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上海雑伎団スレ【第五十幕】

676もぎりの名無しさん:2012/11/12(月) 16:57:53 ID:pNiPNwLsO
現実は幻想だ……と表現すると、「どこがやねん?!」となる。
見える、聞こえる、嗅げる、触れる…ごらんよ、そこに確かに「ある」し、そこに確かに「ない」ではないか、と。
しかし、眠ってる時の夢も大抵はそうです。この身体が歩いている、食べている…。
何が違うのか?
私は夢の中で、更に夢を見た経験があります。
目が覚めたら「おい夢かよ!」のツッコミを2度した訳です(笑)。
この後、目覚めたつもりの私に「おい、夢かよ!」……このツッコミの3回目が、4回目が来ないと、力強く自分に言えるのか???その時フト、心が立ち止まりました。
・一つ一つの現象を検証可能な、現在立ってる現実世界。
・さっきまで疑いなく活動していた夢の世界。
どちらも今という場の臨場感だけに、意識を委ねている点では、ランクは同じと思います。
つまり意識の上での「私が感じた」ラインナップとしては同じ。
過ぎ去った現実と、見終わった夢は、今存在しないもの。今、意識で工作して属性を決めているものです。
例えば、街を歩く一人の男性。
視界に入る人、視界に入らない人、良い印象、悪い印象、様々です。「あ!テレビによく出てるタレントだ!」と気付く人、「小学校の旧友だ!」と声をかける人……この男性のラベルはいくらでもあるし、いくらでも変えれます。一体この人は誰なのでしょう?誰がこの人の本当の属性を決定できるのでしょう?
全部、今という意識の中で当人が編集している物語である。真実かどうかはともかく、そう解釈して採用すれば、自分への光明へとなりはしまいか?と。
私達は、どんなものからも力を奪えるし、力を与える資格もある、今という自由な意識の中で生きていると、そう考えます。臨場感だけを頼りに、です。
ただ、その選択肢が無限すぎるあまり、ついつい手近でリアルな気がする思考や判断を採用してしまいがちです。ですから理論とか知識とか、苦労とか、確かな根拠や不確かな推測を全部ひっくるめて【臨場感の為の材料】ではないかとすら思ってしまいます。
スピリチュアルなんてバカか、現実的に生きろ……と揶揄る常識人ですら、自身が知覚できる事と肉体だけをヨリドコロにしているだけで、自分の正体も運命も説明できません。
信じたいから信じてる、信じれるものを信じてる…スピも現実も大元に変わりはないかもしれません。

そこで私は訴えたいのです。
現実世界が不満であり恐れるものであり、死ぬほど嫌なものならば、そんな現実世界など信じてやる必要はない、と。なぜソチラの発想に味方してやらねばならないのか?、自分の願いよりも臨場感なんぞに投票してやるのか?くやしくなかとですか、と?
意識しか本拠地のない私達は、その大切な本拠地を土足で汚させるべきではないと思うのです。望む事だけを中央の椅子に座らせてやり、望まないモノを招いても、そんな自分を決して責めない。
そう考えれば、土足で踏み荒らすモノたち…その正体が解り、実は踏み荒らされてなどなかった事にも気づき、笑いがもれるかもです。

私達は私達の世界しか創れない、だから…………。 だけど………劇的変化は困難かもしれません。しかし、劇的変化を起こせる権限はいつだって、ある。確かにある。私や、あなたが実在してるかは分からなくとも、今、ここを感じる創造者だけは、間違いなく【いる】からです。それだけは希望として忘れないで頂きたいのです。


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