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上海雑伎団スレ【第六十八幕】
2250
:
もぎりの名無しさん
:2024/06/22(土) 11:21:22 ID:KiRiIyt60
>>2244
こんにちは。
横からすみません。
>自動思考に気付いてる思考に気付いてもまた思考に気付いてる自分がいる。
結局は全部エゴってことだよね。
これは、
Aという思考に、Bという思考(エゴ)が気付いているから結局は全部エゴ…と言う意味ですよね。
実際は、
Cという「意識」があり、それがA→B
に移り変わる思考に気付いている。というのが正しい解釈になります。
ここは非常に気付き難く、上記のような混乱を招きやすい部分かと思います。
で、C(意識)そのものがAB(思考エゴ)から離れて観察しているというものではなく、C自体がAやBに成っている、もしくは現れとして変化しているため、「思考が思考を観ている」つまりA(思考)がA(思考)を観ていると言う表現になったりします。
つまり、すべてC(意識)なんです。
全部本来の自己であるC(意識)が創り出していたんだな〜という気付き。
またC(意識)自身が自身の創造物であるAB(思考エゴ)に惑わされ制限した現実を創っていたという気付き。
この気付きによって、AB(思考エゴ)に惑わされず、C(意識)が本当に表現したい「意図」をストレートに顕現させるための「自動思考を誉める」なのかなと私は理解しました。
ずっとABに抵抗することは、逆にABの存在を強化させることとなります。
誉めることと言うのは認めることであり、逆に存在を薄めるというか、手放すということになる。
自愛の解釈ですが、私個人としてはそのような解釈です。
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