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名字の言 +α (代理人様専用)
106
:
代理人
:2009/04/16(木) 10:26:22
名字の言
今年のフレッシュマンは「エコバッグ型」。
社会経済生産性本部が毎年発表している新入社員のタイプについての命名だ。
環境問題に関心が強く、節約志向で無駄を嫌う。折り目正しい。
酷使すると長持ちしない(早期離職)が、意外に耐久性に優れた面もあるという。
新年度、新しい職場でスタートを切る人も多い。中には耐え抜いた末に何度目かの「新人」として出発する人もいる。
大学を卒業後、鉄工所に勤務した壮年も、その一人だ。
30代で病に倒れた。再起への道程は険しいと思われたが、
青年部時代に培った「負けじ魂」を燃やし、妻にも支えられ、病気を克服した。
その中で医療の道を志し、看護大学に合格。卒業後は保健師として経験を積み、
国立大学の大学院(医学系研究科)を経て、40代半ばの今春、大学で教員の道を歩むことに。
幾度もの難関を勝ち抜いた「新人」である。
法華経では「如来(=仏)の衣」を「柔和忍辱の心」と譬える。
池田名誉会長は「(仏の心は)耐え忍ぶ心です」「退くことでも、負けることでもない。耐えて勝つのです」と。
何があっても、不屈の魂で必ず勝つ。これこそが私たちの生き方である。
春は、新たな節目の時。かつてない「勝利の自分史」を、共々に築きたい。(09.04.16) (広)
107
:
代理人
:2009/04/17(金) 07:06:04
名字の言
かつて、米大リーグにジム・モリスという投手がいた。
テキサス州の高校教師として野球部のコーチをしていた時「君たちが地区優勝したら、私もプロテストを受ける」と約束。
選手たちは、懸命に戦って見事に優勝し、彼は、35歳でプロテストに合格して大リーガーになった。
「オールド・ルーキー」として映画化された実話である。
「約束」は、明確な目標となり、強い決意を生む。
約束したからには、何としても成し遂げようと、知恵と力がわく。その姿が、よき模範となり、新たな挑戦の人を育てる。
先日、大阪の中等部担当者が「課題に向かって頑張ろう」とメンバーに語った。
「じゃあ、お兄ちゃんも頑張ってよ」との返事に奮起。これまで続けてきた卓球に再挑戦し、府予選で優勝した。
兵庫県の高等部担当者も、受験生に負けじと、働きながら博士号を取得した。
約束を果たす努力の中に、一人一人の勝利もある。
御書には「約束と申す事はたが(違)へぬ事にて候」(1512㌻)と。中でも、最も峻厳な約束とは、師弟の誓いであろう。
若き日の池田名誉会長が、師に誓った目標をすべて実現してきた歩みを胸に刻みたい。
誓いを果たそうとする一念に燃えているか否かを、自身に問い掛けながら。(09.04.17) (立)
108
:
代理人
:2009/04/18(土) 10:49:08
名字の言
「あの若いのは、笑顔がとてもいい」。
人類初の宇宙飛行を成し遂げたガガーリンは、快活さでチャンスをつかんだ。
宇宙飛行士になるために、旧ソ連全土から選抜された最優秀のメンバー。
技術・知識・体格面からいって誰が選ばれても不思議でなかった。事実ガガーリンは、どの訓練でも一番を取っていない。
ただ彼は、チームをつくると、不思議とリーダーになっていた。なぜか。
「いざというときの決断が速い」「仲間の信頼が厚い」「いつもにこにこしている」――
この三つの資質があったからという(朝日新聞社刊『100人の20世紀』)。
彼は言う。「強い意志は、人間に生まれつき備わっているものではない。それは、育てていくものなのだ」。
勉学を頑張ろう、体を鍛えようという人は多い。結果も点数や記録等で、はっきりと分かる。
一方、人間を鍛え、磨き続けることは、なかなか難しい。
だが、着実に人格を磨き抜いた人こそが、真の勝利者と輝くにちがいない。
先のガガーリンの言葉を通して、池田名誉会長は「訓練が大事だ。学会の訓練を受けきった人は強い。
何があっても崩れない」と。
創価の世界は、座談会や折伏など人間錬磨のチャンスがいっぱい。
さあ、きょうも颯爽と自らを磨こう!(09.04.18) (高)
109
:
代理人
:2009/04/19(日) 08:46:36
名字の言
本紙(聖教新聞)配達員の婦人が腰を痛め、ご主人が配達してくださっている。
先日、未入会という、その方にお会いした。
それまで学会への多少の偏見もあったので、正直なところ「仕方なく」手伝い始めたという。
配達の間、写真や見出しが目に入る。初めは、チラッと見る程度。だが、手にする新聞はいつも明るい。
どうも自分が思っていた学会と違う。日ごとに紙面に引き込まれ、いつしか本紙を隅々まで熟読していた。
池田名誉会長の指導は、胸奥にスーッと入る。以前は、自分さえ良ければいいと思っていた。
本紙を読むほどに心が洗われ、これまでの自己中心的な生き方を猛省した。
名誉会長の指導通り、自分も周りも共々に幸福になるための人生を歩みたい。
そう心が変わると、自ら本紙を友人に勧め、学会の素晴しさを語っていた。
日蓮大聖人は、「蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)に交わって感化を受け、
蓬(よもぎ)のように曲がっていた心が、麻のように素直になる」(御書31㌻、趣意)と仰せである。
師の指導のままに人格を磨きたい。さらには、私たち自身が、人々にとっての「蘭室の友」になりゆくことだ。
さあ、新緑萌えいずる中、薫風に乗って対話に飛び出そう!
自他共の幸福のために。(09.04.19) (濤)
110
:
代理人
:2009/04/20(月) 10:07:56
名字の言
詩人・宮沢賢治の未発表の草稿が発見され、話題になっている。詩は地図の裏に鉛筆で綴られていた。
外出中、たまたま持参していた地図に、溢れる詩興を書き留めたのだろう。
大聖人の御真筆も、古い書面の裏に書かれたものが多い。
紙不足の当時、門下が不要になった紙の裏を使ってもらおうと供養したものだ。
例えば現存している富木常忍にあてた書状などは、
「128通におよぶ多数の文書の裏に書かれている」(網野善彦『蒙古襲来』)。
大聖人は門下の苦悩を知ると、即座に激励を記さずにいられなかったのであろう。
やむにやまれぬ思いから、お手元の紙に励ましを綴られた様子がうかがえる。
池田名誉会長も聖教新聞で小説『新・人間革命』、長編詩、随筆など、励ましの言葉を贈り続ける。
一人でも多くの友に立ち上がってもらいたいとの慈愛の表れだ。
電子メール、インターネット……
どんなに意思の疎通が便利になろうと、魂がこもった文字ほど人の心を打つものはない。
同志のため! 友のため! との迸る思いがあるからこそ、文字は前進の価値を生む。
きょう20日は聖教新聞の創刊58周年。
読者、無冠の友、販売店をはじめ、支えてくださるすべての方に感謝し、
これからも希望と勇気の紙面を届けたい。(09.04.20) (弘)
111
:
代理人
:2009/04/21(火) 08:08:25
名字の言
福島県・土湯の山あいの小学校では、この春の新入生が二人だった。
大きく見えるランドセルを誇らしげに背負って登校。人々は、幼少から知る自分の子や孫のような二人に声をかける。
“未来の宝”を地域ぐるみで励まし、育もうという光景がほほ笑ましい。
池田名誉会長は、この地を2度、同志の激励に訪れたことがある。
草創から信心一徹に生きた婦人が孫を抱きかかえ、師のもとに駆けつけた。
婦人の胸に2歳の男の子を見つけると、「立派に育つんだよ」と頭をそっとなでた。
また、別の機会で共に記念のカメラに納まった少年には、「しっかり頑張るんだよ」と固い握手を。
現在、彼らは県青年部のリーダーとして活躍している。
実は先の新入生は、この青年リーダーの息子さんと娘さん。
家族や同志の愛情に包まれ、成長した二人も今春、晴れやかに未来部へ仲間入りした。
名誉会長が幼い後継者に一期一会の思いで注いだ全魂の励まし。
その真剣勝負の真心が種となり、根となり、世代を超え今、花開いている――そう思えてならない。
師が植えた信心の種。花開かせるのは弟子の使命だ。
この地では今、ミズバショウが割き薫る。
根がある限り、毎年、花を咲かせるという、この花に、友の勇姿が重なる。(09.04.21) (城)
112
:
代理人
:2009/04/22(水) 10:23:50
名字の言
通路では誰とも出くわしたくない。
出会っても型どおりの挨拶で済ませる――都会の集合住宅に、ありがちな心の風景だ。
身近に起きた老人の孤独死をきっかけに、そんな社会に風穴を開けたいと10年前パリの青年が「隣人祭り」を始めた。
アパートのご近所同士で開くパーティーである。メディアの紹介もあり、運動は瞬く間に欧州、世界へと広がった。
昨年は世界で、延べ750万人が参加したという。
行き過ぎた個人主義が、家族崩壊や格差社会を生んだことへの反省、
人の絆の中に幸福を見出す価値観の変化が、東西を問わず広がっている。
人間の強欲のままに暴走する市場主義の行き詰まりも、その流れを加速させる。
詩聖タゴールは「すべてを与えるものが、すべてを手もとにおける」(芝山幹郎訳)と。
他者に接し、他者に尽くす。その中に人は幸福を得る。
利他は即、利自となる。この「菩薩道」の真理を知り、体現してきたのは、創価の同志である。
「隣人祭り」の先駆者ペリファン氏は言う。「アパートの壁の向こう側には、見えない苦悩が隠されている。
ドンドンとドアをノックして、それを開放するのだ」(『隣人祭り』ソトコト新書)。
少しの勇気を出してみよう。新しい出会いと喜びが待っている。(09.04.23) (飛)
113
:
代理人
:2009/04/23(木) 11:23:27
名字の言
「中国では創価学会、池田SGI会長の評価がきわめて高い」。
東奥日報社の塩越隆雄社長が月刊誌「潮」5月号に綴っている。
青森県・三内丸山遺跡のルーツをたどるため、同社は中国との日中共同研究を始めた。
当時、編集局長だった氏は中国に足を運び、そこで知った事実だった。
過日、中国青年代表団の一行が来日。東北、北海道などを訪れた。
中国の青年が来ると聞いて、青森県の浅虫温泉駅には150人を超える学会員が集合し、歓迎した。
盛岡駅では、一行が乗る新幹線が停車している間、青年部18人が窓越しに歓迎の言葉を送った。
「わずか4分でしたが、池田先生のお客さまを、もてなしたい」との思いからだった。
行程を終えた一行は、SGI会長の配慮、真心で迎えた友への感謝を語っていた。
「すべてが、創価学会と創価の青年たちの、中国人民と中国の青年に対する友好の心を余すことなく体現しており、
この一瞬一瞬が、終生、忘れ得ぬ美しい思い出となりました」(倪健団長)。
日中国交正常化提言後も池田会長を先頭に民間交流、特に青年の交流を続け着実に友好の土台を築いてきた―と塩越氏。
そして今、SGI会長の日中友好への熱き心は、青年たちに、確かに継承されている。(09.04.23) (時)
114
:
代理人
:2009/04/26(日) 22:15:02
名字の言
聖教新聞のトーク(5日付)に登場した「日本一明るい経済新聞」編集長の竹原信夫氏と懇談した折のこと。
ある中小企業のユニークな取り組みを伺った。
その企業では、初任給の日、社長自らが直接、新入社員に給料を手渡し、帰宅を許可するという。
ただし、条件がある。
手渡した給料から、社会人として巣立つまで育ててくれた親へのプレゼントを購入し、感謝の言葉を添えて手渡すこと。
子どもから「今までありがとう」との言葉を耳にする親の喜びは格別だろう。
社長の思いは、社員に「感謝の心」を形にする大切さを知ってもらうこと。
「最も身近な親に感謝すらできない人間は、一流の企業人にはなれない」と竹原氏。
父母をはじめ、人生には多くの人の支えがある。
松下幸之助氏は、池田名誉会長との往復書簡集『人生問答』で、「恩を知る」ことについて、
「鉄をもらってもそれを金ほどに感じる。つまり鉄を金にかえるほどのもの」と、その無形の力の大きさを指摘する。
仏法は、知恩・報恩を重視する。中でも「師匠の恩」に報いることを根幹としている。
師を守り、その構想を、すべて実現してきた名誉会長。我らも、師恩に報いる行動に徹したい。
そこから「勝利の人生」が大きく開けていく。(09.04.24) (芯)
115
:
代理人
:2009/04/26(日) 22:16:28
名字の言
「創価学会の会館ですか?」。滋賀県の会館に、女性から電話がかかってきた。
電話を受けたのは牙城会の友。「どうされましたか?」。
この女性、人生に進退窮まり、以前、知人から聞いた「創価学会」を思い出した。
あのときは信じられなかったけど、もう一度、話を聞いてみたい――。番号案内で調べ、思い切ってかけた。
事情を察知した牙城会メンバーは、自身の体験も交えながら応対。
のちに婦人部員が引き継ぎ、丁寧な対話で、後日、女性は入会した。
入会勤行会で、彼女は語った。「電話に出た青年が親切に説明してくれたので、とても安心できました」。
法華経に「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(法華経677ページ)とある。
日蓮大聖人が「最上第一の相伝」(御書781ページ)とされた一文である。
会館で着任する役員の人々が、訪れる友に、身をもって実践している人間主義の大精神でもある。
学会の会館で交わされる笑顔や、「こんにちは」「こんばんは」の言葉。
その奥には、誠意、責任感、そして来館者の無事故と幸福を祈る真心がある。
創価班、牙城会、白蓮グループ、香城会、王城会、創価宝城会(一日会館長)……。
“陰の戦い”に心から感謝したい。(09.04.25) (糀)
116
:
代理人
:2009/04/26(日) 22:17:38
名字の言
東京・目黒区駒場にたたずむ日本民藝館。初代館長は「日本民芸運動の父」と称された柳宗悦である。
彼は、名もない職人たちの手による実用品にこそ真の美が宿ると主張した。
中でも、庶民の生活から生まれた民芸品は、すべての無駄が省かれ「なくてはならぬもの」だけが残っている。
丈夫であり、役に立つ。この「素朴な姿」こそが本当の美しさなのだという。
彼は「民衆の力」を見詰めていた。
いわく「民衆への否定は常に誤謬(誤り)なのです。工藝の美を支える力は名もなき民衆なのです。
あの天才すら及び難い無心の作を産む民衆なのです」と(『民藝とは何か』)。
庶民の力は、時に天才をも凌駕するものだ。
池田名誉会長は「学会を築いてきたのは、何があろうと、歯を食いしばって戦ってきた無名の庶民です」と、
広宣流布に走る無名の勇者たちに励ましを贈り続ける。中国・厦門大学の黄順力教授が
「(名誉会長の講演には)『民衆の力』への期待と信頼が漲っている」と讃えるように、
偉大な「民衆の力」を、どこまでも信じ、讃え、鼓舞してきたのが、名誉会長の足跡である。
それはそのまま、創価学会の歩みでもある。
師に続き、わが町で、民衆勝利の旗を堂々と振ろうではないか。(09.04.26) (行)
117
:
代理人
:2009/04/27(月) 10:39:26
名字の言
東京・目黒区駒場にたたずむ日本民藝館。初代館長は「日本民芸運動の父」と称された柳宗悦である。
彼は、名もない職人たちの手による実用品にこそ真の美が宿ると主張した。
中でも、庶民の生活から生まれた民芸品は、すべての無駄が省かれ「なくてはならぬもの」だけが残っている。
丈夫であり、役に立つ。この「素朴な姿」こそが本当の美しさなのだという。
彼は「民衆の力」を見詰めていた。
いわく「民衆への否定は常に誤謬(誤り)なのです。工藝の美を支える力は名もなき民衆なのです。
あの天才すら及び難い無心の作を産む民衆なのです」と(『民藝とは何か』)。
庶民の力は、時に天才をも凌駕するものだ。
池田名誉会長は「学会を築いてきたのは、何があろうと、歯を食いしばって戦ってきた無名の庶民です」と、
広宣流布に走る無名の勇者たちに励ましを贈り続ける。中国・厦門大学の黄順力教授が
「(名誉会長の講演には)『民衆の力』への期待と信頼が漲っている」と讃えるように、
偉大な「民衆の力」を、どこまでも信じ、讃え、鼓舞してきたのが、名誉会長の足跡である。
それはそのまま、創価学会の歩みでもある。
師に続き、わが町で、民衆勝利の旗を堂々と振ろうではないか。(09.04.26) (行)
118
:
代理人
:2009/04/27(月) 18:23:09
名字の言
『源氏物語』が最近、世界で、もてはやされているという。なぜ千年の時を超え、広く読まれるのか。
女性が表舞台で活躍する『源氏物語』の世界と、現代とが重なり合い、共感が生まれているからではないか。
作家・丸谷才一氏の視点である。
母親が家族の長であり社会の指導者であった時代が再び訪れる、一つの大きな兆候ではないかとも(「文学界」1月号)。
女性の活躍が、閉塞した社会を開く力になると期待する声は大きい。
池田名誉会長も、「時代は、女性の持つしなやかな創造力、優しさ、温かさ、
人間味等が社会に反映されることを求めている」と語るなど、折あるごとに、女性の時代への声援を贈ってきた。
人材育成コンサルタントの辛淑玉さんは、学生部の機関紙「大学新報」(4月号)で語っている。
この男性優位の社会にあって、名誉会長は「女性の力を信じ、励ましを送り続けてこられた」。
その姿に今こそ学べ、と。さらに「創価の女性は強い。ぶれない。連帯感がある。
それらはすべて、学会のなかで培われてきたものなのでしょう」と共感の声を寄せる。
人生の師匠と共に歩み、最高峰の哲学を実践する。どこまでも平和と友の幸福のために正義を語る。
創価の女性の使命は大きい。(09.04.27) (陸)
119
:
代理人
:2009/04/28(火) 10:52:55
名字の言
その男子部員は、幼少から目が不自由だった。
勤行は、母の背中で耳から覚えた。ピアノを習い、学会歌の伴奏を買って出ては同志に喜ばれた。
後年、親元を離れ、短期大学に進学。「教学を学ぼう」との激励に奮い立つが、御書を読むことができない。
「ならば」と学生部の仲間が点字訳に挑戦。悪戦苦闘の末、手作りの御書十大部の点字訳を完成させた。
「指で御聖訓を読み、初めて御書に触れたあの日の感動が色あせたことはない」と彼。
希望の哲学を得、卒業後は故郷の点字図書館に就職。現在は視覚障害者のための図書の制作に携わる。
かつての自分と同様に「この本との出あいが人生の転機だった」と言ってもらえる
“一書”を、この世に送り出したい、と。
人類に等しく生き抜く力を与え、世界に希望の光を送る御書。
現在、英語、スペイン語、中国語の世界三大言語をはじめ、海外10言語に翻訳・出版されている。
戸田第2代会長は御書全集の「発刊の辞」で述べた。
「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬ」と。
戸田会長の悲願は池田SGI会長、SGIの手により、今や現実に。
御書全集が発刊されたのは、57年前のきょう、昭和27年4月28日である。(城)
121
:
代理人
:2009/04/29(水) 10:30:25
名字の言
戦で敵と相対した時、いかに勝つか。宮本武蔵は、「三つの先」に焦点を当てる。
戦いでは大別して、自分から攻める場合、敵から攻めてくる場合、同時に攻め合う場合の三つがある。
いずれも、常に「先」、つまり、主導権を握ることが肝要と力説。
武蔵は、それぞれの「先」を「懸の先」「待の先」「躰々の先」と称した。
さらに重要なことがある。敵の攻撃を“抑えよう”と思うのでは後手になる。相手が技を出そうとする、その「先」を取る。
「先々の先」を押さえて勝つ。歴戦の剣豪の結論である(魚住孝至著『宮本武蔵』岩波新書)。
「先んずれば人を制す」とは、合戦だけにかかわる故事ではない。池田名誉会長は
「先手を打つならば、皆も元気に進んでいけるし、効果は二倍になる」と、広布の勝敗を決する大事な一点としている。
日蓮大聖人の打つ手も迅速であられた。四条金吾が「説法の場に乱入した」とでっち上げられた事件。
真相をつかんだ大聖人は直ちに主君宛に金吾の弁明書を執筆された。師自ら弟子を守る電光石火の言論戦を展開された。
「絶対に勝つ!」と強く決意し、御本尊に祈る。そこから勝利への智慧が生まれる。取り組むスピードも増す。
真剣な祈りは先手必勝の要諦である。(09.04.29) (馨)
122
:
代理人
:2009/04/30(木) 10:34:09
名字の言
4月20日の聖教新聞創刊記念日に、各地の新聞に掲載された聖教新聞の全面広告。
愛知・設楽町の写真が反響を呼んでいる。新緑の木々の葉を縫って、水しぶきをあげて流れ落ちる滝の写真だ。
撮影場所は、奥三河の豊川の源流。きららの森と呼ばれる段戸山の原生林が広がる。
空が近く、水が輝き、鳥の鳴き声が心地よい。
一帯には、樹齢200年を超えるブナやミズナラなど、手つかずの自然が今も残る。
設楽町は1町1支部。「写真を見て『源遠ければ流れ長し』との言葉を思い起こしました」と設楽支部の支部長。
先月、支部婦人部長の紹介により、滝からさらに奥深い地域で、初の弘教が実った。
中国の周恩来総理は、長征の渦中、「遠いところへゆけばゆくほど、われわれはまた、ますます多くの人びとに、
革命の影響をおよぼすことができる」(新井宝雄著『革命児周恩来の実践』)と語っている。
源流の同志の使命は大きい。
広告のコピー(言葉)は――読んだ日から、自分が変わった。
設楽町では、今回の新聞広告を機縁にして、聖教愛読の輪も広がっている。
「私も、きょうから聖教新聞を購読し、変わっていきます」と。
読者の皆様の期待に応えられるよう、本紙も日々、革新に挑戦していきたい。(09.04.30) (和)
123
:
代理人
:2009/05/01(金) 07:45:09
名字の言
「初めて仏法対話ができました」――男子部の会合でのこと。
入会間もない友の初々しい報告に、盛んな声援が送られた。
彼は幼いころから軽度の発達障害と闘ってきた。小・中・高校と、いじめに遭った。
自分に自信がもてず、他人とのかかわりを避けるようになった。
「障害は不便だが、不幸ではない。それを決めるのは、自分の心だよ」。紹介者の言葉に、心を動かされた。
座談会で触れた温かい励ましに、心が明るくなった。
悩みを語り、共に乗り越えようと決意し合う姿に、「自分も」と誓った。
向かった先は、かつて自分をいじめた同級生。
懸命に信仰の喜びを語ると、友は理解を示してくれた。「最初に一番苦手な人に話せば、壁が破れると思った」と語る。
日蓮大聖人は、「人を成長させるものは、味方よりもかえって強い敵である」(御書917㌻趣意)と。
誰しも“苦手だな”と思う人はいる。そこを避けることは簡単だ。
しかし、どんな相手でも、忍耐強く、誠実に対応しようと挑戦すれば、自身が磨かれる。心も通じるものだ。
ゴールデンウィークは、近隣との交流、旧友との再会など、友情を深める機会が多い時期。
誠実な語らいで、大きく自己を成長させる「黄金週間」にしたい。(09.05.01) (誼)
124
:
代理人
:2009/05/02(土) 19:24:39
名字の言
新緑が目にまぶしい。夏に大輪をつけるヒマワリも今は小さな若葉。静かに成長の歩みを進めている。
人も植物も若い芽を大切に育てたい。若い人の良さは決意や心が熱く前向きなこと。
半面、未熟さからの失敗も。この両面を踏まえ、どう育成していくかが問題。特にうまくいかなかった時の接し方だ。
マラソンの高橋尚子選手を育てた小出義雄氏は“必ず世界一になれるから頑張れ”と無名の高橋選手に声を掛け続けた。
線が細く弱い選手だったが自信と勇気を与えたかったという。激励によって人は変わる。
眠っていた能力が開花すると著書で述べている(『育成力』中公新書)。
育て上手な大人でありたい。その見本は婦人部の皆さん。青年の励まし方がうまい。
単なる技巧のうまさではなく親のような温かさと励ましの明るい心がこもっている。まさに励ましの「太陽」だ。
夏に向け、成長するヒマワリ。その子葉は朝は東、夕には西へと陽光を求めて向きを変える。
ヒマワリの成長にとって、太陽は欠かせない存在だ。
太陽をいっぱいに浴びたヒマワリが大きく育つように、人も励ましの太陽に照らされ元気になり持てる力を発揮する。
励ましの言葉があふれる学会で青年が育つ理由がここにある。(09.05.02) (弓)
125
:
代理人
:2009/05/03(日) 08:35:16
名字の言
映画「イントゥ・ザ・ワイルド」(ショーン・ペン監督)は、純粋無垢な若き魂の彷徨を描く。
裕福な家庭に育ち、大学を優秀な成績で卒業した青年が、ある日、家族と別れ、荒野へと旅立つ。
そして、アラスカの地で命果てるまで……。実話である。
人生の真実を求めんと、王宮の暮らしを捨て、ひとり旅立った、ゴータマ・ブッダの青春とも似ていよう。
すべての既存の価値を鋭く問い直してやまない、澄み渡る水晶のような魂。
しかし、それは時として、人を過酷な運命へといざなう。
これまで何千何万の“リトル・ブッダたち”が、果敢な冒険の果て、人知れず命を落としたことか。
厳しくも美しい大自然のなか、青年は瀕死の床で綴る。
「幸せは、それを誰かと分かち合った時にこそ実感できる」と。
最後にたどり着いたのは、掛け替えのない「他者」の重みの発見であった、といえようか。
30年前(1979・昭和54年)の5月3日、池田名誉会長は、新たな旅立ちへの決意を込めて「共戦」と認めた。
尊き同志と共に戦い、共に勝ち、共に生き抜く。
そこに、人間の孤独と苦悩を癒やす、無上の歓喜と本当の生きがいがある。
民衆の中へ!民衆と共に!――これこそが、創価の青春の使命であり、誉れである。(09.05.03) (英)
126
:
代理人
:2009/05/04(月) 09:08:33
名字の言
嵐の昭和54年(1979年)前後、数々の学会歌が誕生。
その歴史を綴ったシナノ企画のビデオ「歓喜の歌声 獅子の舞」が感動的だ。
DVD版には資料映像がついており、名誉会長の「威風堂々の歌」の指揮に合わせ、皆で歌うこともできる。
東京のある本部の壮年部は、毎回の会合を、このDVDで締め括る。
病気、転職、妻の他界……それぞれが悩みと戦い、師の勇姿を胸に進む。
聖教新聞・先月26日付の欧州青年部の座談会でも名誉会長の指揮が話題に。
デンマークの友が関西を訪問した時のこと。
昭和44年(1969年)12月、言論問題の渦中、高熱を押して学会歌の指揮を執る名誉会長の写真を見た。
友は感動を抑えきれず、会合で「威風堂々の歌」を披露。
デンマーク語の歌声に、手拍子を送る関西の友の目にも涙が。感動は民族や言葉の壁を超えて広がった。
昭和31・32年(1956・57年)の大阪で、若き名誉会長は、しばしば「黒田節」などを舞った。
その際、語ったことがある。
「私は戸田先生から『会員のためにできることを何か一つ、きわめておきなさい』と言われました」。
一切が会員のために。その一点に貫かれた舞だった。
舞には「はげます」との意味がある(白川静 著『字通』)。
師の心を心として、きょうも“励ましの舞”を朗らかに!(09.05.04) (進)
127
:
代理人
:2009/05/05(火) 10:15:01
名字の言
日本で、もっとも高い富士山は、いにしえより多くの人が、その雄大さ、美しさを記してきた。
日本最古の和歌集『万葉集』には、富士を詠んだ歌が、いくつも収められている。
平安時代に編まれた『古今和歌集』にも富士が登場する。興味深いのは藤原忠行が燃える恋に例えて富士を謳っていること。
当時は、富士山が噴火していた時代。火山として描かれている。
一説によると、富士は約10万年前に誕生した。火山の寿命からいうと、富士は、まだ若い青年期なのだそうだ。
現代では悠然とそびえ立つイメージが定着しているが、
じつは、その地下には今でもマグマが赤々とたまっているのである(『富士燦々』角川書店)。
かつて、池田名誉会長は、未来部の友に文豪・吉川英治の言葉を贈った。
「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、
黙って、自分を動かないものに作りあげろ」(『宮本武蔵』から)。
名誉会長が小学生のとき、担任の教師に読んでもらった小説の一節である。
富士のような堂々たる自己を築き上げるには、その根底にマグマのごとき大情熱が必要である。
きょうは「創価学会後継者の日」。
後継の友の心に、赤々と燃える“情熱の炎”を点火する日としたい。(09.05.05) (正)
128
:
代理人
:2009/05/06(水) 13:59:48
名字の言
「勝つために、競って、競って、競い続けている。それが私の人生なんです」。
「女性スポーツ史上最強」といわれた米国のベーブ・ディドリクソン・ザハリアス選手の言葉である。
万能の選手。ロサンゼルス五輪(1932年・昭和7年)では、槍投げと80㍍ハードルで金、走り高跳びで銀。
バスケットボールでは全米代表に3度、選ばれた。
野球では、投手として大リーガーと対戦。ゴルフでは、全米女子オープンなどプロ31勝。
50年にAP通信社が選んだ「20世紀前半最高の女子選手」にも輝いた。
彼女は「上達しつづける限り、引退はしません」と語っていた。
ゴルフ全米女子で3度目の優勝は、がん手術の後のこと。
引退どころか、むしろ「障害がないと、ベストの力が出ない気がします」と、
40代で早世(早死に)するまで引退しなかった(『20世紀を感動させた言葉』)。
「生涯現役」「一生涯戦う」。こう決めた人に「引退」の二字はない。
池田名誉会長は先日の本部幹部会(4月22日)で、スポーツ部の友に語りかけた。
「たとえ選手として『引退』はあっても、人生に『引退』はない」と。
どんな障害を前にしても、敢然と進もう。輝く新緑のように、若々しく、生き生きと。
わが「ベストの力」を奮い起こしながら。(09.05.06) (鉄)
129
:
代理人
:2009/05/08(金) 10:12:48
名字の言
タクシー乗務員の教育係を、長年やっている方によると、
頻繁に事故を起こしたり、営業成績が伸びない人は、だいたい入社初日で分かるという。
何も言わずに、まず洗車させてみる。それがいい加減な人は、何をやらせても結局、いい加減だからだそうだ。
これは万般に通じる教訓だろう。
カー(車)用品専門店を、全国規模に発展させた創業者が、徹して続けてきたことがある。
それは「掃除」。ともすると人は、平凡なことを軽くあしらいがち。
難しくて特別なことをしなければ、成果が上がらないと思い込む人もいる。
だが、その創業者は言う。
「平凡の積み重ねが非凡を招くようになっています」(鍵山秀三郎著『ひとつ拾えばひとつだけきれいになる』)。
新年度が始まり、はや1カ月。新社会人の挑戦する姿がさわやかだ。
一方で、厳しい社会の現実に、戸惑っている人もいよう。だが、立ち止まっていては、何も進まないままだ。
池田名誉会長は先日、新社会人に3指針を贈った。
(1)清々しい挨拶を!
(2)朝に勝とう!
(3)愚痴をこぼさず前へ!(「随筆 人間世紀の光」<フレッシュマンの輝き>)。
地道に、誠実に、この指針を本気で実践し続けよう! 手応えある、人生の景色が広がるはずだ。(09.05.08) (誠)
130
:
代理人
:2009/05/09(土) 10:38:24
名字の言
毎年5月に開催される「プラハの春音楽祭」は、チェコの国民的作曲家・スメタナの交響詩「わが祖国」で幕を開ける。
他国からの圧政に苦しむ祖国の人々を励ましたいと作曲された曲だ。
当時、彼は聴力低下と闘っていたが、
“愛する民衆に、生き抜く勇気を届けたい”との信念が、困難の壁を破り、不滅の名曲を生んだのである。
本年1月、本部幹部会で、勇壮に演奏した音楽隊員。決意に奮い立つ彼に届いたのは会社倒産の危機の知らせ。
が、彼は「苦しみ悩む友に希望と勇気を与えるのが音楽隊の使命」と奮起。
倍する熱意で仕事に徹し、学会活動にも奔走した。
やがて、状況は好転。会社も発展の軌道に。彼の仕事ぶりは、異例の昇進で遇された。
メンバー一人一人に、勝利と成長のドラマがある。
音楽隊の演奏に私たちが感動するのは、困難と格闘し、勝ち取った信心の大歓喜が、音に込められているためだろう。
昭和29年春、仙台の青葉城址で戸田第2代会長は「学会は人材をもって城となす」と宣言した。
恩師の師子吼に呼応し、真っ先に池田名誉会長のもとで結成されたのが音楽隊だった。
きょう9日は「音楽隊の日」。55周年の佳節を刻む。
人生勝利の旋律を奏で続ける友に喝采を送りたい。(09.05.09) (城)
131
:
代理人
:2009/05/10(日) 11:02:38
名字の言
円錐を横から見れば、三角に見える。それと同じように人生における出来事も視点によって異なる。
一つの面から見れば正しいことも、ほかの面から見ると違う場合がある。
派遣社員として奮闘する青森の男子部員。正社員を目指し、だれよりも懸命に働いた。無遅刻無欠勤。
まじめさには自負があった。迎えた昇給の時期。ほかの派遣社員が昇給した。なぜ? 納得できず退職も考えた。
学会の先輩を訪ね、思いの丈をぶつける。「君の言うことは分かる。でも、君自身にも反省する点はなかったかい?」。
はっとした。自分の正しさだけを頑なに信じていた。
唱題しながら、自らに固執するあまり、周囲との協調性を欠いていたことに気付く。
彼はその後、忍耐強く働き、正社員に。
視点が変われば生き方も変わる。だが、一人でそれに気付くことは難しい。フランスの哲学者・パスカルは指摘する。
彼がその物事をどの方面から眺めているかに注意しなければならない。彼が見る方面からは真である。
それを認めた上で、誤っているほかの面を見せることだ、と(前田陽一・由木康訳)。
相手がどの視点から物事を見て悩んでいるのか。
それを理解し、新たな側面に目を向けさせる。ここに個人指導の一つの方途がある。(09.05.10) (時)
132
:
代理人
:2009/05/11(月) 10:46:49
名字の言
東北は今、田植えの季節だ。岩手の農村部の友と懇談した折、「東北の米が、沖縄に救われたことがある」と聞いた。
1993(平成5)年の記録的な冷害。全国的に稲は凶作に見舞われた。中でも岩手県の稲作は壊滅的だった。
多くの農家が、翌年のための種もみすら確保できなかった。
“冬でも温暖な南の島で、何とか増やせないか”――岩手県の要請を沖縄県が快諾した。
二期作を行っていた石垣島の農家は“大変な時こそ助け合いを”と、島の水田の5分の1を提供。
種もみを2トンから116トンに増やすことができた。
岩手へ持ち帰られた種もみによって、その秋には大豊作に。この米は公募で「かけはし」と命名された。
以来15年、岩手県と沖縄県の交流は今も続く。品種改良の技術開発のみならず、
スポーツや文化、学校同士の交流など、互いに学ぶところが多いようだ。双方に価値を生んでいる。
困った時にこそ、助け合わなければならない。その助け合いの姿を、私たちは日々の活動の中で日常的に目にする。
きょうから座談会の週。
座談会では、同志の体験を聞いて、さらなる前進への決意を固める友がいる。力を得る友も。
皆の心の「かけはし」となる座談会を機に、一人一人が成長の軌跡を刻んでいきたい。(09.05.11) (仲)
133
:
代理人
:2009/05/12(火) 10:30:06
名字の言
「核兵器のない世界」を実現したい――米オバマ大統領の演説は、各国に波動を広げた。
今、国際社会には核軍縮への新たな潮流が生まれつつある。
そうした中、先月、オスロでSGI主催の“核兵器廃絶への挑戦展”が開かれた。
「人間の精神性を高め、希望を与える展示」など大きな反響が寄せられた。
実は、オスロでSGIが展示を行うのは初めてではない。
1984年に“核の脅威展”、91年には「戦争と平和展」を開催している。
「ソウカガッカイ」は、核廃絶へ尽力する国連関係者やNGOの間では、すでに世代を超えて知られる存在だ。
平和運動を長期にわたって続けるのは容易ではない。一時は盛り上がっても現実のさまざまな困難から挫折する例も多い。
その中で創価学会が半世紀もの間、平和運動を継続してこられたのは、なぜか。
それは牧口初代会長の軍国主義との闘争、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」という不動の原点があったからだ。
何より池田SGI会長が恩師の理念を余すことなく受け継ぎ、行動してきたからである。
どんな運動も社会を動かす巨大な奔流となるには、世代を超えた「精神の継承」が必要となる。
時代を超え、逆境を破って進みゆく原動力――それが「師弟」である。(09.05.12) (駿)
134
:
代理人
:2009/05/13(水) 10:56:21
名字の言
総京都青年部が、「5・3」を目指し、友人に本紙(聖教新聞)や、その切り抜きなどを手渡し、
読んだ感想を寄せてもらう「聖教メッセージ運動」に取り組んできた。
3カ月で、6万通を超すメッセージが寄せられた。「青年を励ます言葉が紙面にあふれており、希望がわいてくる」
「悪人を攻める強い言葉にも、一人の人間のことを大切に思う心が感じられる」など、大きな反響を広げた。
多かったメッセージに、「学会のイメージが変わった」という内容がある。
その理由は、池田名誉会長が世界から賞讃されている事実を知ったからだ。
“創価の真実を知ってもらいたい”――。その熱き思いと勇気が、誤解や無認識を共感に変えたのだ。
御聖訓に「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(御書502ページ)と。
日蓮大聖人の対話は、終始一貫、「攻め」の姿勢である。
勇敢な「師子吼」が、周囲の心を揺り動かす。対話の最大の障害は、自らの「臆病」である。
高邁な理想も、決して自動的に広まるものではない。
正しいことは正しい。こう厳然と言い切る行動が、善の連帯を拡大する。
その確信を胸に、堂々と正義の対話に打って出たい。
信念の“メッセージ”が地域・社会を大きく変えていく。(09.05.13) (芯)
135
:
代理人
:2009/05/14(木) 10:24:42
名字の言
「不自由のなかにこそ、本物の自由へと至る道があるのかもしれませんね」と青年は語った。
山本兼一作『火天の城』(文春文庫)にふれての感想である。
安土城を築く城大工たちの物語だ。織田信長の要求は、南蛮風の前代未聞の天守閣。
その難題を、総棟梁・岡部又右衛門は、一歩も退かず受け止める。
どんな注文にも、又右衛門は決して「できない」とは言わなかった。
勇んで引き受け、全知全能を傾けてこそ「番匠(=大工)としての自分の才能がすべて開花させられる気がした」からである。
作者は総棟梁の人となりをそう描く。
自分の力は、自分で測れない。どうしても小さく見積もりがちだから。
苦労の壁にぶつかると人はその手前に限界線を引いてしまう。壁を突破するには力強く背中を押してくれる人が必要だ。
「城は腕で建てるのではない。番匠たちの心を組んで建てるのだ」との又右衛門の思いも、読み手の胸を打つ。
“心の団結”も大偉業には欠かせない。
安土城はしかし、3年しか持たなかった。本能寺の変の後、やがて戦火に包まれた。
我ら創価の「民衆城」は不滅である。
師弟の絆をたもち、いかなる苦難も“成長へのチャンス!”ととらえ、
日々前進する青年の熱と力がある限り――。(09.05.14) (栄)
136
:
代理人
:2009/05/15(金) 10:20:35
名字の言
北海道の桜も、そろそろ見納め。根室、釧路、稚内等で、最後の見頃を迎えている。
1月に沖縄で開花して以来、日本の“桜の季節”は4カ月間を超えた。
情報誌「北海道ウォーカー」(GW特大号)は、「北海道の絶景桜30」を特集。
その1番目に、学会の戸田記念墓地公園(石狩市厚田区)が、ひときわ大きく紹介された。
毎年恒例の「観桜の集い」(今月8日)には、各地から1200人が訪れた。
「桜も素晴らしいが、墓園自体も素晴らしい。とくに墓石は、いずれも同じ大きさ、形のものが使われている。
学会の『平等』の思想が反映されていますね」とは、地元経済人の言。
「殺伐とした世相のなかで、心洗われる気がします。北海道の誇りの場所です」とも。
こうした墓園のスタイルを先駆けて提案したのは、池田名誉会長である。
「長年、広布のために戦ってこられた方々のために、安穏な成仏を象徴する場を」と願い、
海外の墓地も視察しながら、熟慮を重ねた。
桜も「恩師・戸田第2代会長の故郷を、満開の桜で荘厳したい」との思いから。
名誉会長が戸田会長と初めて厚田を訪れてから、今年で55年。
「絶景」といわれる天地を美しくしているのは、「同志のため」「師匠のため」との心である。(09.05.15) (鉄)
137
:
代理人
:2009/05/16(土) 13:04:24
名字の言
座談会で婦人部の友が、しみじみと語っていた。
「今年で入会50年なんです。かつて池田先生が学会歌の指揮を執ってくださったことが忘れられなくてね。
今でも私は先生のことを聞くだけで、元気が出るんですよ」。
人生の荒波も、すべて勝ち越えてきた。気品漂う笑顔が師との出会いを語って、一段と輝いたのが印象的だった。
ギリシャの哲人プラトンは、どんな雄弁家の演説を聞いても、師のソクラテスと無関係な話は気にも留めなかった。
だが、ソクラテスが話題に上ると、たとえ話が下手でも必ず魅入られてしまったという(『プラトン全集5』岩波書店)。
師を求めているがゆえに、師のことを聞けば元気になる。勇気がわく。
とりわけ学会は、三代の会長が広宣流布の不惜身命の大闘争を継承する中で築いてきた、師弟の団体である。
しかも広布に戦う同志の多くが、師との共戦の絆を胸奥深くに刻んでいる。
池田名誉会長は語っている。
「誰も『戸田先生』と言わなかった時、私がひとり『戸田先生、戸田先生』と叫んだ。叫び続けたんだ。
師匠の名前を呼ぶ。叫ぶ。それが大事なんだ」(『若き指導者は勝った』聖教新聞社刊)。
各地で今、座談会がたけなわだ。師との共戦を叫び抜き、実践する日々でありたい。(09.05.16) (薬)
138
:
代理人
:2009/05/17(日) 11:03:12
名字の言
話があまり上手でない人は「聞き上手」を目指せばよいと、あるアナウンサーは言う。
聴く姿勢を持てば、話の中身が豊かになり、相手は自然と引き込まれていくというのだ。
具体的なアドバイスが三つある。
(1)相づちに一言添える。「なるほど」と言った後に、「そうだったんだ」「面白いね」などと加えてみる。
(2)相手の気持ちを確認する。例えば、「人生の転換点でした」という相手に、「人生の、ですか?」と確認する。
(3)せっかちにならず5秒我慢する。相手が「話の腰を折られた」と思ったら、そこで会話は終わってしまうという
(『NHKアナウンサーの はなす きく よむ』)。
「話し下手だから」と、臆する必要はない。謙虚に話を聞こう。
学び取ろう、という気持ちがあれば、自ずと対話は弾むものだ。
日蓮大聖人は「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(御書1448ページ)と仰せである。
仏法を語る際にも、大切なのは話の巧拙ではない。
正義を語れば、たとえ一言でも、その人は尊い「仏の使い」となる。
誠心誠意、相手を救っていこうという一念に、福徳が輝いていくのだ。
まず、勇んで友に会おう。友の言葉に耳を傾けよう。
豊かな友情の輪が、そこから広がっていくはずだ。(09.05.17) (明)
139
:
代理人
:2009/05/18(月) 18:24:56
名字の言
「憲法週間」のある5月。あらためて国の根本法を考えたいと、一書を手にとった。
大幅な加筆を経て20年ぶりに発刊された『日本国憲法の誕生』(古関彰一著、岩波書店)である。
新たな研究成果も参考になったが、憲法の「口語化」に感慨を覚えた。
草案が発表された1946年(昭和21年)当時、日本のすべての法令は文語体の記述だった。
‘95年(平成7年)に刑法が、2005年(同17年)に商法が、ようやく口語表記になったことを思うと実に画期的な出来事だ。
口語化に積極的だった判事の三宅正太郎氏は、文語派の「威厳があり含蓄がある」との主張を敢然と論破した。
一般の人が分からず権力を持つ者だけが解釈の鍵を持ちそれを国民に押しつける危険は懲り懲りだ。と(『三宅正太郎全集』)。
いつの時代も、権威・権力を誇示しようとする者は、“威厳”などという鎧で自らを飾り、他を寄せつけない。
その点、われらの憲法は、国民に開かれた、まさに主権在民の最高法規である。
戸田第2代会長は、憲法制定の意義を「個人の自由と尊厳を確立し、戦争のない平和な社会を建設する」ことと訴えた。
「幸福追求権」(第13条)も保障されている。
理想の実現へ、国民一人一人も、国家も、全力を尽くす21世紀を築いていきたい。(09.05.18) (杏)
140
:
代理人
:2009/05/19(火) 09:39:29
名字の言
今月3日、ブラジルSGIの青年文化総会が盛大に開催された。
聖教新聞で紹介された2万人の同志の集いに驚きと感動を覚えた方も多かったであろう。
韓国SGIの友も青年勝利大会を開催し、意気軒高だ。
本年「青年・勝利の年」に入ってからだけでも、
ペルー、カナダ、ウルグアイ、ポルトガル、タイ、香港、台湾、シンガポールなどでSGIの青年が勇んで集い合った。
まさに青年のリードにより、広宣流布が世界で大きく進んでいる感がある。
昨年9月、SGI青年研修会のため来日したブラジル青年部の代表が、埼玉の青年部総会に出席した。
広布後継の情熱みなぎる数万人の総会を目の当たりにして“わが国でも開催し一段と強い青年部を構築しよう!”と決意。
今月の文化総会は、ここから始まった。
戸田第2代会長は「青年の心を揺さぶるものは、青年の叫びである」「青年を呼ぶのは青年である」と。
青年同士が互いに触発し合って向上を図る姿は、実に頼もしい。
池田名誉会長と青年の、出会いと薫陶の場である全国青年部幹部会が、今月で15回を数える。
今回は、ニュー・リーダーとヤング男子部の大会の意義も込めて。
当日を目指し、成長を競い合う青年部の友――ここに完勝の推進力がある。(09.05.19) (道)
141
:
代理人
:2009/05/20(水) 10:26:01
名字の言
「池田名誉会長は、『山陰』を『山光』と呼んでくださった。
あれから25年、名称のみならず、私たちの心も、明るく軽やかになりました! 本当に素晴らしい慧眼です」。
島根県書店商業組合の首脳の言である。
名誉会長は、1984年(昭和59年)5月21日、東京へ戻る予定を変更し、鳥取から島根へ。
「どうすれば皆が喜んでくれるか。心晴れやかに進んでいけるか」――車中、考え続けていた。
そして島根文化会館での会合の席上、提案した。山陰を「光り輝く地、つまり『山光』と申し上げたい」と。
以来、学会では鳥取、島根の両県を「山光」と呼んでいる。
この日を境に、メンバーの意識は明らかに変わった。「希望と自信がわきました」という喜びの報告が相次いだ。
島根・隠岐の島町には「山光」の名が付いた「山光久見トンネル」が誕生した。今秋の開通予定。
町役場と地元自治会との話し合いの結果、命名されたものだという。
自治会の役員も「こりゃええ名前だ。きっと地域も明るくなる」と目を細める。
「名は必ず体にいたる徳あり」(御書1274ページ)。
地域の名称が変われば、人の意識も行動も変わる。自分が変われば、地域も変えられる。
そう心に決めた人には、もう勝利の劇が始まっている。(09.05.20) (奨)
142
:
代理人
:2009/05/21(木) 22:30:04
名字の言
建物の破片700点が並ぶ「建物のカケラ」展を訪ねたことがある。
展示された破片は、手塚治虫が住んだアパートの外壁、美空ひばり邸の鉄扉の飾り、
巣鴨プリズンのれんが等々、年代も場所も様々だ。
カケラを集めた一木努氏は「小さな破片となっても、建物の想いを伝え、過ぎ去った時間を教えてくれる」と。
私たちの日常においても、ちょっとした断片から過去を思い起こすことがある。
ある青年部員。夜間大学に通っていた当時、短くなった鉛筆が引き出しから出てきた。
鉛筆の端の削った個所には、「ガンバレ」と書いてある。未来部員だった当時、男子部の先輩がくれたものだ。
「頑張るんだよ。師匠の期待に応え、君が活躍する。その姿を想像しながら僕は題目をあげているよ」。
先輩の励ましを思い出した。多忙な中の渾身の激励だった。諦めかけていた夢に再び挑戦。
今、念願だった教壇に立つ。地元では「後輩たちに恩返しを」と未来部の友に尽くす。
池田名誉会長は語る。「私は、あらゆる機会、あらゆる瞬間をとらえ、一人また一人と、激励を続けた。
今日の出会い、今この時の対話が未来を決する」と。
友と語るには、一期一会の思いで臨むことだ。必ずや相手の心に何かを残すことだろう。(09.05.21) (陸)
143
:
代理人
:2009/05/22(金) 11:16:33
名字の言
最近、小学生の間で国語辞書がブームになっているという。
電子辞書の普及などで下火になっていたが、手でページをめくったり、付箋を張ったりもできる。
そんな紙製ならではの特長が魅力のようだ。
辞書に限らず、紙は多様な可能性を発揮する。
例えば、正倉院に残る和紙は戸籍簿として1300年もの間、記録を保ってきた。
かたや、水に溶けて形を残さない性質が重宝されている用紙もある。
ほかにも、物を包んで贈り物に彩りを添えるなど多彩だ。
1952年に『日蓮大聖人御書全集』が発刊された。インディア・ペーパーという特殊な薄紙が使われた。
丈夫で裏写りしない、不透明性に優れていた。
苦労の末に準備された用紙で制作された御書は、大聖人の精神を誤りなく伝え、学会の聖典になっている。
一方で、歓迎されない紙もある。戦時中、「赤紙」と呼ばれた召集令状は、戦地に人を送った。
現代では、「人権を蹂躙する雑誌」という姿で反社会的な行動をすることも。
紙は、使い方次第で正にも負にも働くのである。
良い紙か、悪い紙か――基準は「人の幸福のためか、否か」であろう。
わが聖教新聞社は、どこまでも人間のための活字を届けたい。
それでこそ、優れた出版文化の担い手になれると信じて。(09.05.22) (申)
144
:
代理人
:2009/05/23(土) 11:24:10
名字の言
新型インフルエンザに関心が高まっている。
弱毒性なため、重症化する危険性は低いとみられるが、
糖尿病などの持病がある人や高齢者、子ども、妊婦は十分な注意が必要だ。
国内の感染拡大を最小限にするため各人が予防に努めたい。
今、大事なことは、まず、いたずらに恐れないこと。相手の正体が見えないだけに、不安に駆られるが、
「恐懼する所あれば、則ちその正を得ず(恐れによって心が乱され、心の正しいバランスが失われる)」
(『新訳 大学・中庸』守屋洋編訳)となって判断を誤ってはいけない。
しかし、甘く見ないことも必要だ。不必要に怖がらず、その一方で油断しない。冷静かつ適切な行動が求められよう。
そのためにも正確な情報に基づいて対応することだ。根拠のない話や、うわさに惑わされてはいけない。
状況によって更新される新しい情報を得ることも大事だ。
“21世紀は感染症との戦いの世紀”ともいわれる。強毒性の鳥インフルへの懸念を抱える世界は、
今回の経験を通し、課題や改善点を洗い直して次の危機に備えなければいけない。
それは、私たち一人一人にとっても同じだ。
日常の備えを万全にし、健康を勝ち取る日々の努力を怠りなく、生命力も強く賢明に進んでいきたい。(09.05.23) (弓)
145
:
代理人
:2009/05/24(日) 11:16:24
名字の言
「ジョウセイ・トダ」。池田名誉会長の恩師・戸田城聖第2代会長の名前が、会場に高らかに響きわたった。
18日に行われた、名誉会長に対する英国クイーンズ大学の名誉博士号授与式。
グレッグソン学長は授章の辞で、名誉会長が戸田会長に師事し、
師の「人間革命」の哲理を世界中に広げた“師弟不二の生涯”を賞讃した。
さらに「教育と個々人の力の醸成に対する責任感の伴う真摯な取り組みは、
指導者としての池田博士の際立った特徴であり、わが大学の模範的存在」と。
現代の大きな問題の一つは、人々に蔓延する無力感だろう。
「自分一人が何をやっても変わらない」と考える人は少なくない。
だからこそ「池田博士が信念を置く『一人の人間の可能性の開発』は、個人にとっても文明にとっても重要」と学長。
漆芸作家で人間国宝の音丸耕堂は「日本一になれ。それなら日本一の先生の所で学べ」と言った。
「人間の可能性」を引き出す最高の啓発の力が「師弟」である。
学長も恩師の存在を振り返り、「師から賜った恩は言葉では語り尽くすことができない」と心から感謝する。
一人の人間が、ここまでできるのか!――。
世界一の「知性の宝冠」に輝く師に続き、皆が刮目する人生の勝利劇を共々に綴りたい。(09.05.24) (川)
146
:
代理人
:2009/05/25(月) 10:17:32
名字の言
「一生懸命、表現のもっと豊かな女優になりたいと思います」――
今月9日、自身の89歳の誕生日に、舞台「放浪記」の2000回上演を達成した直後の、森光子さんの言葉だ。
国民的な大女優とは思えない謙虚で前向きな一言に、感銘を受けた。
森さんは、「放浪記」1000回の直前に、聖教新聞「日曜てい談」に登場したことがある(1990年9月)。
初演から29年のこの時、自身を楽天的と評して「一寸したことでも喜びは自分で膨らませて大きくしていくんです」と。
苦しいこと、つらいことは「なるべく自分で小さくしてしまう」とも。
それから19年、上演記録は倍になった。何があっても「楽観主義」で乗り越える。
ここに人生と舞台の“長寿”の秘訣がありそうだ。
仏法では「心は工なる画師の如し」と。人は心一つで前向きになれると説いている。
落ち込んだときには「さあ、楽しくやろう!」と自分に声掛けしてみてはどうか。
もちろん、心の軌道を修正するには、満々たる生命力が必要だ。
名誉会長は友に贈っている「希望がなければ/自分で希望を創るのだ。/世界が暗ければ/自分が太陽と輝くのだ」と。
自ら「希望を創り出す」生命力――この力を奮い起こすのが太陽の仏法である。(09.05.25) (行)
147
:
代理人
:2009/05/26(火) 12:51:49
名字の言
あるファストフード企業。
客が注文してから商品を受け取るまでの待ち時間を1秒短縮すると、年間8億円の増収になると試算した。
客も喜ぶ。だからこそ、スピードにこだわっているという(原田泳幸『ハンバーガーの教訓』)。
「時は金なり」である。人件費の面からも、時間を短縮した分だけ、利益が上がる。
反対に、時間を無駄にすれば経費の浪費になる。ビジネスの世界で奮闘する者ならば誰しも「時」の大切さを痛感していよう。
今から七百数十年前のこと。日蓮大聖人は、門下の妙法尼から「夫の病気が重い」と聞くや、即座に激励の手紙を出された。
「亡くなった」との知らせを受けた直後にも御手紙を。一人の信徒に、11日の間に2通も送られた。
電話も電報もない時代である。
「悲しみを一刻も早く癒やしてあげたい」との溢れんばかりの大慈悲が、反応の速度に表れていると思えてならない。
このエピソードを通して池田名誉会長は語っている。
「なぜ学会がここまで発展してきたか。それは何事にも『迅速』であったからである。
また『全魂』『真剣』であったからである」と。スピードこそが勝利のカギである。
さあ、きょうも悩める友のために!――燃え立つ心で、電光石火で進みたい。(09.05.26) (薬)
148
:
代理人
:2009/05/27(水) 10:40:09
名字の言
「撮影者の心が、直接に見る者の心に届くのです。
池田先生が心で撮られた写真を見る時、鑑賞者が見るのは単なる作品ではなく、先生の心なのです」。
中国・大連市で開催中の「自然との対話――池田大作写真展」。
来賓の崔学森副所長(遼寧師範大学・池田大作平和文化研究所)が寄せた声である。
副所長の感想を聞いて、名誉会長撮影のある一葉の写真を思い出した。
突き抜けるような青い空、猛然とわき上がる雲――天空の“一瞬の劇”を写し取ったもの。
「これは、戸田先生との出会いによって入会した、その日
【1947(昭和22)年8月24日】に見た空と雲とそっくりなのです」と名誉会長。
作品自体はもちろん、長い年月を経ても名誉会長の心には、師弟出発のその日が鮮烈に刻まれていることに感動を覚えた。
大自然も、人間の心も、時と共に移りゆく。だが、師弟の道に生き抜く青年の決意は今も変わらない。
師との出会いから60年余。
三類の強敵と戦い、ただ一人、大難を受け切って、今日の学会の大発展を築いた最大の勝因を、名誉会長はこう語る。
それは「いついかなる時も、わが心が師と共にあったことだ」と。
学会創立80周年の栄光の頂を登攀する我らの歩みも、常に「師と共に」進む一歩でありたい。(09.05.27) (身)
149
:
代理人
:2009/05/28(木) 10:20:49
名字の言
老舗とは、昔から長く続いている店のこと。
語源を調べると、「仕似せる」から出た言葉だ。「文字どおり先祖から受けついだ商売を<まねる>意。
ある点では独創的の反対で、家業をできるかぎり現状のまま忠実に守ること」が元意という(杉本つとむ『語源海』)。
だが現実は、単に先人がやったことをまねし、それに固執すれば経営が永続するわけではない。
老舗の味噌店は“お客様に分からないように、味も変わり続けていく”と。
歴史のある饅頭店は「欲しければ取りに来い」という姿勢を改め、
百貨店などの店頭で売り出す方針に転換したからこそ、今も成功している(鮫島敦『老舗の訓 人づくり』)。
先人が築いた土台の上に、ただあぐらをかいていては、やがては滅びる。
味や品質など先代から受け継ぐべきものは継承しつつ、変化させ続ける。経営には「攻め」の姿勢を貫く。
このチャレンジ精神にこそ、老舗の伝統があると思えてならない。
私たちの日々の活動も、自身の変革への挑戦の連続だ。“もうこれでいい”という終着点はない。毎日が出発である。
二度とない、きょうという一日。みずみずしい心で祈り、語り、行動しよう。
間断なき挑戦の先に、自分自身の“信心の伝統”は築かれていく。(09.05.28) (敬)
150
:
代理人
:2009/05/29(金) 10:43:45
名字の言
日々のニュースで、新型インフルエンザをめぐる状況が伝えられる。変化、変化の連続だ。
その中で、感染を予防するには、手洗い・うがいの励行を続け、ウイルスを寄せ付けないことが大事になってくる。
ウイルスを拡散させないことも重要だ。
最近、徹底が呼びかけられている「咳エチケット」。通勤電車の中など、人が多く集まる場では必須だ。
咳や、くしゃみの飛沫を飛散させないことが大切になる。
飛沫には、多くの病原体が含まれ、周囲2メートルに影響を及ぼすからだ。
咳をする時は、ティッシュなどで口と鼻を覆う、人から顔を背ける、マスクを着用する――
今や「常識」になりつつあるマナーである。
社会には、様々なマナーがあるが、その基本は「周囲に迷惑を掛けてはいけない」という他者への思いやりであろう。
「自分さえよければ、かまわない」という人ばかりになれば、社会は成り立たない。
「咳エチケット」も、多くの人が他者の身を案じてこそ、予防の力になる。
こう考えると、「他者を大事にし、気遣う」生き方が、まん延防止の決め手といえる。
日ごろの行いに、ともすると表れてくる“ささいなエゴ”。
その治療こそが、社会に巣くう“病魔”を取り除く第一歩となる。(09.05.29) (修)
151
:
代理人
:2009/05/30(土) 10:26:36
名字の言
江戸時代、江戸は人口100万人を超える世界有数の大都市だった。
さぞ、ごみ問題が深刻だったのではと思ったが、実はそうではない。
古紙や古鉄は再利用。生ごみや排泄物は、畑の肥料として活用していた。
農村地域から薪を積んで江戸に来た船は、大量の“肥料”を積んで帰った。
模範の循環型社会が実現された都市だったという。聖教新聞連載「江戸のエコに学ぶ」にあった話だ。
現代の日本では、ごみ問題は深刻だ。東京・町田市で「ごみゼロ市民会議」の代表を務めた広瀬立成氏が書いていた。
「行政が悪い、企業が悪い、市民が悪い」と責任のなすり合いでは、解決は遠のくばかり。
だからこそ、会議では「納得の対話」を心掛け、「皆が自ら行動をする」大切さを訴えた。
これが前進の力になった、と(『ごみゼロへの道』)。
池田名誉会長は環境提言(2002年)で、
「いくら共通の行動規範を定めたとしても、それを自らのものとして血肉化し、実践する人々が増えていかなければ、
厳しい現実を突き動かす力にはなりません」と。<具体的な行動に一歩踏み出す>ための教育の重要性を強調した。
5月30日は「ごみゼロの日」。納得の対話で一人の意識を変える。
そのために行動する一日でありたい。(09.05.30) (扶)
152
:
代理人
:2009/05/31(日) 10:38:13
名字の言
「日中友好を語る人は多いが、実際に行動し、担い手を育てた人は池田先生しかいません」。
中国・河南師範大学の劉徳潤教授の言だ。
1997年(平成9年)に大阪の大学に留学。研究の合間を縫って、学会の座談会にも参加した。
「皆さんが、中国出身の私を温かく歓迎してくださったのに驚きました」。
こうした草の根の交流はもとより、以前から中国国内で幅広く知られている業績により、
本年4月、名誉会長に同大学の名誉教授称号が贈られた。その授与式のため来日した大学一行。
中心者の張亜偉校務委員会主任は、降り立った関西空港で驚いた。
学会婦人部の友らが、笑顔いっぱいに旗を振り、中国語で歓迎していたからだ。
翌日、関西創価学園(大阪・交野市)を訪問して、また驚いた。
中学生から「中国語を学んでいます」「世界平和の役に立つにはどんな勉強をするべきですか」と次々に声が。
未来の日中友好を担うであろう生徒たちの姿に感激した。
帰国前、張主任は語った。「短期間の訪日でしたが、感動は特大でした。
池田先生の理念と思想が一人一人の学会員、また一人一人の学園生に確実に脈打っていました」。
名誉会長の初の中国訪問から35年がたつ。
「日中友好の金の橋」を受け継ぐ友が確かに育っている。(09.05.31) (朱)
153
:
代理人
:2009/06/01(月) 10:51:33
名字の言
「創価学会の皆さんは、いつも元気ですね」「何でも率先して取り組んでくれて、本当に助かります」。
地域の方々の声である。
仕事や家事、子育てをこなしながら地域に尽くす。宿命に負けず、奮闘するメンバーもいる。
先月23日付聖教新聞の体験談「地域に根差す美容室37年」にも、感動の反響が寄せられた。
慢性の病を抱えつつも、笑顔を忘れず、友を励ます。
「人に勇気を送るために、病と付き合っているんです。誰かを励ませば、自分も元気になりますよ」と。
発心のきっかけは、小説『新・人間革命』の
「重い病で苦しむということは、使命もまた、それだけ深いということなんです」
(第10巻「桂冠」の章)との一節であったという。
自分のことだけに四苦八苦していると、だんだん境涯も小さくなってしまう。
人のために動いてこそ、人生も大きく開かれていく。
近隣を見渡せば、さまざまな課題があろう。
関係ないと背を向けるのでなく「誰もしない仕事は私の仕事」と決めて、一歩を踏み出す。
そういう人が「全体の1割、せめて7パーセント」いれば共同体は機能すると語る識者もいる(内田樹氏=「潮」2月号)。
私たちの笑顔と勇気の前進が、日本再生への鍵である。
創価の勝利が、民衆の真実の勝利である。(09.06.01) (順)
154
:
代理人
:2009/06/02(火) 10:44:38
名字の言
きょう6月2日は、横浜港の開港150周年記念日。
首都圏の玄関と言える港も、開港前は民家がぽつぽつと点在するだけの寒村だった。
それが生糸貿易をはじめとする往来の急増で、港は大いに栄えた。
江戸に通じる東海道も、世界各地と結ぶ海路も賑わった。交通手段も発達。
貸自転車や、路線バスの源流とされる乗合馬車が横浜の町を行き交った。蒸気船も京浜間を定期就航。
鉄道が横浜・新橋間を結んだのは、開港からわずか13年後のこと。どれも「日本初」のものである。
“われ先に”との気概で、陸路や海路を往来した、人々の溢れんばかりのエネルギー。
それが、新たな文化を生み、文明開化の潮流を起こした。
寒村を大都市へと発展させた原動力は、ここにあったのではないか。
今から30年前の1979年(昭和54年)5月、
池田名誉会長は、会長勇退後の大闘争を横浜の神奈川文化会館から開始した。
日本における「世界への窓」であり、太平洋へつながる横浜。
ここから、世界平和を展望しつつ、「正義」と「共戦」の指揮を執ったのである。
横浜港について、名誉会長は「開放的で快活な、強力なバイタリティーがみなぎっている」と。
私たちも、満々たる生命力で、新時代を開いていきたい。(09.06.02) (定)
155
:
代理人
:2009/06/03(水) 10:51:20
名字の言
プロの歌手として歌い始めたのは50歳の時だった。
メジャーデビューの話があるたびに言われた。「あと10歳若ければねえ」。
だが、あきらめず、力の限り歌い続けた。そして、努力の先に夢の舞台が待っていた。
昨年の紅白歌合戦に61歳で初出場した歌手・秋元順子さんがエッセーに綴っている。
「人生において『遅すぎる』ことなどなにもない」という彼女の言葉が印象深い(『愛のままで…』青志社)。
青森の婦人部員の体験を思い出した。
彼女が夫の借金に悩み、入会したのは55歳の時。「不可能を可能にする信心」と聞いた。
“ならば!”と、猛勉強を決意する。かつて経済苦で大学進学を断念したが、学ぶことが好きだった。夢もあった。
彼女は56歳で自動車の運転免許を、58歳で介護福祉士の資格を取得。
61歳になった昨年は難関を突破し、ケアマネジャー(介護支援専門員)の資格を勝ち取った。
夫も入会し、借金も完済。この3月にはイギリスへの海外旅行も実現した。
「全身で、やるぞと誓うとき、人は青年になる。だから、挑戦を始めるのに年齢は関係ない」と池田名誉会長。
「きょうから」「今から」と立ち上がった瞬間、人生の劇は動きだす。
そう確信し、勝利への一歩を力強く踏み出したい。(09.06.03) (時)
156
:
代理人
:2009/06/04(木) 10:41:48
名字の言
昨年末、95歳の母の最期を看取った京都の婦人部の方から、便りを頂いた。
認知症の母を義妹と共に介護して19年。だが当初は、混乱する母に振り回され、不安と苛立ちが募った。
その頃、聖教新聞連載の池田名誉会長の「『第三の人生』を語る」に投稿。
名誉会長は「お母さんは、80歳を超えて生きてこられたのだから、どこかに欠陥が生じないほうが不思議なんです」
「老いの苦しみと同苦していくなかで、一ミリでも自分の人生が深くなったといえれば、それが勝利なのです」と激励を。
すーっと心が軽くなった。真正面から母を受け止めようと決めた。
時を置かず、母に穏やかさが戻っていた。仏法の「一念三千」を肌で知った。
現在連載中の「ほがらか介護」に“介護体験を分け合おう”とあった。
何より介護する方の休息のため。また介護体験は「生」の意味を再考する契機にも。
だれ人も避けられない生老病死の苦悩。
この四苦を、生命の一念の強き転換によって、常楽我浄の四徳へと変えていけると仏法は説く。
宿命に泣く人生から、使命に戦う人生への転換である。
「母は無言で、私自身の短気で融通の利かない性格を変えてくれたのです」と亡き母に感謝を綴った娘。
生死を超えた荘厳な劇に喝采を送りたい。(09.06.04) (進)
157
:
代理人
:2009/06/05(金) 08:04:43
名字の言
梅雨入り前の一時、田園の緑が鮮やかだ。青々と成長する若苗を見て清新な気持ちになった。
先日、新入会の友と話した。21歳の青年は「世の中に、こんな素晴らしい世界があるとは知りませんでした」。
間もなく80歳の婦人は「どんな苦難にも、学会の皆さんは朗らかに立ち向かっている。私も見習って生きたい」と。
忌憚なく語る二人の姿は、鮮やかな緑のごとく輝いて見えた。
新しい力が躍動する時、広布の沃野は拡大する。
若き日の池田名誉会長が指揮した昭和31年の「大阪の戦い」。
参加した約半数は入会半年に満たない新会員だった。名誉会長のもと、彼らが祈り、動き、限界を超える力を発揮した。
ここから「“まさか”が実現」といわれた勝利が生まれた。
この戦いで名誉会長は、一人一人に信心の基本を教えた。
弘教も、「勧誘」や「お願い」の類ではない。堂々と、気迫の言葉で、攻めの対話に取り組む心構えを打ち込んでいった。
「信心だけは絶対に負けてはいけません。仏法は勝負です。題目をあげて、あげて、あげ抜きなさい。
信心の団結あるところ、必ず勝利があります」と(『若き指導者は勝った』)。
祈りと団結――師が築いた勝利の方程式のままに、新たな金字塔を打ち立てようではないか。(09.06.05) (濤)
158
:
代理人
:2009/06/06(土) 11:27:48
名字の言
江戸時代の為政者は、庶民の声を重んじていた。
意外かもしれないが「絶対的な“お上”と、その圧政に耐える“下々の者”」という単純な構図は、実態と異なるようだ。
例えば、幕府が庶民の声を募るために設けた「訴願」制度。
各地の役所には、道路整備や防火対策など、さまざまな要望が寄せられ、実現したものも多かった。
江戸町奉行では、“願い事禁止令”を出し、多過ぎる訴願を制限したことも。
しかし“民意なき政治”は行き詰まり、禁止令は3年で撤回に。
一面から見れば、民意を重視したからこそ「徳川政権は二六〇年もの間、安定的に維持された」
(平川新『日本の歴史 第12巻』)と言える。
きょう6日で生誕138周年を迎えた牧口初代会長。
軍国主義と戦い、“民衆こそ主役”と訴え、過酷な獄中闘争の末に殉教された。
しかし、軍部権力も、初代の魂までは縛れなかった。
先師の遺志を継いだ戸田第2代会長、池田第3代会長の大闘争で、創価の連帯は今や世界192カ国・地域に広がる。
日蓮大聖人は、濁乱の世を「民の力よわし」(御書1595ページ)と喝破された。
時代を開き、社会を変革する原動力は、常に民衆の声と行動である。
今こそ、地域の最前線で正義を叫ぶ我らの出番だ。(09.06.06) (弘)
159
:
代理人
:2009/06/07(日) 11:18:37
名字の言
江戸時代後期、大分県日田(ひた)市に開かれた私塾「咸宜園(かんぎえん)」。
蘭学者の高野長英や兵学者の大村益次郎など、多彩な人材を輩出した名門校である。その教育法には独特なものがあった。
1本の線香が燃え尽きる間に読書し、2本目をたく間に、その感想を漢文で書く。
さらに、3本目では詩文を作る――書を読んで考え、即座に表現する力を養ったのだという。
時間があれば読書ができる、というわけではない。
多忙な中でも、時間を見つけ、学んでこそ、かえって、自らの血となり、肉となる。
仕事においても、広宣流布の闘争においても、師の戸田第2代会長を支えた、若き日の池田名誉会長。
深夜まで激闘を極めた日々にあって、移動の車中、就寝前など、寸暇を惜しんで読書に励んだ。
恩師の事業が苦境のどん底にあった1950年(昭和25年)当時の日記にも、「夜半まで、読書」
「(レ・ミゼラブル)を読み終わる」「(世界文学全集)を読む。第七巻目に入る」等と記されている(『若き日の日記』)。
苦闘の中で、本を読み、思索を深める。深化された思想を、闘争のエネルギーに変えて進む。
そしてまた、前進する中で読書し、思念する――この繰り返しの中にこそ、本物の人格の陶冶がある。(09.06.07) (知)
160
:
代理人
:2009/06/08(月) 10:11:38
名字の言
「学生歌を歌ってはどうだろう」「音楽隊の皆さん、頼みます!」。先月の本部幹部会。
池田名誉会長の提案で、創価大学学生歌を同大学の出身者が熱唱した。
見事な演奏を披露したのは創価グロリア吹奏楽団。
予定外の演奏だった。学生歌の練習は、しばらくしていない。予備の譜面の束から、学生歌をすぐに取り出せるか。
演奏開始まで、わずか数秒間。大丈夫か――。
「でも、やるしかないと腹を決めました」と指揮者。
「皆を見たら、“できます!”という目をして楽器を構えていた。仲間を信じて指揮棒を振りました」。
創大出身者の巧みなリードもあって演奏は大成功で終了。名誉会長はじめ参加者から賞讃の拍手が寄せられた。
いざという時に的確な対応ができるか。皆で団結できるか。それは、ひとえに普段の訓練にかかっている。
これまでコンクールで何度も日本一に輝いた同吹奏楽団。今回の名演奏も、日ごろの厳しい練習の賜だろう。
学会は偉大なる人間学の学舎だ。
同苦、励まし、団結、無事故、そして勝利。確かな人生を歩むための「生きた哲学」を学ぶことができる。
さあ、きょうも勇んで友のもとへ! 学会活動に無駄はない。
広宣流布のための苦労は、すべて、自身を飾る掛け替えのない宝となる。(09.06.08) (駿)
161
:
代理人
:2009/06/09(火) 11:07:56
名字の言
アスファルトを割って咲く花に出あうと、しばし見入ってしまう。
強固なアスファルトも、成長する植物のような時間をかけて加わる力には弱い。
腰を据え、飽くなき挑戦を貫けば、ついには厚い岩盤さえも打ち破れる――勝利への執念を、小さな花に学ぶ思いだ。
1987年(昭和62年)7月、池田名誉会長は、山形の青年部員が営む果樹園へ。
彼が育てた「ナポレオン」という品種のサクランボの大木を前に、「基盤はある。
苦労して力をつけなさい。40代が勝負だ」と激励した。
彼は、苦境に立つ営農に活路を見いだそうと、品種改良、販売ルートの開拓に挑んだ。
しかし、待っていたのは、必死の努力を無にするような自然の厳しい仕打ち。そして、周囲からの嘲笑。
それでも屈することなく“通念”という壁を突破する挑戦を重ねた。やがて、労苦の実は結び、JAの要職でも活躍した。
物事の成就には、スピードが求められる場合がある。
一方、じっくりと、たゆまぬ努力を重ねることで、勝利へと結実するものもある。
あの日、師弟で仰いだ大木から根分けしたナポレオンの木が、山形文化会館(山形市)の敷地内にある。
3年前に植えられ、今月、初めて実をつけた。師弟勝利の姿を象徴するように。(09.06.09) (城)
162
:
代理人
:2009/06/10(水) 11:47:44
名字の言
「政府は何をしてるんでしょう」「くたばるものはさっさとくたばれっていう腹よ」
「ふん、そう安直にくたばれますか」――これは、昭和23年1月に出た『婦人年鑑』に綴られた主婦たちの会話。
発行元は日本婦人新聞社。その編集室が入っていた東京・西神田の同じビルに、戦後再建期の学会本部もあった。
会話からは、旺盛な批判精神と庶民の逞しい生活力が感じられる。
一文は伸長された女性の権利に触れ、
「女性は得た利益を個人の懐中に封させず、社会の幸福として花咲かせるようにありたい」と結ばれている。
年鑑によると、終戦から8カ月で全国に2229の婦人団体が結成され、人数も約56万と推定。
一方で、共通の悩みとして「指導者のないこと」を挙げている。昭和26年(1951年)6月10日、創価の女性の連帯が、
平和の大指導者・戸田第2代会長の「女性の力は偉大なものであります」との宣言とともに誕生した。
婦人部の結成である。皆、自らの人間革命へ出発したばかりであったが、
日本の隅々まで、さらには国外へも、幸福の種を蒔きゆく決意を固め合った。
今、最も婦人部を大切にする師匠・池田名誉会長の信頼を胸に、
「世界一の婦人部・共戦月間」(7月12日まで)が朗らかに展開されている。(09.06.10) (杏)
163
:
代理人
:2009/06/11(木) 10:44:52
名字の言
学会本部が、今の信濃町(東京・新宿区)に移転して今年で56年。
「本部の近所はもちろん、各地で会館周辺の方々を大切にし、近隣友好の道を開いてこられたのは池田先生です」。
草創からの幹部が明言していた。
昭和40年(1965年)、広島会館(現・広島西会館)が誕生した時も、そうだった。
会館前の農家から苦情があることを知った池田名誉会長は一人、あいさつへ。
居合わせた家主の母に、「本当にお世話になります」「お身体、大切にしてくださいね」と。
数年後、名誉会長は再びその家へ。畑仕事を終えた家主夫妻の泥まみれの手を、固く握り締めた。
そして3度目は、名誉会長に一目会いたいと、一家全員が正装し、会館が見える玄関先から見送るまでに。
地域で一番の味方に変わっていた。地元の友も奮い立ち、町内の3割以上に本紙購読の輪が広がった。
目前の一人に、どこまでも誠実に接する名誉会長。
相手が誰であれ、その姿勢は全く変わらない。そこから広がった信頼と共感は限りない。
「至誠にして動かさざる者は、未だ之れあらざるなり」(孟子)。人の心は必ず動く。
そのうねりが地域、社会をも揺り動かしていく。
友好と信頼を広げよう。その最高の道が、師の示す「誠実一路」の精神だ。(09.06.11) (誠)
164
:
代理人
:2009/06/12(金) 12:10:07
名字の言
かつて東京には、多くの路面電車が走っていた。森鴎外、志賀直哉など、文豪たちも自作に路面電車を綴っている。
夏目漱石の名作『三四郎』の主人公は、東京に出てきて「電車のちんちん鳴るので驚いた」という。
今も都内に残る「ちんちん電車」の都電荒川線に乗った。
新宿区の早稲田から豊島区、北区内を通って、荒川区の三ノ輪橋まで。12キロ余り。
自動車と同じ公道の上を進む所もあれば、専用の軌道を通る区間も。
下町を縫うように走る。住宅が近い。暮らしの息遣いが聞こえてきそうだ。
庶民の“ど真ん中”を走る都電。
地域に根を張り、民衆の真っただ中で信頼の輪を広げる、創価の友の姿にも似ている。
沿線の各区では、多くの学会員が地域活動に尽力する。
荒川区のある支部には昨年、地元の町会から地域貢献の労を讃え、感謝状が。
町会の役員は「学会の皆様のお陰で、町会の行事をはじめ地域全体が明るくなった。本当に有り難い存在です」と語る。
池田名誉会長は「地域に地盤を広げゆく中に、広布と人生の一番正しい軌道がある」
「地域で信頼を勝ち取る人が一番、偉い」と。
地域の発展に尽くす創価の同志がある限り、その地は必ず繁栄していく。
そのために祈り、行動することこそ我らの使命だ。(09.06.12) (晄)
165
:
代理人
:2009/06/13(土) 10:56:27
名字の言
先日、テレビ番組を見ていて、驚いた。夜明けの動物園。臆病な動物たちから鳴き始める。
やがて、園内はにぎやかに。そこへ、めったに鳴かないライオンが、ひと吼え。周囲は水を打ったように静まり返った。
まさに「師子の声には一切の獣・声を失ふ」(御書1393ページ)である。
仏法では、仏を「師子」に譬える。百獣の王の姿は、人生万般の勝利の姿にも通じる。
ゆえに、日蓮大聖人も諸抄で「師子」を通して門下を激励されている。
「遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし」(同1124ページ)
――苦難にあっても恐れず、悠然と進みなさいとの励まし。
妙法の偉大な功力によって、人生は切り開くことができるとの大確信が光る。
「師子王は前三後一」(同ページ)――
一本の足を後ろに引き、力をためる「前三後一」は、師子が獲物をねらう体勢のこと。
どんな時にも、慎重かつ全力で戦う真剣勝負の姿勢を教えられる。
また、「日蓮が一門は師子の吼るなり」(同1190ページ)――
我々の正義の叫びは、エセ論者を木っ端みじんに打ち破る“王者の言論”と。
創価学会は、大聖人の精神を受け継ぐ「師子」の集い。
今こそ、偉大な師子王の哲学を胸に、各人が絶対勝利を誓い、動き、語り抜いていきたい。(09.06.13) (立)
166
:
代理人
:2009/06/14(日) 10:34:11
名字の言
ドアのすき間から煙が忍び込んでくるのを目撃した時、どうするか――。
米国の心理学者の研究によると、部屋に一人でいる場合は75%が通報するが、大勢でいる時は38%しか通報しない。
人は集団でいると責任感が薄れるものだ(『急に売れ始めるにはワケがある』ソフトバンク文庫)。
先日、民家の火災を未然に防いだとして、関西の壮年部員に消防署から感謝状が贈られた。
2軒隣の留守宅から、焦げくさいにおいが漏れていた。異変を知った壮年部員は、現場へ急行。
向かいの壮年と協力し、ついたままだったガスコンロの火を消し、窓を開けて煙を逃がした。
傍観者にならず、即座に動いたことで、被害を最小限に食い止めることができた。
誰かがやるだろう、と躊躇したら、大変な事態になっていたかもしれない。
広布の活動においても、「私がやる」という強い責任感が重要だ。
池田名誉会長は述べている。「傍観者の群れや、人を頼み、互いにもたれ合うような烏合の衆では勝利はない。
“一切の責任を私がもつ!”と心を定めた、一人立つ師子と師子との結合が大願を成就するのだ」。
「誰かがやるだろう」ではない。
誰がやらなくても、自分がやる――「一人立つ」決意で戦う人こそ、本物の勇者である。(09.06.14) (糀)
167
:
代理人
:2009/06/16(火) 11:09:26
名字の言
漢文が専門の大学教授と懇談した折、「従藍而青」(藍よりして而も青し)が話題に。
青は藍から出て、しかも藍よりも青い――師を超えて弟子が成長する例えである。
ある時、教授の恩師が尋ねた。「弟子が師を超えることが本当にあるか?」。
学び続ける師のもとでは、弟子は追いつくだけでも相当の努力が必要である。
もちろん教育者として、教え子が自分より偉くなるのは喜ばしいことにちがいない。
その上で、自戒を込め、師弟共に精進を重ねゆく姿勢を訴えたかったのだ。
二人は、この例えが出てくる『荀子』の冒頭「学は以て已むべからず」を確認し、向上し続ける決意を固め合った。
一方、職人の世界の師弟。鵜飼い見物の木造遊覧船を造る船大工の言葉が目に留まった。
広島・三次市の無形文化財技術保持者。
弟子の心構えとして「弟子は、一生弟子じゃ」と、75歳の熟達者が断言していた(地域情報誌「Busport」6月号)。
仏法では、宿縁深き弟子は「常に師と倶に生ず」と説く。
池田名誉会長も「一生涯、戸田先生の弟子」と、師弟の絆に決意を込める。
知識が増す。技量が上達する。あるいは地位が上がる。
それでも決して驕らず、“弟子の生き方”を貫く人生こそ、真の求道者の誉れである。(09.06.16) (杏)
168
:
代理人
:2009/06/17(水) 08:29:34
名字の言
「目黒のさんま」という落語をご存じだろうか。
江戸時代、ある殿様が、通り掛かった目黒で、農家の主人が焼いたサンマをごちそうになった。
ただ焼いただけの素朴な魚。
だが、初めてサンマを食べた殿様は、そのおいしさに感激した。後日の宴会で、サンマを所望。
小骨を抜き、柔らかく蒸したものが出た。味はいまいち。聞けば、日本橋の魚河岸から取り寄せたという。
そこで殿様が一言。「それはいかん。さんまは目黒にかぎる」(興津要編『古典落語』)。
庶民が「うまい」と感じたものは、殿様にとっても美味だった――庶民の日常の感性が、
平凡でありながら、いかに大切な本質をとらえているかを知ることができる。
東京・目黒区のある支部副婦人部長。
知人には、社会的な名士も多い。皆、一見、垣根が高い。
だが、彼女は「池田先生と学会の真実をストレートに語る」のが信条。彼女の紹介で、これまで多くの人が入会。
最近も、地域の名士が本紙・聖教新聞を購読した。彼女の率直な対話から、学会理解の輪が大きく広がっている。
名誉会長は「ありのままに真実を語る。それが一番強い。必ず相手に通じていく」と。
私たちも、学会の正義と真実を率直に語りたい。自信満々と、そして堂々と!(09.06.17) (之)
169
:
代理人
:2009/06/18(木) 08:24:18
名字の言
東京に隣接する地で個人会館が改装オープンした。
明かり取りの天窓が施された玄関、拡充された広間、スロープ付きの入り口など、随所に提供者の方の真心が尽くされている。
「提供してくださるだけでもありがたいのに」。感謝の声が聞かれた。
この拠点の誕生は39年前。その地域に今ある学会の会館が建つ前で、個人会場は市内になかったという時代だ。
その後、個人会館になり多くの人材をはぐくんできた。
提供者の方の入会は1962年(昭和37年)。旧家だけに、入会には一大決心が必要だった。
それこそ「地位も名誉も要らないという気持ちだった」。
この潔い「不惜身命」の決意が原点となって、一家は福運と勝利の道を開いた。広布の後継者も二代三代と続く。
身命を惜しまずとは、万人を幸福の軌道へと導く生命尊厳の仏法を、
最高に価値あるものとして大切にしていく生き方を言う。仏法を弘めるためには何も惜しまない。
その信心の姿勢で行動すると、今度は自身が守られ福徳と智慧に包まれていく。
名誉会長は若き日の日記に「『不惜身命』で祈り戦ってこそ、沸々と現れる力と智慧がある」とつづっている。
師弟の道一筋に、懸命に戦い祈り、仏法の力と智慧をわき起こしながら、自身の勝利を築きたい。(09.06.18) (弓)
170
:
代理人
:2009/06/19(金) 10:51:33
名字の言
北海道婦人部の「花華月間」が賑やかに閉幕した。
1978年(昭和53年)、池田名誉会長が北海道・別海から全国の婦人部総会にメッセージを送った6月18日が
「道婦人部の日」となり、月間の淵源となった。
翌年の春、別海の隣町・標津町で酪農を営む婦人が、はるばる学会本部を訪ねてきた。
前年には会うことのできなかった師を求め、せめてもの訪問だった。
当時、邪宗門一味の謀略の嵐が吹き荒れていた。多忙を極める中、師は友を温かく迎えた。
夢中で来し方を語る婦人。貧乏の底で、何度も命を絶とうと思った。
それでも女手一つで8人の子どもを育て上げた。
「信心だけは言い訳しねえでやってきました」。
師はその一言を最大に讃え、後日、北国の“広布の母”の笑顔と体験が聖教新聞紙上を飾った。
困難に直面した時、「できない理由」は、いくらでも挙げられる。経験したことのない困難なら、なおさらだ。
だが、そんなことをしても何も前に進まない。それよりも挑戦する心を、どこまでも燃え上がらせることだ。
「言い訳しない」と決めれば、姿勢が前向きになる。
「できない理由」よりも「どうしたらできるか」を考え、努力する。
すべてを「祈り」に変え、無限の「力」を引き出すことができる。これが信心の醍醐味だ。(09.06.19) (香)
171
:
代理人
:2009/06/20(土) 11:28:23
名字の言
「梅雨になると、新聞を濡らさないよう配達するので気を使います」。
4月から本紙を配達してくださっている人が梅雨時の大変さを語っていた。春まで教育機関の要職にあった。
配達員である家族の体を気遣い、週末くらいは休ませてあげたい、と願い出て配達を始めたという。
第三の人生を迎えたら、自分こそ体を休めたいと思うのが人情。家族を思う心に感銘を受けた。
同時に本紙・聖教新聞を陰で支えてくださる方が、
いかに深い思いを込めて配達してくださっているか、感謝の念が込み上げてきた。
孔子の言葉に「人の己れを知らざるを患えず 人を知らざるを患うる也」(『論語』学而篇)と。
自分が人から認められないのは悩みではない、自分が他人の良さを認められないことこそ悩みである、との意だ。
社会の指導的な立場にある人間が立身出世に狂い、しばしば不祥事を起こし、世間を騒がせる。
人の上に立つリーダーこそ栄誉栄達の心を捨て、陰で地道に仕事をしている人を見つけ讃えていくことが求められる。
「私は、いつも『陰の人』を見ている」――
サーチライトの如く、広布を支える友を隅々まで照らし、希望の大光を送り続けてきたのが池田名誉会長。
慈愛の励ましは喜びを生み、勝利への勢いを生む。(09.06.20) (濤)
172
:
代理人
:2009/06/21(日) 08:31:19
名字の言
今春、柔道の講道館の館長に就任した上村春樹氏。モントリオール五輪[1976(昭和51)年]の金メダリストだ。
現役時代は、最重量級としては小柄だった。そのハンディを、逆に“武器”にした。
敏しょうな動きで、技をかけるタイミングを外す時間差攻撃を多用。また、柔道では前方か後方への投げ技が多い。
そこで氏は、あまり使われない“真横へ投げる技”で相手を翻弄した。
いずれも、「勝つ方法は必ずある」と、まず決めたことから考えついたという(「読売新聞」)。
福岡県の男子部員。昨年6月、リストラで職を失った。
そんな彼に、地区の同志は「まず、必ず内定を取ると決める。そして祈り、動くことだ」と励ます。
支えてくれた妻のためにも、彼は387社に応募。受けた面接は57社。
その結果、本年2月、前職よりも好待遇の会社への就職が決まった。
必ず勝つ。その一点さえ揺るがなければ、突破口は必ず見いだせる。体も動く。知恵もわくものだ。
大事なのは、勝利への執念が心に燃えているか否かだ。
池田名誉会長は「『断じて勝つ!』と決めた瞬間、己心の壁は破れる。
『さあ来い!』と困難に挑みかかる。胸中の師子が目覚めるのだ」と。
己心の師子を覚醒させるのは、あくまでも自分自身である。(09.06.21) (広)
173
:
代理人
:2009/06/22(月) 10:22:03
名字の言
貧しいスコットランド移民から出発し、自らの汗と努力で鉄鋼王となったカーネギー。
彼が「大きな教訓を得た一つの物語」がある。
一人の老人がいた。不幸に見える一生を送っていた。同情する人々に、老人は明るく答えた。
“本当に苦難の道でした。しかし不思議なことが一つあるんです。
「10」の苦難のうち「9」までは、予想したほど、ひどくなかったんですよ!”。
カーネギーは、この話に強く共鳴し、「人間の苦悩の大部分は想像のなかにあるだけで、
笑ってふきとばしてしまえるものが多い」と書いている(坂西志保訳『カーネギー自伝』中公文庫)。
現実に起きるかどうか分からないのに、悪い場面ばかりを想像して心配していては、何もできない。
人生に失意の体験はつきものであり、その体験を次に生かすことが成功への鍵である。
だから、まず行動しよう!「いつかやろう」と先へ延ばす限り、「いつか」は永遠に訪れない。
広宣流布の活動も同じ。動きに動き、語りに語る――行動こそ仏法者の魂だ。
大聖人御自身、
「この法門を語ってきたので、他の人とは違って、多くの人に会ってきた」(御書1418㌻、通解)と仰せである。
広布と人生の最高峰へ、「行動王」と輝く一人一人でありたい。(09.06.22) (川)
174
:
代理人
:2009/06/23(火) 08:18:56
名字の言
戦争の体験を綴り、平和の尊さを訴え続けてきた青年部の反戦出版「戦争を知らない世代へ」(全80巻)。
この第1巻となる『打ち砕かれしうるま島』(沖縄編)の発刊から、きょう「沖縄慰霊の日」で35周年を迎えた。
題名にある「うるま」は、琉球の古名で「サンゴの島」の意。
この美しい島で、日本で唯一、凄惨な地上戦が行われた。本書には43編の体験が収められている。
「黒こげになった学友」「死んだ母親の乳を吸う赤子」など想像を絶する悲痛な叫びに満ちている。
目を通すと、今なお、深い衝撃と悲しみを覚える。
沖縄編に体験を綴った43人のうち、現在、約3分の1が他界。年々、生の証言ができる人が減りつつある。
戦争体験の風化が平和教育の大きな課題となっている昨今、この体験談集の出版の意義は、ますます光り輝いている。
本書が発刊された折、池田名誉会長は本の扉に認めた。
「平和の点火/いま ここに燃ゆ/君よ この松明を/生涯にわたって/持ち進め 走れ」と。
平和な社会を築くのは理屈ではない。行動こそが重要だ。
やむなく体験させられた戦争の悲惨さを、訴え、語り継ぐことだ。
なかんずく、平和の大闘争への熱情を、青年の心に燃やすことである。
青年が受け継ぐことである。(09.06.23) (碧)
175
:
代理人
:2009/06/24(水) 09:14:19
名字の言
東京のある座談会。
会場を訪れると、入院中と思っていた男子部員が、笑顔でちょこんと座っていて、驚いた。
本年3月、急性の白血病に。闘病生活を送っていた。聞けば、その日が入院後、初めての外泊。
座談会があると知り、どうしても参加したかったという。
「病室で気付いたんです。自分は一人じゃない。さまざまな人とつながり、多くの祈りに包まれているんだ――と。
そう思うと、絶対に勝ってやる!抗がん剤治療も“変毒為薬”です」とにっこり。
隣で、新婚半年の新入会の妻が深くうなずいていた。
人間は「親と子」「教師と生徒」といったタテの関係、友人同士のようなヨコの関係以外に、
異世代間の「ナナメの関係」が大切であると、著述家の藤原和博氏はいう(『16歳の教科書』講談社)。
「人間の人生って、この『ナナメの関係』がどれほど豊かであるかによってかなりの部分が決まる」。
こうした“多彩なつながり”で満ちているのが学会の世界である。
進路に悩む未来部を激励する。病気や失職と戦う友のために祈る。自他共の幸福に全力を注ぐ。
世代も社会的立場も違う人たちが、師のもとで、励まし合い、決意し合い、人生の大勝利を目指す――
“創価の絆”の麗しさは、ここにある。(09.06.24) (葉)
176
:
代理人
:2009/06/25(木) 10:59:46
名字の言
「13の半分は?」。教師が生徒に尋ねた。「6と2分の1」「6・5」との答え。「そうだ。ほかには?」。
誰も答えられない。教師は、「もう答えはない」と思うかもしれないが、「もっと考えよう」と促す。
すると、数字の文字を分けて「1」と「3」。一人が答えると、突破口が開いた。
英語の綴り、ローマ数字、2進法で考えたり、黒板に書いた「13」を上下半分にしたり。きりがない。
そして、「答えはない」と思っていたのが、思い違いだったことに気付いた(J・フォスター『アイデアのヒント』)。
常識的に考えれば「もう答えはない」と思うだろう。
だが、「必ず別の答えがある」と、視点を変えたら、新発見が次々と出てきたわけである。
地表から見れば高く見える壁も、空からは、低く見える。一本の線にしか見えないこともあろう。
同じように、物事は、とらえ方、見方によって、千差万別だ。プラスにも、マイナスにもなるものだ。
池田名誉会長は「大事なことは、自分の境涯の革命だ」
「(境涯が変われば)逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる」と。
必ず道は開ける、開いてみせる――そう心を定め、きょうも朗らかに勝ち進みたい。(09.06.25) (申)
177
:
代理人
:2009/06/26(金) 07:32:02
名字の言
日中友好協会の初代理事長を務めた内山完造氏。
中国残留日本人の帰国等にも尽力した。本年は、没後50年である。
日中関係が最も厳しい時代に、内山氏は多くの中国人民と友情を育んだ。
戦後の焼け野原で“平和な世にしなければ”と痛感。「日本人がよく知らなかった中国と中国人の真の姿を、
日本人に知らせることが先決問題である」と誓う(小澤正元著『内山完造伝』)。
そのため全国で講演を始めた。1年半ほどで延べ800回。
中国の習慣や文化を通し、互いの差異も心一つで乗り越えられると訴えた。
真実の姿を「知らせること」が、いかに大切か。
92歳の婦人の体験を思い出した。広島の旧習深い山間地域。
入会当初、学会のことを理解する人は、ほとんどいない。まさに村八分状態。だが負けなかった。
彼女は、池田名誉会長が誠実の二字で世界の友に理解を広げている姿に奮起。
20年前から「学会の真実の姿を直接知ってもらおう」と地域の友を座談会に招待した。
一人、二人と参加者は増え、元町長や元小学校長など名士も集うまでに。今では参加者の半数が友人だ。
正しくとも黙して語らずでは何も変わらない。果敢に真実を語りたい。
地域を結ぶ“信頼の懸け橋”として対話の波を起こしたい。(09.06.26) (奨)
178
:
代理人
:2009/06/27(土) 10:54:54
名字の言
本年は日墨交流400周年。
この佳節にメキシコのハリスコ州グアダラハラ市から池田SGI会長に日本人初の「市の鍵」が贈られた(聖教11日付)。
授与式の席上、一人の紳士の祝辞が感動を呼んだ。
「あの日、お会いして以来、私の師匠は池田博士です!」――アレハンドロ・マトス氏。
同州の400周年記念行事の実行委員長だ。
1981年3月、マトス氏は、同州の芸術局長だった父と共に、SGI会長をグアダラハラの自宅に歓迎した。
当時、16歳。ピアニストを目指していた氏は、演奏を披露した。
会長は「素晴らしい」「大音楽家になるんだよ」「何があっても負けないで」と励ましを。
氏は心から感動し、誓った。「皆に勇気を贈る音楽家になろう」。その後、会長の著作を学び始めた。
現在、氏は同国で最も著名なピアニストの一人に。音楽の国オーストリアから国家勲章も受章した。
「池田博士との出会いが、私の人生を一変させました!」と語る。
一度の出会い、一回の語らいが、人を変えることがある。
時間の長短ではない。大事なのは、その“一回”に臨む姿勢だ。
真剣勝負で植えた友情の種は、必ずや見事な信頼の花を咲かせるものだ。
「誠実第一」で、きょうも新たな友情を結びたい。(09.06.27) (之)
179
:
代理人
:2009/06/28(日) 11:13:27
名字の言
滋賀県の彦根周辺では、「中居」「堀居」「奥居」といった姓が目立つ。
それは、藩主だった「井伊」家に敬意を表し、同じ文字を避けたからと伝わる。
同県北東部の領主となった豊臣秀吉は、今浜(長浜市)に城を築き、「長浜」と改名した。
長く繁栄することを願ったとする説と、主君・織田信長の名をもらったとの説がある。
現在、長浜城周辺は「豊公園」と呼ばれる。豊臣が由来。
秀吉は今でも長浜市民から慕われている。冒頭の例とは逆だが、どちらも報恩の思いが伝わる挿話だ。
落語家の2代目・林家三平さんは、「心から尊敬する父の名前が失われていくのは、息子として、弟子としてふがいない。
だから、名前を継ぎ、私が再び『林家三平』を広めていきたいと思ったのです」と語る(聖教16日付)。
領主、主君、父、師匠……。自分の氏名や地名に特別な思いが込められている。
“先師、恩師の名を世界に宣揚する!”――これが若き日から変わらぬ池田名誉会長の決意だった。
「牧口広場通り」(イタリア)、「戸田城聖先生橋」(ブラジル)など、
今や世界各地に歴代会長の名を冠した「通り」や「橋」がある。
誉れの弟子の道を貫き、見事な勝利の証しを刻む――
ここに、師匠の名を宣揚する道もある。(09.06.28) (糀)
180
:
代理人
:2009/06/29(月) 10:45:22
名字の言
6月30日は、学生部結成記念日。学生部歌「広布に走れ」が発表された日でもある。
1978(昭和53)年、東京・荒川文化会館での学生部幹部会。
「歴史を創るは/この船たしか/我と 我が友よ/広布に走れ」。
幹部会では、その後、多くの人々に歌い継がれる歌声が何度も響いた。
席上、池田名誉会長は学生部の友に念願した。「庶民と共に歩み、庶民を守る指導者に!」と。
そして幹部会の後その言を自らの行動で示すかのように、荒川・尾久本町支部の集いに足を運び同志を励ましたのである。
どこまでも民衆のために戦う正義の人たれ! 学生部への指針は、常に一貫している。
第2次宗門事件の渦中の1991(平成3)年11月、24の大学会が結成された。
この時も師は「正義に生きよ」と呼びかけた。
この日、結成された富士短期大学会(第10期)。
師の母校の誇りを胸に、今も21人全員が厳然と創価の旗を振る。中心者の3人は、いずれも東京・足立区で活躍。
「庶民を守るため、力あるリーダーになると師に約束したから」と口を揃える。
「一生涯、民衆のために、正義のために戦う!」。この誓い、連帯、心意気。
どのような時代になっても民衆の中で戦う!――この気概こそが、新時代の突破口を開きゆく力だ。(09.06.29) (之)
181
:
代理人
:2009/06/30(火) 11:24:01
名字の言
先月末、「東京都盲ろう者支援センター」が台東区に開設された。
目と耳の両方に障がいのある「盲ろう者」の生活、社会参加の支援等を行う、全国の自治体で初の試みである。
彼・彼女らの象徴的存在ともいえる福島智東京大学教授も、オープンを祝福。
時同じく、福島さんの評伝、母・令子さんの手記が、相次ぎ出版された。
福島さんは9歳で光を失い、18歳で音を失った。この闇と沈黙の苦悩から福島さんを救い出したのは「手」であった。
母の考案した「指点字」である。福島さんは歌う。
「ぼくの指にきみの指が触れたとき/そこにことばが生まれた/ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した」
「ぼくの命はいつもことばとともにある」(生井久美子著『ゆびさきの宇宙』岩波書店)。
聞けなくても、読めなくても、触れれば、言葉は生まれてくる。
言葉はたくましい。“言葉と命は一つ”――福島さんの詩に粛然とする。
御聖訓には「仏は文字に依って衆生を度し給う」(御書153ページ)、
そして「声仏事を為す」(同708ページ)とある。
今の世の中、嘘の言葉、人を傷つける言葉が多過ぎないか。
だからこそ、私たちは、真剣な言葉、誠実な言葉、励ましの言葉で、
「生きる勇気」を吹き込んでいきたい。(09.06.30) (飛)
182
:
代理人
:2009/07/01(水) 10:40:34
名字の言
インドネシアで“民族独立の母”と敬愛されるカルティニ――。
池田名誉会長は、彼女の戦いを通して、「女性の勇気こそ、社会を動かし、歴史を変える力」と語った
(本部幹部会スピーチ=6月22日付)。
カルティニが立ち上がるきっかけは、何であったか。
オランダ語の「わたし」という言葉を手にしたからであったと言う(土屋健治著『カルティニの風景』めこん刊)。
彼女は語学を学ぶなかで、新しい世界を発見し、未来への展望を構想し、新しい「自分」に目覚めたのだ。
「自分」に目覚めて、人は初めて「他者」の尊さにも気付くことができる。
相手の悩みに真剣に耳を傾け、相手の笑顔には共に喜ぶ。日々の暮らしの現場に躍動する、
この鋭敏にしてふくよかな「同苦」と「共感」の心根こそ、女性の特質と言えるのではないだろうか。
戦後の創価の前進は、女性の“目覚めの歴史”であったと言ってもいい。
宿命の涙を勝利の笑顔に変えた、模範と誉れの彼女たち。
名誉会長は讃えつつ、心から励ましのエールを贈る。
「女性が高らかに声をあげた分だけ、人間社会をよくすることができる」と。
今月12日は「総東京婦人部 幸福・勝利の日」。
朗らかに、にぎやかに、凱歌と歓喜の最高峰を目指したい。(09.07.01) (順)
183
:
代理人
:2009/07/02(木) 10:34:11
名字の言
緑のトンネルを抜けると、清冽な水の音が聞こえてくる。
降り注ぐ滝の雄姿を眺めながら、青森県の奥入瀬渓流を遡った。その水源は十和田湖だ。
火山がつくったカルデラ湖。かつて魚のすまない湖といわれた。ここでヒメマスの養殖に挑戦した先人がいる。
和井内貞行氏。度重なる失敗で私財は底をつき、非難中傷も浴びた。
だが、道を貫き、20余年もの苦闘の末に養殖を成功させた。十和田湖には偉大な開拓の歴史が刻まれている。
広宣流布も開拓闘争だ。昭和40年代の青森の下北半島・川内町(現・むつ市)。
旧習が深く、女性が働く場所もなかった。
一人の婦人部員が署名活動に立ち上がる。約70人の協力を得、合成繊維会社の作業所の設置が実現した。
真剣に地域の発展を願う彼女の姿に、多くの人が学会の認識を一変させた。
後年、町の名士は「“わが地域を理想の郷土に!”と情熱を燃やす創価学会は、時代をリードする存在」と賛嘆した。
15年前の夏、十和田湖を訪れた池田名誉会長は語っている。
「常に皆の先頭に立ち率先して道を開く。皆に代わって、襲いかかる嵐を一身に受けて立つ――これが開拓者である」。
この不撓不屈の開拓者魂をたぎらせ、われらも進みたい。新たな歴史を開くために。(09.07.02) (時)
184
:
代理人
:2009/07/03(金) 10:31:58
名字の言
実力が拮抗した競り合いを制するには?――
「攻めの気持ちを貫いたほうが勝ちます」と柔道の元全日本男子監督・斉藤仁氏は語っている(「第三文明」8月号)。
2006年の全日本柔道選手権。
アテネ五輪で「金」の鈴木桂治選手と、当時19歳の石井慧選手との決勝戦。終始、鈴木側優勢で進んだ。
だが終了間際、残り時間を気にした鈴木が、ほんの一瞬、ちらりと会場の時計を見た。それを石井は見逃さなかった。
「その一瞬に石井の攻める気持ちが、鈴木のそれを上回ったんです」と斉藤氏。結果は石井の逆転勝利だった。
勝負は峻厳だ。一瞬の競り合いを制した者が勝つ。最後の最後まで「攻めの気持ち」を貫くことこそが勝利の要諦だ。
御書には「いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(1090ページ)と仰せだ。
“いよいよ”“せむべし”の気概で、猛然と戦うことである。
池田名誉会長は語っている。「攻めて攻めて攻め抜いて、押して押して押し切って、
戦って戦って戦い抜いた時に、はじめて、栄光の旭日が昇る。勝利の旭光が輝く」と。
きょうも力の限り前進したい。勝利のその瞬間まで、攻めの気持ちを堅持したい。
その人の心にこそ凱歌は轟き渡る。(09.07.03) (之)
185
:
代理人
:2009/07/04(土) 10:58:10
名字の言
学会っ子は北風に向かって戦おう!」。35年前の12月、池田名誉会長は東京・新目黒会館を訪問。
居合わせた学生部の友を激励し、「冬の目黒グループ」と命名した。
その一人が述懐している。「池田先生の指導は『困難に挑み勝ちゆけ!』との万感のメッセージだと思いました。
だからこそどんな激戦も勇んで戦い、勝利してきました」。同グループの友は現在学術界、実業界など各界で活躍している。
広宣流布の歩みは、数々の艱難を勝ち越えてきた歴史でもある。
戸田第2代会長は、常に、広布の主戦場へ、最も大変なところへ、愛弟子の名誉会長を派遣した。
事業の苦境も、権力との闘争も、広布の拡大も、師と弟子の「不二の闘争」で、突破口を開いてきた。
名誉会長は綴っている。「本物の師匠に、私は本物の弟子としてお仕えし抜いた。
広宣流布のご構想を実現するため、執念、また執念で全魂を尽くしました」(「御書と師弟」)。
弟子の激闘あってこその師の勝利だった。「激戦のあるところに、必ず私たちは身を置く」(ユゴー)。
広布の戦線で勝利をもぎ取る。師匠の期待に応えて断じて勝つ。どんな難局も必ず打開する。
この誓い通りに結果を出す人こそ「本物の弟子」である。(09.07.04) (薬)
186
:
代理人
:2009/07/05(日) 10:17:44
名字の言
中日友好協会の黄世明副会長に、話を聞いたことがある。
「どんな困難な時も、初志を貫くことができたのは、“人民のため”との思いがあったからです」。
周恩来総理やトウ<登におおざと>小平氏ら歴代指導者の通訳を務めた黄副会長。がんも2度患った。
最初の時は、周総理が自ら病院に手配を。
二十数年後の再発時には、池田名誉会長から励ましの和歌を頂いた――と感激を露わに。
「私は、50年近く、中日友好に取り組んできた。何の悔いもない……
今度は、若い皆さんに託したい。友好交流を深めてほしい」。亡くなる前年のことだった。
初志を貫徹することは難しい。壁にぶつかると、できない理由を並べたくなる。
だが、それでは、自身の負けだ。目標を成し遂げるには、“何のため”との一点を心に赤々と燃やすことである。
たった一人の挑戦でも、劇的な変化をもたらすことがある。
アメリカの大実業家アーマンド・ハマー氏の座右の銘は、
「初志を貫き通すならば、一人の人間が状況を変えることができる」だった。
黄副会長は、こうも語っていた。「私は、力をつけるため、若い時から、たくさんの本を読みました。
皆さんは幸せですね。池田先生の著作やスピーチから、不屈の力を得ることができるのですから」と。(09.07.05) (葉)
187
:
代理人
:2009/07/06(月) 10:06:50
名字の言
視力障害のある関西の婦人部員が先日、東京を訪れた。
一人の友人に仏法の哲学を語るために。広宣流布へ労苦を惜しまぬ尊き姿に最敬礼。
婦人は生後、数カ月で失明した。しかし、競泳の選手やボランティアなども務める無類の頑張り屋。
そんな彼女の転機となったのは、高校時代の同級生が命に及ぶ難病に襲われた時。
何もしてあげられない無力さに苦しんだ。その時、ある親友から聞いていた題目を唱えた。
すると時が符合するかのように、同級生は一命を取り留めた。
何ができなくとも、一人のために祈ることができる。それがどれほど素晴らしいことか。
それを知った彼女は本格的に信仰の道を歩み始めた。
一人のために祈り、一人のために語る。そこにこそ真実の仏道修行がある。
「一人のためであっても、たとえ一句であっても、法華経を説く人は、仏の使いである」と法華経には仰せだ。
あの1万1111世帯の弘教を成し遂げた昭和31年の「大阪の戦い」。
指揮を執った池田室長が最初に関西の幹部に語ったのは、「会員の一人一人を大切にしてください」であった。
「一は万が母」(御書498ページ)である。
眼前の一人に全力を。一人の心を揺り動かす対話を。
その執念の連続闘争から歴史が開かれる。(09.07.06) (進)
188
:
代理人
:2009/07/07(火) 10:52:37
名字の言
中国・春秋時代の名宰相である管仲。その思想を伝える『管子』に「一を植えて十の収穫があるのは木材。
一を植えて百の収穫があるのは人材である」とある。
武力で争う乱世にあっても、名政治家は、人材の力を重んじた。
まして、人間主義の連帯を広げゆく創価の運動における、人材の重要性は言うまでもない。
東京・世田谷区で活動する男子部員。さまざまな理由から、人と話すのが大の苦手だった。
先輩は励ました。「勇気を奮い起こそう。戦いの中で、君自身が壁を破るんだよ」と。
その激励に応えて、彼は語りに語った。亡き父が勤めていた会社の首脳に対話するまでに。
広布のために動く実践の中でこそ、次代を担う青年が育つのだと実感する。
7月は「青年の月」。1951年(昭和26年)7月11日、男子部結成式に参加したのは180人。
同19日、女子部誕生の集いに居合わせたのは70人余だった。
「ただ人材がほしい」――戸田第2代会長の叫びに応え、青年の連帯を日本中に押し広げたのが池田名誉会長である。
名誉会長は結論している。「実戦のなかでこそ、人材はつくられる」。
激戦を戦い抜いた時こそ、本物の“人材城”が築かれる。
その大確信を持ち、粘り強く日々の活動に励みたい。(09.07.07) (定)
189
:
代理人
:2009/07/08(水) 11:15:36
名字の言
6月4日、池田華陽会として颯爽と進む女子部に、喜びと感動が広がった。
「名誉会長夫妻が創価女子会館を訪問!」――朗報は全国はもとより、世界各国に即座に伝わった。
「飛び上がらんばかりに女子部と喜び合っています」と語るのは太平洋に浮かぶミクロネシア連邦のロペス支部婦人部長。
3日後の7日には記念の集いを開き、池田華陽会の歌「華陽の誓い」を合唱。
「池田先生・奥様と共に歓喜の力強い前進をしていきます」と意気は高い。
「イケダカヨウカイ」は昨年に結成されたばかりだが「ザダンカイ」、
「コウセンルフ」等と共に世界共通語となった感がある。
イタリア、韓国の友も口々に述べていたが、師弟勝利の青春譜を綴ることを最高の誇りとしている。
そして、彼女たちに共通するのは「感謝の心」だ。
東京・町田出身の青年詩人、八木重吉の言葉を思い出した。
「感謝の無い信仰は本当の信仰ではない」「すべてはそこから出づる。感謝と報恩と」
「自分のまわりを、感謝の海とせよ。感謝は強い。感謝は美しい」(全集第3巻、筑摩書房)。
わが生命を感謝の心で染め抜きたい。
「仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」(御書293ページ)。
人間の真の生き方が、ここにある。(09.07.08) (川)
190
:
代理人
:2009/07/09(木) 10:43:09
名字の言
7世紀初め、中国では隋が滅亡し、群雄が割拠。
後に唐の2代皇帝となる若き李世民は、指揮官として強敵に立ち向かう。
この一戦に勝てば天下の統一は確実――彼の勝利への執念は、すさまじかった。
『小説十八史略』で陳舜臣氏は、その様子を次のように描く。持久戦の末、兵糧不足の敵軍はついに後退を始める。
「いまだ!」。千載一遇の勝機を李世民は逃さなかった。一昼夜、約100キロを飲まず食わずで追撃しこれを破った。
“もう十分でしょう。少し休んでください”と気遣う部下に彼は言う。
“敵に立ち直る時間を与えてはならぬ。私は大目的に身を捧げる覚悟であり、わが身のことなど厭わぬのだ”。
総大将の烈々たる叫びに全軍が奮い立った。唐軍は敵を追い詰め、一日に8戦して連勝。
雌雄を決した。李世民は三日の間、一度も兜を脱がなかったという。
「自分が先頭に立つ」という指揮官の気迫。「もういいか」との妥協を排した「攻め」の姿勢。
この徹底した戦いによって、新時代を開く偉業は成就されたのだ。
御書に「軍には大将軍を魂とす」(1219ページ)と。誰でもない。
勝利の突破口を開くのは、リーダーの強き一念であり、真剣な行動だ。
執念の大闘争で広布の凱歌の歴史を綴りたい。(09.07.09) (駿)
191
:
代理人
:2009/07/10(金) 20:19:17
名字の言
「一期一会」とは茶道から出た言葉だ。
茶道の大家でもあった江戸幕府の大老・井伊直弼は記している。“茶会での今日の出会いは一生に一度のことである。
だからこそ、主人は真心をもって交わらねばならない”と(『茶湯一会集』)。
一生に一度との思いで、人に最高の真心を尽くすことが「一期一会」の本意である。
昭和47年(1972年)の東京・荒川区の記念撮影会で、女子部・婦人部と共に舞を舞った一人の女子高等部員。
演技を心から讃えて拍手を送る名誉会長の姿に、生涯の共戦を誓った。
19年後の平成3年(1991年)暮れ、3人の母になっていた彼女は、子の手を引いて区内を歩いていた。
師を迎え、荒川文化会館で文化音楽祭が行われていた日だった。
参加できなかったことで悲しがる子どもたちに彼女は言い聞かせた。
「お題目を唱えて、勝った姿で先生をお迎えしようね」。
音楽祭が終わり、しばらくして、一台の車と行き合った。
窓が開くと、師の声が響いた。「風邪をひかないでね。創価大学に来てね」。
この“約束”を子どもたちは後に果たす。
「真心」は、相手の心に種となって残る。
まして「一生に一度」との思いを込めて、まかれた種は、必ず花を咲かせ、大きな果実を実らせる。
このことを忘れまい。(09.07.10) (香)
192
:
代理人
:2009/07/11(土) 14:00:19
名字の言
いよいよ決戦の時――
第2次大戦中、ナチスを打倒するために連合軍が敢行した「ノルマンディー上陸作戦」の直前、英国の少佐が綴った。
「この後この日のことが話題になるたびに己を誇りに思うであろう」と(コーネリアス・ライアン『史上最大の作戦』)。
悪天候が続く中、一時的な好天が予想された日に作戦は決行された。
この「一日」しかない。この日に負ければ、これまでの努力が水泡に帰す。
連合軍5000隻の船団による大作戦は、たった「一日」にすべてを懸けて断行された。
一方、ナチス軍。悪天候続きなので敵は攻撃してこないだろうと油断し、対応が遅れた。
悪天候という環境は、当然ながら、両軍とも同じだ。
しかし「今しかない」と捉えた連合軍と「今やっても無駄」と捉えたナチス軍とでは、あまりに大きな違いがあった。
人生には「勝負の時」がある。どうしても勝ち越えねばならぬ「時」がある。
その時を制した者こそが、自身を誇りに思う不滅の歴史を刻むことができる。
私たちの広宣流布の戦いも同じだ。
時を逃さず、戦い勝つ。これ以上の誉れはない。
後世の人も「よくぞやった」と、感嘆し、喝采を送るだろう。
さあ、きょう一日を悔いなく! そして、勇敢に勝て!(09.07.11) (鉄)
193
:
代理人
:2009/07/12(日) 12:58:30
名字の言
「正義の怒りが炎と燃えた、歴史的な『東京大会』」――
8年前の7月12日、池田名誉会長は「随筆」にこう寄せた。
「炎の東京大会」。烈々たる名称で呼ばれるこの会合は、4万人もの“怒れる人”の集いであった。
開催を訴え、主催したのは、正義の火の玉と化した青年部であった。昭和32年(1957年)7月12日。
午後6時から2時間ほど、降りしきる雨を突いて会場の内外は熱気にあふれた。
なぜ「炎」なのか。青年部の室長であった名誉会長を、事実無根の冤罪で不当逮捕した魔性の権力。
その悪に対する激怒の思いが、一人一人の決然たる熱情に発火した。
何より、弟子を救おうとする師の叫びが、砲火のごとく放たれたのだ。
小説『人間革命』には「悪に対しては断固、糾弾していきます」「仏法は勝負」と断言する場面が(第11巻「大阪」の章)。
御書には「瞋恚は善悪に通ずる」(584ページ)と“正しき怒り”が強調されている。
大会で婦人幹部が呼びかけた。
「東京の我々の団結は、また全国同志への団結の中心でございます。断固立ち上がろうではありませんか」。
今、「7・12」は「総東京婦人部 幸福・勝利の日」と輝く。
一人立つ勇者の団結で、“炎の勝利宣言”目指し堂々と前進しよう。(09.07.12) (杏)
194
:
代理人
:2009/07/13(月) 19:21:35
名字の言
米・公民権運動の指導者キング博士。その闘争の原点の一つは、高校時代にあった。
弁論大会で優秀な成績を収めた帰りのバス。黒人というだけで、無理やり席を立たされた。
人生で最も屈辱を受けた瞬間だった。
不当な差別をなくしたい――そのために学び抜き、時代を変えていった(『キング牧師』岩波書店)。
10代の体験が人生を決することが多々ある。外資系銀行で重責を担う壮年部の友がいる。
高等部時代、池田名誉会長が出席しての研修会。皆で魚捕りを。なかなか捕れない。
師は、ズボンのすそをまくり、水の中へ。青年のために、魚を集めようとする真心に心打たれた。
「勉強するんだよ。待ってるよ」。その時の懇談会での師の言葉。彼は応えようと、懸命に努力した。
「池田先生を人生の師匠と決めたからこそ今の自分がある」と振り返る。
結成45年の高等部。青春の誓いのままに活躍する友は、今や世界中に。
結成式で名誉会長は「青春時代に生き方の骨格をつくり、さらに完成させていくところに確かな人生の道があります」と。
若い時に、確固たる信念を持ち、貫くところに偉大な人生への道がある。未来部員の可能性は無限だ。
その扉を開くのは、魂と魂の触発であることを忘れまい。(09.07.13) (陸)
195
:
代理人
:2009/07/14(火) 10:39:38
名字の言
「閑(しずか)さや 岩にしみ入(いる) 蝉の声」。芭蕉の名句が似合う季節だ。
かつて、ここに詠まれたセミは何かとの論争があった。
句の生まれた山形県が故郷の詩人・斎藤茂吉は、アブラゼミを主張。
一方、夏目漱石研究の第一人者・小宮豊隆は、ニイニイゼミだと反駁を加えてきた。
茂吉が、同句の詠まれた時期に合わせ、現地に鳴くセミを調査したのは、79年前の7月だった。
結果、軍配はニイニイゼミに。
調査が進むほど、主張が崩れゆく劣勢に、生来、負けず嫌いの茂吉が、あぶら汗をかいたかは定かでないが、
潔く兜を脱いで認識を改めた姿は、ほほ笑ましくもある。
異論が出された時、どのような行動を取るかで、結果は大きく異なってくる。
いたずらに自説に固執することなく、互いに打ち合うことで、自他共の進歩の道が開かれるのではないだろうか。
「知の巨人」と一目置かれた歴史学者のトインビー博士は、
自身の学説に寄せられた反論にも、誠実な思索、検討を重ねたという。
そして、誤りがあれば修正し、それを「再考察」の成果としてまとめ、大著『歴史の研究』の第12巻として発刊した。
この柔軟にして、たくましい錬磨の姿勢こそが大事であろう。
鍛えの夏の到来!――常に切磋琢磨の心を忘れまい。(09.07.14) (城)
196
:
代理人
:2009/07/15(水) 11:34:17
名字の言
この1年間に流されたテレビコマーシャル1万7765作品を調査したところ、
約6割が視聴者の印象に、ほとんど残っていないという。
不評だった作品の中には数億円かけたもの、
有名タレントを使ったもの、何百回も放映したものもあった(「CM総合研究所」調査)。
多様化したメディア社会。その中で人の心に何かを残すことが、いかに難しいか――調査は雄弁に物語っている。
加えて、もっと困難なことがある。それは一度、人の心に残った印象を打ち破ることだ。
最近の脳科学の研究によると、人間の脳は、
「なるべく少ない労力で、的確な結論を出したい」という節約・安定の志向性を持つことが分かってきた。
よほどのことがない限り、一度、安定化させた結論は修正しない傾向があるというのだ。
つまり、最初に目にし、耳にした情報は変えにくい。ずっと心に残ってしまいがちなのである。
だからこそ、一番初めに何を伝えるかが大切になってくる。後で先入観を覆すのは、何倍もの労力がかかる。
現代社会には、情報があふれている。
まさに玉石混交の“情報の海”にあって、いかに正しい情報を素早く発信していけるか。
先んじて真実を伝えることができるか――ここに広布の言論戦の要もある。(09.07.15) (高)
197
:
代理人
:2009/07/16(木) 11:18:33
名字の言
俳人・正岡子規の直筆の選句集がこのほど発見され、話題になっている。
“俳句の世界をもっと自由で雄壮なものに広げよう”と「俳句革新」を志した時期の作品とみられる。
子規の生涯は、病を抜きに語れない。雅号「子規」とはホトトギスの異称。
学生時代に肺を患って喀血した時、鳴いて血を吐くといわれる子規にちなんで号した。
病に関する句も多く、晩年は病床で、時に口述に頼りながら詠んだ。病むことは敗北ではない。
子規は病床で自己を厳しく凝視することで、「その独自性をはじめて確立した」(中村稔『子規と啄木』)。
病と格闘したからこそ、傑出した作品を生み出せたのである。
御書には「病気によって仏法を求める心が起こる」(1480ページ、通解)と。
長い人生で病む時があるのは当然のこと。大切なのは“病に断じて負けない”という強き一念だ。
その一念が諸天を動かし、何よりも自身の生命力を強め、無限の可能性を発揮させてくれる。
子規が喀血した時、友人の夏目漱石は「帰ろふと泣かずに笑へ時鳥」と句を贈り“故郷に帰るな 病を笑い飛ばせ”と励ました。
創価の同志も、苦楽を分かち合い、共に前進する得難き宝友。
互いに励まし合いながら、“人生の勝利”を飾っていきたい。(09.07.16) (弘)
198
:
代理人
:2009/07/17(金) 06:41:42
名字の言
「メロスは激怒した」――。
本年、生誕100年となる太宰治の『走れメロス』は、この一節から始まる(岩波文庫)。
メロスは、何に対して怒ったのか?
それは、「邪知暴虐の王」に対してであった。彼は、罪のない人々を平然と殺す傲慢な権力者が許せなかった。
青年らしく正義を訴えた。命懸けで友情を貫いた。その姿が最後には、王の心を変えた。
山本周五郎の代表作『赤ひげ診療譚』。
“赤ひげ先生”と称される老医が、貧しい病人を苦しめる圧政を、糾弾する場面がある。
「おれはごまかされないぞ」
「人間を愚弄し軽侮するような政治に、黙って頭を下げるほど老いぼれでも お人好しでもないんだ」(ハルキ文庫)。
市井(しせい)の人々の幸せを願う心は、時に「怒り」となって噴出する。
優しいだけでは人々を守れない。また、庶民を踏みにじる動きを“見て見ぬふり”は、悪への加担だ。
御書には「怒りは善悪に通じる」(584㌻、通解)とある。
創価学会は、その精神のまま、正義の「怒り」を片時も忘れなかった。
だからこそ、民衆を守る大城として栄え続けてきた。
歴代会長が、軍部権力等と戦い抜いた7月。
今また、私たちも、庶民を足蹴にする権力に「怒りの声」を上げ、民衆が主役の時代を築きたい。(09.07.17) (立)
199
:
代理人
:2009/07/18(土) 11:11:49
名字の言
水中を華やかに舞うシンクロナイズドスイミング。
井村雅代氏は、2004年のアテネまで27年間、6回の五輪すべてで日本にメダルをもたらした名コーチだ。
選手が「もう私、これが限界です」と弱音を吐くと、
彼女はいつも「限界ってどこにあるの? どこに見えてるの?」と聞いた。
そうやって、選手の心から、固定観念や限界という言葉を取り払い、
潜在能力を引き出した(NHKテキスト『知るを楽しむ〜人生の歩き方』)。
ある青年の体験を思い出す。
設計事務所に就職したが、雑務のような仕事ばかり。休みもない。
「もう駄目」と絶望していた時、池田名誉会長のスピーチと出合った。
「『自分なんかもう駄目だ』と思うような瀬戸際の時が諸君にもあるにちがいない。
実は、その時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである」と。
目が覚める思いだった。一番つらい今こそ「一番成長できる時」と知った。
以来、どんな仕事にも、これ以上できないくらい全力を注いだ。
周囲の評価も高まり、百貨店など大きな仕事を任されるまでに。今は独立し、1級建築士の資格も取得した。
「限界だ」と思う時こそ、実は勝利のドラマの始まりだと痛感する。
きょうも、新しい“自分史”を綴りたい。(09.07.18) (陸)
200
:
代理人
:2009/07/19(日) 08:53:06
名字の言
民俗学者の柳田国男が、「これこそ口承文学の最高傑作」と絶賛した『アイヌ神謡集』。
著者の知里幸恵(ちり ゆきえ)は19歳の時、
失われつつあったアイヌ語の物語を日本語に翻訳し、不朽の名作を完成させた。
現在、英語やロシア語などでも出版され、「アイヌ」の誇りを今に伝える(中井三好著『知里幸恵』彩流社)。
民族の文化を絶やすまいとした思いは、現在もアイヌの人々の心に生きる。
若き一人の女性の決意の行動の、何と素晴らしきことか。
先日、発表された女子部の「永遠の五指針」。
昨年11月に「池田華陽会」が結成されたカンボジアでも、早速、女子部がクメール語に翻訳。
「華陽会総会」で発表され、大きな波動を広げている。
現地では、座談会の御書講義の担当など、女子部の活躍が目覚しい。
青年部長のソチェット・ソクさんも、アメリカ創価大学出身の女性リーダー。
「指針の一節から“負けない!”を合言葉に、前進を誓い合っています」と。
乙女たちの奮闘に、壮年も婦人も、拡大の勢いを増している。
御書に「女子は門をひら(開)く」(1566㌻)と。
女子部の活躍は、世界広布の“希望の扉”を開く原動力。
7月19日は「女子部結成記念日」。次代を担う勝利の王女たちの健闘を祈りたい。(09.07.19) (誼)
201
:
代理人
:2009/07/20(月) 12:04:27
名字の言
2009年7月22日、日食が見られる。本年最大の天体ショーだ。
各地とも部分日食だが、屋久島などの島々では100%欠ける皆既日食が見られる。
日本で観測されるのは46年ぶり。
今回、皆既日食が観測できるトカラ列島。鹿児島県・奄美大島の北側に位置し、12の島々からなる。
この地でも、創価の同志は意気軒高だ。北端の口之島では、学会世帯が4分の1を超える。
同志の顔ぶれも多士済々。畜産組合の組合長や理事、島唯一の小中学校の校長も学会員だ。
さらに聖教新聞は一般紙を含め、配達部数で第1位。世帯の95%が購読経験をもつ。
信頼と友好の輪が、小さな島に大きく広がっている。
発展の秘訣を尋ねると、皆の口から「そりゃあ、一人一人の責任感よ!」と返ってくる。
小さな島では全員が顔見知り。言葉と行動が一致しているかどうかも、よく見える。
だからこそ、「“われこそ学会の全権大使”との決意で対話し、行動してきました」と友は語る。
責任を担う覚悟があれば知恵がわく。力も出る。
池田名誉会長は「『私が創価学会だ』『私が地域の学会の代表だ』と胸を張り、
悠然と正義を語り、勝ち抜いていくことだ」と。
自分こそが地域の幸福責任者――その強い自覚こそが離島の同志の誇りだ。(09.07.20) (之)
202
:
代理人
:2009/07/22(水) 07:31:38
名字の言
若き豊臣秀吉の“三日普請”の故事は有名で、数々の小説やドラマなどで紹介されてきた。
中でも、吉川英治氏の『新書太閤記』に描かれた内容は、示唆に富んでいる。
織田信長の清洲城の壁が、暴風雨で100間以上も崩れた時のこと。
修復工事がノロノロと進まない。それを憂いた藤吉郎(秀吉)が、「三日もあれば」と普請奉行を請(こ)い請(う)けた。
しかし、前任奉行が邪魔立てし、老獪な棟梁らも怠けてばかり。
藤吉郎は訴えた。
「国の興亡は、実はお城にあるわけじゃない(中略)お前らの中にあるのだ。領民が石垣だ、塀だ、濠だ」。
ただ国を思い、民を思う叫びが、棟梁たちを目覚めさせた。
自身も一職人となって泥仕事。総力戦の突貫工事で、約束通り、わずか三日で修復した。
確かに、どんな世界でも“全責任を担う!”という必死の一人が立てば、劇的に道は開かれる。
逆に、心の片隅のどこかに、他人を当てにする心があれば、物事は停滞してしまう。
小さな一念の差が、大きな勝敗を決するのだ。
御書に「一の師子王吼れば百子力を得て」(1316㌻)と。
環境ではない。人でもない。
自分が師子となって祈り、走り、断じて勝ってみせる!
本物の覚悟が決まった瞬間、勝利への大回転は始まる。(09.07.22) (誠)
204
:
代理人
:2009/07/23(木) 08:41:23
名字の言
作家の向田邦子さんは、右胸の乳がん手術を受けた際の輸血が原因で血清肝炎となり、寝たきりになった時期がある。
利き手の右手が動かせない彼女に、連載執筆の依頼が来る。
「考えた末に」――引き受けた。彼女は、不慣れな左手で書いた。
「こういう時にどんなものが書けるか、自分をためしてみたかった」(『向田邦子 映画の手帳』徳間文庫)。
不遇な状況に置かれた自分が“何を書くべきか”を考え、挑戦したのであった。彼女は、のちに直木賞を受賞する。
「生死」を見詰めた人は、「何に生きるべきか」を深く自覚する。
福島県の壮年部員の体験に、つくづく、そう思った。
彼は白球を追いかけた高校時代に、甲子園出場を果たし、就職後も信頼と実証を勝ち取って要職に就いた。
学会組織でも本部長で活躍。
ところが6年前、肺がんに。「今こそ、病に勝ち、この身で仏法の偉大さを証明する“時”だ」と誓った。
術後のリハビリにも耐え、先ごろ、医師から「もう大丈夫」と太鼓判が。
現在、壮年部リーダー、聖教新聞通信員として、友に勇気を送る日々。
困難を嘆いて終わっては何も生まれない。
今の状況を「前進の糧」と捉えて、前に進むことだ。挑戦することだ。
ここに人生の勝利の因がある。(09.07.23) (城)
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