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上海雑伎団スレ【第六十三幕】
3991
:
3882
:2021/12/10(金) 13:38:24 ID:8IWooRbc0
>>3982
私への問いかけの可能性もあるかな、と感じたので書き込みます。
(違ったらスルーしてください笑)
本当のところ結果も原因もないんです。
エゴの視点にはあります。
因果はエゴだから楽しめる錯覚です。
(これは別に良くも悪くもない)
頭の中のストーリーと言えばまさにその通りですし、頭のストーリーはそれでジ・エンド。
でも世界は頭の中にはありませんから、そこはそれでいいのです。
エゴは抵抗するかも知れませんが。
エゴはコントロール欲求がある。
でも、エゴは別の領域(全体というもの)を知らないので、そもそも知りもしないものをコントロールできないし、
別の領域はコントロールで味わう性質のものではないのです。
第7章の話に通じますが
そもそもコントロールしなければいけない世界があるとか、
コントロールできない不自由な無力なフィールドに自分は今いるとか、そう思っていたのはエゴの錯覚です。
その前提を支えているエゴの分離のサングラス(例えです)を通して認識している世界が嘘だから、がっかりも何もないんです。
サングラスという前提を外した世界に還るだけ
どんどん錯覚がとれてくると、
チケット的にいうと7章「幸せの絶頂だった」「充足しかない世界」が現れてきて、
勘違いしていた事にも気づき、そこで答え合わせが起きてエゴも納得(降参)します。
エゴの錯覚である因果の世界も楽しく、
それが駄目ではなくて、
好きな視点になれるっていう話です。
一旦切ります。
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