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108以外質疑応答【18】
166
:
もぎりの名無しさん
:2017/11/10(金) 04:31:38 ID:QKzTeJO20
続きです。
つまり観念のあぶり出しとは後付けなのではないか?
ということです。
まず、テンション、振動数、感情レベルの上昇があって、それに伴う気づきとして観念のあぶり出しがあるのではないか。
>私の気持ちが前進した時は大体
>『良い悪いは別にして自分が現実を作っていた』
>『自分が幸せに対して受け取り拒否をしていた』
>実感があった時です。
これは気持ちの前進があってから、後付けで気づいたから、実感があったのではないか??
ということです。
うまく言えませんが、読み取っていただければ。
なぜならチケットでも7章では、クリアリングは必須ではないからです。
「どのような観念を持っていても私は受け取っていい」
という、関連性の放棄が7章では推奨されています。
これは、観念をクリアリングできなければ受け取れない、というエゴの論理を利用しないやり方です。
しかし、1章ではクリアリングテクニックを紹介しています。
これはエゴの論理の中から7章へ向かうプロセスだからです。
僕は某スレでクレさんと話して、よりいい気分になることを勧められました。
また、意図して現象化するまでの気分の下がるときや、落ち着かないときにメソッドをしていたと聞きました。
メソッドも、その時々で気分が良くなるものを選ぶようにと、まとめなどで勧められています。
つまり、メソッドも気分をより良くするためにするわけです。
クリアリングもメソッドなので同じです。
つまり、観念のあぶり出しが必須なのではなく、あくまで、気分がより良くなること、が必須であり、目的なんです。
つまり、充足を見る、です。
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