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上海雑伎団スレ【第六十九幕】

4288ちんぐり:2025/11/09(日) 09:40:49 ID:28CiSxmI0
>>4283
古代インドの思想は、仏教を含めて輪廻と業を前提に組み立てられている。
そしてそこからの脱却として、多くの教えやメソッドができたが、それはチケットからの派生達人やメソッドにも知ってか知らずか深く根ざしているよ。

これは脅しの装置ではなく、苦しみの原因を説明するための体系だ。
必ずしも「不幸な死に方をする」という話にはならないんだ。
実際、弟子の阿羅漢である舎利子も阿難も普通に病死や老衰で亡くなっている。
この考えに従うなら、生前に業を消化したと見る方が自然だよね。

君が幼い頃につらい状況だった理由が輪廻によるものかどうかは断定できない。
しかし、生まれた瞬間から私たちは何も選択していない。
性別も気質も家庭環境もすでに決まっていた。
「この私」は気づいた時にはもう成立していた。
今も思考や感情は勝手に湧き、制御できないからこそ摩擦が生じ、苦しみが起こる。

こうした事実を整理すると、前の夢を引き継いでこの夢が始まっていると捉える方が筋が通る。
輪廻は、他に怖い仕組みがあるという話ではなく、今の私がどこから来ているかを説明する枠組みと言える。

そしてみんな今も、当たり前のようにこの考えの枠組みをいつの間にか採用しているだろう?
これをやれば手に入る、こうすれば幸せになれる、と。逆にこれをやったらダメだと。
それはこの板でも同じだし、君もそうだよね。
みんな元々無意識に因果を採用して生きてるんだよね。

そして私は「運命だから諦めろ」という話をするつもりは一切ないんだ。
むしろ逆で、現実と私の間に生じる摩擦こそが業であり、そこに完璧を適用することで次に引き継がない、今ここで摩擦を燃やし、そして元々宇宙が起こした意図をスムーズに展開させるというのが私の話だ。
この姿勢は輪廻を信じても信じなくても成り立つ。
苦しみを減らし、次の瞬間に持ち越さないための実践という意味で共通しているよ。

そしてこの話は、釈迦の最期にもはっきり表れている。
今のエゴ視点で見れば、釈迦の死は不幸に見えるかもしれない。
しかし本人は不幸を完全に超越していた。
仮に最期の瞬間に「私は不幸だ」と抗っていれば、苦しみは何倍にも増えていただろう。
その仕組みを知り尽くしていたからこそ、抵抗を手放し、摩擦を持ち越さず、永遠の安心である涅槃に入った。
これは「摩擦をその場で燃やして次に引き継がない」という私が言っている話の究極の例でもある。


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