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情報スレッド
26
:
検証会議
:2009/01/25(日) 20:17:30
フェイク 第995号
(発行=09.01.24)
山崎正友の院号が「随法院」だと?
仏法上は無意味な戒名、成仏とは関係なし
生前の謗法、犯罪行為と正反対の冗句か
「随法院正賢日成居士」――これは叛逆の極悪人・山崎正友の戒名である。
山崎は昨年末の二十九日午後四時三十六分、急性腎不全のため急死(本紙九九
〇号で参照)。一月五日の通夜、六日の告別式が東京・杉並区内の妙観講の拠
点で行なわれたが、参列者は山崎の生き様と正反対の戒名に、さぞ驚いたこと
だろう。
日号まであるこの戒名は、早瀬日如の配慮によるものだそうだが、戒名とい
うものが、いかにデタラメな代物であるかの典型といえる。
国法を犯し、仏法に逆らった破和合僧の退転者の戒名が「随法院」とは、山
崎の生前の謀略体質を皮肉っているのであろうか。
山崎は昭和五十二年に表面化した第一次宗門事件の仕掛け人で、当時の若手
坊主(後の正信会)を煽動して学会を攻撃させ、宗門と学会の離間を画策した
ばかりか、師弟の分断をも策謀した極悪人である。
また、学会に対する恐喝事件を起こして懲役三年の実刑判決を受けた。「随
法院」とは「法に随って」刑務所に収監された犯罪者という意味なら分からな
いでもないが、この院号はおどけた冗句なのか?
隠居した日顕は、かつて山崎の謀略、悪逆非道の行為を非難して「大ウソつ
き」「地獄へ何回堕ちても足りないほどの罪が存する」と指弾していた。
この時、もし日顕が山崎の戒名を付けていたならば「謗法院堕獄虚言居士」
とでもしたかも知れない。否、「居士」「信士」より「策士」の方が似合って
いる。
もともと、信仰心の欠片も無く、仏法流布の団体を撹乱して大勢の人々を苦
しめたばかりか、平成五年四月二十七日に黒羽刑務所を仮出所した後の山崎は
身延派に接近して「板本尊に関して日蓮正宗を徹底して攻めよ」等と身延僧を
煽った張本人でもある。
そんな大謗法の仏敵に院号、日号をつけたニセ法主の日如は、悩乱していると
しか思えない。
臨終ニ当リテ俄ニ法号ヲ乞フハ愚挙
宗門史の泰斗・堀日亨上人は法号・戒名に関する指南として「臨終ニ当リテ
俄ニ法号ヲ乞フガ如キ愚挙ナキヲ期スベキナリ」と書き残されている(本紙九
一九号で詳述)。
先の大戦で戦死された兵士の人達に宗門は制空院、義勇院、連勝院、国柱院、
忠勇院、武功院、殉国院、軍勇院、壮烈院といった勇ましい院号をつけていた。
最近、映画で脚光を浴びている盗賊・石川五右衛門の戒名は「融仙院良岳寿
感禅定門」だが、こんな戒名は仏法上、何の意味もないし、成仏とは無関係で
ある。
石川五右衛門など問題にならないほどの極悪人の山崎の生涯を通して「随法
院」「正賢」という文字は全く不適切だ。
山崎は学生部時代から金の亡者だった。当時、山崎は学生部の後輩に「これか
らは財力の時代だ」「財力が必要なんだ」等と言って、貧しい学生部員に向か
って、万札で膨れた財布を見せびらかして自慢していた。
この山崎の人生の狂いの端緒は富士宮の土地転がしによって巨額のあぶく銭
を手にしたことだ。土地転がしによって最後は、自分が転がってしまった人生
だ。
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