼とも称したという(《康富記》《臥雲日件録》)。このような白比丘尼,八百比丘尼の伝承は,中世にいたるまで普遍的にみられた歩き巫女の存在を暗示している。漂泊の女性についての伝承は,八百比丘尼であれ,和泉式部であれ,熊野比丘尼が語り歩いたものが多いと推定されている。 伊藤 唯真
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