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【資料】神秘主義の系譜【探索】
113
:
名無しさん
:2013/07/20(土) 23:40:59
英彦山
ひこさん
福岡県の南東部田川郡から大分県の北西部下毛郡にかけて位置する英彦山地の主峰で,標高1200m。主として新第三紀後期〜第四紀の火山岩からなり,標高約800mまでは筑紫溶岩で,その上に輝石安山岩をのせている。輝石安山岩が浸食に対する抵抗が強いため,山頂部はビュート地形で3峰に分かれ,中岳には英彦山神宮が鎮座する。古くから山伏の修験道場として栄えたが,明治維新後の神仏分離により衰微し,現在では英彦山神宮の門前町的な小集落がみられるだけである。しかし,樹齢1200年,高さ60mの鬼杉の巨木(天)や伝雪舟作の旧亀石坊庭園,奉幣殿,銅(かね)の鳥居などの文化財に富み,耶馬日田英彦山国定公園に指定され,またスキー場のある鷹ノ巣原に国民宿舎,キャンプ場,青年の家などがあって,春や秋の観光シーズンを中心に九州北部からの観光客が多い。JR 日田彦山線彦山駅から豊前坊までバスの便がある。 赤木 祥彦
[信仰] 古くは日子山と書き,嵯峨天皇のときに彦山と変わり,1729年(享保14)霊元上皇の院宣によって英彦山と書くようになった。英彦山は奈良時代の医僧法蓮の入峰以来,山伏の修験道場として栄え,最盛期には僧坊3800を数え,その信仰は九州一円に及び,大峰山,羽黒山と並んで日本の三大修験道場とされた。天狗や鬼がすむと伝えられるほど奇岩怪石に富み,中世末から近世期にかけて,本山派,当山派が全国的規模で修験道の組織化を推し進めていくなかでも,英彦山は東北の出羽三山とともにその独自性を保ってきた。
英彦山信仰は山岳信仰史・修験道史においても注目する点が少なくない。それは,修験道の教義的側面を発展させ指導的役割を担ってきたことと,古代から中世にかけての信仰を伝えていることであろう。たとえば弥勒兜卒(みろくとそつ)内院四十九院に擬した49窟の存在は,山中を駆けめぐる抖芹(とそう)修行が導入される以前の洞窟籠り修行を伝えている。また,ほぼ九州全域に分布する檀那に経済的基盤を置く以前は,〈四境七里〉と称された神領が基盤となっていたこともその一例である。さらに大陸との関係,三組一山という近世期支配体制,行事の変化と芸能など特筆すべき点が少なくない。しかし,明治の廃仏棄釈で修験的堂宇や仏像は奉幣殿を除いて大部分失われてしまった。なお,英彦山みやげとして彦山土鈴が古くから有名で,今でも農家の豊作祈願の呪具となっている。⇒英彦山神宮‖彦山派
宮本 袈裟雄
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