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【資料】神秘主義の系譜【探索】

110名無しさん:2013/07/20(土) 23:38:02
富士講
ふじこう

富士山の信仰集団で,江戸時代半ばに,江戸とその周辺農村部に組織化された。伝説上の富士講の開祖は,角行(かくぎよう)といい,富士の人穴(ひとあな)で修行した修験の一人であったらしい。角行の弟子の行者たちが,江戸に出てきて布教した段階では,まだ未組織で,もっぱら祈裳中心の信仰活動であった。しかし6代目行者身禄(みろく)が出現するに及んで,富士講に大きな変化が生じた。身禄は,ミロクと訓じ,弥勒菩醍を予想させている。弥勒仏の生れ変りの存在でこの世を救うというメシアニズムが認められる。具体的な身禄の教えは,江戸の職人や中小クラスの商人たちの間で,一つの道徳律となって浸透した。身禄は1733年(享保18)6月に,富士山吉田口七合五勺の烏帽子(えぼし)岩で断食修行を行い,入滅した。この自殺行為は,当時の世相をにぎわした。そして身禄の死を一つの契機として,急速に信者が増大したのである。文献初見は,〈江戸身禄同行〉の名称で,この同行は身禄の弟子高田藤四郎によって,1736年(元文1)に成立したと伝えられている。1795年(寛政7)の町触に,〈近年富士講と唱え〉といわれ,この段階では,富士講が若い世代の信者たちにも受け入れられていたことがわかる。寛政年間(1789‐1801)以降には,富士講の存在が禁令の対象となっているが,〈江戸八百八講〉と表現されているように,町内ごとに地域社会にうまく密着していた。富士講は,先達(せんだつ),講元(こうもと),世話人(せわにん)の三役によって組織され,近代以後には,扶桑教(ふそうきよう),実行教,丸山教などの神道教派になっている。⇒富士信仰‖弥勒信仰                  宮田 登

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