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【資料】神秘主義の系譜【探索】
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:
名無しさん
:2013/07/20(土) 23:31:33
法顕 337?‐422?
ほっけん
中国,東晋時代の求法(ぐほう)訳経僧。姓は釦(きよう)。平陽郡武陽(山西省襄垣県)の人。わずか3歳で沙弥となり,20歳のとき大戒をうけた。そのころ中国に律蔵が完備していないのをなげき,399年(隆安3)に60余歳の老齢の身で,同学の僧らと長安を出発して,陸路インドへ向かった。敦煌から西域に入り,ヒマラヤを越えて北インドに至り,インド各地やスリランカで仏典を求め仏跡を巡礼する旅をつづけた。30余国を遍歴したのち,戒律などのサンスクリット経典をもって,海路帰国の途についたが,暴風雨に遭い,412年(義熙8)に青州長広郡(山東省)にひとり無事に帰着した。この14年間にわたる旅行中の見聞を著したのが,《仏国記》つまり《高僧法顕伝》である。建康(南京)の道場寺でブッダバドラ(仏陀跋陀羅)とともに《摩訶僧梢律(まかそうぎりつ)》《大般泥香経(だいはつないおんきよう)》など6部63巻にのぼる経律を漢訳した後,草州辛寺で亡くなった。この《摩訶僧梢律》は,やがて《四分律》にとって代わられるとはいえ,北朝では盛んに行われたのであり,《大般泥香経》は早速に竺道生らによって研究され,涅槃(ねはん)宗成立の契機となった。法顕はまた,西域やインドの弥勒(みろく)信仰を中国に伝えたことでも知られる。 礪波 護
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