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上海雑伎団スレ【第六十三幕】

2579もぎりの名無しさん:2021/09/04(土) 14:56:49 ID:YBeXqzRo0
>>2578
そうですねw
さきほど久しぶりにたまたまここをのぞいたら同じような経験をしている方がいらっしゃったので思わず書き込んでしまいました。

余計かもしれませんが、私の経験談をもう少しお話しさせてください。
これは読む方によっては不愉快に感じられる方もいらっしゃるかもしれませんので、思い当たるような方はそこで読むのを中止してください。

自分の観念を探って行ったとき、私が求めていたのはつまるところ母親からの無償の愛情であることがわかりました。
だけど現実の母親は私を絶えず軽んじたり侮辱したりするような性格で対等な話し合いもできないような人でした。今もそうです。

ここで、ふと思い当たりました。
もしもこの世界に本当に神様が存在するならば、私にとっては不完全に思えるこの人を私の母親に設定するだろうかと、疑問に思ったのです。

それで、私に本当の無償の愛情を向けてくれる母親が存在したとしたら、それはどんな人だろうと想像してみました。
一人思い当たる人がいたので、その人に無償の愛情を向けられ、大切に育てられていたとしたらどんな自分に成長しただろうと次々に想像してみました。

すると、自分が大切にされている光景がありありと浮かんで、とても素敵な感情になりました。涙が出るほど嬉しく、これを自分の真実にしたいと心から強く思いました。

ここで気付きました。
私は「自分の親を大切にすべき」とか「いい歳して自分の親と関係が悪いのはみっともない」みたいな世間の価値観に流されて、ずっと自分の本当の望みを抑圧していたんです。
本当の望みとは、「親とのひどい関係性は嘘で、実の母親があの人だというのも嘘で、本当の自分は無償の愛に包まれて大切に育てられた。そして今も愛されている」というものでした。

今まで世間の常識に従って、親との関係性を再構築しようと努力したり、親と上手くいかない自分を責めたりしていました。
そうするうちに現実の方はどんどんひどくなっていく一方で、これ以上どうすればと思うような厳しい状況になってきました。

ですが辛い思いがピークに達したとき、そもそもこんな思いをする必要はないのではと気づいたのです。
自分がもし無償の愛に包まれていたらと感じたとき、とても幸せでした。もし神が存在するなら、至福を感じているときの自分が本当の自分の姿だろうと。そうでないとおかしいと感じたのです。

目の前の悲惨な現実より、心の至福感にリアリティを感じた途端、とても気持ちが楽になりました。同時に、悲惨な現実を単なる映像のようなものと感じられ、それに執着する気持ちが少し薄れました。現実が幻想とはこういうことだったのかもしれないと少し思います。

これからどうなるのか私も全くわかりませんが、「もっといいもん」に限らず、泣いて喜ぶような至福が降り注ぎますようにお祈りしております!


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