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名字の言 +α (代理人様専用)
196
:
代理人
:2009/07/15(水) 11:34:17
名字の言
この1年間に流されたテレビコマーシャル1万7765作品を調査したところ、
約6割が視聴者の印象に、ほとんど残っていないという。
不評だった作品の中には数億円かけたもの、
有名タレントを使ったもの、何百回も放映したものもあった(「CM総合研究所」調査)。
多様化したメディア社会。その中で人の心に何かを残すことが、いかに難しいか――調査は雄弁に物語っている。
加えて、もっと困難なことがある。それは一度、人の心に残った印象を打ち破ることだ。
最近の脳科学の研究によると、人間の脳は、
「なるべく少ない労力で、的確な結論を出したい」という節約・安定の志向性を持つことが分かってきた。
よほどのことがない限り、一度、安定化させた結論は修正しない傾向があるというのだ。
つまり、最初に目にし、耳にした情報は変えにくい。ずっと心に残ってしまいがちなのである。
だからこそ、一番初めに何を伝えるかが大切になってくる。後で先入観を覆すのは、何倍もの労力がかかる。
現代社会には、情報があふれている。
まさに玉石混交の“情報の海”にあって、いかに正しい情報を素早く発信していけるか。
先んじて真実を伝えることができるか――ここに広布の言論戦の要もある。(09.07.15) (高)
197
:
代理人
:2009/07/16(木) 11:18:33
名字の言
俳人・正岡子規の直筆の選句集がこのほど発見され、話題になっている。
“俳句の世界をもっと自由で雄壮なものに広げよう”と「俳句革新」を志した時期の作品とみられる。
子規の生涯は、病を抜きに語れない。雅号「子規」とはホトトギスの異称。
学生時代に肺を患って喀血した時、鳴いて血を吐くといわれる子規にちなんで号した。
病に関する句も多く、晩年は病床で、時に口述に頼りながら詠んだ。病むことは敗北ではない。
子規は病床で自己を厳しく凝視することで、「その独自性をはじめて確立した」(中村稔『子規と啄木』)。
病と格闘したからこそ、傑出した作品を生み出せたのである。
御書には「病気によって仏法を求める心が起こる」(1480ページ、通解)と。
長い人生で病む時があるのは当然のこと。大切なのは“病に断じて負けない”という強き一念だ。
その一念が諸天を動かし、何よりも自身の生命力を強め、無限の可能性を発揮させてくれる。
子規が喀血した時、友人の夏目漱石は「帰ろふと泣かずに笑へ時鳥」と句を贈り“故郷に帰るな 病を笑い飛ばせ”と励ました。
創価の同志も、苦楽を分かち合い、共に前進する得難き宝友。
互いに励まし合いながら、“人生の勝利”を飾っていきたい。(09.07.16) (弘)
198
:
代理人
:2009/07/17(金) 06:41:42
名字の言
「メロスは激怒した」――。
本年、生誕100年となる太宰治の『走れメロス』は、この一節から始まる(岩波文庫)。
メロスは、何に対して怒ったのか?
それは、「邪知暴虐の王」に対してであった。彼は、罪のない人々を平然と殺す傲慢な権力者が許せなかった。
青年らしく正義を訴えた。命懸けで友情を貫いた。その姿が最後には、王の心を変えた。
山本周五郎の代表作『赤ひげ診療譚』。
“赤ひげ先生”と称される老医が、貧しい病人を苦しめる圧政を、糾弾する場面がある。
「おれはごまかされないぞ」
「人間を愚弄し軽侮するような政治に、黙って頭を下げるほど老いぼれでも お人好しでもないんだ」(ハルキ文庫)。
市井(しせい)の人々の幸せを願う心は、時に「怒り」となって噴出する。
優しいだけでは人々を守れない。また、庶民を踏みにじる動きを“見て見ぬふり”は、悪への加担だ。
御書には「怒りは善悪に通じる」(584㌻、通解)とある。
創価学会は、その精神のまま、正義の「怒り」を片時も忘れなかった。
だからこそ、民衆を守る大城として栄え続けてきた。
歴代会長が、軍部権力等と戦い抜いた7月。
今また、私たちも、庶民を足蹴にする権力に「怒りの声」を上げ、民衆が主役の時代を築きたい。(09.07.17) (立)
199
:
代理人
:2009/07/18(土) 11:11:49
名字の言
水中を華やかに舞うシンクロナイズドスイミング。
井村雅代氏は、2004年のアテネまで27年間、6回の五輪すべてで日本にメダルをもたらした名コーチだ。
選手が「もう私、これが限界です」と弱音を吐くと、
彼女はいつも「限界ってどこにあるの? どこに見えてるの?」と聞いた。
そうやって、選手の心から、固定観念や限界という言葉を取り払い、
潜在能力を引き出した(NHKテキスト『知るを楽しむ〜人生の歩き方』)。
ある青年の体験を思い出す。
設計事務所に就職したが、雑務のような仕事ばかり。休みもない。
「もう駄目」と絶望していた時、池田名誉会長のスピーチと出合った。
「『自分なんかもう駄目だ』と思うような瀬戸際の時が諸君にもあるにちがいない。
実は、その時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである」と。
目が覚める思いだった。一番つらい今こそ「一番成長できる時」と知った。
以来、どんな仕事にも、これ以上できないくらい全力を注いだ。
周囲の評価も高まり、百貨店など大きな仕事を任されるまでに。今は独立し、1級建築士の資格も取得した。
「限界だ」と思う時こそ、実は勝利のドラマの始まりだと痛感する。
きょうも、新しい“自分史”を綴りたい。(09.07.18) (陸)
200
:
代理人
:2009/07/19(日) 08:53:06
名字の言
民俗学者の柳田国男が、「これこそ口承文学の最高傑作」と絶賛した『アイヌ神謡集』。
著者の知里幸恵(ちり ゆきえ)は19歳の時、
失われつつあったアイヌ語の物語を日本語に翻訳し、不朽の名作を完成させた。
現在、英語やロシア語などでも出版され、「アイヌ」の誇りを今に伝える(中井三好著『知里幸恵』彩流社)。
民族の文化を絶やすまいとした思いは、現在もアイヌの人々の心に生きる。
若き一人の女性の決意の行動の、何と素晴らしきことか。
先日、発表された女子部の「永遠の五指針」。
昨年11月に「池田華陽会」が結成されたカンボジアでも、早速、女子部がクメール語に翻訳。
「華陽会総会」で発表され、大きな波動を広げている。
現地では、座談会の御書講義の担当など、女子部の活躍が目覚しい。
青年部長のソチェット・ソクさんも、アメリカ創価大学出身の女性リーダー。
「指針の一節から“負けない!”を合言葉に、前進を誓い合っています」と。
乙女たちの奮闘に、壮年も婦人も、拡大の勢いを増している。
御書に「女子は門をひら(開)く」(1566㌻)と。
女子部の活躍は、世界広布の“希望の扉”を開く原動力。
7月19日は「女子部結成記念日」。次代を担う勝利の王女たちの健闘を祈りたい。(09.07.19) (誼)
201
:
代理人
:2009/07/20(月) 12:04:27
名字の言
2009年7月22日、日食が見られる。本年最大の天体ショーだ。
各地とも部分日食だが、屋久島などの島々では100%欠ける皆既日食が見られる。
日本で観測されるのは46年ぶり。
今回、皆既日食が観測できるトカラ列島。鹿児島県・奄美大島の北側に位置し、12の島々からなる。
この地でも、創価の同志は意気軒高だ。北端の口之島では、学会世帯が4分の1を超える。
同志の顔ぶれも多士済々。畜産組合の組合長や理事、島唯一の小中学校の校長も学会員だ。
さらに聖教新聞は一般紙を含め、配達部数で第1位。世帯の95%が購読経験をもつ。
信頼と友好の輪が、小さな島に大きく広がっている。
発展の秘訣を尋ねると、皆の口から「そりゃあ、一人一人の責任感よ!」と返ってくる。
小さな島では全員が顔見知り。言葉と行動が一致しているかどうかも、よく見える。
だからこそ、「“われこそ学会の全権大使”との決意で対話し、行動してきました」と友は語る。
責任を担う覚悟があれば知恵がわく。力も出る。
池田名誉会長は「『私が創価学会だ』『私が地域の学会の代表だ』と胸を張り、
悠然と正義を語り、勝ち抜いていくことだ」と。
自分こそが地域の幸福責任者――その強い自覚こそが離島の同志の誇りだ。(09.07.20) (之)
202
:
代理人
:2009/07/22(水) 07:31:38
名字の言
若き豊臣秀吉の“三日普請”の故事は有名で、数々の小説やドラマなどで紹介されてきた。
中でも、吉川英治氏の『新書太閤記』に描かれた内容は、示唆に富んでいる。
織田信長の清洲城の壁が、暴風雨で100間以上も崩れた時のこと。
修復工事がノロノロと進まない。それを憂いた藤吉郎(秀吉)が、「三日もあれば」と普請奉行を請(こ)い請(う)けた。
しかし、前任奉行が邪魔立てし、老獪な棟梁らも怠けてばかり。
藤吉郎は訴えた。
「国の興亡は、実はお城にあるわけじゃない(中略)お前らの中にあるのだ。領民が石垣だ、塀だ、濠だ」。
ただ国を思い、民を思う叫びが、棟梁たちを目覚めさせた。
自身も一職人となって泥仕事。総力戦の突貫工事で、約束通り、わずか三日で修復した。
確かに、どんな世界でも“全責任を担う!”という必死の一人が立てば、劇的に道は開かれる。
逆に、心の片隅のどこかに、他人を当てにする心があれば、物事は停滞してしまう。
小さな一念の差が、大きな勝敗を決するのだ。
御書に「一の師子王吼れば百子力を得て」(1316㌻)と。
環境ではない。人でもない。
自分が師子となって祈り、走り、断じて勝ってみせる!
本物の覚悟が決まった瞬間、勝利への大回転は始まる。(09.07.22) (誠)
204
:
代理人
:2009/07/23(木) 08:41:23
名字の言
作家の向田邦子さんは、右胸の乳がん手術を受けた際の輸血が原因で血清肝炎となり、寝たきりになった時期がある。
利き手の右手が動かせない彼女に、連載執筆の依頼が来る。
「考えた末に」――引き受けた。彼女は、不慣れな左手で書いた。
「こういう時にどんなものが書けるか、自分をためしてみたかった」(『向田邦子 映画の手帳』徳間文庫)。
不遇な状況に置かれた自分が“何を書くべきか”を考え、挑戦したのであった。彼女は、のちに直木賞を受賞する。
「生死」を見詰めた人は、「何に生きるべきか」を深く自覚する。
福島県の壮年部員の体験に、つくづく、そう思った。
彼は白球を追いかけた高校時代に、甲子園出場を果たし、就職後も信頼と実証を勝ち取って要職に就いた。
学会組織でも本部長で活躍。
ところが6年前、肺がんに。「今こそ、病に勝ち、この身で仏法の偉大さを証明する“時”だ」と誓った。
術後のリハビリにも耐え、先ごろ、医師から「もう大丈夫」と太鼓判が。
現在、壮年部リーダー、聖教新聞通信員として、友に勇気を送る日々。
困難を嘆いて終わっては何も生まれない。
今の状況を「前進の糧」と捉えて、前に進むことだ。挑戦することだ。
ここに人生の勝利の因がある。(09.07.23) (城)
206
:
代理人
:2009/07/24(金) 10:22:52
名字の言
勝負に挑む時の彼女の心境を一言で表すと「嬉しくてならない」だった。
800メートル走で銀メダルを取り、日本人女性初の五輪メダリストとなった人見絹枝である。
1928年(昭和3年)のアムステルダム五輪。“世界の壁”は高かった。
しかし彼女は「あれだけ努力し期待した事が、この調子ならいよいよ一週間とたたないうちに、
あのスタジオンで実現するのかと思うと嬉しくてならない」「私はベストを尽そう」。
弾むような足取りで、会場に向かった(人見絹枝『炎のスプリンター』)。
体格のいい選手、経験のある選手は、山ほどいた。
が、すべてをやり切った彼女は自信をもち、喜びをもって戦った。彼女は「世界のヒトミ」と仰がれた。
鎌倉時代、日蓮大聖人は、邪僧との言論闘争を控えた弟子の弥三郎を激励された。
「今まで生きながらえてきたのは、このこと(今回の法論)にあうためである」
「勝利して名を上げるか、敗れて名を下すかの境目である」と(御書1451ページ、通解)。
今月の座談会拝読御書の一節である。
ここ一番の大勝負。人生も、広宣流布の戦いも、何より「断じて勝つ」と腹を決めることである。
さあ、喜び勇んで打って出よう。「私はベストを尽くす!」と胸を張って。(09.07.24) (鉄)
210
:
真面目な質問です
:2011/12/11(日) 03:52:18
昭和55年6月21日日顕上人書写の御形木御本尊ですが、
妙楽大師と竜樹菩薩が抜けています。これはどういう理由による
ものなんでしょうか?何か意味があって抜かしているのでしょうか?
ちなみに当時学会員に下附されたものです。それから、この御形木御本尊を持っている方おられますか?
誰に聞いても教えてくれません。ここの方々は博識とお見受けしたので
真面目にお尋ねする次第です。御教示の程宜しくお願い致します。
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