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名字の言 +α (代理人様専用)

1若鷹の掲示板 管理人:2009/01/09(金) 15:48:02
若鷹の掲示板2(http://www3.ezbbs.net/18/wakataka/)で投稿されている代理人様専用の投稿スレです。
名字の言や有益な情報のスレです。
一般の方の投稿はご遠慮ください。

161代理人:2009/06/09(火) 11:07:56

名字の言

アスファルトを割って咲く花に出あうと、しばし見入ってしまう。

強固なアスファルトも、成長する植物のような時間をかけて加わる力には弱い。

腰を据え、飽くなき挑戦を貫けば、ついには厚い岩盤さえも打ち破れる――勝利への執念を、小さな花に学ぶ思いだ。

1987年(昭和62年)7月、池田名誉会長は、山形の青年部員が営む果樹園へ。

彼が育てた「ナポレオン」という品種のサクランボの大木を前に、「基盤はある。

苦労して力をつけなさい。40代が勝負だ」と激励した。

彼は、苦境に立つ営農に活路を見いだそうと、品種改良、販売ルートの開拓に挑んだ。

しかし、待っていたのは、必死の努力を無にするような自然の厳しい仕打ち。そして、周囲からの嘲笑。

それでも屈することなく“通念”という壁を突破する挑戦を重ねた。やがて、労苦の実は結び、JAの要職でも活躍した。

物事の成就には、スピードが求められる場合がある。

一方、じっくりと、たゆまぬ努力を重ねることで、勝利へと結実するものもある。

あの日、師弟で仰いだ大木から根分けしたナポレオンの木が、山形文化会館(山形市)の敷地内にある。

3年前に植えられ、今月、初めて実をつけた。師弟勝利の姿を象徴するように。(09.06.09) (城)

162代理人:2009/06/10(水) 11:47:44

名字の言

「政府は何をしてるんでしょう」「くたばるものはさっさとくたばれっていう腹よ」

「ふん、そう安直にくたばれますか」――これは、昭和23年1月に出た『婦人年鑑』に綴られた主婦たちの会話。

発行元は日本婦人新聞社。その編集室が入っていた東京・西神田の同じビルに、戦後再建期の学会本部もあった。

会話からは、旺盛な批判精神と庶民の逞しい生活力が感じられる。

一文は伸長された女性の権利に触れ、

「女性は得た利益を個人の懐中に封させず、社会の幸福として花咲かせるようにありたい」と結ばれている。

年鑑によると、終戦から8カ月で全国に2229の婦人団体が結成され、人数も約56万と推定。

一方で、共通の悩みとして「指導者のないこと」を挙げている。昭和26年(1951年)6月10日、創価の女性の連帯が、

平和の大指導者・戸田第2代会長の「女性の力は偉大なものであります」との宣言とともに誕生した。

婦人部の結成である。皆、自らの人間革命へ出発したばかりであったが、

日本の隅々まで、さらには国外へも、幸福の種を蒔きゆく決意を固め合った。

今、最も婦人部を大切にする師匠・池田名誉会長の信頼を胸に、

「世界一の婦人部・共戦月間」(7月12日まで)が朗らかに展開されている。(09.06.10) (杏)

163代理人:2009/06/11(木) 10:44:52

名字の言

学会本部が、今の信濃町(東京・新宿区)に移転して今年で56年。

「本部の近所はもちろん、各地で会館周辺の方々を大切にし、近隣友好の道を開いてこられたのは池田先生です」。

草創からの幹部が明言していた。

昭和40年(1965年)、広島会館(現・広島西会館)が誕生した時も、そうだった。

会館前の農家から苦情があることを知った池田名誉会長は一人、あいさつへ。

居合わせた家主の母に、「本当にお世話になります」「お身体、大切にしてくださいね」と。

数年後、名誉会長は再びその家へ。畑仕事を終えた家主夫妻の泥まみれの手を、固く握り締めた。

そして3度目は、名誉会長に一目会いたいと、一家全員が正装し、会館が見える玄関先から見送るまでに。

地域で一番の味方に変わっていた。地元の友も奮い立ち、町内の3割以上に本紙購読の輪が広がった。

目前の一人に、どこまでも誠実に接する名誉会長。

相手が誰であれ、その姿勢は全く変わらない。そこから広がった信頼と共感は限りない。

「至誠にして動かさざる者は、未だ之れあらざるなり」(孟子)。人の心は必ず動く。

そのうねりが地域、社会をも揺り動かしていく。

友好と信頼を広げよう。その最高の道が、師の示す「誠実一路」の精神だ。(09.06.11) (誠)

164代理人:2009/06/12(金) 12:10:07

名字の言

かつて東京には、多くの路面電車が走っていた。森鴎外、志賀直哉など、文豪たちも自作に路面電車を綴っている。

夏目漱石の名作『三四郎』の主人公は、東京に出てきて「電車のちんちん鳴るので驚いた」という。

今も都内に残る「ちんちん電車」の都電荒川線に乗った。

新宿区の早稲田から豊島区、北区内を通って、荒川区の三ノ輪橋まで。12キロ余り。

自動車と同じ公道の上を進む所もあれば、専用の軌道を通る区間も。

下町を縫うように走る。住宅が近い。暮らしの息遣いが聞こえてきそうだ。

庶民の“ど真ん中”を走る都電。

地域に根を張り、民衆の真っただ中で信頼の輪を広げる、創価の友の姿にも似ている。

沿線の各区では、多くの学会員が地域活動に尽力する。

荒川区のある支部には昨年、地元の町会から地域貢献の労を讃え、感謝状が。

町会の役員は「学会の皆様のお陰で、町会の行事をはじめ地域全体が明るくなった。本当に有り難い存在です」と語る。

池田名誉会長は「地域に地盤を広げゆく中に、広布と人生の一番正しい軌道がある」

「地域で信頼を勝ち取る人が一番、偉い」と。

地域の発展に尽くす創価の同志がある限り、その地は必ず繁栄していく。

そのために祈り、行動することこそ我らの使命だ。(09.06.12) (晄)

165代理人:2009/06/13(土) 10:56:27

名字の言

先日、テレビ番組を見ていて、驚いた。夜明けの動物園。臆病な動物たちから鳴き始める。

やがて、園内はにぎやかに。そこへ、めったに鳴かないライオンが、ひと吼え。周囲は水を打ったように静まり返った。

まさに「師子の声には一切の獣・声を失ふ」(御書1393ページ)である。

仏法では、仏を「師子」に譬える。百獣の王の姿は、人生万般の勝利の姿にも通じる。

ゆえに、日蓮大聖人も諸抄で「師子」を通して門下を激励されている。

「遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし」(同1124ページ)

――苦難にあっても恐れず、悠然と進みなさいとの励まし。

妙法の偉大な功力によって、人生は切り開くことができるとの大確信が光る。

「師子王は前三後一」(同ページ)――

一本の足を後ろに引き、力をためる「前三後一」は、師子が獲物をねらう体勢のこと。

どんな時にも、慎重かつ全力で戦う真剣勝負の姿勢を教えられる。

また、「日蓮が一門は師子の吼るなり」(同1190ページ)――

我々の正義の叫びは、エセ論者を木っ端みじんに打ち破る“王者の言論”と。

創価学会は、大聖人の精神を受け継ぐ「師子」の集い。

今こそ、偉大な師子王の哲学を胸に、各人が絶対勝利を誓い、動き、語り抜いていきたい。(09.06.13) (立)

166代理人:2009/06/14(日) 10:34:11

名字の言

ドアのすき間から煙が忍び込んでくるのを目撃した時、どうするか――。

米国の心理学者の研究によると、部屋に一人でいる場合は75%が通報するが、大勢でいる時は38%しか通報しない。

人は集団でいると責任感が薄れるものだ(『急に売れ始めるにはワケがある』ソフトバンク文庫)。

先日、民家の火災を未然に防いだとして、関西の壮年部員に消防署から感謝状が贈られた。

2軒隣の留守宅から、焦げくさいにおいが漏れていた。異変を知った壮年部員は、現場へ急行。

向かいの壮年と協力し、ついたままだったガスコンロの火を消し、窓を開けて煙を逃がした。

傍観者にならず、即座に動いたことで、被害を最小限に食い止めることができた。

誰かがやるだろう、と躊躇したら、大変な事態になっていたかもしれない。

広布の活動においても、「私がやる」という強い責任感が重要だ。

池田名誉会長は述べている。「傍観者の群れや、人を頼み、互いにもたれ合うような烏合の衆では勝利はない。

“一切の責任を私がもつ!”と心を定めた、一人立つ師子と師子との結合が大願を成就するのだ」。

「誰かがやるだろう」ではない。

誰がやらなくても、自分がやる――「一人立つ」決意で戦う人こそ、本物の勇者である。(09.06.14) (糀)

167代理人:2009/06/16(火) 11:09:26

名字の言

漢文が専門の大学教授と懇談した折、「従藍而青」(藍よりして而も青し)が話題に。

青は藍から出て、しかも藍よりも青い――師を超えて弟子が成長する例えである。

ある時、教授の恩師が尋ねた。「弟子が師を超えることが本当にあるか?」。

学び続ける師のもとでは、弟子は追いつくだけでも相当の努力が必要である。

もちろん教育者として、教え子が自分より偉くなるのは喜ばしいことにちがいない。

その上で、自戒を込め、師弟共に精進を重ねゆく姿勢を訴えたかったのだ。

二人は、この例えが出てくる『荀子』の冒頭「学は以て已むべからず」を確認し、向上し続ける決意を固め合った。

一方、職人の世界の師弟。鵜飼い見物の木造遊覧船を造る船大工の言葉が目に留まった。

広島・三次市の無形文化財技術保持者。

弟子の心構えとして「弟子は、一生弟子じゃ」と、75歳の熟達者が断言していた(地域情報誌「Busport」6月号)。

仏法では、宿縁深き弟子は「常に師と倶に生ず」と説く。

池田名誉会長も「一生涯、戸田先生の弟子」と、師弟の絆に決意を込める。

知識が増す。技量が上達する。あるいは地位が上がる。

それでも決して驕らず、“弟子の生き方”を貫く人生こそ、真の求道者の誉れである。(09.06.16) (杏)

168代理人:2009/06/17(水) 08:29:34

名字の言

「目黒のさんま」という落語をご存じだろうか。

江戸時代、ある殿様が、通り掛かった目黒で、農家の主人が焼いたサンマをごちそうになった。

ただ焼いただけの素朴な魚。

だが、初めてサンマを食べた殿様は、そのおいしさに感激した。後日の宴会で、サンマを所望。

小骨を抜き、柔らかく蒸したものが出た。味はいまいち。聞けば、日本橋の魚河岸から取り寄せたという。

そこで殿様が一言。「それはいかん。さんまは目黒にかぎる」(興津要編『古典落語』)。

庶民が「うまい」と感じたものは、殿様にとっても美味だった――庶民の日常の感性が、

平凡でありながら、いかに大切な本質をとらえているかを知ることができる。

東京・目黒区のある支部副婦人部長。

知人には、社会的な名士も多い。皆、一見、垣根が高い。

だが、彼女は「池田先生と学会の真実をストレートに語る」のが信条。彼女の紹介で、これまで多くの人が入会。

最近も、地域の名士が本紙・聖教新聞を購読した。彼女の率直な対話から、学会理解の輪が大きく広がっている。

名誉会長は「ありのままに真実を語る。それが一番強い。必ず相手に通じていく」と。

私たちも、学会の正義と真実を率直に語りたい。自信満々と、そして堂々と!(09.06.17) (之)

169代理人:2009/06/18(木) 08:24:18

名字の言

東京に隣接する地で個人会館が改装オープンした。

明かり取りの天窓が施された玄関、拡充された広間、スロープ付きの入り口など、随所に提供者の方の真心が尽くされている。

「提供してくださるだけでもありがたいのに」。感謝の声が聞かれた。

この拠点の誕生は39年前。その地域に今ある学会の会館が建つ前で、個人会場は市内になかったという時代だ。

その後、個人会館になり多くの人材をはぐくんできた。

提供者の方の入会は1962年(昭和37年)。旧家だけに、入会には一大決心が必要だった。

それこそ「地位も名誉も要らないという気持ちだった」。

この潔い「不惜身命」の決意が原点となって、一家は福運と勝利の道を開いた。広布の後継者も二代三代と続く。

身命を惜しまずとは、万人を幸福の軌道へと導く生命尊厳の仏法を、

最高に価値あるものとして大切にしていく生き方を言う。仏法を弘めるためには何も惜しまない。

その信心の姿勢で行動すると、今度は自身が守られ福徳と智慧に包まれていく。

名誉会長は若き日の日記に「『不惜身命』で祈り戦ってこそ、沸々と現れる力と智慧がある」とつづっている。

師弟の道一筋に、懸命に戦い祈り、仏法の力と智慧をわき起こしながら、自身の勝利を築きたい。(09.06.18) (弓)

170代理人:2009/06/19(金) 10:51:33

名字の言

北海道婦人部の「花華月間」が賑やかに閉幕した。

1978年(昭和53年)、池田名誉会長が北海道・別海から全国の婦人部総会にメッセージを送った6月18日が

「道婦人部の日」となり、月間の淵源となった。

翌年の春、別海の隣町・標津町で酪農を営む婦人が、はるばる学会本部を訪ねてきた。

前年には会うことのできなかった師を求め、せめてもの訪問だった。

当時、邪宗門一味の謀略の嵐が吹き荒れていた。多忙を極める中、師は友を温かく迎えた。

夢中で来し方を語る婦人。貧乏の底で、何度も命を絶とうと思った。

それでも女手一つで8人の子どもを育て上げた。

「信心だけは言い訳しねえでやってきました」。

師はその一言を最大に讃え、後日、北国の“広布の母”の笑顔と体験が聖教新聞紙上を飾った。

困難に直面した時、「できない理由」は、いくらでも挙げられる。経験したことのない困難なら、なおさらだ。

だが、そんなことをしても何も前に進まない。それよりも挑戦する心を、どこまでも燃え上がらせることだ。

「言い訳しない」と決めれば、姿勢が前向きになる。

「できない理由」よりも「どうしたらできるか」を考え、努力する。

すべてを「祈り」に変え、無限の「力」を引き出すことができる。これが信心の醍醐味だ。(09.06.19) (香)

171代理人:2009/06/20(土) 11:28:23

名字の言

「梅雨になると、新聞を濡らさないよう配達するので気を使います」。

4月から本紙を配達してくださっている人が梅雨時の大変さを語っていた。春まで教育機関の要職にあった。

配達員である家族の体を気遣い、週末くらいは休ませてあげたい、と願い出て配達を始めたという。

第三の人生を迎えたら、自分こそ体を休めたいと思うのが人情。家族を思う心に感銘を受けた。

同時に本紙・聖教新聞を陰で支えてくださる方が、

いかに深い思いを込めて配達してくださっているか、感謝の念が込み上げてきた。

孔子の言葉に「人の己れを知らざるを患えず 人を知らざるを患うる也」(『論語』学而篇)と。

自分が人から認められないのは悩みではない、自分が他人の良さを認められないことこそ悩みである、との意だ。

社会の指導的な立場にある人間が立身出世に狂い、しばしば不祥事を起こし、世間を騒がせる。

人の上に立つリーダーこそ栄誉栄達の心を捨て、陰で地道に仕事をしている人を見つけ讃えていくことが求められる。

「私は、いつも『陰の人』を見ている」――

サーチライトの如く、広布を支える友を隅々まで照らし、希望の大光を送り続けてきたのが池田名誉会長。

慈愛の励ましは喜びを生み、勝利への勢いを生む。(09.06.20) (濤)

172代理人:2009/06/21(日) 08:31:19

名字の言

今春、柔道の講道館の館長に就任した上村春樹氏。モントリオール五輪[1976(昭和51)年]の金メダリストだ。

現役時代は、最重量級としては小柄だった。そのハンディを、逆に“武器”にした。

敏しょうな動きで、技をかけるタイミングを外す時間差攻撃を多用。また、柔道では前方か後方への投げ技が多い。

そこで氏は、あまり使われない“真横へ投げる技”で相手を翻弄した。

いずれも、「勝つ方法は必ずある」と、まず決めたことから考えついたという(「読売新聞」)。

福岡県の男子部員。昨年6月、リストラで職を失った。

そんな彼に、地区の同志は「まず、必ず内定を取ると決める。そして祈り、動くことだ」と励ます。

支えてくれた妻のためにも、彼は387社に応募。受けた面接は57社。

その結果、本年2月、前職よりも好待遇の会社への就職が決まった。

必ず勝つ。その一点さえ揺るがなければ、突破口は必ず見いだせる。体も動く。知恵もわくものだ。

大事なのは、勝利への執念が心に燃えているか否かだ。

池田名誉会長は「『断じて勝つ!』と決めた瞬間、己心の壁は破れる。

『さあ来い!』と困難に挑みかかる。胸中の師子が目覚めるのだ」と。

己心の師子を覚醒させるのは、あくまでも自分自身である。(09.06.21) (広)

173代理人:2009/06/22(月) 10:22:03

名字の言

貧しいスコットランド移民から出発し、自らの汗と努力で鉄鋼王となったカーネギー。

彼が「大きな教訓を得た一つの物語」がある。

一人の老人がいた。不幸に見える一生を送っていた。同情する人々に、老人は明るく答えた。

“本当に苦難の道でした。しかし不思議なことが一つあるんです。

「10」の苦難のうち「9」までは、予想したほど、ひどくなかったんですよ!”。

カーネギーは、この話に強く共鳴し、「人間の苦悩の大部分は想像のなかにあるだけで、

笑ってふきとばしてしまえるものが多い」と書いている(坂西志保訳『カーネギー自伝』中公文庫)。

現実に起きるかどうか分からないのに、悪い場面ばかりを想像して心配していては、何もできない。

人生に失意の体験はつきものであり、その体験を次に生かすことが成功への鍵である。

だから、まず行動しよう!「いつかやろう」と先へ延ばす限り、「いつか」は永遠に訪れない。

広宣流布の活動も同じ。動きに動き、語りに語る――行動こそ仏法者の魂だ。

大聖人御自身、

「この法門を語ってきたので、他の人とは違って、多くの人に会ってきた」(御書1418㌻、通解)と仰せである。

広布と人生の最高峰へ、「行動王」と輝く一人一人でありたい。(09.06.22) (川)

174代理人:2009/06/23(火) 08:18:56

名字の言

戦争の体験を綴り、平和の尊さを訴え続けてきた青年部の反戦出版「戦争を知らない世代へ」(全80巻)。

この第1巻となる『打ち砕かれしうるま島』(沖縄編)の発刊から、きょう「沖縄慰霊の日」で35周年を迎えた。

題名にある「うるま」は、琉球の古名で「サンゴの島」の意。

この美しい島で、日本で唯一、凄惨な地上戦が行われた。本書には43編の体験が収められている。

「黒こげになった学友」「死んだ母親の乳を吸う赤子」など想像を絶する悲痛な叫びに満ちている。

目を通すと、今なお、深い衝撃と悲しみを覚える。

沖縄編に体験を綴った43人のうち、現在、約3分の1が他界。年々、生の証言ができる人が減りつつある。

戦争体験の風化が平和教育の大きな課題となっている昨今、この体験談集の出版の意義は、ますます光り輝いている。

本書が発刊された折、池田名誉会長は本の扉に認めた。

「平和の点火/いま ここに燃ゆ/君よ この松明を/生涯にわたって/持ち進め 走れ」と。

平和な社会を築くのは理屈ではない。行動こそが重要だ。

やむなく体験させられた戦争の悲惨さを、訴え、語り継ぐことだ。

なかんずく、平和の大闘争への熱情を、青年の心に燃やすことである。

青年が受け継ぐことである。(09.06.23) (碧)

175代理人:2009/06/24(水) 09:14:19

名字の言

東京のある座談会。

会場を訪れると、入院中と思っていた男子部員が、笑顔でちょこんと座っていて、驚いた。

本年3月、急性の白血病に。闘病生活を送っていた。聞けば、その日が入院後、初めての外泊。

座談会があると知り、どうしても参加したかったという。

「病室で気付いたんです。自分は一人じゃない。さまざまな人とつながり、多くの祈りに包まれているんだ――と。

そう思うと、絶対に勝ってやる!抗がん剤治療も“変毒為薬”です」とにっこり。

隣で、新婚半年の新入会の妻が深くうなずいていた。

人間は「親と子」「教師と生徒」といったタテの関係、友人同士のようなヨコの関係以外に、

異世代間の「ナナメの関係」が大切であると、著述家の藤原和博氏はいう(『16歳の教科書』講談社)。

「人間の人生って、この『ナナメの関係』がどれほど豊かであるかによってかなりの部分が決まる」。

こうした“多彩なつながり”で満ちているのが学会の世界である。

進路に悩む未来部を激励する。病気や失職と戦う友のために祈る。自他共の幸福に全力を注ぐ。

世代も社会的立場も違う人たちが、師のもとで、励まし合い、決意し合い、人生の大勝利を目指す――

“創価の絆”の麗しさは、ここにある。(09.06.24) (葉)

176代理人:2009/06/25(木) 10:59:46

名字の言

「13の半分は?」。教師が生徒に尋ねた。「6と2分の1」「6・5」との答え。「そうだ。ほかには?」。

誰も答えられない。教師は、「もう答えはない」と思うかもしれないが、「もっと考えよう」と促す。

すると、数字の文字を分けて「1」と「3」。一人が答えると、突破口が開いた。

英語の綴り、ローマ数字、2進法で考えたり、黒板に書いた「13」を上下半分にしたり。きりがない。

そして、「答えはない」と思っていたのが、思い違いだったことに気付いた(J・フォスター『アイデアのヒント』)。

常識的に考えれば「もう答えはない」と思うだろう。

だが、「必ず別の答えがある」と、視点を変えたら、新発見が次々と出てきたわけである。

地表から見れば高く見える壁も、空からは、低く見える。一本の線にしか見えないこともあろう。

同じように、物事は、とらえ方、見方によって、千差万別だ。プラスにも、マイナスにもなるものだ。

池田名誉会長は「大事なことは、自分の境涯の革命だ」

「(境涯が変われば)逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる」と。

必ず道は開ける、開いてみせる――そう心を定め、きょうも朗らかに勝ち進みたい。(09.06.25) (申)

177代理人:2009/06/26(金) 07:32:02

名字の言

日中友好協会の初代理事長を務めた内山完造氏。

中国残留日本人の帰国等にも尽力した。本年は、没後50年である。

日中関係が最も厳しい時代に、内山氏は多くの中国人民と友情を育んだ。

戦後の焼け野原で“平和な世にしなければ”と痛感。「日本人がよく知らなかった中国と中国人の真の姿を、

日本人に知らせることが先決問題である」と誓う(小澤正元著『内山完造伝』)。

そのため全国で講演を始めた。1年半ほどで延べ800回。

中国の習慣や文化を通し、互いの差異も心一つで乗り越えられると訴えた。

真実の姿を「知らせること」が、いかに大切か。

92歳の婦人の体験を思い出した。広島の旧習深い山間地域。

入会当初、学会のことを理解する人は、ほとんどいない。まさに村八分状態。だが負けなかった。

彼女は、池田名誉会長が誠実の二字で世界の友に理解を広げている姿に奮起。

20年前から「学会の真実の姿を直接知ってもらおう」と地域の友を座談会に招待した。

一人、二人と参加者は増え、元町長や元小学校長など名士も集うまでに。今では参加者の半数が友人だ。

正しくとも黙して語らずでは何も変わらない。果敢に真実を語りたい。

地域を結ぶ“信頼の懸け橋”として対話の波を起こしたい。(09.06.26) (奨)

178代理人:2009/06/27(土) 10:54:54

名字の言

本年は日墨交流400周年。

この佳節にメキシコのハリスコ州グアダラハラ市から池田SGI会長に日本人初の「市の鍵」が贈られた(聖教11日付)。

授与式の席上、一人の紳士の祝辞が感動を呼んだ。

「あの日、お会いして以来、私の師匠は池田博士です!」――アレハンドロ・マトス氏。

同州の400周年記念行事の実行委員長だ。

1981年3月、マトス氏は、同州の芸術局長だった父と共に、SGI会長をグアダラハラの自宅に歓迎した。

当時、16歳。ピアニストを目指していた氏は、演奏を披露した。

会長は「素晴らしい」「大音楽家になるんだよ」「何があっても負けないで」と励ましを。

氏は心から感動し、誓った。「皆に勇気を贈る音楽家になろう」。その後、会長の著作を学び始めた。

現在、氏は同国で最も著名なピアニストの一人に。音楽の国オーストリアから国家勲章も受章した。

「池田博士との出会いが、私の人生を一変させました!」と語る。

一度の出会い、一回の語らいが、人を変えることがある。

時間の長短ではない。大事なのは、その“一回”に臨む姿勢だ。

真剣勝負で植えた友情の種は、必ずや見事な信頼の花を咲かせるものだ。

「誠実第一」で、きょうも新たな友情を結びたい。(09.06.27) (之)

179代理人:2009/06/28(日) 11:13:27

名字の言

滋賀県の彦根周辺では、「中居」「堀居」「奥居」といった姓が目立つ。

それは、藩主だった「井伊」家に敬意を表し、同じ文字を避けたからと伝わる。

同県北東部の領主となった豊臣秀吉は、今浜(長浜市)に城を築き、「長浜」と改名した。

長く繁栄することを願ったとする説と、主君・織田信長の名をもらったとの説がある。

現在、長浜城周辺は「豊公園」と呼ばれる。豊臣が由来。

秀吉は今でも長浜市民から慕われている。冒頭の例とは逆だが、どちらも報恩の思いが伝わる挿話だ。

落語家の2代目・林家三平さんは、「心から尊敬する父の名前が失われていくのは、息子として、弟子としてふがいない。

だから、名前を継ぎ、私が再び『林家三平』を広めていきたいと思ったのです」と語る(聖教16日付)。

領主、主君、父、師匠……。自分の氏名や地名に特別な思いが込められている。

“先師、恩師の名を世界に宣揚する!”――これが若き日から変わらぬ池田名誉会長の決意だった。

「牧口広場通り」(イタリア)、「戸田城聖先生橋」(ブラジル)など、

今や世界各地に歴代会長の名を冠した「通り」や「橋」がある。

誉れの弟子の道を貫き、見事な勝利の証しを刻む――

ここに、師匠の名を宣揚する道もある。(09.06.28) (糀)

180代理人:2009/06/29(月) 10:45:22

名字の言

6月30日は、学生部結成記念日。学生部歌「広布に走れ」が発表された日でもある。

1978(昭和53)年、東京・荒川文化会館での学生部幹部会。

「歴史を創るは/この船たしか/我と 我が友よ/広布に走れ」。

幹部会では、その後、多くの人々に歌い継がれる歌声が何度も響いた。

席上、池田名誉会長は学生部の友に念願した。「庶民と共に歩み、庶民を守る指導者に!」と。

そして幹部会の後その言を自らの行動で示すかのように、荒川・尾久本町支部の集いに足を運び同志を励ましたのである。

どこまでも民衆のために戦う正義の人たれ! 学生部への指針は、常に一貫している。

第2次宗門事件の渦中の1991(平成3)年11月、24の大学会が結成された。

この時も師は「正義に生きよ」と呼びかけた。

この日、結成された富士短期大学会(第10期)。

師の母校の誇りを胸に、今も21人全員が厳然と創価の旗を振る。中心者の3人は、いずれも東京・足立区で活躍。

「庶民を守るため、力あるリーダーになると師に約束したから」と口を揃える。

「一生涯、民衆のために、正義のために戦う!」。この誓い、連帯、心意気。

どのような時代になっても民衆の中で戦う!――この気概こそが、新時代の突破口を開きゆく力だ。(09.06.29) (之)

181代理人:2009/06/30(火) 11:24:01

名字の言

先月末、「東京都盲ろう者支援センター」が台東区に開設された。

目と耳の両方に障がいのある「盲ろう者」の生活、社会参加の支援等を行う、全国の自治体で初の試みである。

彼・彼女らの象徴的存在ともいえる福島智東京大学教授も、オープンを祝福。

時同じく、福島さんの評伝、母・令子さんの手記が、相次ぎ出版された。

福島さんは9歳で光を失い、18歳で音を失った。この闇と沈黙の苦悩から福島さんを救い出したのは「手」であった。

母の考案した「指点字」である。福島さんは歌う。

「ぼくの指にきみの指が触れたとき/そこにことばが生まれた/ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した」

「ぼくの命はいつもことばとともにある」(生井久美子著『ゆびさきの宇宙』岩波書店)。

聞けなくても、読めなくても、触れれば、言葉は生まれてくる。

言葉はたくましい。“言葉と命は一つ”――福島さんの詩に粛然とする。

御聖訓には「仏は文字に依って衆生を度し給う」(御書153ページ)、

そして「声仏事を為す」(同708ページ)とある。

今の世の中、嘘の言葉、人を傷つける言葉が多過ぎないか。

だからこそ、私たちは、真剣な言葉、誠実な言葉、励ましの言葉で、

「生きる勇気」を吹き込んでいきたい。(09.06.30) (飛)

182代理人:2009/07/01(水) 10:40:34

名字の言

インドネシアで“民族独立の母”と敬愛されるカルティニ――。

池田名誉会長は、彼女の戦いを通して、「女性の勇気こそ、社会を動かし、歴史を変える力」と語った

(本部幹部会スピーチ=6月22日付)。

カルティニが立ち上がるきっかけは、何であったか。

オランダ語の「わたし」という言葉を手にしたからであったと言う(土屋健治著『カルティニの風景』めこん刊)。

彼女は語学を学ぶなかで、新しい世界を発見し、未来への展望を構想し、新しい「自分」に目覚めたのだ。

「自分」に目覚めて、人は初めて「他者」の尊さにも気付くことができる。

相手の悩みに真剣に耳を傾け、相手の笑顔には共に喜ぶ。日々の暮らしの現場に躍動する、

この鋭敏にしてふくよかな「同苦」と「共感」の心根こそ、女性の特質と言えるのではないだろうか。

戦後の創価の前進は、女性の“目覚めの歴史”であったと言ってもいい。

宿命の涙を勝利の笑顔に変えた、模範と誉れの彼女たち。

名誉会長は讃えつつ、心から励ましのエールを贈る。

「女性が高らかに声をあげた分だけ、人間社会をよくすることができる」と。

今月12日は「総東京婦人部 幸福・勝利の日」。

朗らかに、にぎやかに、凱歌と歓喜の最高峰を目指したい。(09.07.01) (順)

183代理人:2009/07/02(木) 10:34:11

名字の言

緑のトンネルを抜けると、清冽な水の音が聞こえてくる。

降り注ぐ滝の雄姿を眺めながら、青森県の奥入瀬渓流を遡った。その水源は十和田湖だ。

火山がつくったカルデラ湖。かつて魚のすまない湖といわれた。ここでヒメマスの養殖に挑戦した先人がいる。

和井内貞行氏。度重なる失敗で私財は底をつき、非難中傷も浴びた。

だが、道を貫き、20余年もの苦闘の末に養殖を成功させた。十和田湖には偉大な開拓の歴史が刻まれている。

広宣流布も開拓闘争だ。昭和40年代の青森の下北半島・川内町(現・むつ市)。

旧習が深く、女性が働く場所もなかった。

一人の婦人部員が署名活動に立ち上がる。約70人の協力を得、合成繊維会社の作業所の設置が実現した。

真剣に地域の発展を願う彼女の姿に、多くの人が学会の認識を一変させた。

後年、町の名士は「“わが地域を理想の郷土に!”と情熱を燃やす創価学会は、時代をリードする存在」と賛嘆した。

15年前の夏、十和田湖を訪れた池田名誉会長は語っている。

「常に皆の先頭に立ち率先して道を開く。皆に代わって、襲いかかる嵐を一身に受けて立つ――これが開拓者である」。

この不撓不屈の開拓者魂をたぎらせ、われらも進みたい。新たな歴史を開くために。(09.07.02) (時)

184代理人:2009/07/03(金) 10:31:58

名字の言

実力が拮抗した競り合いを制するには?――

「攻めの気持ちを貫いたほうが勝ちます」と柔道の元全日本男子監督・斉藤仁氏は語っている(「第三文明」8月号)。

2006年の全日本柔道選手権。

アテネ五輪で「金」の鈴木桂治選手と、当時19歳の石井慧選手との決勝戦。終始、鈴木側優勢で進んだ。

だが終了間際、残り時間を気にした鈴木が、ほんの一瞬、ちらりと会場の時計を見た。それを石井は見逃さなかった。

「その一瞬に石井の攻める気持ちが、鈴木のそれを上回ったんです」と斉藤氏。結果は石井の逆転勝利だった。

勝負は峻厳だ。一瞬の競り合いを制した者が勝つ。最後の最後まで「攻めの気持ち」を貫くことこそが勝利の要諦だ。

御書には「いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(1090ページ)と仰せだ。

“いよいよ”“せむべし”の気概で、猛然と戦うことである。

池田名誉会長は語っている。「攻めて攻めて攻め抜いて、押して押して押し切って、

戦って戦って戦い抜いた時に、はじめて、栄光の旭日が昇る。勝利の旭光が輝く」と。

きょうも力の限り前進したい。勝利のその瞬間まで、攻めの気持ちを堅持したい。

その人の心にこそ凱歌は轟き渡る。(09.07.03) (之)

185代理人:2009/07/04(土) 10:58:10

名字の言

学会っ子は北風に向かって戦おう!」。35年前の12月、池田名誉会長は東京・新目黒会館を訪問。

居合わせた学生部の友を激励し、「冬の目黒グループ」と命名した。

その一人が述懐している。「池田先生の指導は『困難に挑み勝ちゆけ!』との万感のメッセージだと思いました。

だからこそどんな激戦も勇んで戦い、勝利してきました」。同グループの友は現在学術界、実業界など各界で活躍している。

広宣流布の歩みは、数々の艱難を勝ち越えてきた歴史でもある。

戸田第2代会長は、常に、広布の主戦場へ、最も大変なところへ、愛弟子の名誉会長を派遣した。

事業の苦境も、権力との闘争も、広布の拡大も、師と弟子の「不二の闘争」で、突破口を開いてきた。

名誉会長は綴っている。「本物の師匠に、私は本物の弟子としてお仕えし抜いた。

広宣流布のご構想を実現するため、執念、また執念で全魂を尽くしました」(「御書と師弟」)。

弟子の激闘あってこその師の勝利だった。「激戦のあるところに、必ず私たちは身を置く」(ユゴー)。

広布の戦線で勝利をもぎ取る。師匠の期待に応えて断じて勝つ。どんな難局も必ず打開する。

この誓い通りに結果を出す人こそ「本物の弟子」である。(09.07.04) (薬)

186代理人:2009/07/05(日) 10:17:44

名字の言

中日友好協会の黄世明副会長に、話を聞いたことがある。

「どんな困難な時も、初志を貫くことができたのは、“人民のため”との思いがあったからです」。

周恩来総理やトウ<登におおざと>小平氏ら歴代指導者の通訳を務めた黄副会長。がんも2度患った。

最初の時は、周総理が自ら病院に手配を。

二十数年後の再発時には、池田名誉会長から励ましの和歌を頂いた――と感激を露わに。

「私は、50年近く、中日友好に取り組んできた。何の悔いもない……

今度は、若い皆さんに託したい。友好交流を深めてほしい」。亡くなる前年のことだった。

初志を貫徹することは難しい。壁にぶつかると、できない理由を並べたくなる。

だが、それでは、自身の負けだ。目標を成し遂げるには、“何のため”との一点を心に赤々と燃やすことである。

たった一人の挑戦でも、劇的な変化をもたらすことがある。

アメリカの大実業家アーマンド・ハマー氏の座右の銘は、

「初志を貫き通すならば、一人の人間が状況を変えることができる」だった。

黄副会長は、こうも語っていた。「私は、力をつけるため、若い時から、たくさんの本を読みました。

皆さんは幸せですね。池田先生の著作やスピーチから、不屈の力を得ることができるのですから」と。(09.07.05) (葉)

187代理人:2009/07/06(月) 10:06:50

名字の言

視力障害のある関西の婦人部員が先日、東京を訪れた。

一人の友人に仏法の哲学を語るために。広宣流布へ労苦を惜しまぬ尊き姿に最敬礼。

婦人は生後、数カ月で失明した。しかし、競泳の選手やボランティアなども務める無類の頑張り屋。

そんな彼女の転機となったのは、高校時代の同級生が命に及ぶ難病に襲われた時。

何もしてあげられない無力さに苦しんだ。その時、ある親友から聞いていた題目を唱えた。

すると時が符合するかのように、同級生は一命を取り留めた。

何ができなくとも、一人のために祈ることができる。それがどれほど素晴らしいことか。

それを知った彼女は本格的に信仰の道を歩み始めた。

一人のために祈り、一人のために語る。そこにこそ真実の仏道修行がある。

「一人のためであっても、たとえ一句であっても、法華経を説く人は、仏の使いである」と法華経には仰せだ。

あの1万1111世帯の弘教を成し遂げた昭和31年の「大阪の戦い」。

指揮を執った池田室長が最初に関西の幹部に語ったのは、「会員の一人一人を大切にしてください」であった。

「一は万が母」(御書498ページ)である。

眼前の一人に全力を。一人の心を揺り動かす対話を。

その執念の連続闘争から歴史が開かれる。(09.07.06) (進)

188代理人:2009/07/07(火) 10:52:37

名字の言

中国・春秋時代の名宰相である管仲。その思想を伝える『管子』に「一を植えて十の収穫があるのは木材。

一を植えて百の収穫があるのは人材である」とある。

武力で争う乱世にあっても、名政治家は、人材の力を重んじた。

まして、人間主義の連帯を広げゆく創価の運動における、人材の重要性は言うまでもない。

東京・世田谷区で活動する男子部員。さまざまな理由から、人と話すのが大の苦手だった。

先輩は励ました。「勇気を奮い起こそう。戦いの中で、君自身が壁を破るんだよ」と。

その激励に応えて、彼は語りに語った。亡き父が勤めていた会社の首脳に対話するまでに。

広布のために動く実践の中でこそ、次代を担う青年が育つのだと実感する。

7月は「青年の月」。1951年(昭和26年)7月11日、男子部結成式に参加したのは180人。

同19日、女子部誕生の集いに居合わせたのは70人余だった。

「ただ人材がほしい」――戸田第2代会長の叫びに応え、青年の連帯を日本中に押し広げたのが池田名誉会長である。

名誉会長は結論している。「実戦のなかでこそ、人材はつくられる」。

激戦を戦い抜いた時こそ、本物の“人材城”が築かれる。

その大確信を持ち、粘り強く日々の活動に励みたい。(09.07.07) (定)

189代理人:2009/07/08(水) 11:15:36

名字の言

6月4日、池田華陽会として颯爽と進む女子部に、喜びと感動が広がった。

「名誉会長夫妻が創価女子会館を訪問!」――朗報は全国はもとより、世界各国に即座に伝わった。

「飛び上がらんばかりに女子部と喜び合っています」と語るのは太平洋に浮かぶミクロネシア連邦のロペス支部婦人部長。

3日後の7日には記念の集いを開き、池田華陽会の歌「華陽の誓い」を合唱。

「池田先生・奥様と共に歓喜の力強い前進をしていきます」と意気は高い。

「イケダカヨウカイ」は昨年に結成されたばかりだが「ザダンカイ」、

「コウセンルフ」等と共に世界共通語となった感がある。

イタリア、韓国の友も口々に述べていたが、師弟勝利の青春譜を綴ることを最高の誇りとしている。

そして、彼女たちに共通するのは「感謝の心」だ。

東京・町田出身の青年詩人、八木重吉の言葉を思い出した。

「感謝の無い信仰は本当の信仰ではない」「すべてはそこから出づる。感謝と報恩と」

「自分のまわりを、感謝の海とせよ。感謝は強い。感謝は美しい」(全集第3巻、筑摩書房)。

わが生命を感謝の心で染め抜きたい。

「仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」(御書293ページ)。

人間の真の生き方が、ここにある。(09.07.08) (川)

190代理人:2009/07/09(木) 10:43:09

名字の言

7世紀初め、中国では隋が滅亡し、群雄が割拠。

後に唐の2代皇帝となる若き李世民は、指揮官として強敵に立ち向かう。

この一戦に勝てば天下の統一は確実――彼の勝利への執念は、すさまじかった。

『小説十八史略』で陳舜臣氏は、その様子を次のように描く。持久戦の末、兵糧不足の敵軍はついに後退を始める。

「いまだ!」。千載一遇の勝機を李世民は逃さなかった。一昼夜、約100キロを飲まず食わずで追撃しこれを破った。

“もう十分でしょう。少し休んでください”と気遣う部下に彼は言う。

“敵に立ち直る時間を与えてはならぬ。私は大目的に身を捧げる覚悟であり、わが身のことなど厭わぬのだ”。

総大将の烈々たる叫びに全軍が奮い立った。唐軍は敵を追い詰め、一日に8戦して連勝。

雌雄を決した。李世民は三日の間、一度も兜を脱がなかったという。

「自分が先頭に立つ」という指揮官の気迫。「もういいか」との妥協を排した「攻め」の姿勢。

この徹底した戦いによって、新時代を開く偉業は成就されたのだ。

御書に「軍には大将軍を魂とす」(1219ページ)と。誰でもない。

勝利の突破口を開くのは、リーダーの強き一念であり、真剣な行動だ。

執念の大闘争で広布の凱歌の歴史を綴りたい。(09.07.09) (駿)

191代理人:2009/07/10(金) 20:19:17

名字の言

「一期一会」とは茶道から出た言葉だ。

茶道の大家でもあった江戸幕府の大老・井伊直弼は記している。“茶会での今日の出会いは一生に一度のことである。

だからこそ、主人は真心をもって交わらねばならない”と(『茶湯一会集』)。

一生に一度との思いで、人に最高の真心を尽くすことが「一期一会」の本意である。

昭和47年(1972年)の東京・荒川区の記念撮影会で、女子部・婦人部と共に舞を舞った一人の女子高等部員。

演技を心から讃えて拍手を送る名誉会長の姿に、生涯の共戦を誓った。

19年後の平成3年(1991年)暮れ、3人の母になっていた彼女は、子の手を引いて区内を歩いていた。

師を迎え、荒川文化会館で文化音楽祭が行われていた日だった。

参加できなかったことで悲しがる子どもたちに彼女は言い聞かせた。

「お題目を唱えて、勝った姿で先生をお迎えしようね」。

音楽祭が終わり、しばらくして、一台の車と行き合った。

窓が開くと、師の声が響いた。「風邪をひかないでね。創価大学に来てね」。

この“約束”を子どもたちは後に果たす。

「真心」は、相手の心に種となって残る。

まして「一生に一度」との思いを込めて、まかれた種は、必ず花を咲かせ、大きな果実を実らせる。

このことを忘れまい。(09.07.10) (香)

192代理人:2009/07/11(土) 14:00:19

名字の言

いよいよ決戦の時――

第2次大戦中、ナチスを打倒するために連合軍が敢行した「ノルマンディー上陸作戦」の直前、英国の少佐が綴った。

「この後この日のことが話題になるたびに己を誇りに思うであろう」と(コーネリアス・ライアン『史上最大の作戦』)。

悪天候が続く中、一時的な好天が予想された日に作戦は決行された。

この「一日」しかない。この日に負ければ、これまでの努力が水泡に帰す。

連合軍5000隻の船団による大作戦は、たった「一日」にすべてを懸けて断行された。

一方、ナチス軍。悪天候続きなので敵は攻撃してこないだろうと油断し、対応が遅れた。

悪天候という環境は、当然ながら、両軍とも同じだ。

しかし「今しかない」と捉えた連合軍と「今やっても無駄」と捉えたナチス軍とでは、あまりに大きな違いがあった。

人生には「勝負の時」がある。どうしても勝ち越えねばならぬ「時」がある。

その時を制した者こそが、自身を誇りに思う不滅の歴史を刻むことができる。

私たちの広宣流布の戦いも同じだ。

時を逃さず、戦い勝つ。これ以上の誉れはない。

後世の人も「よくぞやった」と、感嘆し、喝采を送るだろう。

さあ、きょう一日を悔いなく! そして、勇敢に勝て!(09.07.11) (鉄)

193代理人:2009/07/12(日) 12:58:30

名字の言

「正義の怒りが炎と燃えた、歴史的な『東京大会』」――

8年前の7月12日、池田名誉会長は「随筆」にこう寄せた。

「炎の東京大会」。烈々たる名称で呼ばれるこの会合は、4万人もの“怒れる人”の集いであった。

開催を訴え、主催したのは、正義の火の玉と化した青年部であった。昭和32年(1957年)7月12日。

午後6時から2時間ほど、降りしきる雨を突いて会場の内外は熱気にあふれた。

なぜ「炎」なのか。青年部の室長であった名誉会長を、事実無根の冤罪で不当逮捕した魔性の権力。

その悪に対する激怒の思いが、一人一人の決然たる熱情に発火した。

何より、弟子を救おうとする師の叫びが、砲火のごとく放たれたのだ。

小説『人間革命』には「悪に対しては断固、糾弾していきます」「仏法は勝負」と断言する場面が(第11巻「大阪」の章)。

御書には「瞋恚は善悪に通ずる」(584ページ)と“正しき怒り”が強調されている。

大会で婦人幹部が呼びかけた。

「東京の我々の団結は、また全国同志への団結の中心でございます。断固立ち上がろうではありませんか」。

今、「7・12」は「総東京婦人部 幸福・勝利の日」と輝く。

一人立つ勇者の団結で、“炎の勝利宣言”目指し堂々と前進しよう。(09.07.12) (杏)

194代理人:2009/07/13(月) 19:21:35

名字の言

米・公民権運動の指導者キング博士。その闘争の原点の一つは、高校時代にあった。

弁論大会で優秀な成績を収めた帰りのバス。黒人というだけで、無理やり席を立たされた。

人生で最も屈辱を受けた瞬間だった。

不当な差別をなくしたい――そのために学び抜き、時代を変えていった(『キング牧師』岩波書店)。

10代の体験が人生を決することが多々ある。外資系銀行で重責を担う壮年部の友がいる。

高等部時代、池田名誉会長が出席しての研修会。皆で魚捕りを。なかなか捕れない。

師は、ズボンのすそをまくり、水の中へ。青年のために、魚を集めようとする真心に心打たれた。

「勉強するんだよ。待ってるよ」。その時の懇談会での師の言葉。彼は応えようと、懸命に努力した。

「池田先生を人生の師匠と決めたからこそ今の自分がある」と振り返る。

結成45年の高等部。青春の誓いのままに活躍する友は、今や世界中に。

結成式で名誉会長は「青春時代に生き方の骨格をつくり、さらに完成させていくところに確かな人生の道があります」と。

若い時に、確固たる信念を持ち、貫くところに偉大な人生への道がある。未来部員の可能性は無限だ。

その扉を開くのは、魂と魂の触発であることを忘れまい。(09.07.13) (陸)

195代理人:2009/07/14(火) 10:39:38

名字の言

「閑(しずか)さや 岩にしみ入(いる) 蝉の声」。芭蕉の名句が似合う季節だ。

かつて、ここに詠まれたセミは何かとの論争があった。

句の生まれた山形県が故郷の詩人・斎藤茂吉は、アブラゼミを主張。

一方、夏目漱石研究の第一人者・小宮豊隆は、ニイニイゼミだと反駁を加えてきた。

茂吉が、同句の詠まれた時期に合わせ、現地に鳴くセミを調査したのは、79年前の7月だった。

結果、軍配はニイニイゼミに。

調査が進むほど、主張が崩れゆく劣勢に、生来、負けず嫌いの茂吉が、あぶら汗をかいたかは定かでないが、

潔く兜を脱いで認識を改めた姿は、ほほ笑ましくもある。

異論が出された時、どのような行動を取るかで、結果は大きく異なってくる。

いたずらに自説に固執することなく、互いに打ち合うことで、自他共の進歩の道が開かれるのではないだろうか。

「知の巨人」と一目置かれた歴史学者のトインビー博士は、

自身の学説に寄せられた反論にも、誠実な思索、検討を重ねたという。

そして、誤りがあれば修正し、それを「再考察」の成果としてまとめ、大著『歴史の研究』の第12巻として発刊した。

この柔軟にして、たくましい錬磨の姿勢こそが大事であろう。

鍛えの夏の到来!――常に切磋琢磨の心を忘れまい。(09.07.14) (城)

196代理人:2009/07/15(水) 11:34:17

名字の言

この1年間に流されたテレビコマーシャル1万7765作品を調査したところ、

約6割が視聴者の印象に、ほとんど残っていないという。

不評だった作品の中には数億円かけたもの、

有名タレントを使ったもの、何百回も放映したものもあった(「CM総合研究所」調査)。

多様化したメディア社会。その中で人の心に何かを残すことが、いかに難しいか――調査は雄弁に物語っている。

加えて、もっと困難なことがある。それは一度、人の心に残った印象を打ち破ることだ。

最近の脳科学の研究によると、人間の脳は、

「なるべく少ない労力で、的確な結論を出したい」という節約・安定の志向性を持つことが分かってきた。

よほどのことがない限り、一度、安定化させた結論は修正しない傾向があるというのだ。

つまり、最初に目にし、耳にした情報は変えにくい。ずっと心に残ってしまいがちなのである。

だからこそ、一番初めに何を伝えるかが大切になってくる。後で先入観を覆すのは、何倍もの労力がかかる。

現代社会には、情報があふれている。

まさに玉石混交の“情報の海”にあって、いかに正しい情報を素早く発信していけるか。

先んじて真実を伝えることができるか――ここに広布の言論戦の要もある。(09.07.15) (高)

197代理人:2009/07/16(木) 11:18:33

名字の言

俳人・正岡子規の直筆の選句集がこのほど発見され、話題になっている。

“俳句の世界をもっと自由で雄壮なものに広げよう”と「俳句革新」を志した時期の作品とみられる。

子規の生涯は、病を抜きに語れない。雅号「子規」とはホトトギスの異称。

学生時代に肺を患って喀血した時、鳴いて血を吐くといわれる子規にちなんで号した。

病に関する句も多く、晩年は病床で、時に口述に頼りながら詠んだ。病むことは敗北ではない。

子規は病床で自己を厳しく凝視することで、「その独自性をはじめて確立した」(中村稔『子規と啄木』)。

病と格闘したからこそ、傑出した作品を生み出せたのである。

御書には「病気によって仏法を求める心が起こる」(1480ページ、通解)と。

長い人生で病む時があるのは当然のこと。大切なのは“病に断じて負けない”という強き一念だ。

その一念が諸天を動かし、何よりも自身の生命力を強め、無限の可能性を発揮させてくれる。

子規が喀血した時、友人の夏目漱石は「帰ろふと泣かずに笑へ時鳥」と句を贈り“故郷に帰るな 病を笑い飛ばせ”と励ました。

創価の同志も、苦楽を分かち合い、共に前進する得難き宝友。

互いに励まし合いながら、“人生の勝利”を飾っていきたい。(09.07.16) (弘)

198代理人:2009/07/17(金) 06:41:42

名字の言

「メロスは激怒した」――。

本年、生誕100年となる太宰治の『走れメロス』は、この一節から始まる(岩波文庫)。

メロスは、何に対して怒ったのか?

それは、「邪知暴虐の王」に対してであった。彼は、罪のない人々を平然と殺す傲慢な権力者が許せなかった。

青年らしく正義を訴えた。命懸けで友情を貫いた。その姿が最後には、王の心を変えた。

山本周五郎の代表作『赤ひげ診療譚』。

“赤ひげ先生”と称される老医が、貧しい病人を苦しめる圧政を、糾弾する場面がある。

「おれはごまかされないぞ」

「人間を愚弄し軽侮するような政治に、黙って頭を下げるほど老いぼれでも お人好しでもないんだ」(ハルキ文庫)。

市井(しせい)の人々の幸せを願う心は、時に「怒り」となって噴出する。

優しいだけでは人々を守れない。また、庶民を踏みにじる動きを“見て見ぬふり”は、悪への加担だ。

御書には「怒りは善悪に通じる」(584㌻、通解)とある。

創価学会は、その精神のまま、正義の「怒り」を片時も忘れなかった。

だからこそ、民衆を守る大城として栄え続けてきた。

歴代会長が、軍部権力等と戦い抜いた7月。

今また、私たちも、庶民を足蹴にする権力に「怒りの声」を上げ、民衆が主役の時代を築きたい。(09.07.17) (立)

199代理人:2009/07/18(土) 11:11:49

名字の言

水中を華やかに舞うシンクロナイズドスイミング。

井村雅代氏は、2004年のアテネまで27年間、6回の五輪すべてで日本にメダルをもたらした名コーチだ。

選手が「もう私、これが限界です」と弱音を吐くと、

彼女はいつも「限界ってどこにあるの? どこに見えてるの?」と聞いた。

そうやって、選手の心から、固定観念や限界という言葉を取り払い、

潜在能力を引き出した(NHKテキスト『知るを楽しむ〜人生の歩き方』)。

ある青年の体験を思い出す。

設計事務所に就職したが、雑務のような仕事ばかり。休みもない。

「もう駄目」と絶望していた時、池田名誉会長のスピーチと出合った。

「『自分なんかもう駄目だ』と思うような瀬戸際の時が諸君にもあるにちがいない。

実は、その時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである」と。

目が覚める思いだった。一番つらい今こそ「一番成長できる時」と知った。

以来、どんな仕事にも、これ以上できないくらい全力を注いだ。

周囲の評価も高まり、百貨店など大きな仕事を任されるまでに。今は独立し、1級建築士の資格も取得した。

「限界だ」と思う時こそ、実は勝利のドラマの始まりだと痛感する。

きょうも、新しい“自分史”を綴りたい。(09.07.18) (陸)

200代理人:2009/07/19(日) 08:53:06

名字の言

民俗学者の柳田国男が、「これこそ口承文学の最高傑作」と絶賛した『アイヌ神謡集』。

著者の知里幸恵(ちり ゆきえ)は19歳の時、

失われつつあったアイヌ語の物語を日本語に翻訳し、不朽の名作を完成させた。

現在、英語やロシア語などでも出版され、「アイヌ」の誇りを今に伝える(中井三好著『知里幸恵』彩流社)。

民族の文化を絶やすまいとした思いは、現在もアイヌの人々の心に生きる。

若き一人の女性の決意の行動の、何と素晴らしきことか。

先日、発表された女子部の「永遠の五指針」。

昨年11月に「池田華陽会」が結成されたカンボジアでも、早速、女子部がクメール語に翻訳。

「華陽会総会」で発表され、大きな波動を広げている。

現地では、座談会の御書講義の担当など、女子部の活躍が目覚しい。

青年部長のソチェット・ソクさんも、アメリカ創価大学出身の女性リーダー。

「指針の一節から“負けない!”を合言葉に、前進を誓い合っています」と。

乙女たちの奮闘に、壮年も婦人も、拡大の勢いを増している。

御書に「女子は門をひら(開)く」(1566㌻)と。

女子部の活躍は、世界広布の“希望の扉”を開く原動力。

7月19日は「女子部結成記念日」。次代を担う勝利の王女たちの健闘を祈りたい。(09.07.19) (誼)

201代理人:2009/07/20(月) 12:04:27

名字の言

2009年7月22日、日食が見られる。本年最大の天体ショーだ。

各地とも部分日食だが、屋久島などの島々では100%欠ける皆既日食が見られる。

日本で観測されるのは46年ぶり。

今回、皆既日食が観測できるトカラ列島。鹿児島県・奄美大島の北側に位置し、12の島々からなる。

この地でも、創価の同志は意気軒高だ。北端の口之島では、学会世帯が4分の1を超える。

同志の顔ぶれも多士済々。畜産組合の組合長や理事、島唯一の小中学校の校長も学会員だ。

さらに聖教新聞は一般紙を含め、配達部数で第1位。世帯の95%が購読経験をもつ。

信頼と友好の輪が、小さな島に大きく広がっている。

発展の秘訣を尋ねると、皆の口から「そりゃあ、一人一人の責任感よ!」と返ってくる。

小さな島では全員が顔見知り。言葉と行動が一致しているかどうかも、よく見える。

だからこそ、「“われこそ学会の全権大使”との決意で対話し、行動してきました」と友は語る。

責任を担う覚悟があれば知恵がわく。力も出る。

池田名誉会長は「『私が創価学会だ』『私が地域の学会の代表だ』と胸を張り、

悠然と正義を語り、勝ち抜いていくことだ」と。

自分こそが地域の幸福責任者――その強い自覚こそが離島の同志の誇りだ。(09.07.20) (之)

202代理人:2009/07/22(水) 07:31:38

名字の言

若き豊臣秀吉の“三日普請”の故事は有名で、数々の小説やドラマなどで紹介されてきた。

中でも、吉川英治氏の『新書太閤記』に描かれた内容は、示唆に富んでいる。

織田信長の清洲城の壁が、暴風雨で100間以上も崩れた時のこと。

修復工事がノロノロと進まない。それを憂いた藤吉郎(秀吉)が、「三日もあれば」と普請奉行を請(こ)い請(う)けた。

しかし、前任奉行が邪魔立てし、老獪な棟梁らも怠けてばかり。

藤吉郎は訴えた。

「国の興亡は、実はお城にあるわけじゃない(中略)お前らの中にあるのだ。領民が石垣だ、塀だ、濠だ」。

ただ国を思い、民を思う叫びが、棟梁たちを目覚めさせた。

自身も一職人となって泥仕事。総力戦の突貫工事で、約束通り、わずか三日で修復した。

確かに、どんな世界でも“全責任を担う!”という必死の一人が立てば、劇的に道は開かれる。

逆に、心の片隅のどこかに、他人を当てにする心があれば、物事は停滞してしまう。

小さな一念の差が、大きな勝敗を決するのだ。

御書に「一の師子王吼れば百子力を得て」(1316㌻)と。

環境ではない。人でもない。

自分が師子となって祈り、走り、断じて勝ってみせる!

本物の覚悟が決まった瞬間、勝利への大回転は始まる。(09.07.22) (誠)

204代理人:2009/07/23(木) 08:41:23

名字の言

作家の向田邦子さんは、右胸の乳がん手術を受けた際の輸血が原因で血清肝炎となり、寝たきりになった時期がある。

利き手の右手が動かせない彼女に、連載執筆の依頼が来る。

「考えた末に」――引き受けた。彼女は、不慣れな左手で書いた。

「こういう時にどんなものが書けるか、自分をためしてみたかった」(『向田邦子 映画の手帳』徳間文庫)。

不遇な状況に置かれた自分が“何を書くべきか”を考え、挑戦したのであった。彼女は、のちに直木賞を受賞する。

「生死」を見詰めた人は、「何に生きるべきか」を深く自覚する。

福島県の壮年部員の体験に、つくづく、そう思った。

彼は白球を追いかけた高校時代に、甲子園出場を果たし、就職後も信頼と実証を勝ち取って要職に就いた。

学会組織でも本部長で活躍。

ところが6年前、肺がんに。「今こそ、病に勝ち、この身で仏法の偉大さを証明する“時”だ」と誓った。

術後のリハビリにも耐え、先ごろ、医師から「もう大丈夫」と太鼓判が。

現在、壮年部リーダー、聖教新聞通信員として、友に勇気を送る日々。

困難を嘆いて終わっては何も生まれない。

今の状況を「前進の糧」と捉えて、前に進むことだ。挑戦することだ。

ここに人生の勝利の因がある。(09.07.23) (城)

206代理人:2009/07/24(金) 10:22:52

名字の言

勝負に挑む時の彼女の心境を一言で表すと「嬉しくてならない」だった。

800メートル走で銀メダルを取り、日本人女性初の五輪メダリストとなった人見絹枝である。

1928年(昭和3年)のアムステルダム五輪。“世界の壁”は高かった。

しかし彼女は「あれだけ努力し期待した事が、この調子ならいよいよ一週間とたたないうちに、

あのスタジオンで実現するのかと思うと嬉しくてならない」「私はベストを尽そう」。

弾むような足取りで、会場に向かった(人見絹枝『炎のスプリンター』)。

体格のいい選手、経験のある選手は、山ほどいた。

が、すべてをやり切った彼女は自信をもち、喜びをもって戦った。彼女は「世界のヒトミ」と仰がれた。

鎌倉時代、日蓮大聖人は、邪僧との言論闘争を控えた弟子の弥三郎を激励された。

「今まで生きながらえてきたのは、このこと(今回の法論)にあうためである」

「勝利して名を上げるか、敗れて名を下すかの境目である」と(御書1451ページ、通解)。

今月の座談会拝読御書の一節である。

ここ一番の大勝負。人生も、広宣流布の戦いも、何より「断じて勝つ」と腹を決めることである。

さあ、喜び勇んで打って出よう。「私はベストを尽くす!」と胸を張って。(09.07.24) (鉄)

210真面目な質問です:2011/12/11(日) 03:52:18
昭和55年6月21日日顕上人書写の御形木御本尊ですが、
妙楽大師と竜樹菩薩が抜けています。これはどういう理由による
ものなんでしょうか?何か意味があって抜かしているのでしょうか?
ちなみに当時学会員に下附されたものです。それから、この御形木御本尊を持っている方おられますか?
誰に聞いても教えてくれません。ここの方々は博識とお見受けしたので
真面目にお尋ねする次第です。御教示の程宜しくお願い致します。


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