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情報スレッド
14
:
検証会議
:2009/01/20(火) 17:01:02
駒専ついに失脚!
大石寺理事などもクビ
貧乏寺に左遷
正月から日顕宗の坊主連中の間では、「人事」の話題で持ちきりだった。あの
駒井専道(観行坊、58)がついに大石寺を追い出されたのである。
しかも、次の赴任地は北海道士別市の安立寺。50世帯そこそこの貧乏寺。まっ
たくの"左遷"なのだ。日顕の権威を笠に、能力もないのにのさばってきた駒井
も、これで終わりだ。
駒井の周辺に変化が起き始めたのは昨年の秋口のこと。8月23日に自坊新築法
要を行った直後あたりから、人前に姿を現す機会がめっきり減ったと思ったら、
9月7日付で大石寺理事を"解任"されるとともに、御本番、一夜番御宝蔵番もは
ずされた。
また、上野幼稚園を経営する学校法人大石寺学園の理事長職も9月6日で"クビ"。
その頃から、近いうちに観行坊からも追い出されるのではないかという噂はあ
った。
処分に関する正確な理由が公表されないことで、宗内には「金銭問題か」「女
性問題か」など、様々な憶測が飛び交った。どうやら、上野幼稚園をめぐるト
ラブルというのが有力な見方だったが、それにしても大石寺理事の解任とはた
だごとではない。
しかし、宗門内部から漏れてくる話によると、それどころか問題はさらに深刻
で、「日顕の後ろ盾がある駒井だから、この程度の処分で収まったが、何のコ
ネもない坊主だったら擯斥にされてもおかしくない」という噂まで出ていた。
そして、今回、かねてから言われていた住職更迭が明らかになったというわけ
だ。人事の内命があったのは1月3日というのだから、駒井にとっては正月気分
どころではなかったのではないか。
駒井は昭和37年に得度。所化時代には阿部信彰が住職をしていた能持寺(埼
玉・越谷市)に在勤していた。以来、日顕・信彰親子に取り入り、大石寺塔中
坊の住職を歴任。仲居も務め、昭和63年には大石寺理事の要職も手にした。
こうした立場を利用した出入り業者との「癒着」の疑惑も絶えなかった。とも
かく、駒井といえばすぐに「ゴマスリ」という言葉が返ってくるほど、目上の
者にはペコペコし、目下の者には威張り散らす人物だ。
もう一つの顔が「暴力坊主」。長年、所化教育に携わる中、小僧に対して殴る
蹴るを繰り返していた、宗門の歪んだ所化教育の象徴的な人間。殴られた本人
だけでなく、その親の坊主までが駒井に対して強い恨みを抱いている。
その駒井の「失脚」の報に、多くの坊主が拍手喝采で喜んでいる。「いいきみ
だ」と祝杯をあげた者もいるというほどだ。
もはや、駒井の坊主人生もここまで。それどころか、60歳近くになって、初め
て末寺の住職になる駒井の前途は真っ暗だ。
駒井の赴任する安立寺がある士別市は、毎年11月中旬頃から降り始める雪が
平地でも1㍍、山間部では2㍍を超える豪雪地帯。
また、ここ数年のデータを見ても、年少人口が17%から12%に減少しているのに
対して、老年人口の割合は16%から29%に増加するなど、少子化、高齢化が著し
い地域だ。
実入りも乏しく、成果もあがらない貧乏寺で、凍えながら余生を過ごすしかな
い駒井。何と哀れな末路だろうか。しかし、これも"ニセ法主"日顕に追従して、
広布破壊の片棒を担いだなれの果て。駒井よ、恨むべきは日顕である。
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