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名字の言 +α (代理人様専用)

1若鷹の掲示板 管理人:2009/01/09(金) 15:48:02
若鷹の掲示板2(http://www3.ezbbs.net/18/wakataka/)で投稿されている代理人様専用の投稿スレです。
名字の言や有益な情報のスレです。
一般の方の投稿はご遠慮ください。

2代理人(管理人による代理投稿):2009/01/10(土) 01:11:29
名字の言

名前:代理人 日付:1月1日(木) 0時0分

21世紀に入り、9年目の新年を迎え、新世紀の課題が見えてきた。

環境問題をはじめ難題も多いが、人類の英知と協調の力で乗り越えていきたい。

国内では今、多くの人が「安心・安全・安定」を希求している。

金融危機による国内経済の動向を筆頭に、地域社会の治安や環境問題、食品、健康に至るまで、

一日も早く安定した世界や生活を確立したいとの願いは強い。

「善悪可否を考え、たがいに取引して物を融通しあい、ともに利益を求めるのが、商の本義である」

(『虹を見ていた』津本陽著、NHK出版)。明治の実業家・渋沢栄一の言葉だが、これは経済活動の基本理念を示している。

善悪をわきまえ、物を融通し、ともに利益を求めるという彼の信条には、人間の温かみを感じる。

人には二つの顔がある。他者の幸福を考えられる顔と、利己に走る顔。

自分中心のわがままな顔をしている時、心はエゴイズムの闇に包まれている。

エゴをどう超克するか。そこに諸課題を解く鍵がある。

ハーバード大学教授で世界的な宗教学者ハービー・コックス博士と池田SGI会長は、

対談集の中で、エゴを克服するのは自己変革の勇気であり精神の力であると述べ、

人々の内発的な力をわき起こす仏教の力こそ不可欠と語っている。

人間が自身を変える――人間革命への挑戦が、新世紀の未来を開く根源力といえよう。(09.01.01) (弓)

3代理人(管理人による代理投稿):2009/01/10(土) 01:12:55
名字の言

名前:代理人 日付:1月4日(日) 10時49分

正嘉の大地震、北条一門の同士打ち、蒙古襲来――大聖人は最悪の事態が続く時代を喝破された。

「大悪は大善の来るべき瑞相である。世の中が乱れた時こそ、世界広宣流布という大善が到来する。

決して悲嘆すべきではない」(御書1467ページ、趣意)。

この大確信を紹介し、名誉会長が年頭の挨拶に立ったのが1974年(昭和49年)。

高度成長を終焉させた、いわゆるオイルショックの荒波が列島を覆っていた。

「だからこそ、仏法で、どれだけこの社会の激浪を乗り切れるか、その実証を示していくのです」と、

掲げられた同年のテーマは「社会の年」。

学会が個人の幸福実現のみならず、日本の再生と発展に貢献せんとする気概に満ちたものだった。

翻って現代。米国の住宅バブル崩壊に端を発した金融危機に世界は震撼。

経済至上主義の破綻は、心の貧困をも浮き彫りにした。

閉塞感という灰色に染まる青き地球。出口はあるのか。

「所詮宗教革命によって心の根底から建て直さなければ、

一切人事の混乱は永久に治すべからず」とは牧口初代会長の箴言――

ならば「試練こそ功徳」と快活に進む我らの勝利こそ、時代の闇破る光。社会を照らす大善となろう。

さあ、私は勝つ! そう決めて一年を出発しよう。(09.01.04) (音)

4代理人(管理人による代理投稿):2009/01/10(土) 01:13:50
名字の言

名前:代理人 日付:1月5日(月) 10時21分

「池田香峯子・名誉会長夫人は、まさに微笑みの外交官ですね!」。

東京・信濃町の創価世界女性会館を訪れた、中国・陝西師範大学の蕭正洪副学長は語った。

同大学には、女性の文化を宣揚する中国唯一の総合博物館「婦女文化博物館」がある。

その名誉館長証が昨年11月、名誉会長夫人に。夫人の謝辞の次の言葉が印象に残る。

「何があっても負けない心があってこそ、美しい微笑みが生まれる。そして、その微笑みから、幸福が光り平和が広がる」。

「美しい微笑み」と「何があっても負けない心」は、コインの表と裏のようなものだろう。

信念の思想家の内村鑑三は、微笑は「大なる勢力」であり、春風のように「心の堅氷を解く」力と言ったが、

それも「何があっても負けない心」があってこそ。みせかけの微笑みで相手の心は動かない。

「青年・勝利の年」の開幕を告げる新年勤行会は、創立80周年へ力強くスタートした友の最高の笑顔に満ちていた。

内村は、何があっても信念を貫く「勇ましい高尚なる生涯」こそ「後世への最大遺物」と訴えたが、

創価の我らの生き方そのものである。信念を貫く強い心から、最高の笑顔は生まれる。

蕭副学長は言った。「創価の皆様一人一人も微笑みの外交官ですね!」(09.01.05) (川)

5代理人(管理人による代理投稿):2009/01/10(土) 01:14:49
名字の言

名前:代理人 日付:1月6日(火) 10時51分

今年は池田名誉会長が1974年に中国、ソ連(当時)を初訪問して35周年。

両国に架けた「教育・文化」の橋は今、いや増して輝いている。

かつてソ連がアフガニスタンを侵攻した際、ロシア語を学んでいた創価大生たちは不安を抱いた。

この国の言葉を勉強していて、いいのだろうかと。

創立者の答えは明快だった。

「国際情勢は常に変わり続けるものだ。皆は、自ら選んだ『この道』を何があっても進んでいきなさい」。

この道とは、学びの道、友情の道であろう。

当時、モスクワ大学に留学した創大生の中から、ロシア語の名通訳や研究者が誕生。

また創立者は、自ら身元引受人となり、新中国初の正式な留学生を創大に受け入れた。

これが源流となり、日中友好の人材の大河は滔々たる流れに。

政治でも軍事でも経済でもない。教育と文化を機軸に、大学間の交流を推進し、青年を育てた名誉会長。

間もなく「250」となる世界の大学からの名誉学術称号はその先見と行動への賞讃の証しである。

中国の文豪・魯迅は綴る。

「第一に、人間を確立することが大切である。人間が確立して後、始めてあらゆる事がその緒に就く」(松枝茂夫訳)。

さあ青年を育てよう! それが世界をより善く変えていく王道であるからだ。(09.01.06) (進)

6代理人(管理人による代理投稿):2009/01/10(土) 01:15:46
名字の言

名前:代理人 日付:1月7日(水) 10時36分

新年も、はや1週間。日々の挑戦目標を立て、“今年こそは!”と挑んでいる人も多いだろう。

池田名誉会長は語っている。「『三日』坊主も、『十回』やれば、『一カ月』やったことになる。

一日でも二日でも、やった分だけ、自分が得をする」(『希望対話』)。

何度も決意を新たにし、前に進むことが大切だ。

人間が成長し、勝利しゆくためには、目標を掲げることが不可欠である。

PHP総合研究所の江口克彦氏は、次代に求められる人材の条件として、「目標追求型」を挙げている。

豊かな生活に満足し目標を見失ってしまうと挑戦する気概を失い、虚栄に走ってしまう。それは人間を駄目にする、と。

では、どんな目標を立てるべきか。

決して重荷にならず、挑戦への意欲がわき、日々の達成感が得られるものを掲げてみてはどうか。

勝利から逆算し、そうした適切な目標を決めることができれば、ゴールはぐっと近づいてくる。

昨年、沢村賞・パリーグMVP・投手三冠王などに輝いたプロ野球・楽天の岩隈久志投手は、

「さらに上を目指したい」と今年の決意を語っている。戸田第2代会長は「青年は夢が大きすぎるくらいでいい」と。

さあ、皆が青年の気概で、はつらつと大勝利の峰を目指そう。(09.01.07) (扶)

7代理人(管理人による代理投稿):2009/01/10(土) 01:16:37
名字の言

名前:代理人 日付:1月8日(木) 10時35分

エッセー「父の根気」(城山三郎著『打たれ強く生きる』所収、日本経済新聞社刊)の中に、

ある芥川賞作家の父親の話がつづられている。

作家は、高校時代にぐれて、警察の世話になった揚げ句、郷里を捨てて東京へ出た。

そこへ、父親からはがきが届き始めた。非を打つわけでもなく、さりげない近況の知らせばかり。

ある時は故郷の風を運び、ある時は台所のにおいを漂わせた、そのはがきは7年間で2000通に上った。

父は無償の愛を注いだ。根本のところで、息子を信じ切っていた。

以前、創価大学生が体験を語っていた。一度、受験に敗れ、やけになって、生活が荒れた。周囲は失望した。

だが、母は「世界中が見放しても、私だけは信じてやりたい……」と。

祈り、肩を震わせていた母の後ろ姿を見て、彼は立ち上がった。

受験生を抱える家庭、就職してわが家を巣立つ子ども……。

年が明け、親として、心配や気苦労が、最も重なる季節を迎える。

こんな時だからこそ、わが子を強く信じ、抱き締めるように励まし、成長を祈っていきたい。

「子どもを信ずる親は、親を信ずる子どもを育てていく」と池田名誉会長。

親を信じる子どもこそが、人を信じ、人に尽くす、立派な大樹に成長するのだから。(09.01.08) (誠)

8代理人(管理人による代理投稿):2009/01/10(土) 01:17:55
名字の言

名前:代理人 日付:1月9日(金) 10時30分

澄み切った冬の夜空。見上げれば、満天に星がきらめく。

今年は「世界天文年」。天文学の父ガリレオ・ガリレイが1609年に望遠鏡で天体観測を行ってから400年になる。

ローマ教皇庁から地動説を異端審問されながらも、真理を求め続けたガリレイ。

その戦いの生涯を、ドイツの文豪ブレヒトが1938年に戯曲に描いた。当時はナチス政権下。

当局により文豪の著作は刊行禁止となり、焚書の対象とされた。それでも彼は、権力の横暴にペンで立ち向かった。

ブレヒトは自らの信念を作中のガリレイに語らせる。

「もし私が沈黙するとしたら、それは疑いもなく全く下等な理由からだ。

いい生活を送り、迫害されないため」(岩淵達治訳『ガリレイの生涯』岩波文庫)。

“迫害が何だ! 正しいことは、正しいと叫ぼうではないか”――

悪に対する傍観や諦めが蔓延する時代にあって、文豪は正義の言論で敢然と人々を鼓舞し続ける。

牧口初代会長以来、学会が挑戦し続けてきたのも、社会の無関心を破り、

悪を悪と叫び戦う勇気を、民衆に喚起する精神闘争であった。

文豪は、こうも綴る。「われわれが広める真理だけしか広まらない」(同)。

さあ堂々と、真実と正義を語り抜き本年の緒戦を勝ち飾ろう。(09.1.09) (奨)

9代理人(管理人による代理投稿):2009/01/10(土) 12:03:21
名字の言

名前:代理人 日付:1月10日(土) 10時55分

「クモの糸にぶら下がる」――芥川龍之介の小説を彷彿させる難題に、実際に挑戦した人がいる。

奈良県立医科大学の大崎茂芳教授。試行錯誤の末、人間がぶら下がるのに必要な量のクモの糸を採取。

3年前、長年の夢を実現させた。その過程で様々な発見が。

例えば1本に見える糸。実は2本の繊維でできている。

しかも2本のうち1本が切れても、クモが落下することはない。もう1本は保険というわけだ。

クモが4億年の進化の中で得た安全の基数が「2」であることに教授は感銘を受けたという(『クモの糸の秘密』岩波書店)。

「2」という数字は我々が日常の無事故を目指す上でも重要だ。一人より二人での点検。

ドアの鍵を二重にする。「2」は確実に安全性を高める。

学会の活動においても同様だろう。

二人がペアになっての家庭指導。互いの視点から幅広いアドバイスが可能になる。

正役職と副役職の連携。一人では見落としかねないことも二人なら補完できる。

師弟もまた二人。

弟子が成長するための薫陶を惜しまない師匠。どんな苦境にあっても厳然と師を守り支える弟子。

この絆があって広布の確かな前進はある。

師と共に、師のために、“もう1本の命綱”たり得る弟子であるか、問う日々でありたい。(09.01.10) (行)

10代理人:2009/01/11(日) 10:24:10
牧口初代会長が、獄中で精読したカントは、人間が陥りやすい究極の、かつ見分けがたい「悪」を考察した。

我執(エゴイズム)が「うぬぼれ」となって現れるときである。

弱者の味方のような顔をして、世間の喝采を浴びながら、ひそかに自らの名誉欲を満たす。

なまじ賢く如才ない、そうした連中を、カントは忌み嫌ったという(中島義道著『悪について』岩波新書から)。

仏法で説く「僣聖増上慢」の姿にも似ている、と思われてならない。僣とは“悪賢い”との意。

聖者のように振る舞うものの、内心は狡猾で、名聞名利を求めてやまない。

このような計算高い「うぬぼれ」に、どう対処するか。カントは「たたきのめす」しかないと考えた。

理詰めの訓戒などで、片が付く代物ではないからだ。

“自分はこれだけやっているのだ”という、おそらく本人も気づいていない、命の底に巣くう傲慢さ。

それを厳しく打ち破ることができるのは、やはり「師匠」をおいてほかにない。

師の叱咤激励は、弟子たちをして「もっと偉大な、もっと尊高な力」に気づかせ、

「元初の師弟の誓い」に目覚めさせるため(「随筆 人間世紀の光」聖教新聞6日付)――。

創価三代の師弟の道こそ、無上にして未曾有の「人間の道」である。(09.01.11) (英)

11代理人:2009/01/12(月) 10:54:28

名字の言

突然の夕立に身重の女性が、おなかをかばうように並木の下で雨をしのいでいた。

そこへ赤信号で止まった車の助手席から、青年が傘を手に駆け寄った。

女性が会釈をして受け取ると、青年は小走りで車へ。

この光景を見ていた他のドライバーたちは、優しいクラクションで、青年の行為を称えた。

「そんな人たちの真心に包まれて、お母さんは僕を産んでくれました」。ある少年から聞いた話だ。

聞けば、あの青年は傘を差し出す際、「今月、僕も父親になるんです」と笑顔で語ったという。

人は皆、命を見詰めれば、優しくなれる。その慈愛が、縁する人々の生命を支えはぐくむ。

きょう12日は「成人の日」。

1949年に国民の祝日となり、本年は60周年。

133万人が晴れの日を迎えた。成年に達したことを祝い励ますこの日は、

多くの人が、新成人の命を守り、育て続けた、20年間の慈愛と努力の結実の日でもある。

日蓮大聖人は「恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一としてきた」(御書491ページ、通解)と。

きょうの“門出の日”を迎え、一回り大人になった青年部の友も多かろう。

信心根本に成長の実証を示すことこそ、これまでお世話になった人たちへの報恩の道と決意の一歩を踏み出そう。(09.01.12) (城)

12代理人:2009/01/13(火) 07:57:37

名字の言

小説『新・人間革命』に綴られている松下幸之助は、言わずと知れた「経営の神様」。

だが、この呼ばれ方に、本人は迷惑そうであった。経営の秘訣を尋ねられても、

「まるで、私が経営の神様か、金儲けの天才であるかのような質問ぜめである」と。

では、彼の経営哲学の根本は何であったか。それは「奉仕の精神」であった。

「社会から自分に与えられたものよりも、より以上のものを世の中に与えかえす」(『松下幸之助実語録』潮出版社)―

―この姿勢を貫けば、社会も、会社も、社員も必ず繁栄し発展する、との確信である。

それを実践に移した結果、成功を収め、皆から模範と仰がれる存在と輝いたのだ。

種々の事業を手掛けた戸田第2代会長も、「商売は社会への奉仕である」と言った。

「世のため、人のため」を意識するのは、仏法の利他の精神にも通ずる行為であろう。

経済環境の悪化で、経営者も労働者も厳しい中、企業の社会的責任は重さを増す一方である。

もちろん、国家の最高経営首脳ともいうべき政治家こそ、危機克服に全力で知恵を絞り、実行することが強く望まれる。

経営の神様ならぬ経営の達人は、“不景気は好機”とも言い切った。

民衆の幸福のため、今こそ衆知を結集する時だ。(09.01.13) (杏)

13代理人:2009/01/14(水) 08:47:16

名字の言

ドイツの詩人に、こんな作品がある。

「心に太陽を持て。/あらしが ふこうと、/ふぶきが こようと/天には黒くも、/地には争いが絶えなかろうと、

/いつも、心に太陽を持て」(山本有三訳『心に太陽を持て』ポプラ社) 。

どんなときも、明るく力強く生きよとの呼び掛けだろう。

一説に、地上に降り注ぐ太陽のエネルギーは、1時間足らずで、人類が1年間に使うエネルギー量にも匹敵するという。

古来より人類にとって太陽は、豊穣の象徴であり、恐怖の対象でもあった。

多くの恵みを施す一方、強烈な熱で人間を滅ぼしかねないと信じられていた。それほど太陽の力は大きいのだ。

心に太陽を持つとは、“強烈な太陽を心に持てる、強い自分自身をつくれ”との意味もあるのではなかろうか。

私たちは自身の生命に、大きな可能性を秘めている。それをどれだけ発揮していけるかが、人生の勝負。

その原動力こそ信心である。

「妙法を根本とするとき、人生の幸、不幸のあらゆる出来事や行動は、

一切が自身の宿命転換と成長への糧となっていく」と池田名誉会長は語る。

人生の雨も嵐も、自身の太陽を一層、輝かせる縁としていきたい。

皆、心に太陽は持っている。要は、それを輝かせる勇気を持つことだ。(09.01.14) (申)

14代理人:2009/01/15(木) 09:12:40

名字の言

40年前、池田会長(当時)は、1枚の写真を目にした。部員会に集った東北の中等部員が写っている。

即座に伝言。「10年後に必ず会おう」。

1979年(昭和54年)1月、東北を訪れた会長は、約束通り、彼らと会う。

「勝負は10年見なければわからない。誓ったことを破ってはいけない。ここが大事なんだ」。

なかに創価大学4年生のメンバーがいた。すでに就職先も決まっていた。

だが、10年越しの約束を果たし、全力で青年を励ます師の姿に心が動いた。

「かねてからの夢だった教師になり、未来ある子どもたちの育成に人生をささげたい」。

師に新たな誓いを立てた。卒業後、働きながら、学んだ。

その直後だった。会長勇退。聖教新聞紙上から師の姿が消えた。

それでも「私の心から、池田先生を消せはしない!」と、誓いを貫き、5年後、教壇に。

現在、小学校教頭で活躍する。

「約束というのは、たがえないということである」(御書1512㌻、趣意)とご聖訓。

全幅の信頼を置き、弟子の成長を待つ師。その期待に、全人格を懸けて応える弟子の生きざま。

この「師弟勝利の原理」を師が教えた時、彼は中学生だった。鉄は熱いうちに鍛え打ってこそ、真の剣となる。

 きょう15日は「中等部結成記念日」。(09.01.15) (城)

15代理人:2009/01/16(金) 08:29:45

名字の言

「いまだ一度も、お目にかかったこともないのに、なぜ……」と、日蓮大聖人は仰せになられた。

「皆、日蓮を憎んでいる」「それなのに、なぜこのように、私をご信用になるのであろうか」(御書1379㌻、通解)。

この御手紙が宛てられた門下は、大聖人にお会いしたことがなかった。しかも世間では、大聖人を中傷する声が絶えない。

だが、彼の信心は微動だにしなかった。大聖人は、讃嘆に、讃嘆を重ね、喜ばれた。

「頼もしく思えます」「必ず仏になられます」(同㌻)と。

家族を大聖人のもとに送り出し、留守を守ってきた門下には、大聖人はこう伝言された。

「あなたの心は、私のもとにあります」「太陽や月を拝まれるがよい。

私の身は、いつも、太陽や月に影を浮かべています」(同1325㌻)。

近くにいる人と同じく、むしろ会えない人、遠くにいる人を大事にする、それが日蓮仏法の心。

池田名誉会長も、会合ではいつも「地元の同志によろしく」「ご家族によろしく」と必ず声をかけている。

「たとえ、遠くにいたとしても、たとえ、会わなかったとしても、広布に戦う師と弟子の心は、常に一体」――

今月の本部幹部会でのスピーチ。師弟とは、空間を越え、時を越える、永遠不滅の勝利の絆だ。(09.01.16) (鉄)

16代理人:2009/01/17(土) 12:00:34

名字の言

きょうと明日、大学入試センター試験が実施される。

いよいよ受験シーズンの本番を迎えた。この季節、受験生にとっては気の抜けない日が続く。

「灯は尽き、目も朦朧とし、眠りを欲す。しかし、一行一字を尚も学びたい」。

これは、池田名誉会長が月刊誌[潮]で連載対談した香港中文大学の饒宗頤(じよう そうい)終身主任教授の詩の一節だ。

詠んだ時は16、17歳の頃という。

青春時代、饒氏が、いかに寝る間を惜しんで勉強に励んでいたか、その心情が見事に表現されている。

饒氏は書画家、詩人として知られ、仏教学、儒学、敦煌学などを究めた碩学。

中国学術界の最高峰「国学大師」として仰がれ、「東洋のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称されるのは、

この青春時代の努力と鍛えがあればこそであろう。

辛苦して学問を成し遂げる「蛍雪の功」を信じて、受験生には、全力を尽くして目標を勝ち取ってもらいたい。

この時期、緊張しているのは受験する本人だけではない。支える家族の気苦労も多い。

地域の会場提供者の家庭に受験生がいる場合は、十分な配慮を心がけていきたいものだ。

未来に向かって奮闘する受験生の皆さん、最後までベストを尽くそう!

見守る私たちは勝利の春を心から祈り応援していこう。(09.01.17) (濤)

17代理人:2009/01/18(日) 11:21:32

名字の言

「初日の出 不二の山も 悠然と いざ勝ちまくれ 富士が見つめむ」(第1回)。

年頭から、世界桂冠詩人である池田名誉会長の詩歌と富士の写真が聖教新聞に連載され、反響を広げている。

古来、富士に感化されたというエピソードは少なくない。

約100年前、日本最初の公害とされる足尾鉱毒事件に抗議し、

正義のペンをふるった明治の女性記者・松本英子さんも、その一人。

彼女は幼少の頃、教育者の父に手を引かれ、故郷の千葉・木更津の小高い場所から富士を見せられた。

帰宅後、父は、きょう見た富士を絵に描きなさいと筆を執らせた。それが何回も続いた。

後年、彼女は、今思えば、父は「此の富士の高き気風に感化されよ」との心であったのだろうと述べている(府馬清著『松本英子の生涯』昭和図書出版)。

公害と戦った後、渡米。第1次世界大戦に反対を唱え、最後までペンによる非戦のための闘争を続けた。

その心に父と見た富士の雄姿があった。

折々に富士を撮ってきた名誉会長。

銀嶺の王者。桜花との共演。湖面に舞う頂。黄金の宝塔の峰。どれも、君よ恐れるな、強く生きよ、と呼びかけてくれる。

「悠然と 私の心も 富士の山」(第5回)。気高き富士を、わが心に焼き付けて、さあ勇気の前進!(09.01.18) (進)

18代理人:2009/01/19(月) 13:16:45

「聖教新聞の拡大」が地域広布の要

全国の友が、新年から聖教新聞を活用し、友好拡大への挑戦を開始している。

 池田名誉会長は、「機関紙は、すべての『信心』と『広布』の推進力であり、伝播であり、その教団の生命力の発露である」と語っている。
 聖教の魅力は、学会の魅力そのもの。聖教の拡大は、ただちに学会の素晴らしさを社会に広げる力となる。師と心を合わせ、冬の列島を駆ける同志の大言論戦に、心から感謝申し上げたい。

 日蓮大聖人は「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」(御書153ページ)と仰せである。これは、釈尊の経文を蔑ろにする禅宗を破折された御金言だ。

 文筆を嗜みながら、仏の文字を否定する禅僧らを、「言葉と心が相応していないではないか。これでは天魔の部類であり、外道の弟子である」(同ページ、趣意)と責めておられるのだ。

 「言と心と相応せず」。教養人ぶって論じることには長けていても、真に民衆を救おうという慈悲がない。だから我見に執着し、仏の金言を疎かにする――。 

 宗教蔑視や庶民蔑視の傾向が強い現代の知識人にとっても、重大な訓誡ではなかろうか。いくら言葉巧みに分析や批判をしても、民衆を思う慈悲の心がなければ、時代の闇は開けないであろう。

 日蓮仏法を根幹として、創価の三代会長の慈悲と正義の哲学を広げる聖教新聞こそ、日本を変えゆく最も深い言論の大城であると自負してやまない。

 宗教学者の山折哲雄氏は、現代日本がこれほど混迷する理由の一つとして、「何ごとによらず『師弟』の関係が欠如しているからだ」と指摘する。師弟という人生の“垂直軸”ありてこそ、万般にわたる人間関係の“水平軸”も初めて安定するのだと、氏は論じている。

 鋭い視点であろう。今、池田名誉会長の思想と行動を讃嘆する世界の識者も、そこに脈打つ「師弟」の魂に、深く胸を打たれるのだ。

 名誉会長は綴る。「わが聖教新聞は、師弟の心の金剛不壊の絆であり、世界の民衆を結ぶ架け橋である。民衆の、民衆による、民衆のための、かけがえのない言論城なのだ」「読者の皆様のために、尊き同志の前進と勝利のために、聖教はある」(「随筆 人間世紀の光」)と。

 「聖教拡大」即「広布拡大」の波を広げる友への感謝も新たに、創価の師弟の哲学を力強く発信していきたい。(聖教:社説)

19代理人:2009/01/19(月) 13:25:04

名字の言

世界的な経済危機の津波が日本を襲う。

こうした「みんなが苦しい時代」に最もよく見られる反応は、自分の変えられないものに責任を押し付けること――

と国際関係評論家の北野幸伯氏は指摘する。

それよりも、(1)変えられないことに一喜一憂せず(2)自分が変えられることに集中し(3)自分の仕事をさらに極め(4)「日本を変える!」との志を高くもつことだ、と。

確かに「アメリカが悪い」「政府が悪い」「社長が悪い」「人が悪い」と、苦境の原因を環境のせいにするのは簡単である。

しかし、座して嘆いてばかりいても、状況は一向に好転しない。

情勢を冷静に分析し、その上で「日本は、どう勝ち抜けばいいのか」「会社は、どうすれば生き残れるのか」

「自分にできることは」と知恵を絞り、努力すれば、ピンチは必ずチャンスになる。

周囲が変わって自分が変わるのではない。自分が変わって周囲が変わる。周囲が変われば世界も変わるのだ。

仏道修行に励むことで、自身の境涯が変わり、国土そのものも変革できる――

「三変土田」の法理を知る我々は、常に前向きに生きたい。職場や地域社会の発展を祈り願い、行動するのみだ。

「我日本の柱とならむ」(御書232ページ)との気概に燃えよう。(陸)

20代理人:2009/01/20(火) 10:26:04

名字の言

「つらい」と「しあわせ」を漢字で書くと、「辛」と「幸」。

成り立ちは違うが、「辛」は上部に一本、横棒を足せば「幸」になることから、詩人・星野富弘は

「もう少しで幸せになれそうな字」と歌った。

病気、挫折、事故、災害など大なり小なり試練に見舞われるのが人生の常。

だが、じっと苦難が通り過ぎるのを待つばかりでは、心が辛さに凍て付いてしまう。

大切なのは反転攻勢。どう勝ち越えていくか。

日蓮大聖人は病に悩む友と、その家族を励ました。「あなたの家に病気の人がいるというのは、本当でしょうか。

(それが本当だったとしても)よもや鬼神の仕業ではないでしょう。

十羅刹女が(あなた方の)信心を試しておられるのでしょう」(御書1544ページ、趣意)。

そう、いかなる困難も“試されている”“信心を深めるチャンス”ととらえ戦う心の中に、一切の勝利の因が芽生える。

池田名誉会長は「功徳は、さまざまな形で表れる。

その時には罰のように思える試練によって、幸福の道が開けていく場合もある」と語っている。

だからこそ、私たちには嘆きも諦めも必要ない。

必要なのは、勝つまで戦い続けるとの不屈の信念。

それこそ、苦境にある人間が幸福をつかむための“一本の棒”となろう。(09.01.20) (音)

21代理人:2009/01/21(水) 10:35:12

名字の言

座談会の帰り道、出会った知人から「何かいいことでもあったんですか?」と言われた。

よく、“創価学会の会場から出てくる人は、風呂上がりのような、さっぱりした表情をしている”と言われるが、

そのような顔をしていたのだろう。

人が成長するために必要で、今の社会から一番失われているものは何か――。

吉本興業元常務の木村政雄さんは、それは「元気」だという。

人は生命に弾むような躍動感がなければ、前に進めない。他人と言葉を交わすにも、元気が必要だ。

「元気」を取り戻すというのは、「本来の『自分らしさ』を発見して、それを堂々と表現することでもある」と考え、

「雑多な人々と出会う」場所が大切だと木村さんは続ける(『客観力』祥伝社新書)。

職業も年齢も人生経験もバラバラな老若男女が集まり、ありのままの「自分」を表現する――

――これは、そのまま学会の会合に当てはまる。

「桜梅桃李」を説く日蓮大聖人の仏法には、多様な出会いを生み出す素地がある。

学会は創立以来、「座談会」で人々を元気にしてきた。

今や世界192の国・地域で「ザダンカイ」が開かれ、さまざまな人々が集い合う。

そこから育った“元気な人材群”は、必ずや、社会の閉塞感を打ち破る力となろう。(09.01.21) (糀

22代理人:2009/01/22(木) 08:01:00

名字の言

世の中には、さまざまな“人を助ける仕事”がある。

『働く人の夢』(日本ドリームプロジェクト編、いろは出版)には、

そうした仕事に携わる、若者の率直な胸の内がつづられている。

医師免許を取得して3年になる女性。“いのちの重さ”に押しつぶされそうになっていた。

社会福祉士の男性は27歳。必死で介護するほどに、相手の心が自分から離れていくようだった。

そんな二人に元気をくれたのは、笑顔の患者だった。

「体だけは大事にしいや」と優しく頭をなでてくれたおばあちゃんに、どれほど癒されたか。

差し伸べたその手に、逆に、勇気や感動をもらった――

本来“助ける側”にいた人の心に芽生えた感謝の気持ちが、新たな仕事の原動力となる。

私たちの同志の中にも、悩みを抱える友がいる。

だが、それを克服しようと懸命に戦っている姿に、どれほど周囲が勇気づけられることだろう。

信仰の世界に、世間で言う“助ける・助けられる”という区別はない。

誰もが、喜びや苦しみを分かち合い、切磋琢磨して共に成長しゆく尊き存在なのだ。

学会の先輩が語っていた。「相手の悩みにかかわる中で、君自身が成長させてもらっているんだよ」。

その感謝の心こそ、人間革命の直道であると確信した。(09.01.22) (馨)

23代理人:2009/01/23(金) 10:41:52

名字の言

ピンチこそチャンスである。

飛行機が向かい風から揚力を得て上昇するように人生も逆境を成長の因として、幸福の道を切り開いていける。

イソップの寓話集に「狐と葡萄」という話がある。

腹をすかせたキツネが、高い枝になったブドウを見つけて飛びつくが、何回ジャンプをしても届かない。

あきらめたキツネは、「まだ熟れてない」と言って立ち去っていく。

乗り越え難い壁にぶつかった時、都合のいい言い訳をして、自身を欺いてしまう。ありがちなことだ。

言い訳をする暇があれば、「もう一歩」の努力を積み重ねたい。壁は外にあるのではなく、自身の心の中にあるものだ。

カナダの作家モンゴメリーは、代表作の主人公アンにこう語らせている。「小さな障害は、笑いの種だと思い、

大きな障害は、勝利の前兆だと考えられるようになったの」(掛川恭子訳『アンの愛情』講談社文庫)。

勝利を手にするには、大なり小なりの障害を乗り越えなければならない。

仏法が説く「煩悩即菩提」の法理の通り、強盛な信心に徹すれば、すべての苦悩が幸福の因となり、勝利の道が開ける。

現状が厳しければ厳しいほど“いよいよ時が来た”と勇んで信心を奮い起こそう。

その先に、自ずと新たな歴史は築かれる。(09.01.23) (敬)

24代理人:2009/01/24(土) 10:28:45

名字の言

若き池田名誉会長が、事実無根の冤罪で不当逮捕された「大阪事件」。

あす25日は、昭和37年(1962年)に、その「無罪判決」が下った日である。

法廷闘争が始まって間もなく、居ても立ってもいられず、ある婦人部員は裁判所へ足を運んだ。

傍聴席から見る師の姿は、いつもと変わらない。威風堂々。右往左往する自身の心を恥じ、再び広布拡大に走り始める。

4年半、84回に及ぶ公判。その間、卑劣な権力への怒り、悔しさに何度、涙を流したことか。

そして手にした勝利。「無罪」の一報を耳にした、その婦人は誓った。“負けて泣くより、勝って泣こう!”。

「今でも法廷での先生の姿が、まぶたから離れません」。婦人は師を思うと、「戦う魂」がわき上がるという。

昨年も名誉会長の著作を通し、師の偉大さを友人に語り抜いた。今年で99歳。

師を語るほどに目は輝き、表情は生き生きとしてくる。

「師弟」に生き抜く人は若々しい。婦人の姿を通して、あらためて確信した。

名誉会長の随筆に「創価とは、不滅の精神の価値の創造である。この創価の師弟に生き抜く人生は、永遠に若々しい」と。

青年は年齢では決まらない。師と共に前進する気概が燃えている限り、その人は永遠に青年である。(09.01.24) (芯)

25代理人:2009/01/25(日) 10:13:48

名字の言

天気予報の「降水確率」を見て洗濯するかどうか決めるように、人は物事を判断するとき、「確率」を考える。

では「確率が計算できない」場合は? 

その時、人は「最悪の事態」を予想して行動する。昔、雲行きが怪しかったら洗濯をやめたように。

人間は「不確実性」を嫌う。

活発だった取引が、悲観的なニュースによって先行きが分からなくなると、大方がいっぺんに手を引く。

バブルが、徐々にではなく一気に崩壊するのは、この理由だ。

だが、見通しが立たない困難に直面した時、例えば、突如、生活の糧が失われたり、

病気で医師から余命を告げられたような場合、悲観にとらわれ、最悪の事態ばかり考えていては絶望するだけだ。

最悪を見据えつつ、「不確実」すなわち「決まっていない」のだからこそ挑戦する――

人類は、こうして未来を切り開いてきたのではないか。

冤罪を被って国外追放されたダンテは、過酷な運命に対してなお、

「もし意志の力が/十分に養成されているならば、すべてに克てるはずだ」(『神曲』平川祐弘訳)と。

人間の中には、不確実な人生を確実にしていく力が秘められている。

人生の勝負を決めるのは誰でもない。自分である。だから勝つと決めた人が、最後に必ず勝つ。(09.01.25) (香)

26代理人:2009/01/26(月) 11:01:35

名字の言

「自動車にのって、旅行地の危険な道へかかる時でも、すぐ、万一の時は、新聞がと思う。

怪我をしたら、口述でも、つづけなければ、などとつまらない、空想をよぶ」。

新聞小説の執筆に対する文豪・吉川英治氏の述懐だ(『全集52』講談社)。

一本の大きな主題から細かいテーマまで、小説の構想を練り、文献・資料の収集に当たるだけでも大変な労作業である。

しかも毎日の連載となると一日も気が休まる時がない。書くことだけでなく健康にも細心の注意を払わなければならない。

池田名誉会長が小説『人間革命』執筆を開始して、今年で45周年を迎える。

『新・人間革命』と合わせると、連載回数は5500回を超す。

時には高熱を押して、時には朝方までかかって、1枚1枚と書き綴ってきた。

その上に、世界の識者との対談の連載、同志の激励に詠み贈る長編詩、和歌・句など、激務の合間を縫ってのペンの闘争。

この師の渾身の励ましによって、どれだけ多くの友が勇気を持って人生を勝ち開いてきたことか。

名誉会長は『新・人間革命』の連載開始時に「その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となる」と。

師が全魂を込めて筆を執る大河小説を学び、自らの人間革命に挑みたい。(09.01.26) (芯)

27代理人:2009/01/27(火) 07:16:38

名字の言

1954年(昭和29年)1月27日、聖教新聞の通信員制度が発足した。今年で55周年。

組織の隅々を駆け巡り、友の活躍を自らのペンとカメラで取材する通信員の皆様に心から感謝したい。

通信員歴35年の支部副婦人部長。草創のころは記事を“列車便”で送稿していた。

夜中、書き上げた原稿を携えて、早朝、国鉄(当時)の駅へ。当直の駅員を起こし、やっとの思いで原稿を渡した。

大雪でバスが不通になり、凍える寒さの中を、わが子を背負って、取材先まで歩いたことも。

取材した記事のスクラップの中には、1600人を超える友の笑顔が輝いている。

彼女をはじめ、聖教新聞・通信員の最大の特長は、広布に戦う傍ら、ペンを握っているところにある。

「本当の“闘争人”になってもらいたい」との指針を体現しているのが通信員なのである。

戸田第2代会長は「民衆を不幸にする邪悪を絶対に打ち砕いてみせるという、

赤々とした闘魂、情熱を燃え上がらせている人」と期待した。

「私が戸田先生にお願いをして実現を見た」という

池田名誉会長の思いを違えることなく、師弟勝利のドラマを綴りゆきたい。

そして、この草創から変わらぬ“通信員魂”を忘れることなく、

読者の皆様とともに進みゆく聖教新聞でありたい。(09.01.27) (正)

28代理人:2009/01/28(水) 11:08:39

名字の言

地区協議会で婦人部員が活動報告。女学校を卒業後、50年ぶりに友人と会い、対話の花を咲かせたという。

「決意しなければ二度と会えなかったかも……大満足な結果に終わりました」。その勇気に拍手喝采が。

やり遂げた充実感はさらなる前進をもたらす。とはいえ躊躇する気持ちもあったろう。

後悔には2種類あるという。「何かをしてしまった後悔」と「何かをしなかった後悔」。

著述家の内田樹氏は、“しなかった後悔”の方が「私たちの心を長い時間をかけて酸のように浸食して、

私たちを廃人に追い込む」ものだと述べている(『子どもは判ってくれない』洋泉社)。

何かをなそうとするには、前向きな一歩、決断が必要だ。それは諦めや臆病とのせめぎ合いでもある。

弱さに打ち勝っていく力は、広布の闘争の中で磨かれるもの。

「発心」の原義は「日々、初心に帰って仏道を志す心を起こす」ことである。

日蓮大聖人は「但偏に思い切るべし」(御書1451ページ)、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」

(同970ページ)等、門下に決定した一念に立つことを教えられた。

祈りを根本に、やるべきことを先延ばしにすることなく、直ちになす。

その決意に立てば、立ちふさがる困難も眼下に見下ろしていける。(09.01.28) (葉)

29代理人:2009/01/29(木) 10:45:17

名字の言

情報通信の世界に「メトカーフの法則」と呼ばれるものがある。

“ネットワークの価値や力は、利用者の数にしたがって増大する”というもの。

人間同士が交流するときも、互いに触発し合い、コミュニケーションの輪が生まれる。

注目すべきは、その増え方だ。人数が1人増えるごとに、倍、倍と急増する。

触発が、また新たな触発を生み、交流の輪が爆発的に広がるのだ。

人間の脳の神経細胞は140億個ともいわれるが、これも単独ではなく、

複雑なネットワークを形成することで、無限の可能性を創造することができる。

池田名誉会長は「今日の情報社会にあっても、結合が力である。

いかなる分野においても、孤立したところは取り残され、滅び去っていく」と語っている。

広布の組織にあっても、皆が団結して、目標を達成しようと、互いに手を取り合って前進するとき、

思いもよらぬ力が発揮でき、その相乗効果が「勝利」への上げ潮をつくり出す。

グループを中心に、1対1の真心の対話で、さわやかな共感を広げる婦人部。

名誉会長の随筆「広布の賢者の壮年部」を手に家庭訪問を重ね、ともに学び合う壮年部。

創価の人間の輪は、「一人」への励ましに徹した“触発”から始まるから強いのだ。(09.01.29) (由)

30代理人:2009/01/30(金) 12:33:10

名字の言

インフルエンザが全国的に猛威を振るっている。27日には、全都道府県で患者報告数が「注意報レベル」を超え、

昨年のピーク時を上回る水準に達したことが、国立感染症研究所の調査で分かった。

聖教新聞23日付「暮らし」の「感染症を防ぐための日常の留意点」(宮沢裕内科医監修)。

一般的な感染症の予防には、外出から帰宅しての手洗い、うがいが効果がある、とあった。

特に手洗いの際に留意する点として、次の5点が挙げられている。

(1)指輪や腕時計は外す
(2)石鹸などの洗浄剤を使用する
(3)不十分になりがちな指先、つめの間、親指、手首も含め30秒以上は洗う
(4)流水でよく洗い流す
(5)清潔なタオルなどでふき取る。

近年は「新型インフルエンザ」の発生も懸念される。災厄は大きくならないうちに、手を打つことが必要だ。

そのためにも個人での予防対策を、日ごろから身に付けておきたい。

釈尊も、食前に手洗いや、うがいを必ず行うよう、弟子たちに教えていた(『四分律』)。

医療技術が進展しても、身近な「予防」が肝要なことに変わりはない。“信心しているから大丈夫”という安易な考えは禁物。

「健康こそ勝利の絶対条件」との心構えで、“信仰者だからこそ”細心の注意を払っていきたい。(09.01.30) (誼

31代理人:2009/01/31(土) 10:39:16

名字の言

「どうすれば楽器の演奏が上達するでしょうか」。

あるオーケストラの指揮者に質問したことがある。徹底した基礎練習の反復か、音楽に関する思想を深めることか――

畳みかけた筆者の言葉に、彼は「それもありますが」としつつ一言、「上手な人と一緒に演奏するのが一番です」。

一人では難しい部分も、上手な人の“響き”につられ、いつの間にか演奏できるようになってしまうという。

だから、恥ずかしがらない人こそ劇的に伸びる、と。

先ごろ取材したある研究者は、かみしめるように語っていた。

「学者として徹底した思索は欠かせませんが、独りで考えているだけだと、堂々巡りになる時がある。

そうした自身の“発想の壁”を突破するには良い聞き手との『対話』に勝るものはありません」万般に通じる知恵を感じた。

人間は、人間との触発の中でこそ、大いなる飛躍を遂げることができる。逆に心を閉ざしてしまえば成長は望めまい。

いかに良き出会いを得て、良き関わりを育むことができるか。それが充実と向上の人生につながる。

「共に成長しよう!」「共に前進しよう!」。温かな励ましがあり、溌剌とした生命の触発がある学会の世界。

現代における創価の運動の重要性も、ここにある。(09.01.31) (己)

32代理人:2009/02/01(日) 09:35:55

名字の言

「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる」(御書957㌻)――佐渡御書の有名な一節である。

「畜生の心」とは、動物の心ではない。

それでは動物に失礼だ。散歩の犬が、小型犬をからかい、大型犬にこびを売ることはないのである。

「畜生の心」とは、人間ならではの、ずるさと卑しさにほかならない。

バラバラ殺人も振り込め詐欺もホロコースト(大虐殺)も、人間にしかなしえない仕業である。

“民衆のために”と言いながら、法律の網の目を巧みにかいくぐり、陰でこっそり私腹を肥やす輩もいる。

まことにタヌキも顔負けだ。

だから初期仏教は、もう「人間」に生まれないこと(輪廻からの解脱)を目指したのである。

もちろん一方で、人間には思いやりの心がある。友のため自己犠牲を払うこともできる。

悪魔にも偉人にもなれる――かくも大きな可能性をはらんだ存在が人間なのだ。

佐渡御書にいわく「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」と。「師子王の心」も人間の心である。

それは「大勢の人を励まし、心を尽くして仏法の素晴しさを語っている行動のなかにこそ」

と池田名誉会長(「大白蓮華」1月号)。

人間ならではの“輝き”を取り戻すため、さあ勇気と挑戦の仏法対話へ!(09.02.01) (栄)

33代理人:2009/02/02(月) 10:40:53

名字の言

「歩育」という言葉を、ご存じだろうか。

全身の筋肉の7割を使うウオーキングは健康づくりの意味合いが強いが、それに人間形成の概念を加えたもの。

この言葉を2005年に提唱した(財)大阪府レクリエーション協会によると、「歩く身体運動、歩く学習、歩く観光活動、

歩く交流活動を通じて、ゆたかな五感力、健全な社会性、逞しい身体力」を育むこと。

一昨年からは「健康おおさか21推進府民会議」が共催し、府民運動となっている。

仏教に「経行」と呼ばれる“歩く修行”がある。その効能を
(1)体が鍛えられる
(2)よく思索できる
(3)病気が少ない
(4)消化がよくなる
(5)意志が強くなる、と説く。

平和社会の建設のため、自他ともの幸福のために歩く学会活動は、心身ともに強い自分をつくる歩育とはいえまいか。

「歩」という字は、「止」まるのが「少」ないと書く。立ち止まらない人は強い。

文豪トルストイは、哲学者アウグスティヌスの次の言葉を書き留めた。

「どこで止まっても、止まってしまったらもうおしまいである。

もし、自分はもうこれで充分と言ったりしたら――ただ滅亡あるのみである」(北御門二郎訳)。

自分を建設するのも破壊するのも自分自身。ならば、最高峰の人生へ歩み続ける人でありたい。(09.02.02) (川)

34代理人:2009/02/03(火) 08:00:54

名字の言

「ちかいし願いやぶるべからず」(御書232㌻)――

737年前の2月、日蓮大聖人は、自らが柱となり、眼目となり、大船となって、すべての民衆を救うことを宣言された。

大聖人の仏法は「誓願の仏法」とも言えよう。

仏法の「悟り」そのものを伝えることは容易ではない。

しかし、その正しさに触れ、自身の感動、誓いとして伝えてゆくことはできる。

大聖人は自らの姿で、広宣流布への大願を門下に教えられた。

時々、「あれも、これもたくさんお願いし過ぎたら、欲張りかしら?」と同志から聞かれる。

決してそんなことはない。「願い」はいくら多くても構わない。

大事なことは、願いの根本に、広布への誓いがあるかどうかだ。

他者の幸福のために、自分の身を使うことだ。願いが多い分だけ、真剣に祈り、大いに動けばいい。

戸田第2代会長は会長就任に当たり、「75万世帯の達成」を師子吼された。

この大願に、若き池田名誉会長が立ち上がり、草創の多くの同志が続いたからこそ、今の世界広布の広がりがあるのだ。

新時代に生きる我らも続こう。難しいことはない。

偉大な師匠の言葉に触れ、感動し、誓願し、その熱き思いを友に伝えることによって、

平和と人道の連帯は大きく広がりゆくのだ。(09.02.03) (扶)

35代理人:2009/02/04(水) 18:38:51

名字の言

『三国志演義』には、蜀の宰相・諸葛孔明と、南蛮の王・孟獲との交戦が描かれている。

孔明にとって、孟獲を処刑し、南方を制圧することは簡単だった。ただし、それでは、あとに禍根を残す。

そこで孔明は、捕らえた孟獲を釈放し、自治させる道を選んだ。しかし、孟獲は孔明に反撃を企てる。

結局、孔明は7度も孟獲を捕らえ、その度に釈放する。

そして、最後の釈放のとき、孟獲は孔明の寛大さに心を打たれ、ついに生涯にわたる忠誠を誓った。

相手から厚い信頼を得るまでの道のりは、時に遠く険しい。孔明の7度の南征には莫大な時間や資金、労力が費やされた。

彼の周囲からは、不満や反対の声も出たことだろう。

その中で、孔明は、相手を許し、信じ、心を開くまで辛抱強く寛容の姿勢を貫いた。

法華経は、人々の幸福に尽くす地涌の菩薩の姿を、「忍辱の心は決定し 端正にして威徳有り」(従地涌出品)と描く。

ひとたび正義を叫んだら、相手の心に伝わるまであきらめない忍耐。

「あなたは信頼できる」と、人々を納得させゆく人格の輝き。相手の心を揺り動かす要諦が、ここにある。

さあ、「伝統の2月」。混迷の時代だからこそ、粘り強く、また堂々と、希望の哲学を語り広げよう!(09.02.04) (弘)

36代理人:2009/02/05(木) 10:32:02

名字の言

日本のお札1枚の製造費は約16円。

ではなぜ1万円札に1万円分の価値があるかといえば、皆がそう「信じている」からである。

貨幣であれ債券であれ証券であれ、原理は同じ。資本主義経済を回転させ発展させる根幹には「信用」がある。

現在の金融危機が「信用バブルの崩壊」といわれ、

「百年に一度」と形容されるのは、この資本主義の基盤そのものが揺らいでいるからだ。

哲学者オルテガは“信念は、われわれの生の基盤を作り上げている”と言った。

考えてみれば、経済に限らず、「信ずる」ことなしに、私たちの生活は全く成り立たない。

池田名誉会長はかつて、このオルテガの言を紹介しつつ、「『何を信じ、何を信ずべきでないか』を

体系化したのが宗教であり、その意味で宗教は万人の人生・日常と不可欠に関わっている」と論じている。

「百年に一度」の危機と言うなら、国民一人一人に必要なのは、限りあるこの一生を

「何を信じて生きるのか」という、腰を据えた思索ではないか。

その答えを、私たちは、慈悲と平等と共生を説き切った仏法の中に、厳然と持っている。

2月度の拝読御書に「大悪をこれば大善きたる」(1300ページ)と。

今こそ、日蓮仏法の大哲学を堂々と語りまくる時である。(09.02.05) (飛)

37代理人:2009/02/06(金) 10:18:50

名字の言

古代中国の扁鵲(へんじゃく)とは伝説の名医。

一個人ではなく、ある学派を指すとの説もあるらしいが、広い知識を持ち、特に脈診が優れていたとされる。

しかし、その扁鵲よりも、優れた医師がいたという。

昔、魏の文侯(ぶんこう)が扁鵲に問うた。「君が兄弟三人あり、誰か最も善く医をなすや」と。

扁鵲が答えた。長兄は、病気の兆候がないうちに病根を取り除く。故に、その名は家の外で知られることがない。

次兄は、病気の兆候が、極めてわずかなうちに病を癒やす。故に、その名は知れても一地方を出ない。

私なぞは、手術を施し薬を投じて派手に治療するので、その名は諸侯に及ぶと(巌本善治編『海舟座談』岩波文庫)。

兄たちの治療は、あまりに巧みすぎて、人々はその技量の高さに気づかない。

それをちゃんと見抜いて、兄たちをたたえる扁鵲も、やはり優れた人だったのだろう。

私たちは日々、自身の課題に挑戦しながら人間革命に生きている。

それは、“自分を飾る”作業ではなく“自分を磨く”努力だ。

大切なものほど、なかなか見えない。しかし、見ている人はいるだろう。

世界の多くの識者が今、学会を尊敬し、学会から学ぼうとしている。

一流の哲学を求める時、見えてくるものがあるにちがいない。(09.02.06) (申)

38代理人:2009/02/07(土) 11:21:11

名字の言

また一冊、希望の光源となる珠玉の書籍が誕生した。今月11日発刊の『栄光への指針』。

池田名誉会長が「大白蓮華」に寄稿した巻頭言34編が収録されている。

名誉会長は、2006年3月号から毎月、巻頭言に同志の信心を鼓舞する言葉を紡いできた。

この2月、入会53年を迎える静岡の88歳の壮年も、一言一言をかみしめている一人。

半盲で目が不自由な中、広布の庭で懸命に自身を鍛えてきた。

昨年、周囲の勧めで手術を受け、視力がやや向上してからは、喜びを巻頭言の朗読で表現。

それを全盲の夫人が点訳し、座談会で読み上げた。「池田先生の巻頭言を拝読できるなんて、本当に幸せです」。

夫妻二人三脚の求道の心に感動の拍手が送られた。

60年前の「大白蓮華」創刊号。戸田第2代会長は、巻頭言を「正義を究明せん」と結んだ。

名誉会長は第3代会長に就任直後、巻頭言の執筆を開始。

冒頭には「恩師戸田城聖会長の巻頭言が、全学会員の根本指針である」と綴った。

師の心を受け継いで筆を執り続けた巻頭言は、しかし、会長勇退とともに中断。そして、27年後に待望の再開!。

正義後継の青年部をはじめ皆が新刊の巻頭言集を学び抜いていきたい。

巻頭言は師弟不二の永遠なる栄光の指針である。(09.02.07) (杏)

39代理人:2009/02/08(日) 11:50:07

名字の言

偉人伝に心動かされた少年が、得意げに聞いた。「世界で一番偉い人は?」。母は答えた。「食べ物を作る人」。

どんなに偉くても、食べなければ生きていけない。人生に苦しむときでも、食べなければ、悩めない、と。

「生意気盛りの鼻は一発でへし折られた」。

“少年”だった民俗研究家の結城登美雄氏が著作『東北を歩く』(新宿書房)の中で述懐している。

東北で米作りに励む農村部の友。効率的な営農で一目置かれていた。そんな彼に転機が訪れる。

「おいしいお米を食べさせたい」。声の主は、腎臓病と闘う夫を持つ女性だった。

腎臓病やアレルギー疾患の人が食べる低タンパク米は、当時、国が管理し、“まずい”、“高い”が定番だった。

「ならば!」と彼は奮起。まず、足かけ5年の品質改良で「まずい」を克服。

さらに、価格問題を解決するため、当時、“壁”となっていた法律の改正を申請。

粘り強い取り組みが実を結び、「農民が法律を変えた!」と周囲は驚いた。

「『人間のため』の視点で見れば、何をすべきか見えてくる」。本年もすでに、米作りを始めたという。

華々しい仕事には程遠い、種もみを一粒ずつ見定める作業が続く。

しかし、「何のため」を見失わない姿勢は常に輝くものだ。(09.02.08) (城)

40代理人:2009/02/10(火) 10:31:22

名字の言

不思議だが、自然栽培で育ったリンゴは、皮をむいてもすぐには茶色く酸化しないし、腐りにくいという。

栽培するのに、農薬も肥料も使わない。普通なら、病虫害により、リンゴ畑は壊滅。これが常識だ。

だが、不可能を覆し“奇跡の果実”をたわわに実らせた農家がある。

片っ端から専門書を読んで試したが、既存の知識や経験が通じない。だから、一つ失敗するたびに、一つ常識を捨てた。

“無垢の心”で挑み続け、研究者も驚く栽培法を編み出した(木村秋則著『自然栽培ひとすじに』創森社)。

仏法に「動執生疑」とある。相手の執着している心を揺り動かし“これまでの考えは正しかったのか?”と疑問を生じさせる。

そして、より高次元へと目を開かせる「変革」の原理だ。

何より難しいのは、自分自身の執着を打ち破ること。誰しも、経験から“正しいに決まっている”と思い込みがち。

だが、先入観にとらわれていては停滞するばかり。楽な方へも流される。

壁を破る生命力を生み出すのが信心である。

激動の時代。どの世界でも、“今までこうだった”というマンネリは通用しない。

二の足を踏まず、「発想革命」「行動革命」を起こす時。

伝統の2月。自らを刷新し、勝利の上げ潮を築きゆこう!(09.02.10) (誠)

41代理人:2009/02/11(水) 11:15:20

名字の言

幕末を駆け抜けた志士・高杉晋作。

彼が幕府の海外派遣団として渡航する間際、叔父にあてた書簡が昨年、発見された(読売新聞)。

そこには上海に赴く彼の心情が。

「藩主から大任を受けているのだから(自分を批判する)風評や伝聞くらいのことでは動じることはない」。

長州藩士、攘夷派の中心人物だっただけに、同志たちの反発も強かった。

「風評がかなり多いが、外国(列強)の形勢は私であればこそ探索できる」。使命感あふれる自信がうかがえる。

清が欧米の植民地となりつつある実情を見聞して帰国。わずか2カ月のこの体験が転機となった。

国の将来を憂いて民衆の決起を訴え、奇兵隊を創設。倒幕へと信念のままに活躍し、歴史を動かしていった。

信念に殉じる人生は尊い。

時代に流されることなく、中国、ソ連との友好を築いていった池田SGI会長。

両国が反目していようとも反宗教的イデオロギーが強くても、そこに人間がいるからと率先して身を投じ信念を貫いた。

一時の風評など眼中になく、未来を見据え、対話の外交戦を起こしてきた。

そこには民衆の未来を背負う責任感があった。

この根本が明確ならば、世間の風評に心動かされることはない。時代を超えた共通の真実だろう。(09.02.11) (陸)

42代理人:2009/02/12(木) 07:46:18

名字の言

「つらい時 口から飛び出る 学会歌」。

聖教新聞「新・生き生き川柳」(1月30日付)に掲載されたこの句を見て、

「その通りだ!」と共感を覚えた方も多いのではないだろうか。

学会歌の思い出は尽きない。

仏法対話に臨む際、「威風堂々の歌」を何度も歌って勇気を奮い起こした。

会合で、「広布に走れ」を友と大合唱し、広宣流布の誓いを新たにした。

学会活動を終え、「紅の歌」を口ずさみながら、意気軒高に帰宅した日も懐かしい。

学会歌を歌うと、いつも心に太陽が昇る。

広布第2幕に当たり、学会歌が続々と誕生している。

昨日の本部幹部会でも、男女の学生部、農漁村部、学術部、社会部の新しい部歌が披露された。

農漁村部歌「誉れの英雄」を合唱した、栃木でイチゴを栽培する農村青年が語っていた。

「この歌を歌うと、『勇気』がみなぎります!資材費の高騰などで、農業を初めて以来、今が一番苦しい時ですが、

私は絶対に負けません。必ず“勝利の春”を迎えます!」。

ドイツの詩人フライシュレンの詩の一節を思い出した。

「くちびるに歌を持て、/軽く、ほがらかに。/自分のつとめ、/自分のくらしに、/よしや苦労が絶えなかろうと、

/いつも、くちびるに歌を持て」(山本有三訳)。(09.02.12) (川)

43代理人:2009/02/13(金) 10:41:31

名字の言

パイロット歴40年以上。飛行時間1万9000時間以上。

大ベテランの機長が言った。「あの瞬間に対処するために、これまでのキャリアがあったのだと思う」。

先月、ニューヨークのハドソン川に不時着した旅客機の機長。

エンジン2基が停止後、不時着までの3分間、思い切った決断力と冷静な対応で、乗客全員を守った。

全米が「ハドソン川の奇跡」と喝采した。

「問題を解決しなければならない、窮地を脱する方法を見つけなければならない、ということだけ分かっていた。

それに夢中だった」。淡々と、機長は語っている。「自分にはできると確信していた」。

たった3分。生と死の狭間。この瞬間、彼を突き動かしたのはほかでもない。

「絶対に成功させる」という執念と、「絶対に成功できる」という確信だった。

いざという試練の時、「賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)。

試練にも喜び勇んで挑む「賢者」の一念こそが、我らの「信心」である。

「乗員全員が、訓練通りに任務を遂行しただけだ」と機長。

日々、わが人間革命に挑み、友のために行動する創価の友もまた、何があろうと「勝利の空」へ飛翔しゆく。

「日頃から学んでいる通りだ!」「自分は必ずできる」と誇りも高く。(09.02.13) (鉄)

44代理人:2009/02/14(土) 10:20:47

名字の言

寒い朝、ほころんだ梅の花を見た。生命の息吹が感じられ、心が温かくなった。

今年も、四季を巡る植物の命のリレーが始まった。自然界で命が継がれていくのと同じで、人の世界も後継は大事だ。

いわゆる入信動機を持たない世代は、信心の確信をつかむ必要がある。

その意味でも、精神的な成長を遂げる中学・高校生時代は、重要な時期だ。

この時に、親や親族が語り、伝える努力を重ねれば子は信心を理解し始める。

聖教新聞の連載「若き指導者は勝った(大阪の戦い)」には、名誉会長の指揮のもと広布拡大に戦い、

不滅の金字塔を打ち立てた大阪の友の姿が紹介されている。

その一人である婦人のお孫さんが、過日の声欄に投稿。

当時のエピソードとともに「大阪の戦い」は師匠との魂のきずなとして親子代々、語り継がれてきたと記している。

何のために信仰をするのか。

学会の歴史と精神とは。

師弟不二とは。

伝えるべき時機を逃さず、一つ一つ、丁寧に話していくしかない。さらに肝心なのは確信と情熱。

懸命に祈り、戦う心、広宣流布への熱い心で語ることだ。その真剣さが若い命に届く。

大切な後継者だ。偉大な使命を持つ友だ。

誠実にかかわり、創価のバトンを確実に手渡しする責任を果たしたい。(09.02.14) (弓)

45代理人:2009/02/15(日) 11:40:48

名字の言

「やっぱり“効率的な子育て”なんて、ありませんね」。

幼い子を持つ父親が語っていた。仕事なら「無駄なく」「速い」ほうが良い。だが子育ては違う、と。

子どもはよく回り道をし、失敗する。「早く!」と焦る大人からすれば、無駄ばかり。

しかし、こうした“非効率的な”行動を通して子どもは成長していく。

親との深い信頼関係も、「どんな自分も受け入れてくれる」との安心感から培われるという。

現代文明の根幹には、「効率性」「利便性」の追求がある。いかに「手間をかけないで」「楽に」物事を進めるか。

そのために多くの機械が生まれ、便利な通信機器も発達した。

だが、それによって「幸福感」が増大したかといえば疑問符が付く。

かえって人間同士のつながりが薄れ、孤独を感じる人が増えているとの声も多い。

人間を結び、共に真の幸福へ歩みゆく。これが学会の大運動だ。

何度も同志のもとへ足を運ぶ。一人の友と膝を突き合わせて語る。

「効率重視」でなく「人間重視」。

学会が発展してきた理由の一つが、ここにある。

「大変」だから成長がある。「楽じゃない」から真の充足がある――現代社会が見失いがちな哲学だ。

人間の内面を磨き輝かせる私たちの前進に、世界が期待している。(09.02.15) (駿)

46代理人:2009/02/16(月) 10:21:35

名字の言

池田SGI会長は、

先月発表した第34回「SGIの日」記念提言を、「100年に1度」と形容される金融危機から論を起こした。

今回の破綻の最大の原因は、

「本来、経済活動を円滑化するための“脇役”であるべき金融が、“主役”の座を占拠し」たことにあると。

経済活動における“主役”とは、モノを作る人やその商品を消費者に売る人、

作られた場所から売られる場所に運ぶ人など、あくまで「人間」であるはずだ。

それが、汗を流して働く人々が軽視され、滞りなく進むようにするための金融が“主役”のような顔で利益を追い続けた――

ここに根本的な狂いがあったのではないか。

このような“主客転倒”を、社会万般にわたって正すことが、私たちの目指す変革と言えるかもしれない。

「宗教のための人間」ではなく「人間のための宗教」に。「幹部のための会員」ではなく「会員のための幹部」に。

教師と生徒、為政者と国民、医師と患者……地位や立場に付随する権力は、自らを利するために用いてはならない。

私たちには、仏法哲理に裏打ちされた“人間が中心”“民衆が根本”との哲学がある。

ここに「現代の混迷を乗り越える希望がある」と、多くの識者から賞讃の声が寄せられているのだ。(09.02.16) (糀)

47代理人:2009/02/17(火) 10:58:00

名字の言

各地で「伝統の2月」の座談会が始まった。

「青年・勝利座談会」と掲げて行われる今回は、拝読御書である「大悪大善御書」を皆で学ぶとともに、

広布第2幕を痛快に前進する青年たちの、歓喜と勝利のドラマを語り合いたい。

大分のある男子部員。昨年、突然、会社を解雇された。その後、幾つも採用試験を受けるが、すべて不合格。

彼は足に障害があり、松葉づえがないと歩けない。面接会場で門前払いされ、悔し涙に暮れたこともあった。

しかし、心から希望の炎が消えることはなかった。夜は牙城会員として宝城を厳護。学会理解の対話拡大にも挑戦した。

何より「人生の師匠である池田先生に、勝利の報告をしたい」と、寒風の中、祈っては何社も通い続けた。

彼の誠実な熱意が実り、64社目にして就職が決まる。待遇も前の会社以上。

それこそ、拝読御書の「迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、

舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし」(1300ページ)との心境だっただろう。

苦しみや悲しみが深いほど、勝ち越えた喜びは大きい。

“大悪”とも言える逆境を、“大善”へと変えていく鍵は、強き祈りと執念の行動、

そして師への報恩の心であると確信し、きょうも広布の舞台に躍り出たい。(09.02.17) (正)

48代理人:2009/02/18(水) 08:27:42

名字の言

受験シーズン真っ只中。受験生を抱えるご家庭も多いだろう。配慮はもちろん皆で励ましのエールを送りたい。

ある男子部員と語り合った際、創価大学を受験した当時の話になった。

初めて一人で上京し受験。募る不安。相談に乗ってくれたのは同郷の二つ年上の先輩だった。

試験当日にはアパートに泊めてくれた。当日は、先輩手作りの弁当まで持たせてくれた。

後日、母親がお礼を言う機会が。その際、彼に尋ねた。「なぜ、そこまでしてくださったのですか?」。

困った様子で一言。「僕はただ、僕の先輩にしてもらったことをしたまでです……」。

“先輩は伸びゆく後輩を大切に”。創大創立者の池田名誉会長の指針である。

そして誰よりも、その範を示しているのが、創立者自身だ。

時には親代わりとなって、生活面に気を配り、時には就職先を心配し、学生の進路に心を砕く。

卒業生の輝く勝利を祈り続ける。

先日も、退寮する学生に,“皆、体を大事にして、偉大な指導者に”と伝言を。

ある識者が語っていた。

「創大には、学生のために奔走する創立者がいて、その心に応えようとする学生がいる。その絆が年々、太くなっている」。

伝統とは、創立の精神を受け継ぎ発展させること。それこそ報恩の道である。(09.02.18) (奨)

49代理人:2009/02/19(木) 10:20:26

名字の言

インターネット上で公開する日記「ブログ」や自己紹介のページ「プロフ」、

学校裏サイト……無関心でいると、子どもがネット上のトラブルに巻き込まれている可能性がある。

「親子のためのネット社会の歩き方セミナー」と題する講演会で、鳴門教育大学の藤村裕一准教授の話を聴いた。

子どもを取り巻く現状など、これまで見聞きしたことがなかった内容に、認識の甘さがよく分かった。

ネット社会における、親から子への指導ポイントがあった。
(1)ネット・携帯の良い点、悪い点を伝える
(2)「〜してはダメ」でなく「〜しよう」で話す
(3)子どもがどう使っているか関心を持つ
(4)家庭でのルールを作り守っていく
(5)何でも相談できる雰囲気づくり等々。

そして何より大事なのは親子のコミュニケーション、と。携帯電話を持つことの可否も含め、よく話し合っていきたい。

御書に「ふがいない者でも、助ける者が強ければ倒れない。

少し強い者でも一人であれば、悪い道では倒れてしまう」(1468ページ、趣意)とある。

親子関係でいえば、成長途上の子を支えるのは、親の助けである。

それは“抑えつける”ことではない。賢明に知恵を働かせ、子どもをサポートすることであろう。

日々の親の成長こそ求められる。(09.02.19) (濤)

50代理人:2009/02/20(金) 10:20:47

名字の言

百年先でも持ちこたえる羽子板を作る――伝統ある「押絵羽子板」を制作する西山鴻月氏の意気込みだ。

この道72年。しかし今も、満足のいかなかった部分に、最初に目が行く。素人目には判別できないほど。

そこを改善して、次にどう生かすか。求道心に衰えはない。

良いものを作るために技術を磨く。それは当然だが、さらに大切なのは「人間性」を磨くことだという。

作品に“作り手自身”が映し出されるからだ。西山氏は若かりしころ、父親から「いい人間になりなよ」と言われた。

その真意を理解するのに十数年かかった(鮫島敦著『職人を生きる』岩波ジュニア新書)。

プロ野球・楽天イーグルスの野村監督も、

「技術ばっかり教えても人間教育をしっかりやらないと野球人としても成長しない」(「潮」3月号)と手厳しい。

各界の一流が実感する「人間」を磨く大切さ。それこそ、信仰の根本目的だ。

人間を磨くには、人間の中に飛び込むしかない。

友に会い、友の悩みに耳を傾け、祈り励ます。他者に尽くす行動が実は、自身の境涯を高めゆく。

名誉会長は「『師弟』という絶対無二の法則に、人間教育の真髄はある」と。

偉大な人格を求め、峻厳な薫陶で磨かれる中で偉大な人格は生まれるものだ。(09.02.20) (馨)

51代理人:2009/02/21(土) 10:53:44

名字の言

後継の人材育成が、ますます重要と痛感する昨今、感慨深い二つの場面に出くわした。

「言葉を話すのは口です」と言い、青年は紙に「くち」と書いた。「心の強さを表すのは意志です」。「いし」と書く。

興味津々の未来部員たちに、「これらを濁らせてはいけないよ」と言いながら、濁点を打つ。

「『ぐち』(愚癡)と『いじ』(意地)に変わります。すると……」。

さらにペンを走らせ、「つかめたはずの『とく』(徳)も、『どく』(毒)になってしまいます」。

青年は結んだ。「濁らせず、ピカピカに磨くのが信心です」。信仰の大切さを、やさしい言葉で教える名講義だった。

また、ある日、高齢の男性が、一人の青年と会館内の出版コーナーを訪れた。

就職で故郷を離れる孫に御書を贈るのだという。「『もはや、ここまでか』と思う苦難さえも、

乗り越えていける智慧の一切が書かれてある。御書を絶対に手放すなよ」と言葉を添えた。

孫が受け取ったのは、祖父が命に刻む“信心の確信”だったにちがいない。

この仏法で、自身の可能性を最大に開花できるという不動の確信。

学会と出会い、師と共に生きることで本物の幸福をつかめた喜び――

「信心の継承」といっても、伝えるのは「心」である。(09.02.21) (城)

52代理人:2009/02/22(日) 11:20:39

名字の言

「リスク」という言葉は、リスク管理やリスク回避のように「危険」と同義で使われる。

語源は様々いわれるが、元北海道教育大学教授の宮崎正勝氏は、イスラム世界で使われた「海図のない航海」

を意味する言葉リスコが語源という。危険の中でも“未知の危険”といえよう。

かつて氏は聖教新聞のインタビューで「海図なき航海」に乗り出していったシンドバッド、コロンブス、オランダ人は、

信仰を根本とした“精神の力”が支えだったと指摘。「今は科学の時代で、信仰心がなくなった分だけ、

人間が『現実の海』でさまよってしまっている面があるのかもしれない」と語った。

まさに人生は「海図なき航海」。幸福という目的地へ、勇気を奮って乗り出さねばならない。

ところが、人は経験的に分かっている危険には気をつけるが、未知のものには意外と鈍感だ。

振り込め詐欺の被害者へのアンケートで、「自分は被害にあわないと思っていた」人が8割に上ったものも。

知識を総動員して危険を回避するのは当然。

自分の行く手に待っている“未知の危険”を見つめ、それと戦う精神の力を磨く努力を怠ってはならない。

「賢人は安きに居て危きを歎き」(御書969ページ)だ。

「現実の海」で、さまよわないために。(09.02.22) (香)

53代理人:2009/02/23(月) 08:32:31

名字の言

「私はもっとも多数の人たちと友に生活し、共通のことで苦しみ悩み、そのなかに生きる希望を探求してゆきたい。

――私のもっとも恐れる事は、机上で仕事をすること」。

作家・山本周五郎の信念である。(『小説の効用・青べか日記』光文社)。

先日、聖教新聞の配達員歴30年を超える婦人とお会いした。遠慮がちで、控えめな方だった。

だが、配達のコースを一緒に回ると、近所の人たちが次々と笑顔で声をかけてくる。

“無冠の友”の誇りを胸に、長年、地域に友好の輪を広げてきたことを歩きながら伺った。

机上では見えない。が、現場へ足を運ぶと見えてくるものが数多くある。

創価学会は民衆と共に前進する団体である。

“頭でっかち”は必要ない。大切なのは、地区・ブロックといった“広布の現場”であり、社会の現実と格闘する一人一人だ。

「ある意味で『現場こそ師匠』」と名誉会長。「そこに学ぼうとしない指導者には成長がない。必ず行き詰る。

広宣流布の最もホットな『電場』。そこで真剣に戦った人が、一番、偉大である」。

最前線を知ってこそ、勝利への知恵もわく。打つ手も的確になる。

私の最も誇れることは、現場で友のために働くこと!――そう胸を張れる行動第一のリーダーでありたい。(09.02.23) (芯)

54代理人:2009/02/24(火) 08:01:01

名字の言

今から50年前。一人のアフリカ人留学生がケニアから米国へ。

彼は留学先のハワイ大学で米国人女性と知り合い結婚。やがて男の子が誕生。

その子こそ、黒人として初の米大統領となったバラク・オバマ氏である。

父はケニアに戻り、母国の発展に尽力。母とオバマ少年はアメリカに残った。少年は母に育てられた。

母は白人だったが、オバマ少年に公民権運動の指導者キング博士の夢を語り、黒人の優秀な法律家や音楽家の活躍を教えた。

現実は差別が溢れていた。しかし、「我々は堂々と美しく、その逆境を生きるのだ」と

母は子を励ました(白倉三紀子・木内裕也役『マイ・ドリーム バラク・オバマ自伝』)。

キング博士の盟友ローザ・パークスさんも池田名誉会長との対談で、最も尊敬する人は「母」と。

「自尊心を持ちなさい。人から尊敬される人になり、人を尊敬していきなさい」が母の教えだった。

歴史的な黒人大統領誕生の背後には、差別と戦い続けた、無数の母の愛と信念と祈りの連鎖があった。

名誉会長は詠んだ。

「母の祈りに 勝る力はない。祈り戦う 母の行動を しのぐものはない」(「偉大なる尊き母の交響楽」)。

学会の大発展を支えた誉れ高き「創価の母」に心から感謝を捧げたい。(09.02.24) (進)

55代理人:2009/02/25(水) 10:22:05

名字の言

ある大手建設会社の支店長の話。

プロ野球の本拠地として使用するため、老朽化した球場の大規模な改修工事を請け負った。

工期はわずか3カ月半。もし失敗すれば、社の信頼を大きく損なう危険性も。

30代の青年が現場の責任者に抜てきされた。工事関係者も若くて、野球好きが選ばれた。

安心して大胆な発想ができるよう、社としても、バックアップに万全の態勢を敷いた。

若者たちが掲げた目標――それは選手と観衆が親しみ楽しめる“夢のある球場”。一丸となった。

例年の2倍を超える積雪。難航する工事に「開幕に間に合わない」とマスコミは騒いだが、突貫工事で予定通りに完了。

青年たちは、一回りも二回りもたくましくなったという。

いかなる組織も、次世代の成長なくして、発展はない。大きく育てゆくためには、信じて任せる“忍耐力”も必要だろう。

人は厳しい環境下であっても、使命と責任を深く自覚した時、大きく成長できる。

まして不可能を可能にする妙法があれば鬼に金棒である。

支店長は学会への共感を語っていた。学会は、どの団体よりも懸命に、青年を育てている。

だから発展した。その模範が名誉会長である――と。

陸続と人材を育む広布の庭の“土壌づくり”に力を尽くそう。(09.02.25) (仲)

56代理人:2009/02/26(木) 10:42:51

名字の言

「終わっても、その場を去りがたい思いを残した、素晴らしい2月の座談会でした」――

青年・勝利の座談会に出席した、神奈川の婦人部員から届いたお手紙。この結びの言葉に心打たれた。

文面から、笑顔の花咲く座談会の様子が伝わってくる。

3年越しの対話で、友人を日顕宗の魔の手から救済した副白ゆり長の報告。

御書講義の担当は、脳性まひのハンディを乗り越え、社会で奮闘する男子部ニュー・リーダー。

「全員が強い感動を覚えました」。

担当幹部の副総県長は、青年時代の師匠との出会い、子どもの病を通して信心を深めた体験を語った。

終了後、「座談会に参加してよかった」と、皆が口をそろえていたという。

牧口初代会長は学会創立の年(昭和5年)から、

弘教した家庭で早くも座談会を開き幸福拡大へ前進の歩みを開始していった。

創価伝統の座談の輪には、同苦あり、哲学あり、歓喜あり、希望あり。正しく強く生きる力が漲っている。

池田名誉会長は「随筆 人間世紀の光」<「青年・勝利」の回転軸>で、

「『人が集まる』ところに、力が生まれる」と強調し、呼びかけた。

「師弟勝利の座談会を、朗らかに飾りゆこうではないか!」。

広布の後継を誓う3月も、意気揚々と座談会へ!(09.02.26) (杏)

57代理人:2009/02/27(金) 10:45:58

名字の言

「出版活字文化への多大なご功績とご尽力に満腔の謝意を捧げます」――

先日、池田名誉会長に贈られた宮崎県書店商業組合からの「感謝状」。

同組合の田中隆次理事長は、高らかに読み上げた。席上、名誉会長からの謝意が伝えられた。

名誉会長は、青春時代から愛誦した、宮崎県出身の国民的歌人・若山牧水の和歌を紹介しつつ、

「良き活字文化こそ、未来からの使者である青少年の魂を照らし、伸ばしゆく精神の太陽です」と。

小説、随筆、詩、童話など、名誉会長の「良き活字文化」に対する貢献に、各界から感謝の声が寄せられている。

今月だけでも、山陰中央新報社、宮脇書店に続いて、3番目の顕彰となる。

こうした賞讃の声は、国内にとどまらない。世界40言語・1000点以上が、海外で翻訳出版され、

フィリピン・リサール協会最高文学賞をはじめ、各国から文学の最高栄誉が贈られている。

低次元な悪書は、邪悪な嘘や卑劣な毒を流す“凶器”となる。

反対に、良書は正義と真実が勝ち栄えていくための“英知の宝剣”だ。

今月1日から始まった「未来部希望月間」(3月15日まで)。

後継の“学会っ子”たちが人生を育む良書に触れ、未来の可能性が大きく開けるよう皆で応援したい。(09.02.27) (誼)

58代理人:2009/02/28(土) 07:57:24

名字の言

文献の「献」とは賢人の意。本来、文献とは、書かれたものと、人によって伝えられたもの、その両方を指す。

仏典に出てくる「知識」とは知人のこと。善知識とは良い友達を意味する。

文献や知識と言う言葉から、しかし今日、人間のぬくもりは、ほとんど抜け落ちてしまった。

インターネットの普及は、その傾向にますます拍車を掛けている。

匿名情報が横行するネット社会は、一面、虚偽と妄想の世界に化しつつあると言っても過言ではない。

学ぶとは、師弟・学友という「人間社会」に、身を置くことにほかならない。

その熱きふれあいのなかでこそ、人生を豊かにする知恵と知識が得られるのである。

マレーシア公開大学から、池田SGI会長に名誉博士号が贈られた。

同大学は、生涯学習を目指す、通信教育の学府。「すべての人のための大学」を理念とする。

SGI会長は謝辞の中で「人生は、一生涯、『学び求める心』を持ち続けた人が勝つ」と語った。

西洋における「大学」の語源「ウニベルシタス」とは、本来、“学ぶ者の集い”を意味した。

大学とは、建物でも、教授のシステムでもないのである。

人と会い、人に学ぶ――。この創価の民衆運動こそ、人間のための「最高学府」にちがいない。(09.02.28) (智)

59代理人:2009/03/01(日) 11:35:59

名字の言

「娘よ――/いつかおまえの/たったひとつの/ほほえみが/ひとりの男を/生かすことも/あるだろう」。

谷川俊太郎氏の詩「雛祭の日に」の一節だ。

“微笑み”には色や形はない。しかし、人の心を揺り動かす力がある。

御書には、激高する客を主人が微笑みながらなだめ、諭す場面が描かれている(24ページ)。

また別の御書で、日蓮大聖人は門下に対し、親に特別な孝行ができないときは、

1日に2、3度、笑顔を見せるように勧められている(1527ページ)。

体験談の取材でも、一番苦しい時に、同志や家族の笑顔に救われた――という話を、よく聞く。

笑顔は周囲に勇気と希望を与え、時に一人を「生かす」こともある。だから、笑顔の人は励ましの人だ。

英語の「スマイル」には「微笑む」以外に、「幸いする」「幸運を開く」との意味もある。

他者のために灯をともせば、自分の前も明るくなる。

人は幸せだから笑顔になるのではなく、笑顔になることで、幸福への軌道を歩んでいけるのかもしれない。

学校、職場、地域で、多くの人が移り変わる3月。希望や不安を抱きながら、新たな一歩を踏み出す友がいる。

私たちは、笑顔で旧知の友を送り出し、新たな友を迎えたい。自他共の幸福を、心より願いながら。(09.03.01) (弘)

60代理人:2009/03/02(月) 11:04:27

名字の言

ある会合で、中心者が「壮年部の皆さん、こんばんは!」と呼び掛けるも、参加者は沈黙。

あれっ、元気がないのかな……。続いて「婦人部の皆さん!」と声を掛けても返事はなし。えっ、そんなはずは……。

場内を見渡すと、それらしき方々は大勢いらっしゃるのだが、なぜ? 

しかし「青年部の皆さん!」との呼び掛けがあった途端、全員が一斉に「ハイ!」と挙手。

会合は拍手と笑いに包まれ、若々しい息吹にあふれて進められた。青年部も元気だが壮年・婦人も負けじと、はつらつ。

前進の勢いは、そうした賑やかなところから生まれる。

「ボーイズ・ビー・アンビシャス(青年よ大志を抱け)」の言葉で有名な札幌農学校の創設に尽力したクラーク博士。

これには続きがある。それは「ライク・ジス・オールドマン(この老人のように)」。

博士に自ら先頭を行く気迫と情熱があったからこそ、

1年に満たないわずかな滞在の間に、若者たちへ大きな影響を与えたのだろう。

「若さとは、決して年齢によって決まるものではない」

「たくましく生きぬく情熱の炎によって決定されていく」とは池田名誉会長の贈言。

「年は・わか(若)うなり」の仏法である。心も若く、日々、生命に新しい太陽を昇らせよう。(09.03.02) (道)

61代理人:2009/03/03(火) 07:47:45

名字の言

「伝統の2月」から、躍動する「青年の月」3月へ。

学会は、皆が青年の心で、はつらつと前進している。

先月の「青年・勝利座談会」。

壮年・婦人の先輩が、青年たちに、自身の池田名誉会長との忘れ得ぬ思い出を語り伝えた地域も多かった。

昭和30年代に入会した婦人。

両親の反対に遭いながらも、女子部の会合に通い続けていると、先輩が「女子部幹部会」に連れて行ってくれた。

初めて聞いた名誉会長の話が忘れられない。

“どのようなことがあろうと、幸福の軌道である学会から離れてはいけない”―

―青年の身になって語り、未来を案じる人がいる。だから、学会には若い人が集まる

不安と不信が渦巻く現代にあって、心に染み入る話だった。

壮年部員を訪ね歩くと、入会して半世紀を迎える友も多い。

「信心の年数が長くても、まだまだです。これからですよ」と照れくさそうに。

謙遜しておられるが、皆が共通して、明確な「信仰の原点」を持っていた。

それは“こうすれば人生の波乱万丈を乗り越えられる”という核心であり、勝利の方程式だ。

暗いニュースばかりが話題になる昨今、わが創価の世界は知れば知るほど、希望あふれる世界。

この真実を、明るく朗らかに堂々と語っていこう。(09.03.03) (扶)

62代理人:2009/03/04(水) 10:50:33

名字の言

貧しさや家庭の事情で、文字を学ぶことができなかった人々に「識字教室」で教えた経験を持つ水谷修氏が綴っている。

一人のおばあさんが書く喜びを知って氏の手を握った。

「字ってすごいよ。命が入ってる。この『母』っていう字を書くと、亡くなった母の思い出がいっぱい出てくる。

『山』っていう字を書くと、ふるさとの山が見えてくる」と(『あおぞらの星2』日本評論社)。

先の文部科学省の調査では、中高生の7割近くが、

脅迫的文言でメール転送を迫るチェーンメール等のトラブルに遭ったという。

心ない一文が、いじめや自殺まで引き起こすことを思えば、文字は人の心を大きく動かし、

幸福にもすれば、不幸にもする力を持つことを痛感する。

私たちの周囲は、励ましの文字でいっぱいだ。

がんと闘う友に1年間、激励を続けた壮年。認知症の老母に、はがきを送り続け、5000枚に達した婦人――。

それらの文字はすべて、人生勝利の原動力となった。

気休めや美辞麗句ではなく、相手を思いやる心の深さ、豊かさが文字となり、生きる力をわき立たせていったのだ。

御書に「文字は是一切衆生の心法の顕れたる質(すがた)なり」(380ページ)と。

心を込めて文字を綴りながら、互いの人生を鮮やかに飾りたい。(09.03.04) (立)

63代理人:2009/03/05(木) 10:44:18

名字の言

「断じて成し遂げる」との一念。

それは行動を伴うものだ。時にもたげる惰性を排し、自分を叱咤しながら精進を続ける。

その弛まぬ努力の先に、偉大なゴールもある。

脳神経外科医の上山博康氏は、直径3ミリの血管を事もなげに縫い合わせる技量を持つ。

その確かな技術を、大勢の患者が求めてくる。氏は「患者は人生をかけて医師を信頼する」

「だから絶対に成功させる。そのために努力することこそが、僕らの仕事」と。

年間に手がける脳外科手術は300を超える。

氏には忘れられない恩師の言葉がある。

「人間、何かをやっていれば必ず評論家みたいに批判だけする人が出てくる」(『プロフェッショナル 仕事の流儀9』)。

先駆者に非難・中傷はつきもの――草創の方の話を聞いた。「病気の問屋」と言われた自身。

仏法に巡り合い、こんな自分にも人を救えるのだと、折伏に歩きに歩いた。

「まずは自分の病を治してみろ」と冷笑された。だが一歩もひるまなかった。

気付くと健康な体に。今では地域の相談役として信望を集める。

批判を恐れぬ「覚悟の一念」で未来を開いてきた幾千万の同志。

そうした友が師と心を合わせ、世界192カ国・地域に信頼を広げる。

SGIは、人類史に輝く壮挙だ。(09.03.05) (敬)

64代理人:2009/03/06(金) 11:17:22

名字の言

築45年の老朽水族館が全国のライバルを抑え、本年度の国内の動物園・水族館に贈られる最高賞「古賀賞」に輝いた。

山形県鶴岡市にある加茂水族館である。

十数年前まで赤字が続き、倒産の瀬戸際に追い込まれていた。

逆転の突破口は、一人の青年が開いた。彼は困難なクラゲの飼育に挑戦。

知識も予算もない中で、創意工夫を凝らし、世界初の種の繁殖に成功。

以後、飼育種を増やし、4年前、クラゲの展示種類数で世界一を達成。同水族館に全盛期のにぎわいが戻った。

7年前に失明した婦人がいる。一度は人生に絶望した。

だが、何度も彼女のもとを訪ねた親友の「あなたにも使命がある」との言葉が胸奥に響き、入会。

彼女は失明後の心境を詩に託した。親友が曲をつけ、病院や介護施設で慰問コンサートを。

苦難に負けぬ彼女の歌が患者らの心に希望を広げた。

「恵まれた環境であったなら、“世界一”にはなれなかっただろう」(加茂水族館の村上龍男館長)。

たとえ何不自由ない環境でも、そこに安住してしまえば勝利はない。

逆に、不遇の環境にあっても、大情熱を燃やして「一剣」を磨いた人には、必ず道が開ける。

私たちには「信心の利剣」がある。生涯、持ち抜き、“今”を懸命に勝ち抜こう。(09.03.06) (空)

65代理人:2009/03/07(土) 11:13:46

名字の言

米アカデミー賞の外国語映画賞に輝いた邦画「おくりびと」。各国から上映の申し込みが相次いでいるという。

人間の「死」と向き合った作品が世界で高い評価を得たことに、時代の変化を感じる。

「死を忘れた文明」といわれる近代において、死はもっぱら忌むべきものとされてきた。

「生が善なら死は悪」「生が有で死は無」等とマイナス・イメージを割り振られてきた。

できれば死は遠ざけたい。しかしどんな権力者や富豪であれ、万人が間違いなく直面するのが死。

今の人生がいかに楽しみに満ちたものであっても、必ず終わりは来る。愛する人との別れも避けえない。

御書に「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(1404㌻)と。

大事なのは己の有限性を自覚した上で、どう価値ある人生を築くかだ。

世界金融危機の震源地・米国では今、強欲資本主義への反省とともに、

物質的な豊かさのみを求める生き方を見直す人が増えているという。

かつて池田名誉会長は、ハーバード大学の講演で訴えた。仏法では生死不二と説く。

死は新たな生への出発であり、充電期間である。「生が歓喜」なら「死もまた歓喜」となる――と。

生死を見据えた仏法哲学こそ、現代文明の病理を乗り越える原動力となろう。(09.03.07) (駿)

66代理人:2009/03/08(日) 12:54:21

名字の言

本年は歴史学者トインビー博士の生誕120年。博士は日本を3度訪れ、最後の旅は78歳だった。

老碩学に関係した人の証言を結ぶと来訪目的が浮かび上がる。

故・貝塚茂樹京都大学名誉教授は博士に出会った記憶を書いた。

「博士の意見のなかで、特に記憶に残っているのは、世界の平和を実現するには、宗教の力を借らねばならぬ。(中略)

仏教のような寛容性をもつ宗教がこれに適していると力説した」(朝日新聞1975年10月25日付)。

3回目の訪問時、通訳を務めた渡辺武達同志社大学教授は、

「博士には、どうやって西洋の人たちの考え方を変えていくかという問題意識、眼差しがありました。

これは凄いですよ。それが池田名誉会長との対談で一つの結実を見たのだと思います」と(聖教新聞04.03.16付)。

文明発生から現代まで、数千年の歴史を検証した末、未来を予測した晩年の博士は人類破滅を憂えていた。

危機回避には宗教による世界平和しかないと仏教に期待。80歳の博士は満を持してエアメールを日本に送った。

人類の未来に思いを巡らし、博士が探し求めた対談者こそ名誉会長だった。

珠玉の対談集『21世紀への対話』は今春発刊予定のオランダ語版で世界28言語に。

不滅の一書は未来を照らす。(09.03.08) (濤)

67代理人:2009/03/09(月) 11:36:29

名字の言

「当代随一」と仰がれる宮大工の棟梁が、弟子を取る際、基準を定めている。それは、不器用なこと。なぜか。

器用な人は、ある段階までは早く上達する。だから、仕事を甘くみて、楽をすることを覚えてしまう。

結局、成長の“伸びしろ”が小さいという。

「千年の大建築」を手掛ける宮大工の世界では、要領や小手先など通じない。

遅くても、一つ一つ階段を上らなければ、大きな仕事を成すことはできない。

「不器用の一心に勝る名人はない」と(小川三夫著『棟梁』)。

釈尊の弟子である須梨槃特は、自分の名前すら忘れてしまうほど、物覚えが悪かった。周囲は軽蔑した。

だが、師の釈尊だけは見捨てなかった。

その心を受け止め、修利槃特は師匠の言う通りに修行し、「普明如来」の記別を受ける。

一見、不遇なように見えて、実は最高に価値ある、幸福な人生を輝かせた。

「仏法の世界は、真面目に、地道に、誠実に戦い抜いた人が、必ず勝つ」と池田名誉会長。

逆に、いかに才にたけていても、苦労や下積みのない人生は、もろい。落とし穴につまずきやすいものだ。

無名でいい。特別な才能など、必要ではない。

ただ真っすぐに、信心を実践し抜いた人に、“人生勝利の春”が訪れることを忘れまい。(09.03.09) (誠)

68代理人:2009/03/10(火) 09:45:15

名字の言

昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」のさなか、大雨で旧関西本部の玄関が水浸しになった。

若き池田名誉会長は共に復旧に当たりながら、管理者に確信を込めて語った。

「必ず、世界中の人が、この関西を訪れるようになります」。

この言葉を実感した。

世界55カ国・地域のSGIの友が、春季研修会の一環として待望の「世界のカンサイ」を訪問。

インドのカプール男子部長は「常勝の心を学ぶのにカンサイ以外にふさわしい場所があるでしょうか!」と声を弾ませた。

海外の友が異口同音に語っていたこと。それは、関西同志の真心だ。

「皆さんは池田先生と同じ心で、私たちを出迎えてくださっています」とニュージーランドのタム支部長。

関西の友は元気で明るい。楽しい。何よりも一人の同志を徹して大切にする家族のような「温かさ」がある。

だから、団結力が強い。

ポーランドのピッチーニ地区婦人部長は「カンサイの人と話すのに、言葉は必要ありませんね」と。

関西の至る所に脈打つ名誉会長と一人一人の絆。

アフリカ・ガボンのムイティさんは力強く語った。「母国の同志に“負けたらあかん”との精神を伝えていきます!」。

「ザダンカイ」と同様、「ジョウショウ・カンサイ」も今や世界共通語である。(09.03.10) (芯)

69代理人:2009/03/11(水) 10:30:09

名字の言

青森県を訪れた際、馬淵川を渡った。「まぶち」ではなく、「まべち」が正式名称とのこと。

諸説はあろうが、住む人の川に対する親しみが伝わってくるようで、響きが心地よい。

「日本で一番美しい言葉は東北弁だと思う。あのやわらかな響きが標準語だったら、

日本におけるオペラと詩劇の完成は一世紀早まっただろう」。劇団四季を創設した浅利慶太氏が、

師匠・加藤道夫氏の言葉と紹介している(『時の光の中で』)。

東北に限らず、方言には心に染み入るぬくもりがある。

岩手を離れ、首都圏で学生時代を送った男子部員。

家族がつましい暮らしから捻出した学費だけに、勉学で成果を挙げようと意気込む。気負い過ぎて空転の日々。

周囲が自分よりはるかに優秀に見え、焦る。体も壊した。

そんな折、一通の手紙が。純真な信仰を貫く祖母からだった。

「あんまきぃもむなす(あまり、気をもむな)。おめさんには信心がある。おらも毎日祈ってる」。

懐かしい故郷の響きはもちろん、そこに込められた真心が、浮足立った自分を原点に引き戻してくれた。

彼の努力は、博士号取得に結実する。

心を磨き抜いた人の言葉が相手の心を打ち、自他共の幸福への原動力となる。

その信念を忘れず、鍛錬の日々をと誓う。(09.03.11) (城)

70代理人:2009/03/12(木) 10:57:04

名字の言

全世界で、約6000もあるといわれる言語。 

そのうち2500が消滅の危機にあるという(国連教育科学文化機関の調査結果)。

言語の多様性は人類が創造してきた文化。たとえ国境がなくなる時代が来ても、守るべき財産の一つだろう。

一方、今すぐにでも消滅させたいもの――それが戦争だ。

作家エーリヒ・ケストナーは小説『動物会議』で、その思いを痛快に描く。

戦争をやめない人間たちに「国境をなくそう」と呼び掛けるため、世界中の動物たちが集まって「動物会議」を開く。

目的は「子どもたちのために」。

様々な工夫を重ねた動物たちは、最後に一晩だけ、人間の子どもたちを隠す。

優しい動物と一緒にいて、はしゃぐ子どもたちをよそに、大人たちは眠れぬ夜を過ごすことに。

ついに動物と人間は、永遠の平和条約を交わし、皆が子どもとの再会を果たす。

なくして初めて、その大切さを知ることがある。が、それではあまりに悲しく、後悔が残るだけだ。

私たちは、なくす前に、“本当に大切なもの”を見つめ直すべきだろう。

文化も、財産も、そして家族も、すべてを破壊するのが戦争だ。

大切なものをなくさないための努力――その第一が平和の構築。

我らの運動は、そのための大連帯である。(09.03.12) (申)

71代理人:2009/03/13(金) 10:45:05

名字の言

沖縄のさわやかな心を感じさせる歌が高校の教科書に採用され、話題を呼んでいる。

沖縄の心を通して平和の尊さを訴える「今日から明日へ」。

軽快なリズムと前向きに生きる大切さが、身近な言葉で綴られ、口ずさみやすい。

作曲者の芸術部員は「歌詞の明るさとは正反対に、芸能生活のどん底の中から生まれたんです」と語る。

お笑い芸人として上京。手痛い挫折。ミュージシャンへの転身。そして帰郷。

彼は師匠との誓いを胸に、“平和の大切さを伝え、師に応えていきたい”との思いで、

再起を懸けて粘り強くコンサート活動を続けてきた。

生徒たちからは「平和の尊さを教えてくれた」など、感謝の手紙も多く、全国各地の学校コンサートも好評だ。

挫折を乗り越える大きな要因に、青年時代の夢を実現しようとの不屈の信念と、

楽観主義に裏打ちされたバイタリティーがある。

沖縄の言葉で「なんくるないさ(なんとかなるさ)」との前向きで、おおらかな心が大切なのだろう。

池田名誉会長が創価大学に贈った指針に「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」とある。

日常の辛い坂道を上りゆくときにこそ、“人生の価値”をつかみ取るチャンスはある。

充実した人生への歩みを、弛みなく続けたい。(09.03.13) (碧)

72代理人:2009/03/14(土) 11:17:42

名字の言

紀元前3世紀、エジプトの話。

書物を載せた船が入港すると、たちまち没収。持ち主には、書き写した写本を返却する。収集には、手段を選ばなかった。

古代最大のアレクサンドリア図書館には、そんな逸話が残る。蔵書は70万巻。

プトレマイオス1世により、数学、天文学、地理学をはじめ、あらゆる分野の書物が集められた。

今と違って印刷技術はない。すべて手で書かれたものだから気が遠くなる。

“世界の知”を、どう手に入れるか。生き残るための方法であった。

かの地からは、幾何学で有名なユークリッドやアルキメデスら数々の科学者が生まれている。

創価の座談会には、主婦をはじめ、さまざまな人々が集う。人生の先達も、未来っ子も。

世の中の縮図だという人もいる。だから、普段は体験できない「達人の知恵」を得ることができる。

世界最高の哲学書を繙き、人生論をはじめ、師弟、指導者、未来、地域、家庭をめぐって話が弾む。

古今東西の哲人の名前が飛び交うこともある。しかも、生活者の目線に翻訳されて語られるから分かりやすい。

学会は校舎なき総合大学。座談会こそ、その心臓部――庶民の英知が凝縮した“図書館”だ。

そんな賢者の心晴れやかな集いが全国津々浦々で行われている。(09.03.14) (陸)

73代理人:2009/03/15(日) 11:30:40

名字の言

「虹は7色」と言ったら、「5色でしょ?」とオランダ人から言われた。

動物行動学者の日高敏隆さんが著書で紹介しているエピソードだ(『動物の言い分 人間の言い分』角川書店)。

日本人は、(1)赤(2)だいだい(3)黄(4)緑(5)青(6)藍(7)すみれ、の7色と見る。

オランダ人は、(1)赤(2)オレンジ(3)黄(4)緑(5)青、の5色。

「藍や、すみれ色は?」と聞くと、「それは青が濃いだけです」。

考えてみれば、光の色は連続しているので、どのように区分けするかは、見る人の感覚の問題。

日本では七つの色に分けるが、その分け方は地域によって多様なのだ。

聖教新聞紙上で好評連載中の「わが母校は創価」に登場した、業界トップ企業の営業本部長。

創価大学時代に“他者を尊敬し自身と異なった意見も受け入れるという幅広い人格を磨くことができました”と語っていた。

営業の世界で「結果」を出し続けている人の言葉だけに、興味深く感じた。

人間はとかく、「自分の基準」で物事を見がち。それでは人間の幅を狭める。

「違う見方」をする人と出会ったら、否定するのではなく、“自分が気付かない、新しい視点かもしれない”と、

まずは真摯に耳を傾けてみてはどうか。「聞き上手」は、互いの人生を豊かにする。(09.03.15) (糀)

74代理人:2009/03/16(月) 07:35:09

名字の言

勝海舟が幕府の軍艦奉行として、開国を唱える佐久間象山を訪れた折のこと。

かつての教え子の姿を見た象山は機嫌が悪い。海舟が従者と同じ質素な身なりで来たからだ。

「それではお役目が果たせまい」。とがめる象山に海舟は語った。

「先生は従者を軽く見られますが、彼らは皆天下の書生です。今でこそ、あなたも先生ですが、

もとは彼らと同じ書生でした。教育によっては、彼らもいつかあなたのように立派になるかも知れない。

だから私は、彼らを兄弟として待遇しています」。

気骨あふれる海舟らしい言だ。

動乱の時代を超え、明治新政府のご意見番としても人々から慕われ続けた理由が、よく分かる。

ともすれば後輩を、若いというだけで下に見るのが人間だ。だが「後世畏るべし」である。

この言葉が好きだった戸田第2代会長は「弟子は偉くなっていかねばならぬ。

師匠が偉いと言われることは、『後生』すなわち弟子が偉くなったことが、師匠が偉くなったことに通ずるのである」と。

「後輩を自分以上の人材に」とは、われらの永遠の指針である。

春は“新しい人”が職場や地域にやってくる。

青年を信じ、青年のために道を開いていく――

この決心と行動が未来を約束し、自身の人生を開いていく。(09.03.16) (香)

75代理人:2009/03/17(火) 10:23:08

名字の言

「聖教新聞のページをめくって記事を読んだ瞬間、涙が止まらなかった」。

東京・創価学園で共に学んだ友から連絡があった。その記事は、今月14日付3面――

学園創立者の池田名誉会長が、愛唱歌「負けじ魂ここにあり」に5番の歌詞を新たに作詞、とのニュース。

彼は、学園時代の誓いを胸に医学の道へ。大学病院等で勤務し、昨年、念願の開業医に。

が、新しい病院とあって、地域になかなかなじめない。

「社会に実証を」と懸命に祈り行動するが、焦りばかりが募る。そんな時に飛び込んだニュースだった。

彼は言う。「学園時代に培った『負けじ魂』を燃やし、創立者に勝利の報告を必ずする。

創立者は、我々の成長と勝利を待ってくださっているのだから!」。学園生の胸中には、いつも創立者がいる。

日蓮大聖人は、自らの信念を貫き、師匠と同志を護り抜いた四条金吾を、

「極めて負けじ魂の人」(御書986ページ、通解)と讃えた。

人生の勝ち負けは、途中では決まらない。ゆえに「負けじ魂」を燃やし続けた人が最後は勝つ。

創立者が出席した創価学園卒業式。創立者と東西の学園生の“父子の歌声”が式典会場に轟いた。

「学べ勝ち抜け 世界まで 負けじ魂 朗らかに」――栄光の人生への序曲だ!(09.03.17) (川)

76代理人:2009/03/18(水) 10:15:38

名字の言

水面に石を投げる。小さな石であれば、小さな波紋。大きな石なら波が立ち、遠くまで伝わっていく。

先日、常勝関西にSGIメンバーが訪れ、各地で感動の交歓会が行われた。

その歓喜は1週間を経た今も、消えることなく、関西に全国に広がる。

帰国した参加者は、本部幹部会での師匠の姿と、関西に脈打つ師弟の躍動を語り、喜びは世界にも伝播しているという。

法華経の随喜功徳品には「五十展転の功徳」が説かれる。

法華経の法理を聞いて歓喜した人が、別の人にその話を伝え、その人がまた次の人に自身の歓喜を語る。

そうして50人目の人が聞いた功徳も甚大であるという法理。

生命の深い部分で感じた喜びは、決して消えることはない。

いつまでも、どこまでも伝わっていく。「歓喜」というものの本質を見事に描いた話である。

交歓会当日、SGIメンバーの姿を「生命が躍動して跳びはねているみたいに見えた」と、日本の婦人が語っていた。

「皆、大地を割って踊り出てくるような勢いを感じた」と言う壮年も。

御書にある「まい(舞)をも・まいぬべし」(1300ページ)の姿そのものだ。

生命の奥底の一念を根本から変革する偉大な力が、妙法にはある。

ゆえに、大きな歓喜の輪が広がるのだ。(09.03.18) (立)

77代理人:2009/03/19(木) 10:34:08

名字の言

全国に先駆け、福岡市で桜の開花宣言が例年より13日も早く発表された。

確かな“春の訪れ”が、すぐそこまで来ている。

先日、本紙・聖教新聞の新聞広告が一般の全国紙をはじめ地方紙に掲載された。

「どんな時代にも、春は来る」との言葉と共に、見事な桜の写真が。

和歌山県田辺市本宮町を流れる川を背景に撮影した一枚である。

掲載後、多くの読者から喜びの声が寄せられた。「かつてない不況の時代だけに希望がわいた」と。

“冬は必ず春となる”――今がどんなにつらくとも、この思いを心に刻めば、頑張れる。

だからこそ、人の心を打つのであろう。

今から100年ほど前のロシアにも桜は咲いていた。そのころ、文豪チェーホフは『桜の園』を手掛ける。

当時、彼の体はすっかり病に侵されていた。発熱や咳を繰り返す肺結核。

胸の痛みに耐えながら、一行また一行と書き綴った。死闘の連続であった。

これが彼の遺作となったが、世界の文学史に残る戯曲となった。

チェーホフもまた、苦しみの中で勝利を信じ、自身と闘っていたのではなかろうか。

78代理人:2009/03/19(木) 10:36:06

名字の言

全国に先駆け、福岡市で桜の開花宣言が例年より13日も早く発表された。

確かな“春の訪れ”が、すぐそこまで来ている。

先日、本紙・聖教新聞の新聞広告が一般の全国紙をはじめ地方紙に掲載された。

「どんな時代にも、春は来る」との言葉と共に、見事な桜の写真が。

和歌山県田辺市本宮町を流れる川を背景に撮影した一枚である。

掲載後、多くの読者から喜びの声が寄せられた。「かつてない不況の時代だけに希望がわいた」と。

“冬は必ず春となる”――今がどんなにつらくとも、この思いを心に刻めば、頑張れる。

だからこそ、人の心を打つのであろう。

今から100年ほど前のロシアにも桜は咲いていた。そのころ、文豪チェーホフは『桜の園』を手掛ける。

当時、彼の体はすっかり病に侵されていた。発熱や咳を繰り返す肺結核。

胸の痛みに耐えながら、一行また一行と書き綴った。死闘の連続であった。

これが彼の遺作となったが、世界の文学史に残る戯曲となった。

チェーホフもまた、苦しみの中で勝利を信じ、自身と闘っていたのではなかろうか。

桜が万人に愛されるのは、厳冬に耐えて満開に咲き誇る花だから。まさに勝利の象徴だからであろう。

我らも眼前の課題に勝って、晴れ晴れと勝利の花冠を愛でたい。(09.03.19) (奨)

79代理人:2009/03/20(金) 10:20:53

名字の言

ある牛丼店では、競争力を強化するため、つねにムダを省く努力をしている。

たとえば、店舗のレイアウト。U字形のテーブルの内側を人間一人しか通れない幅にした。

配膳は一人が往復してやらねばならない。

これによって店員の動きのムダが減り、仕事の効率が大幅にアップしたという(戸田顕司著『逆境の経営学』日経BP社)。

聖教新聞社は5年前の2004年、環境保全に関する国際規格「ISO14001」を取得しているが、

今月、認証の継続がなった。全職員が“環境意識”をもって地道に取り組んでいることが評価されたものだ。

たとえば、紙や電気の使用量削減について、個々人がバラバラに取り組むのではなく、

削減のための作業手順を皆で協議し、推進。すべての部署の「全員参加」が特徴だ。

これを評して審査員が言っていた。「環境の取り組みは、どうしてもマンネリに陥りやすい。

その中で毎年、新しい試みに挑戦するという姿勢が大切ですね」。

かつて池田名誉会長は、本紙・聖教新聞について、「日々革新だよ」

「鮮度の悪い魚は見向きもされないように、惰性に陥り、マンネリ化した新聞は読者から見捨てられてしまう」と語った。

組織も、会社も「日々革新」の精神こそが発展の力となる。(09.03.20) (薬)

80代理人:2009/03/21(土) 11:39:27

名字の言

「応援の家族の側をかけぬける」。

この句は、国民文化祭の開催地だった鳥取県鹿野町(現・鳥取市)が創設した「ジュニア川柳大賞」の第1回大賞句。

作者は福島県女子中等部員(当時)。

長距離選手の彼女が、大会に出場する。

当日までの練習会場への送迎、愛情こもる弁当作り……家族の陰の支えがあったおかげで迎えられた晴れの舞台。

レース中、沿道から声援を送る家族が見えた。涙が込み上げる。

彼女は、さっそうと駆け抜ける姿を見せることで、感謝の思いを伝えた。

きょう21日は、日本で初のマラソン競走が行われ、100年の節目を刻む。

記録では、神戸から大阪までの30キロ余りを20人の若者が疾走したという。

一心にゴールを目指し、走り続ける姿は美しい。無言にして、見る人に感動を与える。

走る自身も過酷なレースに挑戦することで、それぞれに、大切な“何か”をつかむ。

今月の本部幹部会で、池田名誉会長は、人生をマラソンに重ねた恩師の言葉を紹介した。

「妙法をきちっと信じ、一生涯、広宣流布に生き抜いていけば、必ず最高不滅の人生の幸福のゴールに行くことは、

絶対に、絶対に、間違いない」。たとえ、苦しい「今」であっても、前に進む。

その不屈の一歩に勝利の因がある。(09.03.21) (城)

81代理人:2009/03/22(日) 11:32:31

名字の言

子どもをどう育てるか。江戸時代も、それは大きな関心事だった。

(養生訓)で有名な博物学者貝原益軒は“落ち着いた心で厳格に、何度も繰り返して教えること”と子育ての持論を説いた。

地域ぐるみでの育成を試みたのは、農民指導者の大原幽学。

ある期間、わが子を他家に預けたり、預かり合ったりする「預かり子教育」を実践した。

“他人の飯を食わせる”ことが主な目的だが、別の大きな狙いがあった。

わが子と同様、地域の子どもたちにも愛情を注ぐよう、大人たちの意識転換を図る取り組みだった

(小泉吉永著『江戸に学ぶ人育て人づくり』角川SSC新書)。

私たち創価の同志の眼は常に、“希望の宝”である未来部員に注がれている。

親の忠告にそっぽを向く高等部員を諄々と諭す壮年。自分に自信を持てない中等部員を懸命に励ます婦人。

時には、わが子以上に親身になって未来部員に接する創価の厳父、慈母たち。

その愛情に育まれた若きリーダーが今、広布の舞台に、さっそうと踊り出ている。

地域の子どもたちが一人残らず、正義と幸福の道を歩んでほしい――

人間関係の希薄化が叫ばれる現代にあって、多くの人に求められている献身の祈りと行動。

その真心こそ、人づくりの根幹である。(09.03.22) (馨)

82代理人:2009/03/23(月) 12:42:26

名字の言

ドイツの作家エンデの代表作『モモ』は、時間に追われて人間らしさを失う現代人に警鐘を鳴らすファンタジー。

だが、エンデは「教訓話にして受け止めないでほしい」と。

小説家の小川洋子さんは「教訓にしてしまうと、一行くらいで物語を要約することになります。

そういう簡単な一行ですませてほしくないという気持だったと思います」と補い説明する

(『心と響き合う読書案内』PHP新書)。

「友情を大切に」と一言で言われるより、

太宰治の『走れメロス』を読んだほうが、子どもたちは多くの“宝”を手にすることだろう。

時代を超えて読み継がれる良書は、主人公と一緒にさまざまな出来事や出会いを“体験”することで、

人生を豊かにしてくれる。それが「物語の力」だ。

自身が得た「信仰」や「師弟」の魂を、後継の友へ、いかにして伝えるか――。

それには、相手が一緒に“体験”できるように語ることが大事ではないだろうか。

その時は、どういう状況だったのか。

師は、どのように振る舞ったのか。

自分は、どう感じたのか……。

具体的であればあるほど、はっきりと伝わる。

釈尊の弟子たちは、師の言動を「八万法蔵」と呼ばれる多くの経典として残した。

私たちも、語り広める努力を惜しむまい。(09.03.23) (糀)

83代理人:2009/03/24(火) 07:55:45

名字の言

東京のある壮年部員(ブロック長)。

伯父が営む酒店で30年間働いてきた。今年1月、不況で店を辞めることに。

50歳を過ぎて、新たに何ができるか。悩みながら御本尊に向かった。

出した結論。自分は辞めるが店は続く。今はまず得意先を回り、これまでの感謝を伝えようと。

ある得意先で、「今日までお世話になりました」と深々と礼を。

すると、思いがけず先方から「うちの会社に来ませんか」と。とんとん拍手で再就職が決まった。

入社の際、あなたのように笑顔で元気に返事のできる人が欲しかったと採用理由を聞かされた。

自分を過小評価していたことに気づいた。

人には必ず使命がある。問題は、それを、どうすれば見つけられるのか。

池田名誉会長は、“じっとしていないことだ”と言う。

遠くを見て躊躇するのではない。「目の前の山を登れ!」「目の前の川を渡れ!」と。

その前進の力となるのが唱題である。

「泣きごとなどいわないで、すぐに活動をはじめ、

いつも自分の足の上に確固として立っているのは、愉快だ」(秋山英夫訳)とは文豪ゲーテの言葉。

たとえ、笑われても、苦しくても、「目の前の山」から逃げない。

自分の足で立ち、自分を信じて進む。その一歩が必ずや使命の道を開く。(09.03.24) (進)

84代理人:2009/03/25(水) 13:21:49

名字の言

変化が続く現代社会。既存の秩序が乱れると、現状を劇的に変えてくれる“何か”を待ち望む声が高まってくるもの。

が、自然発生的なリーダーに頼り切る風潮は、ある種の危うさを伴う。

“誰かが危機を打開してくれる”。そうした他人任せの風潮が蔓延すれば、社会はさらに混迷の度を増していく。

大切なのは皆が同じ責任感に立ち、苦境に向かって挑戦することだろう。

広布を開いてきた原動力も、こうした責任感であった。進んで苦悩の友の面倒を見る。率先して社会貢献の行動を続ける。

誰に言われなくても、黙々と使命を果たす……責任の人こそ、まさに真のリーダー。

欧米では近年、組織を従来のピラミッド型から平面型にとらえ直し、個々の力を引き出すことに力点を置く。

ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は「リーダーは天性の資質だけで決まるのではなく、主としてつくられるものであり、

リーダーシップは学習可能」(『リーダー・パワー』北沢格訳、日本経済新聞出版社)と指摘する。

その意味で学会ほど優れたリーダーの育成機関はあるまい。

法華経に登場する「地涌の菩薩」――大地から躍り出た衆生救済のリーダーの誇りに立ち、

“私たち庶民こそ英雄”と、地域に希望の春風を送ろう。(09.03.25) (知)

85代理人:2009/03/26(木) 10:58:40

名字の言

本格的な春の訪れは、新たな旅立ちの季節。

就職、進学など、思い通りの進路を勝ち取った人もいるが、希望とは異なる道に進む人も多い。

東西の創価学園には、毎年、多くの志願者が挑戦する。栄冠をつかんだ人もいれば、不合格の友もいる。

涙をのんだ人に励ましの手紙を送ることが、学園の伝統になっている。

この手紙で決意新たに出発した多くの友がいる。北海道の少年も、その一人。

残念な結果だったが、「受験してよかった」と言う。目標へ頑張り続ける「自身の力」を発見できたからだ。

励ましの手紙を胸に今、彼が立てた目標がある。「挑戦王」だ。

文豪・山本周五郎は、エッセー「人生の冬・自然の冬」の中で、

「人生にも四季があり、好況と不況とはつねに付いてまわる」と綴った。

人生には“試練”という厳冬の季節が巡ってくる時がある。

その時、“絶対に負けない”との強い心で、目前の課題に立ち向かうことができるかどうか。

それをなし得た人に、春は爛漫と咲き誇る。

「一時、負けたからといって、へこたれてはならない。

妙法は、絶対の人生の勝利への『永遠の宝の法』である」と池田名誉会長。

いかなる道であれ、腐らず、あきらめず、何があっても前へ進み続ける日々でありたい。(09.03.26) (芯)

86代理人:2009/03/27(金) 10:57:09

名字の言

夫を介護する婦人部の方の話を聞き、心打たれた。

5年前に厚労省の特定疾患「シャイ・ドレーガー症候群」を発症した。

少しずつ全身の筋肉が衰弱。現在、脳は正常に働くものの、体や声の自由が利かない。食事は直接チューブで胃に入れる。

まばたきと、わずかに動く手で押すブザーで意思を交わす。病院と連携を取り、24時間態勢で自宅介護をしている。

チューブでつながれた夫の姿を前に、言い表せない苦悶の日々が続いたことだろう。

心が何度も折れそうになったにちがいない。それでも彼女は夫の回復を祈り続ける。

やがて「主人が生きていることが、うれしい。いるだけでいい」と思えるように。今の境遇に感謝の心がわいてきた。

人の幸せは、決して環境では決まらない。

「本当の愛情は風波が起これば起こるほど、困難があればあるほど磨かれ、深まっていくものである」と池田名誉会長。

夫婦の絆も、そうであろう。

仏法では、どんな環境にあっても、他者への感謝と尊敬を教えている。

同時に「苦を苦と悟り楽を楽と開き、苦しくても楽しくても唱題していきなさい」(御書1143ページ、趣意)と。

どんな苦しみも、悠然と見おろしながら前進できる自分になること。

そのために信仰はあるのだ。(09.03.27) (敬)

87代理人:2009/03/28(土) 11:23:52

名字の言

「池田先生から、お預かりしてきました」。そう言って、彼に手渡されたのは、一枚の花びらだった。

昭和44年の春、東北での会合に池田会長(当時)が出席。会場は咲き誇る桜に彩られていた。

「陰で頑張る友に贈りたい」と会長は音楽隊に桜を。

受け取った責任者は、仕事などで参加できなかった隊員のもとに足を運び、師の真心を届けた。

受け取った友は、自営業に多忙で、なかなか学会活動に参加できなかった。しかし、これを機に奮起。

「弟子の成長を待つ師のために、絶対に負けまい!」。

彼は、花びらを手帳に挟んで持ち歩き、一層の挑戦を誓った。結果、大きく人生を開くことができた。

桜は花を散らし、夏に花芽を形成すると休眠状態に入る。

一定期間、冬の低温を経験することで眠りから覚め、春に向かう暖かさに合わせ加速度をつけながら開花の準備をする。

これを「休眠打破」という。常夏の国では、日本の桜が美しく咲かないらしい。

爛漫の開花には、冬の厳しさに、さらされることが必要なのだという。

彼にもまた、試練の冬があったからこそ、一枚の花びらという温かな励ましを縁に、立ち上がることができた。

我らもまた休眠打破の「時」を逃さず、勝利の人生を開花させたい。(09.03.28) (城)

88代理人:2009/03/29(日) 12:01:24

名字の言

江戸時代は「鎖国」でなかった――これが今、定説になりつつある。

当時、海外への窓口は4つ。長崎・対馬・薩摩・松前を通じて中国・オランダ・朝鮮・琉球・蝦夷と交流していた。日本は、東アジアにおいて確固とした存在感をもっていたという。朝鮮通信使の来訪も、約200年にわたり、計12回に及んでいる。

“鎖国は家康公以来の方針”と言われ出したのは、江戸後期になってから。

ロシアの通商要求を断るための口実であったという(ロナルド・トビ著『「鎖国」という外交』小学館)。

歴史は、不変ではない。

新たな研究成果が、歴史を書き換えることもある。時代思潮により、過去の見え方も変わってくる。

「すべての歴史は現代史である」との、クローチェの言葉が脳裏に浮かぶ。

「鎖国」見直し論が登場してきたのも、世界へと開かれる時代の空気を映しているのか。

理由はどうあれ、民衆交流の大世紀は時代の要請であろう。

折しも聖教新聞連載の小説『新・人間革命』「潮流」の章に、ハワイで開催された祭典のテーマ曲が紹介された。

「世界は一つ/それは故郷と名づける小さな星/輝く虹は色とりどりに/見知らぬ友を招いている」。

友が待つのは、誠意の対話であり、真心の笑顔である。(09.03.29) (智)

89代理人:2009/03/30(月) 10:11:01

名字の言

本年は、池田名誉会長が青年部の室長に就任して55周年。

55年前のきょう、東京・豊島の公会堂で行われた本部幹部会でのこと。

快晴の当日、都内の桜は一斉に花を開かせた。

名誉会長は、この日の日記に綴っている。「草花あり、花を咲かせる。これ使命なり」

「一段、一段、学会の中核となって、広布の推進をせねばならぬ。これが、自己の使命だ」。

青年部の室長とは当時、異例の「会長命令」で新設された役職だった。戸田会長のいわば肝いり人事。

しかし、何をすればいいか、手取り足取り示すことはなかった。

26歳の名誉会長に「全部、自分たちで責任をもって考えよ」と言うだけだった。

与えられたことだけを、これまで通りに行う。そこからは何の前進も生まれない。

「自分で考えてやり切る」「限界を破る」との責任感こそ、広布の戦人の気概だ。

池田室長の誕生から、青年部は爆発的な拡大を遂げる。任命から1カ月後、青年部の「5000人結集」を達成。

半年後には、倍増の「1万人結集」。人事は任命直後が勝負――この伝統を築いたのは、池田室長であった。

任命の翌々日に行われた青年部の幹部会で、名誉会長は「広宣流布は、青年部でやらねばならぬ」と。

学会の永遠の指針である。(09.03.30) (鉄)

90代理人:2009/03/31(火) 11:20:40

名字の言

「現代の名工」に選ばれているガラス工芸作家・黒木国昭氏。

先日、宮崎・綾町の工房を訪ね、聖教新聞の紙上トークに登場いただいた。

氏は創作活動の傍ら、工房で働く62人のスタッフとの「交換ノート」を日課にしている。

創造の世界は、常に行き詰まりとの戦い。

「時を置かず、その場でスタッフの悩みを解決する『現場主義』を大切にしたい」との理由からだ。

人間、壁に突き当たったときは、放っておくと、悩みや不安がどんどん増していく。

そんなとき、周囲のアドバイスや激励があれば、どれほど助かることか。

もちろん、それが早いのに越したことはない。問題点を見つけたら、その場で解決に当たる――。

氏の言う「現場主義」とは、スピード主義、そして一人を大切にする慈愛の発露ともいえよう。

広布の活動も、何より現場主義を大切にしている。

夫に先立たれた婦人、仕事で苦境に立つ壮年、信心に無理解な親のことで悩む青年……

苦悩する同志のためにすぐさま動き、励ましを送る。

そうした電光石火の行動は、友の蘇生を願う深い祈りに裏打ちされている。

「陰の場所に、陰の人に、こまやかに心を砕け!」――池田名誉会長の指摘する現場主義のホシである。

創価の「人間主義」の真髄が、ここにある。(09.03.31) (誼)

91代理人:2009/04/01(水) 10:42:40

名字の言

職場や地域で、新社会人が目立つ季節である。未来のリーダーたちの成長が楽しみだ。

欧米で社会人の精神的規範といわれる騎士道は中世ヨーロッパに生まれた。

当時、正式な騎士となる為には長い年月が必要だった。

騎士を目指す少年は、7歳ごろから貴族の邸宅や宮廷に預けられ、小姓として仕えた。

身の回りの世話を通して、騎士としての振る舞いや作法を学ぶためである。

その後、騎士に仕える従騎士となり、主人の給仕や着替えの手伝い、鎧兜の手入れなどを行った。

こうした修行の後、20歳前後で一人前の騎士と認められたのである(太田雄貴著『騎士の十戒』角川書店)。

騎士に限らず、何事も最初は下積みの連続。“雑用”と思える仕事があるかもしれない。

しかし、小さなことに誠実に全力で取り組むことで、周囲の信頼と本物の実力を勝ち取ることができる。

若き日の池田名誉会長も、戸田第2代会長の会社への初出勤は“雑巾がけ”から始まった。

以来、毎朝、始業の30分前には出勤して職場を清掃。元気いっぱいのあいさつで先輩たちを迎えた。

フレッシュマンの奮闘に心から期待したい。

とともに、模範となるべき私たち先輩も初心を忘れず、清新な挑戦の息吹で後輩たちを迎えよう。(09.04.01) (正)

92代理人:2009/04/01(水) 10:52:12

名字の言

職場や地域で、新社会人が目立つ季節である。未来のリーダーたちの成長が楽しみだ。

欧米で社会人の精神的規範といわれる騎士道は中世ヨーロッパに生まれた。

当時、正式な騎士となる為には長い年月が必要だった。

騎士を目指す少年は、7歳ごろから貴族の邸宅や宮廷に預けられ、小姓として仕えた。

身の回りの世話を通して、騎士としての振る舞いや作法を学ぶためである。

その後、騎士に仕える従騎士となり、主人の給仕や着替えの手伝い、鎧兜の手入れなどを行った。

こうした修行の後、20歳前後で一人前の騎士と認められたのである(太田雄貴著『騎士の十戒』角川書店)。

騎士に限らず、何事も最初は下積みの連続。“雑用”と思える仕事があるかもしれない。

しかし、小さなことに誠実に全力で取り組むことで、周囲の信頼と本物の実力を勝ち取ることができる。

若き日の池田名誉会長も、戸田第2代会長の会社への初出勤は“雑巾がけ”から始まった。

以来、毎朝、始業の30分前には出勤して職場を清掃。元気いっぱいのあいさつで先輩たちを迎えた。

フレッシュマンの奮闘に心から期待したい。

とともに、模範となるべき私たち先輩も初心を忘れず、清新な挑戦の息吹で後輩たちを迎えよう。(09.04.01) (正)

93代理人:2009/04/02(木) 07:40:57

名字の言

世界天文年を記念し「世界中で宇宙を観ようよ100時間」が、きょう4月2日から5日にかけて、全世界で行われる。

目的の一つとして、世界中で夜空を見上げる一体感を味わうことが挙げられている。

40年前の7月20日、まさに、その「一体感」が地球を包んだ。人類が初めて月面に立った日である。

テレビやラジオの前で、宗教や文化や政治の違いを超え、誰もが成功を祈った。

「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な躍進だ」。

月面に初着陸したアポロ11号のアームストロング船長が地球に送った言葉である。

地球人の心を一つにしたという意味で、確かに大きな一歩だった。

しかし現実の世界には、大きな分断の壁がある。何が人間の和合を阻むのか。

池田名誉会長はつづっている。

「『差異』にこだわり/人間が人間を排斥する/『分断の心』こそ/すべての争いの/一切の悲劇の元凶なのだ」と。

違いにばかりこだわっていては、いつまでも平和は望めない。

宇宙を観る100時間を、差異を超えて、共に宇宙へと心をはせる時間としたい。

春の夜風を浴びながら星空を見上げよう。どんなに違いを挙げようとも、

人類にとって掛け替えのない地球に住む、同じ人間であることを実感できるだろう。(09.04.02) (高)

94代理人:2009/04/03(金) 07:12:49

名字の言

富士中学生合唱団のコンサートを鑑賞した。美しく力強いハーモニーに心が揺さぶられた。

中でも「母」(山本伸一作詞)には圧巻の響きが。

合唱の直前、一人の団員が手紙を朗読。小学生の時に3年半の不登校を経験。

“自分なんていないほうが……”と卑下する彼に、母は変わることなく接し、明るく言葉をかけ続けた。

「絶対に大丈夫だからね」「勉強だけはしておいた方がいいよ!」――

悩みを克服した今も、彼は母の“励ましの一言”を幾つも胸に刻んでいる。

大詩人ゲーテの母は、たくさんの創作物語を息子に語って聞かせていた。

ゲーテの興味を引いたのは、楽しそうに話す母の姿。

彼は母を「いつも明朗で、快活で、他人もそうあることを望んでいた」(小牧健夫訳)と讃える。

まさに、家庭や地域の太陽と輝く幾百万の“広布の母”の姿が思い起こされる。

婦人部が新体制になった。

新たな出発に際して、池田名誉会長が推敲を重ねた「実践の五指針」が発表された。

その一つに「生き生きと体験を語る」と。

婦人部の声の響きには、青年を慈しむ愛情がある。師弟の正義を叫ぶ喜びがある。人間を軽賤する悪への怒りがある。

壮年部も青年部も、婦人部の智慧に学び、堂々と語り抜いていきたい。(09.04.03) (速)

95代理人:2009/04/04(土) 11:50:07

名字の言

「真実を言い切ることが大事だと、あらためて感じました」――3月のブロック座談会で、ある婦人部の方が語っていた。

近所の知人と話をした時のこと。世間の噂や誤った情報を基に、学会への批判を始めた。

婦人は「それは違うわ。事実はこうです」と反論。さらに学会の真実を知ってほしいとの思いから、

切り抜いていた池田名誉会長の長編詩「偉大なる尊き母の交響楽」(聖教新聞紙上に2月に掲載)等を手渡した。

後日、再び知人宅を訪ねた。

知人はあらたまった様子で「この前は悪いこと言ってごめんね。これからもよろしくね」と家の中に招いてくれた。

ご主人がお茶まで入れて歓迎してくれたという。

ささやかなエピソードかもしれない。

が、こうした誠実な対話の積み重ねが、学会の真実の姿を伝え、理解と信頼を広げると感銘した。

大切なのは、いざという時に一歩踏み込んで語る勇気である。

日蓮大聖人は「言葉というのは心の思いを響かせて声に表したものをいうのである」(御書563ページ、通解)と。

「広宣流布」や「師弟」というと、難解に感じる人もいるだろう。

だが、自分自身の感動や喜びを「生きた言葉」で語れば、それは相手の胸にも届いていく。

どこまでも、わが思いを響かせる対話でありたい。(09.04.04) (駿)

96代理人:2009/04/05(日) 13:20:11

名字の言

棋聖・大山康晴15世名人は少年時代、内弟子として仕えた師匠から一局も教わらなかった。

その代わり、掃除、買い物、駒磨き、代稽古など“盤外”の修業に日々、明け暮れた。

しかし、こうした修業を必死にやり抜くことで、「将棋とは単なる技術だけではなく、体の奥底に蓄えられる心、

皮膚からにじみ出る精神といったものに支配される道だ、ということがはっきり感じとれるようになってきた」

(大山康晴『勝負のこころ』)。

似たような話は仏説にもある。

釈尊は過去世において、師の阿私仙人から法華経を説いてもらうため、千年の間、給仕の修行に励んだ。

経典には、その模様が、水を汲み、薪を拾い、果実を採り……と描かれている。

興味深いことに、仏典には修行の中身は綴られているが、肝心の法華経が説かれる場面はない。

これについて池田名誉会長は「修行そのもの、行動そのものに妙法蓮華経が伝えられる」と講義している『法華経の智慧』。

師弟の魂の継承――それは何も特別な儀式ではない。弟子が懸命になって師に仕え、誓いを果たす。

その実践に師弟の魂は宿る。創価の師弟の精神も、決して遠くにあるのではない。

広布拡大に励む今の私たちの心と行動にこそ、受け継がれていく。(09.04.05) (弘)

97代理人:2009/04/06(月) 10:49:04

名字の言

新たな出会いが生まれる季節となった。職場や地域で「よろしくお願いします」と、あいさつが交わされる。

「(相手は)どんな人だろう」。互いの関心は、この一点に向かう。

時がたつと、“あの人はこんな人”と印象を固定させるのが常だ。しかし、人は一つの色で決まるように単純ではない。

人には多彩な側面がある。固定観念は禁物だ。同じことは、自分についても言える。

長所、短所と思っている自画像を心に張り付けていないだろうか。

人は身体が一つなので人格も一つだと錯覚している。

これが自分だと思っているのは、多様な人格のうちの一つとのイタリアの精神科医の指摘がある

(平松園枝「自分らしく選ぶために」)。

大切なのは、いろんな自分に気づくことだという。明るい自分も短気な自分も、すべて自分の人格。

そう考えれば否定的な自分の一面を見て落ち込むこともない。むしろ潜在する個性に気づき、前向きにさえなれる。

間違っても、私はこういう人間と決めつけないことだ。

人も自分も、人間は奥深い存在だ。「我等が劣心に仏法界を具する」(御書241ページ)。

だれもが最高の人格とも言える仏性の太陽を持つ。

その太陽の輝きで、人は人間性あふれる素晴らしい自分として光る。(09.04.06) (弓)

98代理人:2009/04/07(火) 08:17:57

名字の言

泣き虫の少年は、いつも小学校で、いじめられていた。

ある日の図画の時間。画用紙に向かい、色鉛筆が折れるほど力を入れた。

懸命に描いた絵。一風変わった絵だったのか、級友たちはゲラゲラ笑った。

だが先生は盛んに褒め、赤インキで大きく三重丸を書いてくれた。

“世界のクロサワ”となった映画監督・黒澤明氏の小学3年生の時の思い出(『蝦蟇[がま]の油』岩波書店)。

三重丸で自身をつけた黒澤少年は、絵を描くのが好きになった。上手にもなった。

同時に、ほかの教科の成績も、ぐんぐん上がった。彼を理解する一人の先生の存在が、可能性の芽を急速に伸ばした。

周りから評価されなくても、たった一人でも側で見守り、たたえてくれる人がいれば、

人は自分の可能性を信じることができる。一つの自信が挑戦の心を育み、大きな使命の花を咲かせる。

池田名誉会長は「『未来の宝である子どもたちを、みんなで協力して育てていこう』。

この美しき教育の連帯の心を、社会全体が共有すれば、子どもたちの可能性は、ますます開けゆくにちがいない」と。

進学、進級で新たな一歩を踏み出し、慣れない環境で奮闘する子どもたち。

どんな小さなことでもいい。頑張ったことに、三重丸の励ましを送ってあげたい。(09.04.07) (時)

99代理人:2009/04/08(水) 10:42:12

名字の言

昭和40年代の初め。業務用の大型炊飯器の試作品が完成し、技術者たちが本社の重役会議に臨んだ。

操作や水洗いも簡単になった画期的な新製品。だが重役陣の反応はいまひとつ。

やがて昼になり、弁当が配られた。そこには試作品で炊いたご飯が。そのご飯をおかわりした人が、一人だけいた。

創業者の松下幸之助氏だった。「この炊飯器のご飯、おいしいな。もう一杯おかわりを」。食が細いはずの人。

その一言は、技術者たちにとって、どんな激励や褒め言葉よりもうれしいものだった

(『エピソードで読む松下幸之助』PHP新書)。

どんな分野でも、新しい試みが日の目を見るまでには、当事者の止暇断眠の奮闘がある。

その粘り強い努力に思いをはせることができるかどうか。いかなる団体も“現場の心”を知らなければ、やがて行き詰まる。

創価学会には“第一線の人”を賞讃する心があふれている。

無冠の友や会館守る会をはじめ、懸命に人に尽くす友に声を掛け続ける。だからこそ、未曾有の発展を遂げた。

草創期から信仰を貫いてきた婦人が語っていた。

「誰も見ていないようなところで、頑張っている学会員を見つけ出しては、激励される。それが池田先生だよ」。

模範の師匠に、我らも続きたい。(09.04.08) (行)

100代理人:2009/04/09(木) 10:18:06

名字の言

「親思ふこゝろにまさる親こゝろ……」。没後150年となる、吉田松陰の有名な辞世である。

松陰一家の絆は強かった。両親は、何度も縄を付けられて帰って来る息子を咎めず、つねに温かく迎え入れた。

貧しい下級武士の一家でありながら、松下村塾が月謝無料で立ちゆくよう支えもした。

志に生きるわが子を、信じ抜いた父母。最期の日まで、松陰は父母を慕い続けた。

親子の強い絆に結ばれた麗しい家族に、先哲ゆかりの山口県萩市でお会いした。

「一生、歩けないでしょう」。少年を診た医師は、そう告げたという。難病の筋ジストロフィー。

しかし、両親は「私たちを強くするために、この子は生まれたはず」と、懸命に祈り、リハビリに付き添った。

小学校に入る時、ランドセルを背負って歩くわが子を見て、信心の功力を確信した。

随分、つらいこともあっただろう。

だが少年は、どんな時も、広布のため、友のために尽くす両親の姿から、しっかり信心を吸収していた。

そして、「池田先生のもとへ!」と昨日、関西創価高校に入学した。

仏法では「親子一体の成仏」を説く。親の信心で子は伸び、子の信心で親は輝く。

冬を耐えて咲き薫る、春花のような“笑顔の家族”に触れ、つくづくそう感じた。(09.04.09) (誠)

101代理人:2009/04/10(金) 10:33:26

名字の言

池田名誉会長と大歴史家トインビー博士との対談集

『21世紀への対話』が、このほど28言語目となるオランダ語で発刊された。

同書は「人類の教科書」(中国作家協会の孫立川氏)と評され、

インドのナラヤナン元大統領、中国の温家宝総理、米国のキッシンジャー博士ら各国の指導者が手に取り、

自身のスピーチに引用したり、思索を深めてきた。

対談の中で両者は、核兵器や環境破壊など、人類を滅ぼしかねない諸悪の原因を探究。

博士は、人間の貪欲性と侵略性を挙げ、その根源に「自己中心性」を指摘した。

確かに、昨今の悲惨な事件の加害者が「誰でもよかった」と語るのを聞くとき、

他者への視線を失った「自己中心性」の闇を見る。

この悪の根を断ち切る道を、博士は「人間一人ひとりの心のなかの革命的な変革」に求め、

それは困難な道ゆえに宗教の啓発が必要であると、学会の「人間革命運動」に期待した。

今月の拝読御書は「報恩抄」。

日蓮大聖人は「恩に報いること」が人間の根本と。

人生が多くの人に支えられている以上、「報恩」は人間としての当然の行いである。

「忘恩」を破折し、恩を感じる力を強める――

ここに「自己中心性」を克服し、人間と社会の悲劇の流転をとどめる力が生まれる。(09.04.10) (香)

102代理人:2009/04/11(土) 11:15:33

名字の言

百花繚乱の季節を迎えた。サクラ、ユキヤナギ、レンギョウ……さまざまな花が咲き誇る。

毎日、通る道が春のエネルギーに満ち、ひときわ明るい。

生命力の強い花をつくるには? 花を栽培する農村青年が教えてくれた。

それは――生育環境を、あえて厳しくすること。例えば、生命活動に不可欠な「水」。

葉が萎れる寸前まで、水を与えない。すると、より多くの根を張りめぐらせて水を必死に求める。結果、根は強くなる。

こうした厳しい環境で育てたマーガレットは茎も太く、花全体が強くなる。

ある程度の期間、根が乾いても、水を得た途端に生き生きと復活するという。

強い花には必ず“忍耐の大地”があるということだろう。

人生も同じ。大変な時こそ、私たちの生命力の見せどころだ。

この生命の力を最大に引き出す鍵が真の信仰である。

日蓮大聖人は、正しい信仰の力を、万物を生み出す「大地の如し」(御書1263ページ)と。

信仰という肥沃な大地に、自身の根を忍耐強く張り、真っすぐに成長してこそ、人生勝利の花は咲く。

日本で最も多いのは「白い花」。新しい品種をつくる育種家の一人は「白い花は、生命力が強い」と。

女子部の象徴はスズラン、婦人部の象徴は白ゆり――いずれも白い花である。(09.04.11) (川)

103代理人:2009/04/12(日) 11:47:27

代理人

1910年、10歳の少女は夜空を翔る彗星を見た。

76年に1度だけ地球に近づくハレー彗星。その神秘的な美しさは、少女の心に焼き付いた。

彼女は母親となってからも、色あせることのない感動を、わが子に語って聞かせた。

子は宇宙に魅せられ、天文学を志す。後年、ブラジルを代表する大天文学者へと成長した。

小惑星にその名を冠された、初めてのブラジル人となった。天文学博物館も設立した――

池田名誉会長と対談集(『天文学と仏法を語る』第三文明社刊)を発刊した、ロナウド・モウラン博士の逸話である。

博士の父は「偏見は、必ず変えられるものだ」と、繰り返し息子に言い聞かせた。

少年の心には「負けじ魂」と「楽観主義」の精神が培われた。

母の豊かな感性と父の正義。モウラン少年は、大きな心で包み込まれるように育てられた。

大学者として名声を博する今も、その心には、父母に育まれた情熱が燃えている。

「両親が子の心の中に情熱を残せば、それは貴重な財産になる」(発明家エジソン)。

子どもたちの成長の陰には、父母の懸命な祈りがある。わが子の成長を切に願う父母の大情熱がある。

これこそが掛け替えのない宝だ。“モウラン対談”の発刊に際し、あらためて思った。(09.04.12) (薬)

104代理人:2009/04/14(火) 10:15:27

名字の言

機先を制して攻撃の優位に立つことを「先手を取る」という。

将棋や囲碁で、先に手を下ろす方を「先手」というところから転じた言葉だ。

将棋では、これまで「先手が有利」とされてきたが、このほど異変が起こった。

2008年度の公式戦の通算戦績で、後手番が先手番に勝ち越したのである。

勝率は5割3厘。わずかな勝ち越しだが、日本将棋連盟が1967年度に統計を取ってから、初めてのことである。

なぜ、こうした現象が生まれたのか。

羽生善治名人は「棋士が序盤で工夫を重ねてきたことが(後手番の)勝率アップにつながったのでは」と分析する。

後手は先手よりも不利だと分かっている。

では、どうやって劣勢を挽回し、勝利をつかむのか――棋士たちは研究した。

そのなかで、「後手でも積極的に攻める新戦法」など、これまでの常識を覆す作戦が考え出された。

仕事においても人生においても“しまった! 後手を踏んだ”と悔やむ局面が多々あろう。

だが勝つ道は必ずある。「攻める姿勢」を貫き、勝機が見えるまで努力し続けることだ。

池田名誉会長は「攻めて攻めて攻めまくれ! その心で進んだ人が勝つ」と励ましを送る。

攻撃精神を持ち続け、職場で、広布の庭で、勝利の花を咲かせたい。(09.04.14) (明)

105代理人:2009/04/15(水) 08:57:34

名字の言

最古の民族の一つとされるキルギス。その輝く伝統を受け継ぐのがキルギス共和国である。

先日、同国のイシク・クル国立大学一行が、桜吹雪舞うなか来日。

池田SGI会長に名誉教授の称号を授与した。

キルギスの有名な叙事詩『マナス』は、千年の時を超えて、英雄マナスの活躍を語り継ぐ世界最大の口承文学。

首都のコンサートホール前庭には、勇者マナスの騎馬像が屹立している。

その勇姿を見上げるように、実在した叙事詩の語り部たちの胸像も立つ。

英雄讃嘆の言葉を紡ぎ、吟唱してきた語り部たちもまた英雄なのだ。

吟唱を会得するには相当の修練が必要だが、

その伝承方法には「家伝」と「師承」があるという(若松寛訳『マナス 少年篇』東洋文庫)。

幼い時から、家庭で日々、『マナス』に接し、父や兄から薫陶を受ける。

その後、名のある師匠を訪ねて、内容の理解を深め、技巧を習得する。

家族の中での継承を基盤に、師を求め、自らをさらに磨き高めていく――広布の後継も同じだと深く思った。

授与式で大学総長はSGI会長を讃え「全世界の知性を代表する、青年たちの師であり精神的指導者の模範」と語った。

師の正義と真実を語り抜く創価の英雄が今、世界各国で意気揚々と踊り出ている。(09.04.15) (杏)

106代理人:2009/04/16(木) 10:26:22

名字の言

今年のフレッシュマンは「エコバッグ型」。

社会経済生産性本部が毎年発表している新入社員のタイプについての命名だ。

環境問題に関心が強く、節約志向で無駄を嫌う。折り目正しい。

酷使すると長持ちしない(早期離職)が、意外に耐久性に優れた面もあるという。

新年度、新しい職場でスタートを切る人も多い。中には耐え抜いた末に何度目かの「新人」として出発する人もいる。

大学を卒業後、鉄工所に勤務した壮年も、その一人だ。

30代で病に倒れた。再起への道程は険しいと思われたが、

青年部時代に培った「負けじ魂」を燃やし、妻にも支えられ、病気を克服した。

その中で医療の道を志し、看護大学に合格。卒業後は保健師として経験を積み、

国立大学の大学院(医学系研究科)を経て、40代半ばの今春、大学で教員の道を歩むことに。

幾度もの難関を勝ち抜いた「新人」である。

法華経では「如来(=仏)の衣」を「柔和忍辱の心」と譬える。

池田名誉会長は「(仏の心は)耐え忍ぶ心です」「退くことでも、負けることでもない。耐えて勝つのです」と。

何があっても、不屈の魂で必ず勝つ。これこそが私たちの生き方である。

春は、新たな節目の時。かつてない「勝利の自分史」を、共々に築きたい。(09.04.16) (広)

107代理人:2009/04/17(金) 07:06:04

名字の言

かつて、米大リーグにジム・モリスという投手がいた。

テキサス州の高校教師として野球部のコーチをしていた時「君たちが地区優勝したら、私もプロテストを受ける」と約束。

選手たちは、懸命に戦って見事に優勝し、彼は、35歳でプロテストに合格して大リーガーになった。

「オールド・ルーキー」として映画化された実話である。

「約束」は、明確な目標となり、強い決意を生む。

約束したからには、何としても成し遂げようと、知恵と力がわく。その姿が、よき模範となり、新たな挑戦の人を育てる。

先日、大阪の中等部担当者が「課題に向かって頑張ろう」とメンバーに語った。

「じゃあ、お兄ちゃんも頑張ってよ」との返事に奮起。これまで続けてきた卓球に再挑戦し、府予選で優勝した。

兵庫県の高等部担当者も、受験生に負けじと、働きながら博士号を取得した。

約束を果たす努力の中に、一人一人の勝利もある。

御書には「約束と申す事はたが(違)へぬ事にて候」(1512㌻)と。中でも、最も峻厳な約束とは、師弟の誓いであろう。

若き日の池田名誉会長が、師に誓った目標をすべて実現してきた歩みを胸に刻みたい。

誓いを果たそうとする一念に燃えているか否かを、自身に問い掛けながら。(09.04.17) (立)

108代理人:2009/04/18(土) 10:49:08

名字の言

「あの若いのは、笑顔がとてもいい」。

人類初の宇宙飛行を成し遂げたガガーリンは、快活さでチャンスをつかんだ。

宇宙飛行士になるために、旧ソ連全土から選抜された最優秀のメンバー。

技術・知識・体格面からいって誰が選ばれても不思議でなかった。事実ガガーリンは、どの訓練でも一番を取っていない。

ただ彼は、チームをつくると、不思議とリーダーになっていた。なぜか。

「いざというときの決断が速い」「仲間の信頼が厚い」「いつもにこにこしている」――

この三つの資質があったからという(朝日新聞社刊『100人の20世紀』)。

彼は言う。「強い意志は、人間に生まれつき備わっているものではない。それは、育てていくものなのだ」。

勉学を頑張ろう、体を鍛えようという人は多い。結果も点数や記録等で、はっきりと分かる。

一方、人間を鍛え、磨き続けることは、なかなか難しい。

だが、着実に人格を磨き抜いた人こそが、真の勝利者と輝くにちがいない。

先のガガーリンの言葉を通して、池田名誉会長は「訓練が大事だ。学会の訓練を受けきった人は強い。

何があっても崩れない」と。

創価の世界は、座談会や折伏など人間錬磨のチャンスがいっぱい。

さあ、きょうも颯爽と自らを磨こう!(09.04.18) (高)

109代理人:2009/04/19(日) 08:46:36

名字の言

本紙(聖教新聞)配達員の婦人が腰を痛め、ご主人が配達してくださっている。

先日、未入会という、その方にお会いした。

それまで学会への多少の偏見もあったので、正直なところ「仕方なく」手伝い始めたという。

配達の間、写真や見出しが目に入る。初めは、チラッと見る程度。だが、手にする新聞はいつも明るい。

どうも自分が思っていた学会と違う。日ごとに紙面に引き込まれ、いつしか本紙を隅々まで熟読していた。

池田名誉会長の指導は、胸奥にスーッと入る。以前は、自分さえ良ければいいと思っていた。

本紙を読むほどに心が洗われ、これまでの自己中心的な生き方を猛省した。

名誉会長の指導通り、自分も周りも共々に幸福になるための人生を歩みたい。

そう心が変わると、自ら本紙を友人に勧め、学会の素晴しさを語っていた。

日蓮大聖人は、「蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)に交わって感化を受け、

蓬(よもぎ)のように曲がっていた心が、麻のように素直になる」(御書31㌻、趣意)と仰せである。

師の指導のままに人格を磨きたい。さらには、私たち自身が、人々にとっての「蘭室の友」になりゆくことだ。

さあ、新緑萌えいずる中、薫風に乗って対話に飛び出そう!

自他共の幸福のために。(09.04.19) (濤)

110代理人:2009/04/20(月) 10:07:56

名字の言

詩人・宮沢賢治の未発表の草稿が発見され、話題になっている。詩は地図の裏に鉛筆で綴られていた。

外出中、たまたま持参していた地図に、溢れる詩興を書き留めたのだろう。

大聖人の御真筆も、古い書面の裏に書かれたものが多い。

紙不足の当時、門下が不要になった紙の裏を使ってもらおうと供養したものだ。

例えば現存している富木常忍にあてた書状などは、

「128通におよぶ多数の文書の裏に書かれている」(網野善彦『蒙古襲来』)。

大聖人は門下の苦悩を知ると、即座に激励を記さずにいられなかったのであろう。

やむにやまれぬ思いから、お手元の紙に励ましを綴られた様子がうかがえる。

池田名誉会長も聖教新聞で小説『新・人間革命』、長編詩、随筆など、励ましの言葉を贈り続ける。

一人でも多くの友に立ち上がってもらいたいとの慈愛の表れだ。

電子メール、インターネット……

どんなに意思の疎通が便利になろうと、魂がこもった文字ほど人の心を打つものはない。

同志のため! 友のため! との迸る思いがあるからこそ、文字は前進の価値を生む。

きょう20日は聖教新聞の創刊58周年。

読者、無冠の友、販売店をはじめ、支えてくださるすべての方に感謝し、

これからも希望と勇気の紙面を届けたい。(09.04.20) (弘)

111代理人:2009/04/21(火) 08:08:25

名字の言

福島県・土湯の山あいの小学校では、この春の新入生が二人だった。

大きく見えるランドセルを誇らしげに背負って登校。人々は、幼少から知る自分の子や孫のような二人に声をかける。

“未来の宝”を地域ぐるみで励まし、育もうという光景がほほ笑ましい。

池田名誉会長は、この地を2度、同志の激励に訪れたことがある。

草創から信心一徹に生きた婦人が孫を抱きかかえ、師のもとに駆けつけた。

婦人の胸に2歳の男の子を見つけると、「立派に育つんだよ」と頭をそっとなでた。

また、別の機会で共に記念のカメラに納まった少年には、「しっかり頑張るんだよ」と固い握手を。

現在、彼らは県青年部のリーダーとして活躍している。

実は先の新入生は、この青年リーダーの息子さんと娘さん。

家族や同志の愛情に包まれ、成長した二人も今春、晴れやかに未来部へ仲間入りした。

名誉会長が幼い後継者に一期一会の思いで注いだ全魂の励まし。

その真剣勝負の真心が種となり、根となり、世代を超え今、花開いている――そう思えてならない。

師が植えた信心の種。花開かせるのは弟子の使命だ。

この地では今、ミズバショウが割き薫る。

根がある限り、毎年、花を咲かせるという、この花に、友の勇姿が重なる。(09.04.21) (城)

112代理人:2009/04/22(水) 10:23:50

名字の言

通路では誰とも出くわしたくない。

出会っても型どおりの挨拶で済ませる――都会の集合住宅に、ありがちな心の風景だ。

身近に起きた老人の孤独死をきっかけに、そんな社会に風穴を開けたいと10年前パリの青年が「隣人祭り」を始めた。

アパートのご近所同士で開くパーティーである。メディアの紹介もあり、運動は瞬く間に欧州、世界へと広がった。

昨年は世界で、延べ750万人が参加したという。

行き過ぎた個人主義が、家族崩壊や格差社会を生んだことへの反省、

人の絆の中に幸福を見出す価値観の変化が、東西を問わず広がっている。

人間の強欲のままに暴走する市場主義の行き詰まりも、その流れを加速させる。

詩聖タゴールは「すべてを与えるものが、すべてを手もとにおける」(芝山幹郎訳)と。

他者に接し、他者に尽くす。その中に人は幸福を得る。

利他は即、利自となる。この「菩薩道」の真理を知り、体現してきたのは、創価の同志である。

「隣人祭り」の先駆者ペリファン氏は言う。「アパートの壁の向こう側には、見えない苦悩が隠されている。

ドンドンとドアをノックして、それを開放するのだ」(『隣人祭り』ソトコト新書)。

少しの勇気を出してみよう。新しい出会いと喜びが待っている。(09.04.23) (飛)

113代理人:2009/04/23(木) 11:23:27

名字の言

「中国では創価学会、池田SGI会長の評価がきわめて高い」。

東奥日報社の塩越隆雄社長が月刊誌「潮」5月号に綴っている。

青森県・三内丸山遺跡のルーツをたどるため、同社は中国との日中共同研究を始めた。

当時、編集局長だった氏は中国に足を運び、そこで知った事実だった。

過日、中国青年代表団の一行が来日。東北、北海道などを訪れた。

中国の青年が来ると聞いて、青森県の浅虫温泉駅には150人を超える学会員が集合し、歓迎した。

盛岡駅では、一行が乗る新幹線が停車している間、青年部18人が窓越しに歓迎の言葉を送った。

「わずか4分でしたが、池田先生のお客さまを、もてなしたい」との思いからだった。

行程を終えた一行は、SGI会長の配慮、真心で迎えた友への感謝を語っていた。

「すべてが、創価学会と創価の青年たちの、中国人民と中国の青年に対する友好の心を余すことなく体現しており、

この一瞬一瞬が、終生、忘れ得ぬ美しい思い出となりました」(倪健団長)。

日中国交正常化提言後も池田会長を先頭に民間交流、特に青年の交流を続け着実に友好の土台を築いてきた―と塩越氏。

そして今、SGI会長の日中友好への熱き心は、青年たちに、確かに継承されている。(09.04.23) (時)

114代理人:2009/04/26(日) 22:15:02

名字の言

聖教新聞のトーク(5日付)に登場した「日本一明るい経済新聞」編集長の竹原信夫氏と懇談した折のこと。

ある中小企業のユニークな取り組みを伺った。

その企業では、初任給の日、社長自らが直接、新入社員に給料を手渡し、帰宅を許可するという。

ただし、条件がある。

手渡した給料から、社会人として巣立つまで育ててくれた親へのプレゼントを購入し、感謝の言葉を添えて手渡すこと。

子どもから「今までありがとう」との言葉を耳にする親の喜びは格別だろう。

社長の思いは、社員に「感謝の心」を形にする大切さを知ってもらうこと。

「最も身近な親に感謝すらできない人間は、一流の企業人にはなれない」と竹原氏。

父母をはじめ、人生には多くの人の支えがある。

松下幸之助氏は、池田名誉会長との往復書簡集『人生問答』で、「恩を知る」ことについて、

「鉄をもらってもそれを金ほどに感じる。つまり鉄を金にかえるほどのもの」と、その無形の力の大きさを指摘する。

仏法は、知恩・報恩を重視する。中でも「師匠の恩」に報いることを根幹としている。

師を守り、その構想を、すべて実現してきた名誉会長。我らも、師恩に報いる行動に徹したい。

そこから「勝利の人生」が大きく開けていく。(09.04.24) (芯)

115代理人:2009/04/26(日) 22:16:28

名字の言

「創価学会の会館ですか?」。滋賀県の会館に、女性から電話がかかってきた。

電話を受けたのは牙城会の友。「どうされましたか?」。

この女性、人生に進退窮まり、以前、知人から聞いた「創価学会」を思い出した。

あのときは信じられなかったけど、もう一度、話を聞いてみたい――。番号案内で調べ、思い切ってかけた。

事情を察知した牙城会メンバーは、自身の体験も交えながら応対。

のちに婦人部員が引き継ぎ、丁寧な対話で、後日、女性は入会した。

入会勤行会で、彼女は語った。「電話に出た青年が親切に説明してくれたので、とても安心できました」。

法華経に「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(法華経677ページ)とある。

日蓮大聖人が「最上第一の相伝」(御書781ページ)とされた一文である。

会館で着任する役員の人々が、訪れる友に、身をもって実践している人間主義の大精神でもある。

学会の会館で交わされる笑顔や、「こんにちは」「こんばんは」の言葉。

その奥には、誠意、責任感、そして来館者の無事故と幸福を祈る真心がある。

創価班、牙城会、白蓮グループ、香城会、王城会、創価宝城会(一日会館長)……。

“陰の戦い”に心から感謝したい。(09.04.25) (糀)

116代理人:2009/04/26(日) 22:17:38

名字の言

東京・目黒区駒場にたたずむ日本民藝館。初代館長は「日本民芸運動の父」と称された柳宗悦である。

彼は、名もない職人たちの手による実用品にこそ真の美が宿ると主張した。

中でも、庶民の生活から生まれた民芸品は、すべての無駄が省かれ「なくてはならぬもの」だけが残っている。

丈夫であり、役に立つ。この「素朴な姿」こそが本当の美しさなのだという。

彼は「民衆の力」を見詰めていた。

いわく「民衆への否定は常に誤謬(誤り)なのです。工藝の美を支える力は名もなき民衆なのです。

あの天才すら及び難い無心の作を産む民衆なのです」と(『民藝とは何か』)。

庶民の力は、時に天才をも凌駕するものだ。

池田名誉会長は「学会を築いてきたのは、何があろうと、歯を食いしばって戦ってきた無名の庶民です」と、

広宣流布に走る無名の勇者たちに励ましを贈り続ける。中国・厦門大学の黄順力教授が

「(名誉会長の講演には)『民衆の力』への期待と信頼が漲っている」と讃えるように、

偉大な「民衆の力」を、どこまでも信じ、讃え、鼓舞してきたのが、名誉会長の足跡である。

それはそのまま、創価学会の歩みでもある。

師に続き、わが町で、民衆勝利の旗を堂々と振ろうではないか。(09.04.26) (行)

117代理人:2009/04/27(月) 10:39:26

名字の言

東京・目黒区駒場にたたずむ日本民藝館。初代館長は「日本民芸運動の父」と称された柳宗悦である。

彼は、名もない職人たちの手による実用品にこそ真の美が宿ると主張した。

中でも、庶民の生活から生まれた民芸品は、すべての無駄が省かれ「なくてはならぬもの」だけが残っている。

丈夫であり、役に立つ。この「素朴な姿」こそが本当の美しさなのだという。

彼は「民衆の力」を見詰めていた。

いわく「民衆への否定は常に誤謬(誤り)なのです。工藝の美を支える力は名もなき民衆なのです。

あの天才すら及び難い無心の作を産む民衆なのです」と(『民藝とは何か』)。

庶民の力は、時に天才をも凌駕するものだ。

池田名誉会長は「学会を築いてきたのは、何があろうと、歯を食いしばって戦ってきた無名の庶民です」と、

広宣流布に走る無名の勇者たちに励ましを贈り続ける。中国・厦門大学の黄順力教授が

「(名誉会長の講演には)『民衆の力』への期待と信頼が漲っている」と讃えるように、

偉大な「民衆の力」を、どこまでも信じ、讃え、鼓舞してきたのが、名誉会長の足跡である。

それはそのまま、創価学会の歩みでもある。

師に続き、わが町で、民衆勝利の旗を堂々と振ろうではないか。(09.04.26) (行)

118代理人:2009/04/27(月) 18:23:09

名字の言

『源氏物語』が最近、世界で、もてはやされているという。なぜ千年の時を超え、広く読まれるのか。

女性が表舞台で活躍する『源氏物語』の世界と、現代とが重なり合い、共感が生まれているからではないか。

作家・丸谷才一氏の視点である。

母親が家族の長であり社会の指導者であった時代が再び訪れる、一つの大きな兆候ではないかとも(「文学界」1月号)。

女性の活躍が、閉塞した社会を開く力になると期待する声は大きい。

池田名誉会長も、「時代は、女性の持つしなやかな創造力、優しさ、温かさ、

人間味等が社会に反映されることを求めている」と語るなど、折あるごとに、女性の時代への声援を贈ってきた。

人材育成コンサルタントの辛淑玉さんは、学生部の機関紙「大学新報」(4月号)で語っている。

この男性優位の社会にあって、名誉会長は「女性の力を信じ、励ましを送り続けてこられた」。

その姿に今こそ学べ、と。さらに「創価の女性は強い。ぶれない。連帯感がある。

それらはすべて、学会のなかで培われてきたものなのでしょう」と共感の声を寄せる。

人生の師匠と共に歩み、最高峰の哲学を実践する。どこまでも平和と友の幸福のために正義を語る。

創価の女性の使命は大きい。(09.04.27) (陸)

119代理人:2009/04/28(火) 10:52:55

名字の言

その男子部員は、幼少から目が不自由だった。

勤行は、母の背中で耳から覚えた。ピアノを習い、学会歌の伴奏を買って出ては同志に喜ばれた。

後年、親元を離れ、短期大学に進学。「教学を学ぼう」との激励に奮い立つが、御書を読むことができない。

「ならば」と学生部の仲間が点字訳に挑戦。悪戦苦闘の末、手作りの御書十大部の点字訳を完成させた。

「指で御聖訓を読み、初めて御書に触れたあの日の感動が色あせたことはない」と彼。

希望の哲学を得、卒業後は故郷の点字図書館に就職。現在は視覚障害者のための図書の制作に携わる。

かつての自分と同様に「この本との出あいが人生の転機だった」と言ってもらえる

“一書”を、この世に送り出したい、と。

人類に等しく生き抜く力を与え、世界に希望の光を送る御書。

現在、英語、スペイン語、中国語の世界三大言語をはじめ、海外10言語に翻訳・出版されている。

戸田第2代会長は御書全集の「発刊の辞」で述べた。

「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬ」と。

戸田会長の悲願は池田SGI会長、SGIの手により、今や現実に。

御書全集が発刊されたのは、57年前のきょう、昭和27年4月28日である。(城)

121代理人:2009/04/29(水) 10:30:25

名字の言

戦で敵と相対した時、いかに勝つか。宮本武蔵は、「三つの先」に焦点を当てる。

戦いでは大別して、自分から攻める場合、敵から攻めてくる場合、同時に攻め合う場合の三つがある。

いずれも、常に「先」、つまり、主導権を握ることが肝要と力説。

武蔵は、それぞれの「先」を「懸の先」「待の先」「躰々の先」と称した。

さらに重要なことがある。敵の攻撃を“抑えよう”と思うのでは後手になる。相手が技を出そうとする、その「先」を取る。

「先々の先」を押さえて勝つ。歴戦の剣豪の結論である(魚住孝至著『宮本武蔵』岩波新書)。

「先んずれば人を制す」とは、合戦だけにかかわる故事ではない。池田名誉会長は

「先手を打つならば、皆も元気に進んでいけるし、効果は二倍になる」と、広布の勝敗を決する大事な一点としている。

日蓮大聖人の打つ手も迅速であられた。四条金吾が「説法の場に乱入した」とでっち上げられた事件。

真相をつかんだ大聖人は直ちに主君宛に金吾の弁明書を執筆された。師自ら弟子を守る電光石火の言論戦を展開された。

「絶対に勝つ!」と強く決意し、御本尊に祈る。そこから勝利への智慧が生まれる。取り組むスピードも増す。

真剣な祈りは先手必勝の要諦である。(09.04.29) (馨)

122代理人:2009/04/30(木) 10:34:09

名字の言

4月20日の聖教新聞創刊記念日に、各地の新聞に掲載された聖教新聞の全面広告。

愛知・設楽町の写真が反響を呼んでいる。新緑の木々の葉を縫って、水しぶきをあげて流れ落ちる滝の写真だ。

撮影場所は、奥三河の豊川の源流。きららの森と呼ばれる段戸山の原生林が広がる。

空が近く、水が輝き、鳥の鳴き声が心地よい。

一帯には、樹齢200年を超えるブナやミズナラなど、手つかずの自然が今も残る。

設楽町は1町1支部。「写真を見て『源遠ければ流れ長し』との言葉を思い起こしました」と設楽支部の支部長。

先月、支部婦人部長の紹介により、滝からさらに奥深い地域で、初の弘教が実った。

中国の周恩来総理は、長征の渦中、「遠いところへゆけばゆくほど、われわれはまた、ますます多くの人びとに、

革命の影響をおよぼすことができる」(新井宝雄著『革命児周恩来の実践』)と語っている。

源流の同志の使命は大きい。

広告のコピー(言葉)は――読んだ日から、自分が変わった。

設楽町では、今回の新聞広告を機縁にして、聖教愛読の輪も広がっている。

「私も、きょうから聖教新聞を購読し、変わっていきます」と。

読者の皆様の期待に応えられるよう、本紙も日々、革新に挑戦していきたい。(09.04.30) (和)

123代理人:2009/05/01(金) 07:45:09

名字の言

「初めて仏法対話ができました」――男子部の会合でのこと。

入会間もない友の初々しい報告に、盛んな声援が送られた。

彼は幼いころから軽度の発達障害と闘ってきた。小・中・高校と、いじめに遭った。

自分に自信がもてず、他人とのかかわりを避けるようになった。

「障害は不便だが、不幸ではない。それを決めるのは、自分の心だよ」。紹介者の言葉に、心を動かされた。

座談会で触れた温かい励ましに、心が明るくなった。

悩みを語り、共に乗り越えようと決意し合う姿に、「自分も」と誓った。

向かった先は、かつて自分をいじめた同級生。

懸命に信仰の喜びを語ると、友は理解を示してくれた。「最初に一番苦手な人に話せば、壁が破れると思った」と語る。

日蓮大聖人は、「人を成長させるものは、味方よりもかえって強い敵である」(御書917㌻趣意)と。

誰しも“苦手だな”と思う人はいる。そこを避けることは簡単だ。

しかし、どんな相手でも、忍耐強く、誠実に対応しようと挑戦すれば、自身が磨かれる。心も通じるものだ。

ゴールデンウィークは、近隣との交流、旧友との再会など、友情を深める機会が多い時期。

誠実な語らいで、大きく自己を成長させる「黄金週間」にしたい。(09.05.01) (誼)

124代理人:2009/05/02(土) 19:24:39

名字の言

新緑が目にまぶしい。夏に大輪をつけるヒマワリも今は小さな若葉。静かに成長の歩みを進めている。

人も植物も若い芽を大切に育てたい。若い人の良さは決意や心が熱く前向きなこと。

半面、未熟さからの失敗も。この両面を踏まえ、どう育成していくかが問題。特にうまくいかなかった時の接し方だ。

マラソンの高橋尚子選手を育てた小出義雄氏は“必ず世界一になれるから頑張れ”と無名の高橋選手に声を掛け続けた。

線が細く弱い選手だったが自信と勇気を与えたかったという。激励によって人は変わる。

眠っていた能力が開花すると著書で述べている(『育成力』中公新書)。

育て上手な大人でありたい。その見本は婦人部の皆さん。青年の励まし方がうまい。

単なる技巧のうまさではなく親のような温かさと励ましの明るい心がこもっている。まさに励ましの「太陽」だ。

夏に向け、成長するヒマワリ。その子葉は朝は東、夕には西へと陽光を求めて向きを変える。

ヒマワリの成長にとって、太陽は欠かせない存在だ。

太陽をいっぱいに浴びたヒマワリが大きく育つように、人も励ましの太陽に照らされ元気になり持てる力を発揮する。

励ましの言葉があふれる学会で青年が育つ理由がここにある。(09.05.02) (弓)

125代理人:2009/05/03(日) 08:35:16

名字の言

映画「イントゥ・ザ・ワイルド」(ショーン・ペン監督)は、純粋無垢な若き魂の彷徨を描く。

裕福な家庭に育ち、大学を優秀な成績で卒業した青年が、ある日、家族と別れ、荒野へと旅立つ。

そして、アラスカの地で命果てるまで……。実話である。

人生の真実を求めんと、王宮の暮らしを捨て、ひとり旅立った、ゴータマ・ブッダの青春とも似ていよう。

すべての既存の価値を鋭く問い直してやまない、澄み渡る水晶のような魂。

しかし、それは時として、人を過酷な運命へといざなう。

これまで何千何万の“リトル・ブッダたち”が、果敢な冒険の果て、人知れず命を落としたことか。

厳しくも美しい大自然のなか、青年は瀕死の床で綴る。

「幸せは、それを誰かと分かち合った時にこそ実感できる」と。

最後にたどり着いたのは、掛け替えのない「他者」の重みの発見であった、といえようか。

30年前(1979・昭和54年)の5月3日、池田名誉会長は、新たな旅立ちへの決意を込めて「共戦」と認めた。

尊き同志と共に戦い、共に勝ち、共に生き抜く。

そこに、人間の孤独と苦悩を癒やす、無上の歓喜と本当の生きがいがある。

民衆の中へ!民衆と共に!――これこそが、創価の青春の使命であり、誉れである。(09.05.03) (英)

126代理人:2009/05/04(月) 09:08:33

名字の言

嵐の昭和54年(1979年)前後、数々の学会歌が誕生。

その歴史を綴ったシナノ企画のビデオ「歓喜の歌声 獅子の舞」が感動的だ。

DVD版には資料映像がついており、名誉会長の「威風堂々の歌」の指揮に合わせ、皆で歌うこともできる。

東京のある本部の壮年部は、毎回の会合を、このDVDで締め括る。

病気、転職、妻の他界……それぞれが悩みと戦い、師の勇姿を胸に進む。

聖教新聞・先月26日付の欧州青年部の座談会でも名誉会長の指揮が話題に。

デンマークの友が関西を訪問した時のこと。

昭和44年(1969年)12月、言論問題の渦中、高熱を押して学会歌の指揮を執る名誉会長の写真を見た。

友は感動を抑えきれず、会合で「威風堂々の歌」を披露。

デンマーク語の歌声に、手拍子を送る関西の友の目にも涙が。感動は民族や言葉の壁を超えて広がった。

昭和31・32年(1956・57年)の大阪で、若き名誉会長は、しばしば「黒田節」などを舞った。

その際、語ったことがある。

「私は戸田先生から『会員のためにできることを何か一つ、きわめておきなさい』と言われました」。

一切が会員のために。その一点に貫かれた舞だった。

舞には「はげます」との意味がある(白川静 著『字通』)。

師の心を心として、きょうも“励ましの舞”を朗らかに!(09.05.04) (進)

127代理人:2009/05/05(火) 10:15:01

名字の言

日本で、もっとも高い富士山は、いにしえより多くの人が、その雄大さ、美しさを記してきた。

日本最古の和歌集『万葉集』には、富士を詠んだ歌が、いくつも収められている。

平安時代に編まれた『古今和歌集』にも富士が登場する。興味深いのは藤原忠行が燃える恋に例えて富士を謳っていること。

当時は、富士山が噴火していた時代。火山として描かれている。

一説によると、富士は約10万年前に誕生した。火山の寿命からいうと、富士は、まだ若い青年期なのだそうだ。

現代では悠然とそびえ立つイメージが定着しているが、

じつは、その地下には今でもマグマが赤々とたまっているのである(『富士燦々』角川書店)。

かつて、池田名誉会長は、未来部の友に文豪・吉川英治の言葉を贈った。

「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、

黙って、自分を動かないものに作りあげろ」(『宮本武蔵』から)。

名誉会長が小学生のとき、担任の教師に読んでもらった小説の一節である。

富士のような堂々たる自己を築き上げるには、その根底にマグマのごとき大情熱が必要である。

きょうは「創価学会後継者の日」。

後継の友の心に、赤々と燃える“情熱の炎”を点火する日としたい。(09.05.05) (正)

128代理人:2009/05/06(水) 13:59:48

名字の言

「勝つために、競って、競って、競い続けている。それが私の人生なんです」。

「女性スポーツ史上最強」といわれた米国のベーブ・ディドリクソン・ザハリアス選手の言葉である。

万能の選手。ロサンゼルス五輪(1932年・昭和7年)では、槍投げと80㍍ハードルで金、走り高跳びで銀。

バスケットボールでは全米代表に3度、選ばれた。

野球では、投手として大リーガーと対戦。ゴルフでは、全米女子オープンなどプロ31勝。

50年にAP通信社が選んだ「20世紀前半最高の女子選手」にも輝いた。

彼女は「上達しつづける限り、引退はしません」と語っていた。

ゴルフ全米女子で3度目の優勝は、がん手術の後のこと。

引退どころか、むしろ「障害がないと、ベストの力が出ない気がします」と、

40代で早世(早死に)するまで引退しなかった(『20世紀を感動させた言葉』)。

「生涯現役」「一生涯戦う」。こう決めた人に「引退」の二字はない。

池田名誉会長は先日の本部幹部会(4月22日)で、スポーツ部の友に語りかけた。

「たとえ選手として『引退』はあっても、人生に『引退』はない」と。

どんな障害を前にしても、敢然と進もう。輝く新緑のように、若々しく、生き生きと。

わが「ベストの力」を奮い起こしながら。(09.05.06) (鉄)

129代理人:2009/05/08(金) 10:12:48

名字の言

タクシー乗務員の教育係を、長年やっている方によると、

頻繁に事故を起こしたり、営業成績が伸びない人は、だいたい入社初日で分かるという。

何も言わずに、まず洗車させてみる。それがいい加減な人は、何をやらせても結局、いい加減だからだそうだ。

これは万般に通じる教訓だろう。

カー(車)用品専門店を、全国規模に発展させた創業者が、徹して続けてきたことがある。

それは「掃除」。ともすると人は、平凡なことを軽くあしらいがち。

難しくて特別なことをしなければ、成果が上がらないと思い込む人もいる。

だが、その創業者は言う。

「平凡の積み重ねが非凡を招くようになっています」(鍵山秀三郎著『ひとつ拾えばひとつだけきれいになる』)。

新年度が始まり、はや1カ月。新社会人の挑戦する姿がさわやかだ。

一方で、厳しい社会の現実に、戸惑っている人もいよう。だが、立ち止まっていては、何も進まないままだ。

池田名誉会長は先日、新社会人に3指針を贈った。
(1)清々しい挨拶を!
(2)朝に勝とう!
(3)愚痴をこぼさず前へ!(「随筆 人間世紀の光」<フレッシュマンの輝き>)。

地道に、誠実に、この指針を本気で実践し続けよう! 手応えある、人生の景色が広がるはずだ。(09.05.08) (誠)

130代理人:2009/05/09(土) 10:38:24

名字の言

毎年5月に開催される「プラハの春音楽祭」は、チェコの国民的作曲家・スメタナの交響詩「わが祖国」で幕を開ける。

他国からの圧政に苦しむ祖国の人々を励ましたいと作曲された曲だ。

当時、彼は聴力低下と闘っていたが、

“愛する民衆に、生き抜く勇気を届けたい”との信念が、困難の壁を破り、不滅の名曲を生んだのである。

本年1月、本部幹部会で、勇壮に演奏した音楽隊員。決意に奮い立つ彼に届いたのは会社倒産の危機の知らせ。

が、彼は「苦しみ悩む友に希望と勇気を与えるのが音楽隊の使命」と奮起。

倍する熱意で仕事に徹し、学会活動にも奔走した。

やがて、状況は好転。会社も発展の軌道に。彼の仕事ぶりは、異例の昇進で遇された。

メンバー一人一人に、勝利と成長のドラマがある。

音楽隊の演奏に私たちが感動するのは、困難と格闘し、勝ち取った信心の大歓喜が、音に込められているためだろう。

昭和29年春、仙台の青葉城址で戸田第2代会長は「学会は人材をもって城となす」と宣言した。

恩師の師子吼に呼応し、真っ先に池田名誉会長のもとで結成されたのが音楽隊だった。

きょう9日は「音楽隊の日」。55周年の佳節を刻む。

人生勝利の旋律を奏で続ける友に喝采を送りたい。(09.05.09) (城)

131代理人:2009/05/10(日) 11:02:38

名字の言

円錐を横から見れば、三角に見える。それと同じように人生における出来事も視点によって異なる。

一つの面から見れば正しいことも、ほかの面から見ると違う場合がある。

派遣社員として奮闘する青森の男子部員。正社員を目指し、だれよりも懸命に働いた。無遅刻無欠勤。

まじめさには自負があった。迎えた昇給の時期。ほかの派遣社員が昇給した。なぜ? 納得できず退職も考えた。

学会の先輩を訪ね、思いの丈をぶつける。「君の言うことは分かる。でも、君自身にも反省する点はなかったかい?」。

はっとした。自分の正しさだけを頑なに信じていた。

唱題しながら、自らに固執するあまり、周囲との協調性を欠いていたことに気付く。

彼はその後、忍耐強く働き、正社員に。

視点が変われば生き方も変わる。だが、一人でそれに気付くことは難しい。フランスの哲学者・パスカルは指摘する。

彼がその物事をどの方面から眺めているかに注意しなければならない。彼が見る方面からは真である。

それを認めた上で、誤っているほかの面を見せることだ、と(前田陽一・由木康訳)。

相手がどの視点から物事を見て悩んでいるのか。

それを理解し、新たな側面に目を向けさせる。ここに個人指導の一つの方途がある。(09.05.10) (時)

132代理人:2009/05/11(月) 10:46:49

名字の言

東北は今、田植えの季節だ。岩手の農村部の友と懇談した折、「東北の米が、沖縄に救われたことがある」と聞いた。

1993(平成5)年の記録的な冷害。全国的に稲は凶作に見舞われた。中でも岩手県の稲作は壊滅的だった。

多くの農家が、翌年のための種もみすら確保できなかった。

“冬でも温暖な南の島で、何とか増やせないか”――岩手県の要請を沖縄県が快諾した。

二期作を行っていた石垣島の農家は“大変な時こそ助け合いを”と、島の水田の5分の1を提供。

種もみを2トンから116トンに増やすことができた。

岩手へ持ち帰られた種もみによって、その秋には大豊作に。この米は公募で「かけはし」と命名された。

以来15年、岩手県と沖縄県の交流は今も続く。品種改良の技術開発のみならず、

スポーツや文化、学校同士の交流など、互いに学ぶところが多いようだ。双方に価値を生んでいる。

困った時にこそ、助け合わなければならない。その助け合いの姿を、私たちは日々の活動の中で日常的に目にする。

きょうから座談会の週。

座談会では、同志の体験を聞いて、さらなる前進への決意を固める友がいる。力を得る友も。

皆の心の「かけはし」となる座談会を機に、一人一人が成長の軌跡を刻んでいきたい。(09.05.11) (仲)

133代理人:2009/05/12(火) 10:30:06

名字の言

「核兵器のない世界」を実現したい――米オバマ大統領の演説は、各国に波動を広げた。

今、国際社会には核軍縮への新たな潮流が生まれつつある。

そうした中、先月、オスロでSGI主催の“核兵器廃絶への挑戦展”が開かれた。

「人間の精神性を高め、希望を与える展示」など大きな反響が寄せられた。

実は、オスロでSGIが展示を行うのは初めてではない。

1984年に“核の脅威展”、91年には「戦争と平和展」を開催している。

「ソウカガッカイ」は、核廃絶へ尽力する国連関係者やNGOの間では、すでに世代を超えて知られる存在だ。

平和運動を長期にわたって続けるのは容易ではない。一時は盛り上がっても現実のさまざまな困難から挫折する例も多い。

その中で創価学会が半世紀もの間、平和運動を継続してこられたのは、なぜか。

それは牧口初代会長の軍国主義との闘争、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」という不動の原点があったからだ。

何より池田SGI会長が恩師の理念を余すことなく受け継ぎ、行動してきたからである。

どんな運動も社会を動かす巨大な奔流となるには、世代を超えた「精神の継承」が必要となる。

時代を超え、逆境を破って進みゆく原動力――それが「師弟」である。(09.05.12) (駿)

134代理人:2009/05/13(水) 10:56:21

名字の言

総京都青年部が、「5・3」を目指し、友人に本紙(聖教新聞)や、その切り抜きなどを手渡し、

読んだ感想を寄せてもらう「聖教メッセージ運動」に取り組んできた。

3カ月で、6万通を超すメッセージが寄せられた。「青年を励ます言葉が紙面にあふれており、希望がわいてくる」

「悪人を攻める強い言葉にも、一人の人間のことを大切に思う心が感じられる」など、大きな反響を広げた。

多かったメッセージに、「学会のイメージが変わった」という内容がある。

その理由は、池田名誉会長が世界から賞讃されている事実を知ったからだ。

“創価の真実を知ってもらいたい”――。その熱き思いと勇気が、誤解や無認識を共感に変えたのだ。

御聖訓に「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(御書502ページ)と。

日蓮大聖人の対話は、終始一貫、「攻め」の姿勢である。

勇敢な「師子吼」が、周囲の心を揺り動かす。対話の最大の障害は、自らの「臆病」である。

高邁な理想も、決して自動的に広まるものではない。

正しいことは正しい。こう厳然と言い切る行動が、善の連帯を拡大する。

その確信を胸に、堂々と正義の対話に打って出たい。

信念の“メッセージ”が地域・社会を大きく変えていく。(09.05.13) (芯)

135代理人:2009/05/14(木) 10:24:42

名字の言

「不自由のなかにこそ、本物の自由へと至る道があるのかもしれませんね」と青年は語った。

山本兼一作『火天の城』(文春文庫)にふれての感想である。

安土城を築く城大工たちの物語だ。織田信長の要求は、南蛮風の前代未聞の天守閣。

その難題を、総棟梁・岡部又右衛門は、一歩も退かず受け止める。

どんな注文にも、又右衛門は決して「できない」とは言わなかった。

勇んで引き受け、全知全能を傾けてこそ「番匠(=大工)としての自分の才能がすべて開花させられる気がした」からである。

作者は総棟梁の人となりをそう描く。

自分の力は、自分で測れない。どうしても小さく見積もりがちだから。

苦労の壁にぶつかると人はその手前に限界線を引いてしまう。壁を突破するには力強く背中を押してくれる人が必要だ。

「城は腕で建てるのではない。番匠たちの心を組んで建てるのだ」との又右衛門の思いも、読み手の胸を打つ。

“心の団結”も大偉業には欠かせない。

安土城はしかし、3年しか持たなかった。本能寺の変の後、やがて戦火に包まれた。

我ら創価の「民衆城」は不滅である。

師弟の絆をたもち、いかなる苦難も“成長へのチャンス!”ととらえ、

日々前進する青年の熱と力がある限り――。(09.05.14) (栄)

136代理人:2009/05/15(金) 10:20:35

名字の言

北海道の桜も、そろそろ見納め。根室、釧路、稚内等で、最後の見頃を迎えている。

1月に沖縄で開花して以来、日本の“桜の季節”は4カ月間を超えた。

情報誌「北海道ウォーカー」(GW特大号)は、「北海道の絶景桜30」を特集。

その1番目に、学会の戸田記念墓地公園(石狩市厚田区)が、ひときわ大きく紹介された。

毎年恒例の「観桜の集い」(今月8日)には、各地から1200人が訪れた。

「桜も素晴らしいが、墓園自体も素晴らしい。とくに墓石は、いずれも同じ大きさ、形のものが使われている。

学会の『平等』の思想が反映されていますね」とは、地元経済人の言。

「殺伐とした世相のなかで、心洗われる気がします。北海道の誇りの場所です」とも。

こうした墓園のスタイルを先駆けて提案したのは、池田名誉会長である。

「長年、広布のために戦ってこられた方々のために、安穏な成仏を象徴する場を」と願い、

海外の墓地も視察しながら、熟慮を重ねた。

桜も「恩師・戸田第2代会長の故郷を、満開の桜で荘厳したい」との思いから。

名誉会長が戸田会長と初めて厚田を訪れてから、今年で55年。

「絶景」といわれる天地を美しくしているのは、「同志のため」「師匠のため」との心である。(09.05.15) (鉄)

137代理人:2009/05/16(土) 13:04:24

名字の言

座談会で婦人部の友が、しみじみと語っていた。

「今年で入会50年なんです。かつて池田先生が学会歌の指揮を執ってくださったことが忘れられなくてね。

今でも私は先生のことを聞くだけで、元気が出るんですよ」。

人生の荒波も、すべて勝ち越えてきた。気品漂う笑顔が師との出会いを語って、一段と輝いたのが印象的だった。

ギリシャの哲人プラトンは、どんな雄弁家の演説を聞いても、師のソクラテスと無関係な話は気にも留めなかった。

だが、ソクラテスが話題に上ると、たとえ話が下手でも必ず魅入られてしまったという(『プラトン全集5』岩波書店)。

師を求めているがゆえに、師のことを聞けば元気になる。勇気がわく。

とりわけ学会は、三代の会長が広宣流布の不惜身命の大闘争を継承する中で築いてきた、師弟の団体である。

しかも広布に戦う同志の多くが、師との共戦の絆を胸奥深くに刻んでいる。

池田名誉会長は語っている。

「誰も『戸田先生』と言わなかった時、私がひとり『戸田先生、戸田先生』と叫んだ。叫び続けたんだ。

師匠の名前を呼ぶ。叫ぶ。それが大事なんだ」(『若き指導者は勝った』聖教新聞社刊)。

各地で今、座談会がたけなわだ。師との共戦を叫び抜き、実践する日々でありたい。(09.05.16) (薬)

138代理人:2009/05/17(日) 11:03:12

名字の言

話があまり上手でない人は「聞き上手」を目指せばよいと、あるアナウンサーは言う。

聴く姿勢を持てば、話の中身が豊かになり、相手は自然と引き込まれていくというのだ。

具体的なアドバイスが三つある。

(1)相づちに一言添える。「なるほど」と言った後に、「そうだったんだ」「面白いね」などと加えてみる。

(2)相手の気持ちを確認する。例えば、「人生の転換点でした」という相手に、「人生の、ですか?」と確認する。

(3)せっかちにならず5秒我慢する。相手が「話の腰を折られた」と思ったら、そこで会話は終わってしまうという

(『NHKアナウンサーの はなす きく よむ』)。

「話し下手だから」と、臆する必要はない。謙虚に話を聞こう。

学び取ろう、という気持ちがあれば、自ずと対話は弾むものだ。

日蓮大聖人は「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(御書1448ページ)と仰せである。

仏法を語る際にも、大切なのは話の巧拙ではない。

正義を語れば、たとえ一言でも、その人は尊い「仏の使い」となる。

誠心誠意、相手を救っていこうという一念に、福徳が輝いていくのだ。

まず、勇んで友に会おう。友の言葉に耳を傾けよう。

豊かな友情の輪が、そこから広がっていくはずだ。(09.05.17) (明)

139代理人:2009/05/18(月) 18:24:56

名字の言

 「憲法週間」のある5月。あらためて国の根本法を考えたいと、一書を手にとった。

大幅な加筆を経て20年ぶりに発刊された『日本国憲法の誕生』(古関彰一著、岩波書店)である。

新たな研究成果も参考になったが、憲法の「口語化」に感慨を覚えた。

草案が発表された1946年(昭和21年)当時、日本のすべての法令は文語体の記述だった。

‘95年(平成7年)に刑法が、2005年(同17年)に商法が、ようやく口語表記になったことを思うと実に画期的な出来事だ。

口語化に積極的だった判事の三宅正太郎氏は、文語派の「威厳があり含蓄がある」との主張を敢然と論破した。

一般の人が分からず権力を持つ者だけが解釈の鍵を持ちそれを国民に押しつける危険は懲り懲りだ。と(『三宅正太郎全集』)。

いつの時代も、権威・権力を誇示しようとする者は、“威厳”などという鎧で自らを飾り、他を寄せつけない。

その点、われらの憲法は、国民に開かれた、まさに主権在民の最高法規である。

戸田第2代会長は、憲法制定の意義を「個人の自由と尊厳を確立し、戦争のない平和な社会を建設する」ことと訴えた。

「幸福追求権」(第13条)も保障されている。

理想の実現へ、国民一人一人も、国家も、全力を尽くす21世紀を築いていきたい。(09.05.18) (杏)

140代理人:2009/05/19(火) 09:39:29

名字の言

今月3日、ブラジルSGIの青年文化総会が盛大に開催された。

聖教新聞で紹介された2万人の同志の集いに驚きと感動を覚えた方も多かったであろう。

韓国SGIの友も青年勝利大会を開催し、意気軒高だ。

本年「青年・勝利の年」に入ってからだけでも、

ペルー、カナダ、ウルグアイ、ポルトガル、タイ、香港、台湾、シンガポールなどでSGIの青年が勇んで集い合った。

まさに青年のリードにより、広宣流布が世界で大きく進んでいる感がある。

昨年9月、SGI青年研修会のため来日したブラジル青年部の代表が、埼玉の青年部総会に出席した。

広布後継の情熱みなぎる数万人の総会を目の当たりにして“わが国でも開催し一段と強い青年部を構築しよう!”と決意。

今月の文化総会は、ここから始まった。

戸田第2代会長は「青年の心を揺さぶるものは、青年の叫びである」「青年を呼ぶのは青年である」と。

青年同士が互いに触発し合って向上を図る姿は、実に頼もしい。

池田名誉会長と青年の、出会いと薫陶の場である全国青年部幹部会が、今月で15回を数える。

今回は、ニュー・リーダーとヤング男子部の大会の意義も込めて。

当日を目指し、成長を競い合う青年部の友――ここに完勝の推進力がある。(09.05.19) (道)

141代理人:2009/05/20(水) 10:26:01

名字の言

「池田名誉会長は、『山陰』を『山光』と呼んでくださった。

あれから25年、名称のみならず、私たちの心も、明るく軽やかになりました! 本当に素晴らしい慧眼です」。

島根県書店商業組合の首脳の言である。

名誉会長は、1984年(昭和59年)5月21日、東京へ戻る予定を変更し、鳥取から島根へ。

「どうすれば皆が喜んでくれるか。心晴れやかに進んでいけるか」――車中、考え続けていた。

そして島根文化会館での会合の席上、提案した。山陰を「光り輝く地、つまり『山光』と申し上げたい」と。

以来、学会では鳥取、島根の両県を「山光」と呼んでいる。

この日を境に、メンバーの意識は明らかに変わった。「希望と自信がわきました」という喜びの報告が相次いだ。

島根・隠岐の島町には「山光」の名が付いた「山光久見トンネル」が誕生した。今秋の開通予定。

町役場と地元自治会との話し合いの結果、命名されたものだという。

自治会の役員も「こりゃええ名前だ。きっと地域も明るくなる」と目を細める。

「名は必ず体にいたる徳あり」(御書1274ページ)。

地域の名称が変われば、人の意識も行動も変わる。自分が変われば、地域も変えられる。

そう心に決めた人には、もう勝利の劇が始まっている。(09.05.20) (奨)

142代理人:2009/05/21(木) 22:30:04

名字の言

建物の破片700点が並ぶ「建物のカケラ」展を訪ねたことがある。

展示された破片は、手塚治虫が住んだアパートの外壁、美空ひばり邸の鉄扉の飾り、

巣鴨プリズンのれんが等々、年代も場所も様々だ。

カケラを集めた一木努氏は「小さな破片となっても、建物の想いを伝え、過ぎ去った時間を教えてくれる」と。

私たちの日常においても、ちょっとした断片から過去を思い起こすことがある。

ある青年部員。夜間大学に通っていた当時、短くなった鉛筆が引き出しから出てきた。

鉛筆の端の削った個所には、「ガンバレ」と書いてある。未来部員だった当時、男子部の先輩がくれたものだ。

「頑張るんだよ。師匠の期待に応え、君が活躍する。その姿を想像しながら僕は題目をあげているよ」。

先輩の励ましを思い出した。多忙な中の渾身の激励だった。諦めかけていた夢に再び挑戦。

今、念願だった教壇に立つ。地元では「後輩たちに恩返しを」と未来部の友に尽くす。

池田名誉会長は語る。「私は、あらゆる機会、あらゆる瞬間をとらえ、一人また一人と、激励を続けた。

今日の出会い、今この時の対話が未来を決する」と。

友と語るには、一期一会の思いで臨むことだ。必ずや相手の心に何かを残すことだろう。(09.05.21) (陸)

143代理人:2009/05/22(金) 11:16:33

名字の言

最近、小学生の間で国語辞書がブームになっているという。

電子辞書の普及などで下火になっていたが、手でページをめくったり、付箋を張ったりもできる。

そんな紙製ならではの特長が魅力のようだ。

辞書に限らず、紙は多様な可能性を発揮する。

例えば、正倉院に残る和紙は戸籍簿として1300年もの間、記録を保ってきた。

かたや、水に溶けて形を残さない性質が重宝されている用紙もある。

ほかにも、物を包んで贈り物に彩りを添えるなど多彩だ。

1952年に『日蓮大聖人御書全集』が発刊された。インディア・ペーパーという特殊な薄紙が使われた。

丈夫で裏写りしない、不透明性に優れていた。

苦労の末に準備された用紙で制作された御書は、大聖人の精神を誤りなく伝え、学会の聖典になっている。

一方で、歓迎されない紙もある。戦時中、「赤紙」と呼ばれた召集令状は、戦地に人を送った。

現代では、「人権を蹂躙する雑誌」という姿で反社会的な行動をすることも。

紙は、使い方次第で正にも負にも働くのである。

良い紙か、悪い紙か――基準は「人の幸福のためか、否か」であろう。

わが聖教新聞社は、どこまでも人間のための活字を届けたい。

それでこそ、優れた出版文化の担い手になれると信じて。(09.05.22) (申)

144代理人:2009/05/23(土) 11:24:10

名字の言

新型インフルエンザに関心が高まっている。

弱毒性なため、重症化する危険性は低いとみられるが、

糖尿病などの持病がある人や高齢者、子ども、妊婦は十分な注意が必要だ。

国内の感染拡大を最小限にするため各人が予防に努めたい。

今、大事なことは、まず、いたずらに恐れないこと。相手の正体が見えないだけに、不安に駆られるが、

「恐懼する所あれば、則ちその正を得ず(恐れによって心が乱され、心の正しいバランスが失われる)」

(『新訳 大学・中庸』守屋洋編訳)となって判断を誤ってはいけない。

しかし、甘く見ないことも必要だ。不必要に怖がらず、その一方で油断しない。冷静かつ適切な行動が求められよう。

そのためにも正確な情報に基づいて対応することだ。根拠のない話や、うわさに惑わされてはいけない。

状況によって更新される新しい情報を得ることも大事だ。

“21世紀は感染症との戦いの世紀”ともいわれる。強毒性の鳥インフルへの懸念を抱える世界は、

今回の経験を通し、課題や改善点を洗い直して次の危機に備えなければいけない。

それは、私たち一人一人にとっても同じだ。

日常の備えを万全にし、健康を勝ち取る日々の努力を怠りなく、生命力も強く賢明に進んでいきたい。(09.05.23) (弓)

145代理人:2009/05/24(日) 11:16:24

名字の言

「ジョウセイ・トダ」。池田名誉会長の恩師・戸田城聖第2代会長の名前が、会場に高らかに響きわたった。

18日に行われた、名誉会長に対する英国クイーンズ大学の名誉博士号授与式。

グレッグソン学長は授章の辞で、名誉会長が戸田会長に師事し、

師の「人間革命」の哲理を世界中に広げた“師弟不二の生涯”を賞讃した。

さらに「教育と個々人の力の醸成に対する責任感の伴う真摯な取り組みは、

指導者としての池田博士の際立った特徴であり、わが大学の模範的存在」と。

現代の大きな問題の一つは、人々に蔓延する無力感だろう。

「自分一人が何をやっても変わらない」と考える人は少なくない。

だからこそ「池田博士が信念を置く『一人の人間の可能性の開発』は、個人にとっても文明にとっても重要」と学長。

漆芸作家で人間国宝の音丸耕堂は「日本一になれ。それなら日本一の先生の所で学べ」と言った。

「人間の可能性」を引き出す最高の啓発の力が「師弟」である。

学長も恩師の存在を振り返り、「師から賜った恩は言葉では語り尽くすことができない」と心から感謝する。

一人の人間が、ここまでできるのか!――。

世界一の「知性の宝冠」に輝く師に続き、皆が刮目する人生の勝利劇を共々に綴りたい。(09.05.24) (川)

146代理人:2009/05/25(月) 10:17:32

名字の言

「一生懸命、表現のもっと豊かな女優になりたいと思います」――

今月9日、自身の89歳の誕生日に、舞台「放浪記」の2000回上演を達成した直後の、森光子さんの言葉だ。

国民的な大女優とは思えない謙虚で前向きな一言に、感銘を受けた。

森さんは、「放浪記」1000回の直前に、聖教新聞「日曜てい談」に登場したことがある(1990年9月)。

初演から29年のこの時、自身を楽天的と評して「一寸したことでも喜びは自分で膨らませて大きくしていくんです」と。

苦しいこと、つらいことは「なるべく自分で小さくしてしまう」とも。

それから19年、上演記録は倍になった。何があっても「楽観主義」で乗り越える。

ここに人生と舞台の“長寿”の秘訣がありそうだ。

仏法では「心は工なる画師の如し」と。人は心一つで前向きになれると説いている。

落ち込んだときには「さあ、楽しくやろう!」と自分に声掛けしてみてはどうか。

もちろん、心の軌道を修正するには、満々たる生命力が必要だ。

名誉会長は友に贈っている「希望がなければ/自分で希望を創るのだ。/世界が暗ければ/自分が太陽と輝くのだ」と。

自ら「希望を創り出す」生命力――この力を奮い起こすのが太陽の仏法である。(09.05.25) (行)

147代理人:2009/05/26(火) 12:51:49

名字の言

あるファストフード企業。

客が注文してから商品を受け取るまでの待ち時間を1秒短縮すると、年間8億円の増収になると試算した。

客も喜ぶ。だからこそ、スピードにこだわっているという(原田泳幸『ハンバーガーの教訓』)。

「時は金なり」である。人件費の面からも、時間を短縮した分だけ、利益が上がる。

反対に、時間を無駄にすれば経費の浪費になる。ビジネスの世界で奮闘する者ならば誰しも「時」の大切さを痛感していよう。

今から七百数十年前のこと。日蓮大聖人は、門下の妙法尼から「夫の病気が重い」と聞くや、即座に激励の手紙を出された。

「亡くなった」との知らせを受けた直後にも御手紙を。一人の信徒に、11日の間に2通も送られた。

電話も電報もない時代である。

「悲しみを一刻も早く癒やしてあげたい」との溢れんばかりの大慈悲が、反応の速度に表れていると思えてならない。

このエピソードを通して池田名誉会長は語っている。

「なぜ学会がここまで発展してきたか。それは何事にも『迅速』であったからである。

また『全魂』『真剣』であったからである」と。スピードこそが勝利のカギである。

さあ、きょうも悩める友のために!――燃え立つ心で、電光石火で進みたい。(09.05.26) (薬)

148代理人:2009/05/27(水) 10:40:09

名字の言

「撮影者の心が、直接に見る者の心に届くのです。

池田先生が心で撮られた写真を見る時、鑑賞者が見るのは単なる作品ではなく、先生の心なのです」。

中国・大連市で開催中の「自然との対話――池田大作写真展」。

来賓の崔学森副所長(遼寧師範大学・池田大作平和文化研究所)が寄せた声である。

副所長の感想を聞いて、名誉会長撮影のある一葉の写真を思い出した。

突き抜けるような青い空、猛然とわき上がる雲――天空の“一瞬の劇”を写し取ったもの。

「これは、戸田先生との出会いによって入会した、その日

【1947(昭和22)年8月24日】に見た空と雲とそっくりなのです」と名誉会長。

作品自体はもちろん、長い年月を経ても名誉会長の心には、師弟出発のその日が鮮烈に刻まれていることに感動を覚えた。

大自然も、人間の心も、時と共に移りゆく。だが、師弟の道に生き抜く青年の決意は今も変わらない。

師との出会いから60年余。

三類の強敵と戦い、ただ一人、大難を受け切って、今日の学会の大発展を築いた最大の勝因を、名誉会長はこう語る。

それは「いついかなる時も、わが心が師と共にあったことだ」と。

学会創立80周年の栄光の頂を登攀する我らの歩みも、常に「師と共に」進む一歩でありたい。(09.05.27) (身)

149代理人:2009/05/28(木) 10:20:49

名字の言

老舗とは、昔から長く続いている店のこと。

語源を調べると、「仕似せる」から出た言葉だ。「文字どおり先祖から受けついだ商売を<まねる>意。

ある点では独創的の反対で、家業をできるかぎり現状のまま忠実に守ること」が元意という(杉本つとむ『語源海』)。

だが現実は、単に先人がやったことをまねし、それに固執すれば経営が永続するわけではない。

老舗の味噌店は“お客様に分からないように、味も変わり続けていく”と。

歴史のある饅頭店は「欲しければ取りに来い」という姿勢を改め、

百貨店などの店頭で売り出す方針に転換したからこそ、今も成功している(鮫島敦『老舗の訓 人づくり』)。

先人が築いた土台の上に、ただあぐらをかいていては、やがては滅びる。

味や品質など先代から受け継ぐべきものは継承しつつ、変化させ続ける。経営には「攻め」の姿勢を貫く。

このチャレンジ精神にこそ、老舗の伝統があると思えてならない。

私たちの日々の活動も、自身の変革への挑戦の連続だ。“もうこれでいい”という終着点はない。毎日が出発である。

二度とない、きょうという一日。みずみずしい心で祈り、語り、行動しよう。

間断なき挑戦の先に、自分自身の“信心の伝統”は築かれていく。(09.05.28) (敬)

150代理人:2009/05/29(金) 10:43:45

名字の言

日々のニュースで、新型インフルエンザをめぐる状況が伝えられる。変化、変化の連続だ。

その中で、感染を予防するには、手洗い・うがいの励行を続け、ウイルスを寄せ付けないことが大事になってくる。

ウイルスを拡散させないことも重要だ。

最近、徹底が呼びかけられている「咳エチケット」。通勤電車の中など、人が多く集まる場では必須だ。

咳や、くしゃみの飛沫を飛散させないことが大切になる。

飛沫には、多くの病原体が含まれ、周囲2メートルに影響を及ぼすからだ。

咳をする時は、ティッシュなどで口と鼻を覆う、人から顔を背ける、マスクを着用する――

今や「常識」になりつつあるマナーである。

社会には、様々なマナーがあるが、その基本は「周囲に迷惑を掛けてはいけない」という他者への思いやりであろう。

「自分さえよければ、かまわない」という人ばかりになれば、社会は成り立たない。

「咳エチケット」も、多くの人が他者の身を案じてこそ、予防の力になる。

こう考えると、「他者を大事にし、気遣う」生き方が、まん延防止の決め手といえる。

日ごろの行いに、ともすると表れてくる“ささいなエゴ”。

その治療こそが、社会に巣くう“病魔”を取り除く第一歩となる。(09.05.29) (修)

151代理人:2009/05/30(土) 10:26:36

名字の言

江戸時代、江戸は人口100万人を超える世界有数の大都市だった。

さぞ、ごみ問題が深刻だったのではと思ったが、実はそうではない。

古紙や古鉄は再利用。生ごみや排泄物は、畑の肥料として活用していた。

農村地域から薪を積んで江戸に来た船は、大量の“肥料”を積んで帰った。

模範の循環型社会が実現された都市だったという。聖教新聞連載「江戸のエコに学ぶ」にあった話だ。

現代の日本では、ごみ問題は深刻だ。東京・町田市で「ごみゼロ市民会議」の代表を務めた広瀬立成氏が書いていた。

「行政が悪い、企業が悪い、市民が悪い」と責任のなすり合いでは、解決は遠のくばかり。

だからこそ、会議では「納得の対話」を心掛け、「皆が自ら行動をする」大切さを訴えた。

これが前進の力になった、と(『ごみゼロへの道』)。

池田名誉会長は環境提言(2002年)で、

「いくら共通の行動規範を定めたとしても、それを自らのものとして血肉化し、実践する人々が増えていかなければ、

厳しい現実を突き動かす力にはなりません」と。<具体的な行動に一歩踏み出す>ための教育の重要性を強調した。

5月30日は「ごみゼロの日」。納得の対話で一人の意識を変える。

そのために行動する一日でありたい。(09.05.30) (扶)

152代理人:2009/05/31(日) 10:38:13

名字の言

「日中友好を語る人は多いが、実際に行動し、担い手を育てた人は池田先生しかいません」。

中国・河南師範大学の劉徳潤教授の言だ。

1997年(平成9年)に大阪の大学に留学。研究の合間を縫って、学会の座談会にも参加した。

「皆さんが、中国出身の私を温かく歓迎してくださったのに驚きました」。

こうした草の根の交流はもとより、以前から中国国内で幅広く知られている業績により、

本年4月、名誉会長に同大学の名誉教授称号が贈られた。その授与式のため来日した大学一行。

中心者の張亜偉校務委員会主任は、降り立った関西空港で驚いた。

学会婦人部の友らが、笑顔いっぱいに旗を振り、中国語で歓迎していたからだ。

翌日、関西創価学園(大阪・交野市)を訪問して、また驚いた。

中学生から「中国語を学んでいます」「世界平和の役に立つにはどんな勉強をするべきですか」と次々に声が。

未来の日中友好を担うであろう生徒たちの姿に感激した。

帰国前、張主任は語った。「短期間の訪日でしたが、感動は特大でした。

池田先生の理念と思想が一人一人の学会員、また一人一人の学園生に確実に脈打っていました」。

名誉会長の初の中国訪問から35年がたつ。

「日中友好の金の橋」を受け継ぐ友が確かに育っている。(09.05.31) (朱)

153代理人:2009/06/01(月) 10:51:33

名字の言

「創価学会の皆さんは、いつも元気ですね」「何でも率先して取り組んでくれて、本当に助かります」。

地域の方々の声である。

仕事や家事、子育てをこなしながら地域に尽くす。宿命に負けず、奮闘するメンバーもいる。

先月23日付聖教新聞の体験談「地域に根差す美容室37年」にも、感動の反響が寄せられた。

慢性の病を抱えつつも、笑顔を忘れず、友を励ます。

「人に勇気を送るために、病と付き合っているんです。誰かを励ませば、自分も元気になりますよ」と。

発心のきっかけは、小説『新・人間革命』の

「重い病で苦しむということは、使命もまた、それだけ深いということなんです」

(第10巻「桂冠」の章)との一節であったという。

自分のことだけに四苦八苦していると、だんだん境涯も小さくなってしまう。

人のために動いてこそ、人生も大きく開かれていく。

近隣を見渡せば、さまざまな課題があろう。

関係ないと背を向けるのでなく「誰もしない仕事は私の仕事」と決めて、一歩を踏み出す。

そういう人が「全体の1割、せめて7パーセント」いれば共同体は機能すると語る識者もいる(内田樹氏=「潮」2月号)。

私たちの笑顔と勇気の前進が、日本再生への鍵である。

創価の勝利が、民衆の真実の勝利である。(09.06.01) (順)

154代理人:2009/06/02(火) 10:44:38

名字の言

きょう6月2日は、横浜港の開港150周年記念日。

首都圏の玄関と言える港も、開港前は民家がぽつぽつと点在するだけの寒村だった。

それが生糸貿易をはじめとする往来の急増で、港は大いに栄えた。

江戸に通じる東海道も、世界各地と結ぶ海路も賑わった。交通手段も発達。

貸自転車や、路線バスの源流とされる乗合馬車が横浜の町を行き交った。蒸気船も京浜間を定期就航。

鉄道が横浜・新橋間を結んだのは、開港からわずか13年後のこと。どれも「日本初」のものである。

“われ先に”との気概で、陸路や海路を往来した、人々の溢れんばかりのエネルギー。

それが、新たな文化を生み、文明開化の潮流を起こした。

寒村を大都市へと発展させた原動力は、ここにあったのではないか。

今から30年前の1979年(昭和54年)5月、

池田名誉会長は、会長勇退後の大闘争を横浜の神奈川文化会館から開始した。

日本における「世界への窓」であり、太平洋へつながる横浜。

ここから、世界平和を展望しつつ、「正義」と「共戦」の指揮を執ったのである。

横浜港について、名誉会長は「開放的で快活な、強力なバイタリティーがみなぎっている」と。

私たちも、満々たる生命力で、新時代を開いていきたい。(09.06.02) (定)

155代理人:2009/06/03(水) 10:51:20

名字の言

プロの歌手として歌い始めたのは50歳の時だった。

メジャーデビューの話があるたびに言われた。「あと10歳若ければねえ」。

だが、あきらめず、力の限り歌い続けた。そして、努力の先に夢の舞台が待っていた。

昨年の紅白歌合戦に61歳で初出場した歌手・秋元順子さんがエッセーに綴っている。

「人生において『遅すぎる』ことなどなにもない」という彼女の言葉が印象深い(『愛のままで…』青志社)。

青森の婦人部員の体験を思い出した。

彼女が夫の借金に悩み、入会したのは55歳の時。「不可能を可能にする信心」と聞いた。

“ならば!”と、猛勉強を決意する。かつて経済苦で大学進学を断念したが、学ぶことが好きだった。夢もあった。

彼女は56歳で自動車の運転免許を、58歳で介護福祉士の資格を取得。

61歳になった昨年は難関を突破し、ケアマネジャー(介護支援専門員)の資格を勝ち取った。

夫も入会し、借金も完済。この3月にはイギリスへの海外旅行も実現した。

「全身で、やるぞと誓うとき、人は青年になる。だから、挑戦を始めるのに年齢は関係ない」と池田名誉会長。

「きょうから」「今から」と立ち上がった瞬間、人生の劇は動きだす。

そう確信し、勝利への一歩を力強く踏み出したい。(09.06.03) (時)

156代理人:2009/06/04(木) 10:41:48

名字の言

昨年末、95歳の母の最期を看取った京都の婦人部の方から、便りを頂いた。

認知症の母を義妹と共に介護して19年。だが当初は、混乱する母に振り回され、不安と苛立ちが募った。

その頃、聖教新聞連載の池田名誉会長の「『第三の人生』を語る」に投稿。

名誉会長は「お母さんは、80歳を超えて生きてこられたのだから、どこかに欠陥が生じないほうが不思議なんです」

「老いの苦しみと同苦していくなかで、一ミリでも自分の人生が深くなったといえれば、それが勝利なのです」と激励を。

すーっと心が軽くなった。真正面から母を受け止めようと決めた。

時を置かず、母に穏やかさが戻っていた。仏法の「一念三千」を肌で知った。

現在連載中の「ほがらか介護」に“介護体験を分け合おう”とあった。

何より介護する方の休息のため。また介護体験は「生」の意味を再考する契機にも。

だれ人も避けられない生老病死の苦悩。

この四苦を、生命の一念の強き転換によって、常楽我浄の四徳へと変えていけると仏法は説く。

宿命に泣く人生から、使命に戦う人生への転換である。

「母は無言で、私自身の短気で融通の利かない性格を変えてくれたのです」と亡き母に感謝を綴った娘。

生死を超えた荘厳な劇に喝采を送りたい。(09.06.04) (進)

157代理人:2009/06/05(金) 08:04:43

名字の言

梅雨入り前の一時、田園の緑が鮮やかだ。青々と成長する若苗を見て清新な気持ちになった。

先日、新入会の友と話した。21歳の青年は「世の中に、こんな素晴らしい世界があるとは知りませんでした」。

間もなく80歳の婦人は「どんな苦難にも、学会の皆さんは朗らかに立ち向かっている。私も見習って生きたい」と。

忌憚なく語る二人の姿は、鮮やかな緑のごとく輝いて見えた。

新しい力が躍動する時、広布の沃野は拡大する。

若き日の池田名誉会長が指揮した昭和31年の「大阪の戦い」。

参加した約半数は入会半年に満たない新会員だった。名誉会長のもと、彼らが祈り、動き、限界を超える力を発揮した。

ここから「“まさか”が実現」といわれた勝利が生まれた。

この戦いで名誉会長は、一人一人に信心の基本を教えた。

弘教も、「勧誘」や「お願い」の類ではない。堂々と、気迫の言葉で、攻めの対話に取り組む心構えを打ち込んでいった。

「信心だけは絶対に負けてはいけません。仏法は勝負です。題目をあげて、あげて、あげ抜きなさい。

信心の団結あるところ、必ず勝利があります」と(『若き指導者は勝った』)。

祈りと団結――師が築いた勝利の方程式のままに、新たな金字塔を打ち立てようではないか。(09.06.05) (濤)

158代理人:2009/06/06(土) 11:27:48

名字の言

江戸時代の為政者は、庶民の声を重んじていた。

意外かもしれないが「絶対的な“お上”と、その圧政に耐える“下々の者”」という単純な構図は、実態と異なるようだ。

例えば、幕府が庶民の声を募るために設けた「訴願」制度。

各地の役所には、道路整備や防火対策など、さまざまな要望が寄せられ、実現したものも多かった。

江戸町奉行では、“願い事禁止令”を出し、多過ぎる訴願を制限したことも。

しかし“民意なき政治”は行き詰まり、禁止令は3年で撤回に。

一面から見れば、民意を重視したからこそ「徳川政権は二六〇年もの間、安定的に維持された」

(平川新『日本の歴史 第12巻』)と言える。

きょう6日で生誕138周年を迎えた牧口初代会長。

軍国主義と戦い、“民衆こそ主役”と訴え、過酷な獄中闘争の末に殉教された。

しかし、軍部権力も、初代の魂までは縛れなかった。

先師の遺志を継いだ戸田第2代会長、池田第3代会長の大闘争で、創価の連帯は今や世界192カ国・地域に広がる。

日蓮大聖人は、濁乱の世を「民の力よわし」(御書1595ページ)と喝破された。

時代を開き、社会を変革する原動力は、常に民衆の声と行動である。

今こそ、地域の最前線で正義を叫ぶ我らの出番だ。(09.06.06) (弘)

159代理人:2009/06/07(日) 11:18:37

名字の言

江戸時代後期、大分県日田(ひた)市に開かれた私塾「咸宜園(かんぎえん)」。

蘭学者の高野長英や兵学者の大村益次郎など、多彩な人材を輩出した名門校である。その教育法には独特なものがあった。

1本の線香が燃え尽きる間に読書し、2本目をたく間に、その感想を漢文で書く。

さらに、3本目では詩文を作る――書を読んで考え、即座に表現する力を養ったのだという。

時間があれば読書ができる、というわけではない。

多忙な中でも、時間を見つけ、学んでこそ、かえって、自らの血となり、肉となる。

仕事においても、広宣流布の闘争においても、師の戸田第2代会長を支えた、若き日の池田名誉会長。

深夜まで激闘を極めた日々にあって、移動の車中、就寝前など、寸暇を惜しんで読書に励んだ。

恩師の事業が苦境のどん底にあった1950年(昭和25年)当時の日記にも、「夜半まで、読書」

「(レ・ミゼラブル)を読み終わる」「(世界文学全集)を読む。第七巻目に入る」等と記されている(『若き日の日記』)。

苦闘の中で、本を読み、思索を深める。深化された思想を、闘争のエネルギーに変えて進む。

そしてまた、前進する中で読書し、思念する――この繰り返しの中にこそ、本物の人格の陶冶がある。(09.06.07) (知)

160代理人:2009/06/08(月) 10:11:38

名字の言

「学生歌を歌ってはどうだろう」「音楽隊の皆さん、頼みます!」。先月の本部幹部会。

池田名誉会長の提案で、創価大学学生歌を同大学の出身者が熱唱した。

見事な演奏を披露したのは創価グロリア吹奏楽団。

予定外の演奏だった。学生歌の練習は、しばらくしていない。予備の譜面の束から、学生歌をすぐに取り出せるか。

演奏開始まで、わずか数秒間。大丈夫か――。

「でも、やるしかないと腹を決めました」と指揮者。

「皆を見たら、“できます!”という目をして楽器を構えていた。仲間を信じて指揮棒を振りました」。

創大出身者の巧みなリードもあって演奏は大成功で終了。名誉会長はじめ参加者から賞讃の拍手が寄せられた。

いざという時に的確な対応ができるか。皆で団結できるか。それは、ひとえに普段の訓練にかかっている。

これまでコンクールで何度も日本一に輝いた同吹奏楽団。今回の名演奏も、日ごろの厳しい練習の賜だろう。

学会は偉大なる人間学の学舎だ。

同苦、励まし、団結、無事故、そして勝利。確かな人生を歩むための「生きた哲学」を学ぶことができる。

さあ、きょうも勇んで友のもとへ! 学会活動に無駄はない。

広宣流布のための苦労は、すべて、自身を飾る掛け替えのない宝となる。(09.06.08) (駿)

161代理人:2009/06/09(火) 11:07:56

名字の言

アスファルトを割って咲く花に出あうと、しばし見入ってしまう。

強固なアスファルトも、成長する植物のような時間をかけて加わる力には弱い。

腰を据え、飽くなき挑戦を貫けば、ついには厚い岩盤さえも打ち破れる――勝利への執念を、小さな花に学ぶ思いだ。

1987年(昭和62年)7月、池田名誉会長は、山形の青年部員が営む果樹園へ。

彼が育てた「ナポレオン」という品種のサクランボの大木を前に、「基盤はある。

苦労して力をつけなさい。40代が勝負だ」と激励した。

彼は、苦境に立つ営農に活路を見いだそうと、品種改良、販売ルートの開拓に挑んだ。

しかし、待っていたのは、必死の努力を無にするような自然の厳しい仕打ち。そして、周囲からの嘲笑。

それでも屈することなく“通念”という壁を突破する挑戦を重ねた。やがて、労苦の実は結び、JAの要職でも活躍した。

物事の成就には、スピードが求められる場合がある。

一方、じっくりと、たゆまぬ努力を重ねることで、勝利へと結実するものもある。

あの日、師弟で仰いだ大木から根分けしたナポレオンの木が、山形文化会館(山形市)の敷地内にある。

3年前に植えられ、今月、初めて実をつけた。師弟勝利の姿を象徴するように。(09.06.09) (城)

162代理人:2009/06/10(水) 11:47:44

名字の言

「政府は何をしてるんでしょう」「くたばるものはさっさとくたばれっていう腹よ」

「ふん、そう安直にくたばれますか」――これは、昭和23年1月に出た『婦人年鑑』に綴られた主婦たちの会話。

発行元は日本婦人新聞社。その編集室が入っていた東京・西神田の同じビルに、戦後再建期の学会本部もあった。

会話からは、旺盛な批判精神と庶民の逞しい生活力が感じられる。

一文は伸長された女性の権利に触れ、

「女性は得た利益を個人の懐中に封させず、社会の幸福として花咲かせるようにありたい」と結ばれている。

年鑑によると、終戦から8カ月で全国に2229の婦人団体が結成され、人数も約56万と推定。

一方で、共通の悩みとして「指導者のないこと」を挙げている。昭和26年(1951年)6月10日、創価の女性の連帯が、

平和の大指導者・戸田第2代会長の「女性の力は偉大なものであります」との宣言とともに誕生した。

婦人部の結成である。皆、自らの人間革命へ出発したばかりであったが、

日本の隅々まで、さらには国外へも、幸福の種を蒔きゆく決意を固め合った。

今、最も婦人部を大切にする師匠・池田名誉会長の信頼を胸に、

「世界一の婦人部・共戦月間」(7月12日まで)が朗らかに展開されている。(09.06.10) (杏)

163代理人:2009/06/11(木) 10:44:52

名字の言

学会本部が、今の信濃町(東京・新宿区)に移転して今年で56年。

「本部の近所はもちろん、各地で会館周辺の方々を大切にし、近隣友好の道を開いてこられたのは池田先生です」。

草創からの幹部が明言していた。

昭和40年(1965年)、広島会館(現・広島西会館)が誕生した時も、そうだった。

会館前の農家から苦情があることを知った池田名誉会長は一人、あいさつへ。

居合わせた家主の母に、「本当にお世話になります」「お身体、大切にしてくださいね」と。

数年後、名誉会長は再びその家へ。畑仕事を終えた家主夫妻の泥まみれの手を、固く握り締めた。

そして3度目は、名誉会長に一目会いたいと、一家全員が正装し、会館が見える玄関先から見送るまでに。

地域で一番の味方に変わっていた。地元の友も奮い立ち、町内の3割以上に本紙購読の輪が広がった。

目前の一人に、どこまでも誠実に接する名誉会長。

相手が誰であれ、その姿勢は全く変わらない。そこから広がった信頼と共感は限りない。

「至誠にして動かさざる者は、未だ之れあらざるなり」(孟子)。人の心は必ず動く。

そのうねりが地域、社会をも揺り動かしていく。

友好と信頼を広げよう。その最高の道が、師の示す「誠実一路」の精神だ。(09.06.11) (誠)

164代理人:2009/06/12(金) 12:10:07

名字の言

かつて東京には、多くの路面電車が走っていた。森鴎外、志賀直哉など、文豪たちも自作に路面電車を綴っている。

夏目漱石の名作『三四郎』の主人公は、東京に出てきて「電車のちんちん鳴るので驚いた」という。

今も都内に残る「ちんちん電車」の都電荒川線に乗った。

新宿区の早稲田から豊島区、北区内を通って、荒川区の三ノ輪橋まで。12キロ余り。

自動車と同じ公道の上を進む所もあれば、専用の軌道を通る区間も。

下町を縫うように走る。住宅が近い。暮らしの息遣いが聞こえてきそうだ。

庶民の“ど真ん中”を走る都電。

地域に根を張り、民衆の真っただ中で信頼の輪を広げる、創価の友の姿にも似ている。

沿線の各区では、多くの学会員が地域活動に尽力する。

荒川区のある支部には昨年、地元の町会から地域貢献の労を讃え、感謝状が。

町会の役員は「学会の皆様のお陰で、町会の行事をはじめ地域全体が明るくなった。本当に有り難い存在です」と語る。

池田名誉会長は「地域に地盤を広げゆく中に、広布と人生の一番正しい軌道がある」

「地域で信頼を勝ち取る人が一番、偉い」と。

地域の発展に尽くす創価の同志がある限り、その地は必ず繁栄していく。

そのために祈り、行動することこそ我らの使命だ。(09.06.12) (晄)

165代理人:2009/06/13(土) 10:56:27

名字の言

先日、テレビ番組を見ていて、驚いた。夜明けの動物園。臆病な動物たちから鳴き始める。

やがて、園内はにぎやかに。そこへ、めったに鳴かないライオンが、ひと吼え。周囲は水を打ったように静まり返った。

まさに「師子の声には一切の獣・声を失ふ」(御書1393ページ)である。

仏法では、仏を「師子」に譬える。百獣の王の姿は、人生万般の勝利の姿にも通じる。

ゆえに、日蓮大聖人も諸抄で「師子」を通して門下を激励されている。

「遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし」(同1124ページ)

――苦難にあっても恐れず、悠然と進みなさいとの励まし。

妙法の偉大な功力によって、人生は切り開くことができるとの大確信が光る。

「師子王は前三後一」(同ページ)――

一本の足を後ろに引き、力をためる「前三後一」は、師子が獲物をねらう体勢のこと。

どんな時にも、慎重かつ全力で戦う真剣勝負の姿勢を教えられる。

また、「日蓮が一門は師子の吼るなり」(同1190ページ)――

我々の正義の叫びは、エセ論者を木っ端みじんに打ち破る“王者の言論”と。

創価学会は、大聖人の精神を受け継ぐ「師子」の集い。

今こそ、偉大な師子王の哲学を胸に、各人が絶対勝利を誓い、動き、語り抜いていきたい。(09.06.13) (立)

166代理人:2009/06/14(日) 10:34:11

名字の言

ドアのすき間から煙が忍び込んでくるのを目撃した時、どうするか――。

米国の心理学者の研究によると、部屋に一人でいる場合は75%が通報するが、大勢でいる時は38%しか通報しない。

人は集団でいると責任感が薄れるものだ(『急に売れ始めるにはワケがある』ソフトバンク文庫)。

先日、民家の火災を未然に防いだとして、関西の壮年部員に消防署から感謝状が贈られた。

2軒隣の留守宅から、焦げくさいにおいが漏れていた。異変を知った壮年部員は、現場へ急行。

向かいの壮年と協力し、ついたままだったガスコンロの火を消し、窓を開けて煙を逃がした。

傍観者にならず、即座に動いたことで、被害を最小限に食い止めることができた。

誰かがやるだろう、と躊躇したら、大変な事態になっていたかもしれない。

広布の活動においても、「私がやる」という強い責任感が重要だ。

池田名誉会長は述べている。「傍観者の群れや、人を頼み、互いにもたれ合うような烏合の衆では勝利はない。

“一切の責任を私がもつ!”と心を定めた、一人立つ師子と師子との結合が大願を成就するのだ」。

「誰かがやるだろう」ではない。

誰がやらなくても、自分がやる――「一人立つ」決意で戦う人こそ、本物の勇者である。(09.06.14) (糀)

167代理人:2009/06/16(火) 11:09:26

名字の言

漢文が専門の大学教授と懇談した折、「従藍而青」(藍よりして而も青し)が話題に。

青は藍から出て、しかも藍よりも青い――師を超えて弟子が成長する例えである。

ある時、教授の恩師が尋ねた。「弟子が師を超えることが本当にあるか?」。

学び続ける師のもとでは、弟子は追いつくだけでも相当の努力が必要である。

もちろん教育者として、教え子が自分より偉くなるのは喜ばしいことにちがいない。

その上で、自戒を込め、師弟共に精進を重ねゆく姿勢を訴えたかったのだ。

二人は、この例えが出てくる『荀子』の冒頭「学は以て已むべからず」を確認し、向上し続ける決意を固め合った。

一方、職人の世界の師弟。鵜飼い見物の木造遊覧船を造る船大工の言葉が目に留まった。

広島・三次市の無形文化財技術保持者。

弟子の心構えとして「弟子は、一生弟子じゃ」と、75歳の熟達者が断言していた(地域情報誌「Busport」6月号)。

仏法では、宿縁深き弟子は「常に師と倶に生ず」と説く。

池田名誉会長も「一生涯、戸田先生の弟子」と、師弟の絆に決意を込める。

知識が増す。技量が上達する。あるいは地位が上がる。

それでも決して驕らず、“弟子の生き方”を貫く人生こそ、真の求道者の誉れである。(09.06.16) (杏)

168代理人:2009/06/17(水) 08:29:34

名字の言

「目黒のさんま」という落語をご存じだろうか。

江戸時代、ある殿様が、通り掛かった目黒で、農家の主人が焼いたサンマをごちそうになった。

ただ焼いただけの素朴な魚。

だが、初めてサンマを食べた殿様は、そのおいしさに感激した。後日の宴会で、サンマを所望。

小骨を抜き、柔らかく蒸したものが出た。味はいまいち。聞けば、日本橋の魚河岸から取り寄せたという。

そこで殿様が一言。「それはいかん。さんまは目黒にかぎる」(興津要編『古典落語』)。

庶民が「うまい」と感じたものは、殿様にとっても美味だった――庶民の日常の感性が、

平凡でありながら、いかに大切な本質をとらえているかを知ることができる。

東京・目黒区のある支部副婦人部長。

知人には、社会的な名士も多い。皆、一見、垣根が高い。

だが、彼女は「池田先生と学会の真実をストレートに語る」のが信条。彼女の紹介で、これまで多くの人が入会。

最近も、地域の名士が本紙・聖教新聞を購読した。彼女の率直な対話から、学会理解の輪が大きく広がっている。

名誉会長は「ありのままに真実を語る。それが一番強い。必ず相手に通じていく」と。

私たちも、学会の正義と真実を率直に語りたい。自信満々と、そして堂々と!(09.06.17) (之)

169代理人:2009/06/18(木) 08:24:18

名字の言

東京に隣接する地で個人会館が改装オープンした。

明かり取りの天窓が施された玄関、拡充された広間、スロープ付きの入り口など、随所に提供者の方の真心が尽くされている。

「提供してくださるだけでもありがたいのに」。感謝の声が聞かれた。

この拠点の誕生は39年前。その地域に今ある学会の会館が建つ前で、個人会場は市内になかったという時代だ。

その後、個人会館になり多くの人材をはぐくんできた。

提供者の方の入会は1962年(昭和37年)。旧家だけに、入会には一大決心が必要だった。

それこそ「地位も名誉も要らないという気持ちだった」。

この潔い「不惜身命」の決意が原点となって、一家は福運と勝利の道を開いた。広布の後継者も二代三代と続く。

身命を惜しまずとは、万人を幸福の軌道へと導く生命尊厳の仏法を、

最高に価値あるものとして大切にしていく生き方を言う。仏法を弘めるためには何も惜しまない。

その信心の姿勢で行動すると、今度は自身が守られ福徳と智慧に包まれていく。

名誉会長は若き日の日記に「『不惜身命』で祈り戦ってこそ、沸々と現れる力と智慧がある」とつづっている。

師弟の道一筋に、懸命に戦い祈り、仏法の力と智慧をわき起こしながら、自身の勝利を築きたい。(09.06.18) (弓)

170代理人:2009/06/19(金) 10:51:33

名字の言

北海道婦人部の「花華月間」が賑やかに閉幕した。

1978年(昭和53年)、池田名誉会長が北海道・別海から全国の婦人部総会にメッセージを送った6月18日が

「道婦人部の日」となり、月間の淵源となった。

翌年の春、別海の隣町・標津町で酪農を営む婦人が、はるばる学会本部を訪ねてきた。

前年には会うことのできなかった師を求め、せめてもの訪問だった。

当時、邪宗門一味の謀略の嵐が吹き荒れていた。多忙を極める中、師は友を温かく迎えた。

夢中で来し方を語る婦人。貧乏の底で、何度も命を絶とうと思った。

それでも女手一つで8人の子どもを育て上げた。

「信心だけは言い訳しねえでやってきました」。

師はその一言を最大に讃え、後日、北国の“広布の母”の笑顔と体験が聖教新聞紙上を飾った。

困難に直面した時、「できない理由」は、いくらでも挙げられる。経験したことのない困難なら、なおさらだ。

だが、そんなことをしても何も前に進まない。それよりも挑戦する心を、どこまでも燃え上がらせることだ。

「言い訳しない」と決めれば、姿勢が前向きになる。

「できない理由」よりも「どうしたらできるか」を考え、努力する。

すべてを「祈り」に変え、無限の「力」を引き出すことができる。これが信心の醍醐味だ。(09.06.19) (香)

171代理人:2009/06/20(土) 11:28:23

名字の言

「梅雨になると、新聞を濡らさないよう配達するので気を使います」。

4月から本紙を配達してくださっている人が梅雨時の大変さを語っていた。春まで教育機関の要職にあった。

配達員である家族の体を気遣い、週末くらいは休ませてあげたい、と願い出て配達を始めたという。

第三の人生を迎えたら、自分こそ体を休めたいと思うのが人情。家族を思う心に感銘を受けた。

同時に本紙・聖教新聞を陰で支えてくださる方が、

いかに深い思いを込めて配達してくださっているか、感謝の念が込み上げてきた。

孔子の言葉に「人の己れを知らざるを患えず 人を知らざるを患うる也」(『論語』学而篇)と。

自分が人から認められないのは悩みではない、自分が他人の良さを認められないことこそ悩みである、との意だ。

社会の指導的な立場にある人間が立身出世に狂い、しばしば不祥事を起こし、世間を騒がせる。

人の上に立つリーダーこそ栄誉栄達の心を捨て、陰で地道に仕事をしている人を見つけ讃えていくことが求められる。

「私は、いつも『陰の人』を見ている」――

サーチライトの如く、広布を支える友を隅々まで照らし、希望の大光を送り続けてきたのが池田名誉会長。

慈愛の励ましは喜びを生み、勝利への勢いを生む。(09.06.20) (濤)

172代理人:2009/06/21(日) 08:31:19

名字の言

今春、柔道の講道館の館長に就任した上村春樹氏。モントリオール五輪[1976(昭和51)年]の金メダリストだ。

現役時代は、最重量級としては小柄だった。そのハンディを、逆に“武器”にした。

敏しょうな動きで、技をかけるタイミングを外す時間差攻撃を多用。また、柔道では前方か後方への投げ技が多い。

そこで氏は、あまり使われない“真横へ投げる技”で相手を翻弄した。

いずれも、「勝つ方法は必ずある」と、まず決めたことから考えついたという(「読売新聞」)。

福岡県の男子部員。昨年6月、リストラで職を失った。

そんな彼に、地区の同志は「まず、必ず内定を取ると決める。そして祈り、動くことだ」と励ます。

支えてくれた妻のためにも、彼は387社に応募。受けた面接は57社。

その結果、本年2月、前職よりも好待遇の会社への就職が決まった。

必ず勝つ。その一点さえ揺るがなければ、突破口は必ず見いだせる。体も動く。知恵もわくものだ。

大事なのは、勝利への執念が心に燃えているか否かだ。

池田名誉会長は「『断じて勝つ!』と決めた瞬間、己心の壁は破れる。

『さあ来い!』と困難に挑みかかる。胸中の師子が目覚めるのだ」と。

己心の師子を覚醒させるのは、あくまでも自分自身である。(09.06.21) (広)

173代理人:2009/06/22(月) 10:22:03

名字の言

貧しいスコットランド移民から出発し、自らの汗と努力で鉄鋼王となったカーネギー。

彼が「大きな教訓を得た一つの物語」がある。

一人の老人がいた。不幸に見える一生を送っていた。同情する人々に、老人は明るく答えた。

“本当に苦難の道でした。しかし不思議なことが一つあるんです。

「10」の苦難のうち「9」までは、予想したほど、ひどくなかったんですよ!”。

カーネギーは、この話に強く共鳴し、「人間の苦悩の大部分は想像のなかにあるだけで、

笑ってふきとばしてしまえるものが多い」と書いている(坂西志保訳『カーネギー自伝』中公文庫)。

現実に起きるかどうか分からないのに、悪い場面ばかりを想像して心配していては、何もできない。

人生に失意の体験はつきものであり、その体験を次に生かすことが成功への鍵である。

だから、まず行動しよう!「いつかやろう」と先へ延ばす限り、「いつか」は永遠に訪れない。

広宣流布の活動も同じ。動きに動き、語りに語る――行動こそ仏法者の魂だ。

大聖人御自身、

「この法門を語ってきたので、他の人とは違って、多くの人に会ってきた」(御書1418㌻、通解)と仰せである。

広布と人生の最高峰へ、「行動王」と輝く一人一人でありたい。(09.06.22) (川)

174代理人:2009/06/23(火) 08:18:56

名字の言

戦争の体験を綴り、平和の尊さを訴え続けてきた青年部の反戦出版「戦争を知らない世代へ」(全80巻)。

この第1巻となる『打ち砕かれしうるま島』(沖縄編)の発刊から、きょう「沖縄慰霊の日」で35周年を迎えた。

題名にある「うるま」は、琉球の古名で「サンゴの島」の意。

この美しい島で、日本で唯一、凄惨な地上戦が行われた。本書には43編の体験が収められている。

「黒こげになった学友」「死んだ母親の乳を吸う赤子」など想像を絶する悲痛な叫びに満ちている。

目を通すと、今なお、深い衝撃と悲しみを覚える。

沖縄編に体験を綴った43人のうち、現在、約3分の1が他界。年々、生の証言ができる人が減りつつある。

戦争体験の風化が平和教育の大きな課題となっている昨今、この体験談集の出版の意義は、ますます光り輝いている。

本書が発刊された折、池田名誉会長は本の扉に認めた。

「平和の点火/いま ここに燃ゆ/君よ この松明を/生涯にわたって/持ち進め 走れ」と。

平和な社会を築くのは理屈ではない。行動こそが重要だ。

やむなく体験させられた戦争の悲惨さを、訴え、語り継ぐことだ。

なかんずく、平和の大闘争への熱情を、青年の心に燃やすことである。

青年が受け継ぐことである。(09.06.23) (碧)

175代理人:2009/06/24(水) 09:14:19

名字の言

東京のある座談会。

会場を訪れると、入院中と思っていた男子部員が、笑顔でちょこんと座っていて、驚いた。

本年3月、急性の白血病に。闘病生活を送っていた。聞けば、その日が入院後、初めての外泊。

座談会があると知り、どうしても参加したかったという。

「病室で気付いたんです。自分は一人じゃない。さまざまな人とつながり、多くの祈りに包まれているんだ――と。

そう思うと、絶対に勝ってやる!抗がん剤治療も“変毒為薬”です」とにっこり。

隣で、新婚半年の新入会の妻が深くうなずいていた。

人間は「親と子」「教師と生徒」といったタテの関係、友人同士のようなヨコの関係以外に、

異世代間の「ナナメの関係」が大切であると、著述家の藤原和博氏はいう(『16歳の教科書』講談社)。

「人間の人生って、この『ナナメの関係』がどれほど豊かであるかによってかなりの部分が決まる」。

こうした“多彩なつながり”で満ちているのが学会の世界である。

進路に悩む未来部を激励する。病気や失職と戦う友のために祈る。自他共の幸福に全力を注ぐ。

世代も社会的立場も違う人たちが、師のもとで、励まし合い、決意し合い、人生の大勝利を目指す――

“創価の絆”の麗しさは、ここにある。(09.06.24) (葉)

176代理人:2009/06/25(木) 10:59:46

名字の言

「13の半分は?」。教師が生徒に尋ねた。「6と2分の1」「6・5」との答え。「そうだ。ほかには?」。

誰も答えられない。教師は、「もう答えはない」と思うかもしれないが、「もっと考えよう」と促す。

すると、数字の文字を分けて「1」と「3」。一人が答えると、突破口が開いた。

英語の綴り、ローマ数字、2進法で考えたり、黒板に書いた「13」を上下半分にしたり。きりがない。

そして、「答えはない」と思っていたのが、思い違いだったことに気付いた(J・フォスター『アイデアのヒント』)。

常識的に考えれば「もう答えはない」と思うだろう。

だが、「必ず別の答えがある」と、視点を変えたら、新発見が次々と出てきたわけである。

地表から見れば高く見える壁も、空からは、低く見える。一本の線にしか見えないこともあろう。

同じように、物事は、とらえ方、見方によって、千差万別だ。プラスにも、マイナスにもなるものだ。

池田名誉会長は「大事なことは、自分の境涯の革命だ」

「(境涯が変われば)逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる」と。

必ず道は開ける、開いてみせる――そう心を定め、きょうも朗らかに勝ち進みたい。(09.06.25) (申)

177代理人:2009/06/26(金) 07:32:02

名字の言

日中友好協会の初代理事長を務めた内山完造氏。

中国残留日本人の帰国等にも尽力した。本年は、没後50年である。

日中関係が最も厳しい時代に、内山氏は多くの中国人民と友情を育んだ。

戦後の焼け野原で“平和な世にしなければ”と痛感。「日本人がよく知らなかった中国と中国人の真の姿を、

日本人に知らせることが先決問題である」と誓う(小澤正元著『内山完造伝』)。

そのため全国で講演を始めた。1年半ほどで延べ800回。

中国の習慣や文化を通し、互いの差異も心一つで乗り越えられると訴えた。

真実の姿を「知らせること」が、いかに大切か。

92歳の婦人の体験を思い出した。広島の旧習深い山間地域。

入会当初、学会のことを理解する人は、ほとんどいない。まさに村八分状態。だが負けなかった。

彼女は、池田名誉会長が誠実の二字で世界の友に理解を広げている姿に奮起。

20年前から「学会の真実の姿を直接知ってもらおう」と地域の友を座談会に招待した。

一人、二人と参加者は増え、元町長や元小学校長など名士も集うまでに。今では参加者の半数が友人だ。

正しくとも黙して語らずでは何も変わらない。果敢に真実を語りたい。

地域を結ぶ“信頼の懸け橋”として対話の波を起こしたい。(09.06.26) (奨)

178代理人:2009/06/27(土) 10:54:54

名字の言

本年は日墨交流400周年。

この佳節にメキシコのハリスコ州グアダラハラ市から池田SGI会長に日本人初の「市の鍵」が贈られた(聖教11日付)。

授与式の席上、一人の紳士の祝辞が感動を呼んだ。

「あの日、お会いして以来、私の師匠は池田博士です!」――アレハンドロ・マトス氏。

同州の400周年記念行事の実行委員長だ。

1981年3月、マトス氏は、同州の芸術局長だった父と共に、SGI会長をグアダラハラの自宅に歓迎した。

当時、16歳。ピアニストを目指していた氏は、演奏を披露した。

会長は「素晴らしい」「大音楽家になるんだよ」「何があっても負けないで」と励ましを。

氏は心から感動し、誓った。「皆に勇気を贈る音楽家になろう」。その後、会長の著作を学び始めた。

現在、氏は同国で最も著名なピアニストの一人に。音楽の国オーストリアから国家勲章も受章した。

「池田博士との出会いが、私の人生を一変させました!」と語る。

一度の出会い、一回の語らいが、人を変えることがある。

時間の長短ではない。大事なのは、その“一回”に臨む姿勢だ。

真剣勝負で植えた友情の種は、必ずや見事な信頼の花を咲かせるものだ。

「誠実第一」で、きょうも新たな友情を結びたい。(09.06.27) (之)

179代理人:2009/06/28(日) 11:13:27

名字の言

滋賀県の彦根周辺では、「中居」「堀居」「奥居」といった姓が目立つ。

それは、藩主だった「井伊」家に敬意を表し、同じ文字を避けたからと伝わる。

同県北東部の領主となった豊臣秀吉は、今浜(長浜市)に城を築き、「長浜」と改名した。

長く繁栄することを願ったとする説と、主君・織田信長の名をもらったとの説がある。

現在、長浜城周辺は「豊公園」と呼ばれる。豊臣が由来。

秀吉は今でも長浜市民から慕われている。冒頭の例とは逆だが、どちらも報恩の思いが伝わる挿話だ。

落語家の2代目・林家三平さんは、「心から尊敬する父の名前が失われていくのは、息子として、弟子としてふがいない。

だから、名前を継ぎ、私が再び『林家三平』を広めていきたいと思ったのです」と語る(聖教16日付)。

領主、主君、父、師匠……。自分の氏名や地名に特別な思いが込められている。

“先師、恩師の名を世界に宣揚する!”――これが若き日から変わらぬ池田名誉会長の決意だった。

「牧口広場通り」(イタリア)、「戸田城聖先生橋」(ブラジル)など、

今や世界各地に歴代会長の名を冠した「通り」や「橋」がある。

誉れの弟子の道を貫き、見事な勝利の証しを刻む――

ここに、師匠の名を宣揚する道もある。(09.06.28) (糀)

180代理人:2009/06/29(月) 10:45:22

名字の言

6月30日は、学生部結成記念日。学生部歌「広布に走れ」が発表された日でもある。

1978(昭和53)年、東京・荒川文化会館での学生部幹部会。

「歴史を創るは/この船たしか/我と 我が友よ/広布に走れ」。

幹部会では、その後、多くの人々に歌い継がれる歌声が何度も響いた。

席上、池田名誉会長は学生部の友に念願した。「庶民と共に歩み、庶民を守る指導者に!」と。

そして幹部会の後その言を自らの行動で示すかのように、荒川・尾久本町支部の集いに足を運び同志を励ましたのである。

どこまでも民衆のために戦う正義の人たれ! 学生部への指針は、常に一貫している。

第2次宗門事件の渦中の1991(平成3)年11月、24の大学会が結成された。

この時も師は「正義に生きよ」と呼びかけた。

この日、結成された富士短期大学会(第10期)。

師の母校の誇りを胸に、今も21人全員が厳然と創価の旗を振る。中心者の3人は、いずれも東京・足立区で活躍。

「庶民を守るため、力あるリーダーになると師に約束したから」と口を揃える。

「一生涯、民衆のために、正義のために戦う!」。この誓い、連帯、心意気。

どのような時代になっても民衆の中で戦う!――この気概こそが、新時代の突破口を開きゆく力だ。(09.06.29) (之)

181代理人:2009/06/30(火) 11:24:01

名字の言

先月末、「東京都盲ろう者支援センター」が台東区に開設された。

目と耳の両方に障がいのある「盲ろう者」の生活、社会参加の支援等を行う、全国の自治体で初の試みである。

彼・彼女らの象徴的存在ともいえる福島智東京大学教授も、オープンを祝福。

時同じく、福島さんの評伝、母・令子さんの手記が、相次ぎ出版された。

福島さんは9歳で光を失い、18歳で音を失った。この闇と沈黙の苦悩から福島さんを救い出したのは「手」であった。

母の考案した「指点字」である。福島さんは歌う。

「ぼくの指にきみの指が触れたとき/そこにことばが生まれた/ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した」

「ぼくの命はいつもことばとともにある」(生井久美子著『ゆびさきの宇宙』岩波書店)。

聞けなくても、読めなくても、触れれば、言葉は生まれてくる。

言葉はたくましい。“言葉と命は一つ”――福島さんの詩に粛然とする。

御聖訓には「仏は文字に依って衆生を度し給う」(御書153ページ)、

そして「声仏事を為す」(同708ページ)とある。

今の世の中、嘘の言葉、人を傷つける言葉が多過ぎないか。

だからこそ、私たちは、真剣な言葉、誠実な言葉、励ましの言葉で、

「生きる勇気」を吹き込んでいきたい。(09.06.30) (飛)

182代理人:2009/07/01(水) 10:40:34

名字の言

インドネシアで“民族独立の母”と敬愛されるカルティニ――。

池田名誉会長は、彼女の戦いを通して、「女性の勇気こそ、社会を動かし、歴史を変える力」と語った

(本部幹部会スピーチ=6月22日付)。

カルティニが立ち上がるきっかけは、何であったか。

オランダ語の「わたし」という言葉を手にしたからであったと言う(土屋健治著『カルティニの風景』めこん刊)。

彼女は語学を学ぶなかで、新しい世界を発見し、未来への展望を構想し、新しい「自分」に目覚めたのだ。

「自分」に目覚めて、人は初めて「他者」の尊さにも気付くことができる。

相手の悩みに真剣に耳を傾け、相手の笑顔には共に喜ぶ。日々の暮らしの現場に躍動する、

この鋭敏にしてふくよかな「同苦」と「共感」の心根こそ、女性の特質と言えるのではないだろうか。

戦後の創価の前進は、女性の“目覚めの歴史”であったと言ってもいい。

宿命の涙を勝利の笑顔に変えた、模範と誉れの彼女たち。

名誉会長は讃えつつ、心から励ましのエールを贈る。

「女性が高らかに声をあげた分だけ、人間社会をよくすることができる」と。

今月12日は「総東京婦人部 幸福・勝利の日」。

朗らかに、にぎやかに、凱歌と歓喜の最高峰を目指したい。(09.07.01) (順)

183代理人:2009/07/02(木) 10:34:11

名字の言

緑のトンネルを抜けると、清冽な水の音が聞こえてくる。

降り注ぐ滝の雄姿を眺めながら、青森県の奥入瀬渓流を遡った。その水源は十和田湖だ。

火山がつくったカルデラ湖。かつて魚のすまない湖といわれた。ここでヒメマスの養殖に挑戦した先人がいる。

和井内貞行氏。度重なる失敗で私財は底をつき、非難中傷も浴びた。

だが、道を貫き、20余年もの苦闘の末に養殖を成功させた。十和田湖には偉大な開拓の歴史が刻まれている。

広宣流布も開拓闘争だ。昭和40年代の青森の下北半島・川内町(現・むつ市)。

旧習が深く、女性が働く場所もなかった。

一人の婦人部員が署名活動に立ち上がる。約70人の協力を得、合成繊維会社の作業所の設置が実現した。

真剣に地域の発展を願う彼女の姿に、多くの人が学会の認識を一変させた。

後年、町の名士は「“わが地域を理想の郷土に!”と情熱を燃やす創価学会は、時代をリードする存在」と賛嘆した。

15年前の夏、十和田湖を訪れた池田名誉会長は語っている。

「常に皆の先頭に立ち率先して道を開く。皆に代わって、襲いかかる嵐を一身に受けて立つ――これが開拓者である」。

この不撓不屈の開拓者魂をたぎらせ、われらも進みたい。新たな歴史を開くために。(09.07.02) (時)

184代理人:2009/07/03(金) 10:31:58

名字の言

実力が拮抗した競り合いを制するには?――

「攻めの気持ちを貫いたほうが勝ちます」と柔道の元全日本男子監督・斉藤仁氏は語っている(「第三文明」8月号)。

2006年の全日本柔道選手権。

アテネ五輪で「金」の鈴木桂治選手と、当時19歳の石井慧選手との決勝戦。終始、鈴木側優勢で進んだ。

だが終了間際、残り時間を気にした鈴木が、ほんの一瞬、ちらりと会場の時計を見た。それを石井は見逃さなかった。

「その一瞬に石井の攻める気持ちが、鈴木のそれを上回ったんです」と斉藤氏。結果は石井の逆転勝利だった。

勝負は峻厳だ。一瞬の競り合いを制した者が勝つ。最後の最後まで「攻めの気持ち」を貫くことこそが勝利の要諦だ。

御書には「いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(1090ページ)と仰せだ。

“いよいよ”“せむべし”の気概で、猛然と戦うことである。

池田名誉会長は語っている。「攻めて攻めて攻め抜いて、押して押して押し切って、

戦って戦って戦い抜いた時に、はじめて、栄光の旭日が昇る。勝利の旭光が輝く」と。

きょうも力の限り前進したい。勝利のその瞬間まで、攻めの気持ちを堅持したい。

その人の心にこそ凱歌は轟き渡る。(09.07.03) (之)

185代理人:2009/07/04(土) 10:58:10

名字の言

学会っ子は北風に向かって戦おう!」。35年前の12月、池田名誉会長は東京・新目黒会館を訪問。

居合わせた学生部の友を激励し、「冬の目黒グループ」と命名した。

その一人が述懐している。「池田先生の指導は『困難に挑み勝ちゆけ!』との万感のメッセージだと思いました。

だからこそどんな激戦も勇んで戦い、勝利してきました」。同グループの友は現在学術界、実業界など各界で活躍している。

広宣流布の歩みは、数々の艱難を勝ち越えてきた歴史でもある。

戸田第2代会長は、常に、広布の主戦場へ、最も大変なところへ、愛弟子の名誉会長を派遣した。

事業の苦境も、権力との闘争も、広布の拡大も、師と弟子の「不二の闘争」で、突破口を開いてきた。

名誉会長は綴っている。「本物の師匠に、私は本物の弟子としてお仕えし抜いた。

広宣流布のご構想を実現するため、執念、また執念で全魂を尽くしました」(「御書と師弟」)。

弟子の激闘あってこその師の勝利だった。「激戦のあるところに、必ず私たちは身を置く」(ユゴー)。

広布の戦線で勝利をもぎ取る。師匠の期待に応えて断じて勝つ。どんな難局も必ず打開する。

この誓い通りに結果を出す人こそ「本物の弟子」である。(09.07.04) (薬)

186代理人:2009/07/05(日) 10:17:44

名字の言

中日友好協会の黄世明副会長に、話を聞いたことがある。

「どんな困難な時も、初志を貫くことができたのは、“人民のため”との思いがあったからです」。

周恩来総理やトウ<登におおざと>小平氏ら歴代指導者の通訳を務めた黄副会長。がんも2度患った。

最初の時は、周総理が自ら病院に手配を。

二十数年後の再発時には、池田名誉会長から励ましの和歌を頂いた――と感激を露わに。

「私は、50年近く、中日友好に取り組んできた。何の悔いもない……

今度は、若い皆さんに託したい。友好交流を深めてほしい」。亡くなる前年のことだった。

初志を貫徹することは難しい。壁にぶつかると、できない理由を並べたくなる。

だが、それでは、自身の負けだ。目標を成し遂げるには、“何のため”との一点を心に赤々と燃やすことである。

たった一人の挑戦でも、劇的な変化をもたらすことがある。

アメリカの大実業家アーマンド・ハマー氏の座右の銘は、

「初志を貫き通すならば、一人の人間が状況を変えることができる」だった。

黄副会長は、こうも語っていた。「私は、力をつけるため、若い時から、たくさんの本を読みました。

皆さんは幸せですね。池田先生の著作やスピーチから、不屈の力を得ることができるのですから」と。(09.07.05) (葉)

187代理人:2009/07/06(月) 10:06:50

名字の言

視力障害のある関西の婦人部員が先日、東京を訪れた。

一人の友人に仏法の哲学を語るために。広宣流布へ労苦を惜しまぬ尊き姿に最敬礼。

婦人は生後、数カ月で失明した。しかし、競泳の選手やボランティアなども務める無類の頑張り屋。

そんな彼女の転機となったのは、高校時代の同級生が命に及ぶ難病に襲われた時。

何もしてあげられない無力さに苦しんだ。その時、ある親友から聞いていた題目を唱えた。

すると時が符合するかのように、同級生は一命を取り留めた。

何ができなくとも、一人のために祈ることができる。それがどれほど素晴らしいことか。

それを知った彼女は本格的に信仰の道を歩み始めた。

一人のために祈り、一人のために語る。そこにこそ真実の仏道修行がある。

「一人のためであっても、たとえ一句であっても、法華経を説く人は、仏の使いである」と法華経には仰せだ。

あの1万1111世帯の弘教を成し遂げた昭和31年の「大阪の戦い」。

指揮を執った池田室長が最初に関西の幹部に語ったのは、「会員の一人一人を大切にしてください」であった。

「一は万が母」(御書498ページ)である。

眼前の一人に全力を。一人の心を揺り動かす対話を。

その執念の連続闘争から歴史が開かれる。(09.07.06) (進)

188代理人:2009/07/07(火) 10:52:37

名字の言

中国・春秋時代の名宰相である管仲。その思想を伝える『管子』に「一を植えて十の収穫があるのは木材。

一を植えて百の収穫があるのは人材である」とある。

武力で争う乱世にあっても、名政治家は、人材の力を重んじた。

まして、人間主義の連帯を広げゆく創価の運動における、人材の重要性は言うまでもない。

東京・世田谷区で活動する男子部員。さまざまな理由から、人と話すのが大の苦手だった。

先輩は励ました。「勇気を奮い起こそう。戦いの中で、君自身が壁を破るんだよ」と。

その激励に応えて、彼は語りに語った。亡き父が勤めていた会社の首脳に対話するまでに。

広布のために動く実践の中でこそ、次代を担う青年が育つのだと実感する。

7月は「青年の月」。1951年(昭和26年)7月11日、男子部結成式に参加したのは180人。

同19日、女子部誕生の集いに居合わせたのは70人余だった。

「ただ人材がほしい」――戸田第2代会長の叫びに応え、青年の連帯を日本中に押し広げたのが池田名誉会長である。

名誉会長は結論している。「実戦のなかでこそ、人材はつくられる」。

激戦を戦い抜いた時こそ、本物の“人材城”が築かれる。

その大確信を持ち、粘り強く日々の活動に励みたい。(09.07.07) (定)

189代理人:2009/07/08(水) 11:15:36

名字の言

6月4日、池田華陽会として颯爽と進む女子部に、喜びと感動が広がった。

「名誉会長夫妻が創価女子会館を訪問!」――朗報は全国はもとより、世界各国に即座に伝わった。

「飛び上がらんばかりに女子部と喜び合っています」と語るのは太平洋に浮かぶミクロネシア連邦のロペス支部婦人部長。

3日後の7日には記念の集いを開き、池田華陽会の歌「華陽の誓い」を合唱。

「池田先生・奥様と共に歓喜の力強い前進をしていきます」と意気は高い。

「イケダカヨウカイ」は昨年に結成されたばかりだが「ザダンカイ」、

「コウセンルフ」等と共に世界共通語となった感がある。

イタリア、韓国の友も口々に述べていたが、師弟勝利の青春譜を綴ることを最高の誇りとしている。

そして、彼女たちに共通するのは「感謝の心」だ。

東京・町田出身の青年詩人、八木重吉の言葉を思い出した。

「感謝の無い信仰は本当の信仰ではない」「すべてはそこから出づる。感謝と報恩と」

「自分のまわりを、感謝の海とせよ。感謝は強い。感謝は美しい」(全集第3巻、筑摩書房)。

わが生命を感謝の心で染め抜きたい。

「仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」(御書293ページ)。

人間の真の生き方が、ここにある。(09.07.08) (川)

190代理人:2009/07/09(木) 10:43:09

名字の言

7世紀初め、中国では隋が滅亡し、群雄が割拠。

後に唐の2代皇帝となる若き李世民は、指揮官として強敵に立ち向かう。

この一戦に勝てば天下の統一は確実――彼の勝利への執念は、すさまじかった。

『小説十八史略』で陳舜臣氏は、その様子を次のように描く。持久戦の末、兵糧不足の敵軍はついに後退を始める。

「いまだ!」。千載一遇の勝機を李世民は逃さなかった。一昼夜、約100キロを飲まず食わずで追撃しこれを破った。

“もう十分でしょう。少し休んでください”と気遣う部下に彼は言う。

“敵に立ち直る時間を与えてはならぬ。私は大目的に身を捧げる覚悟であり、わが身のことなど厭わぬのだ”。

総大将の烈々たる叫びに全軍が奮い立った。唐軍は敵を追い詰め、一日に8戦して連勝。

雌雄を決した。李世民は三日の間、一度も兜を脱がなかったという。

「自分が先頭に立つ」という指揮官の気迫。「もういいか」との妥協を排した「攻め」の姿勢。

この徹底した戦いによって、新時代を開く偉業は成就されたのだ。

御書に「軍には大将軍を魂とす」(1219ページ)と。誰でもない。

勝利の突破口を開くのは、リーダーの強き一念であり、真剣な行動だ。

執念の大闘争で広布の凱歌の歴史を綴りたい。(09.07.09) (駿)

191代理人:2009/07/10(金) 20:19:17

名字の言

「一期一会」とは茶道から出た言葉だ。

茶道の大家でもあった江戸幕府の大老・井伊直弼は記している。“茶会での今日の出会いは一生に一度のことである。

だからこそ、主人は真心をもって交わらねばならない”と(『茶湯一会集』)。

一生に一度との思いで、人に最高の真心を尽くすことが「一期一会」の本意である。

昭和47年(1972年)の東京・荒川区の記念撮影会で、女子部・婦人部と共に舞を舞った一人の女子高等部員。

演技を心から讃えて拍手を送る名誉会長の姿に、生涯の共戦を誓った。

19年後の平成3年(1991年)暮れ、3人の母になっていた彼女は、子の手を引いて区内を歩いていた。

師を迎え、荒川文化会館で文化音楽祭が行われていた日だった。

参加できなかったことで悲しがる子どもたちに彼女は言い聞かせた。

「お題目を唱えて、勝った姿で先生をお迎えしようね」。

音楽祭が終わり、しばらくして、一台の車と行き合った。

窓が開くと、師の声が響いた。「風邪をひかないでね。創価大学に来てね」。

この“約束”を子どもたちは後に果たす。

「真心」は、相手の心に種となって残る。

まして「一生に一度」との思いを込めて、まかれた種は、必ず花を咲かせ、大きな果実を実らせる。

このことを忘れまい。(09.07.10) (香)

192代理人:2009/07/11(土) 14:00:19

名字の言

いよいよ決戦の時――

第2次大戦中、ナチスを打倒するために連合軍が敢行した「ノルマンディー上陸作戦」の直前、英国の少佐が綴った。

「この後この日のことが話題になるたびに己を誇りに思うであろう」と(コーネリアス・ライアン『史上最大の作戦』)。

悪天候が続く中、一時的な好天が予想された日に作戦は決行された。

この「一日」しかない。この日に負ければ、これまでの努力が水泡に帰す。

連合軍5000隻の船団による大作戦は、たった「一日」にすべてを懸けて断行された。

一方、ナチス軍。悪天候続きなので敵は攻撃してこないだろうと油断し、対応が遅れた。

悪天候という環境は、当然ながら、両軍とも同じだ。

しかし「今しかない」と捉えた連合軍と「今やっても無駄」と捉えたナチス軍とでは、あまりに大きな違いがあった。

人生には「勝負の時」がある。どうしても勝ち越えねばならぬ「時」がある。

その時を制した者こそが、自身を誇りに思う不滅の歴史を刻むことができる。

私たちの広宣流布の戦いも同じだ。

時を逃さず、戦い勝つ。これ以上の誉れはない。

後世の人も「よくぞやった」と、感嘆し、喝采を送るだろう。

さあ、きょう一日を悔いなく! そして、勇敢に勝て!(09.07.11) (鉄)

193代理人:2009/07/12(日) 12:58:30

名字の言

「正義の怒りが炎と燃えた、歴史的な『東京大会』」――

8年前の7月12日、池田名誉会長は「随筆」にこう寄せた。

「炎の東京大会」。烈々たる名称で呼ばれるこの会合は、4万人もの“怒れる人”の集いであった。

開催を訴え、主催したのは、正義の火の玉と化した青年部であった。昭和32年(1957年)7月12日。

午後6時から2時間ほど、降りしきる雨を突いて会場の内外は熱気にあふれた。

なぜ「炎」なのか。青年部の室長であった名誉会長を、事実無根の冤罪で不当逮捕した魔性の権力。

その悪に対する激怒の思いが、一人一人の決然たる熱情に発火した。

何より、弟子を救おうとする師の叫びが、砲火のごとく放たれたのだ。

小説『人間革命』には「悪に対しては断固、糾弾していきます」「仏法は勝負」と断言する場面が(第11巻「大阪」の章)。

御書には「瞋恚は善悪に通ずる」(584ページ)と“正しき怒り”が強調されている。

大会で婦人幹部が呼びかけた。

「東京の我々の団結は、また全国同志への団結の中心でございます。断固立ち上がろうではありませんか」。

今、「7・12」は「総東京婦人部 幸福・勝利の日」と輝く。

一人立つ勇者の団結で、“炎の勝利宣言”目指し堂々と前進しよう。(09.07.12) (杏)

194代理人:2009/07/13(月) 19:21:35

名字の言

米・公民権運動の指導者キング博士。その闘争の原点の一つは、高校時代にあった。

弁論大会で優秀な成績を収めた帰りのバス。黒人というだけで、無理やり席を立たされた。

人生で最も屈辱を受けた瞬間だった。

不当な差別をなくしたい――そのために学び抜き、時代を変えていった(『キング牧師』岩波書店)。

10代の体験が人生を決することが多々ある。外資系銀行で重責を担う壮年部の友がいる。

高等部時代、池田名誉会長が出席しての研修会。皆で魚捕りを。なかなか捕れない。

師は、ズボンのすそをまくり、水の中へ。青年のために、魚を集めようとする真心に心打たれた。

「勉強するんだよ。待ってるよ」。その時の懇談会での師の言葉。彼は応えようと、懸命に努力した。

「池田先生を人生の師匠と決めたからこそ今の自分がある」と振り返る。

結成45年の高等部。青春の誓いのままに活躍する友は、今や世界中に。

結成式で名誉会長は「青春時代に生き方の骨格をつくり、さらに完成させていくところに確かな人生の道があります」と。

若い時に、確固たる信念を持ち、貫くところに偉大な人生への道がある。未来部員の可能性は無限だ。

その扉を開くのは、魂と魂の触発であることを忘れまい。(09.07.13) (陸)

195代理人:2009/07/14(火) 10:39:38

名字の言

「閑(しずか)さや 岩にしみ入(いる) 蝉の声」。芭蕉の名句が似合う季節だ。

かつて、ここに詠まれたセミは何かとの論争があった。

句の生まれた山形県が故郷の詩人・斎藤茂吉は、アブラゼミを主張。

一方、夏目漱石研究の第一人者・小宮豊隆は、ニイニイゼミだと反駁を加えてきた。

茂吉が、同句の詠まれた時期に合わせ、現地に鳴くセミを調査したのは、79年前の7月だった。

結果、軍配はニイニイゼミに。

調査が進むほど、主張が崩れゆく劣勢に、生来、負けず嫌いの茂吉が、あぶら汗をかいたかは定かでないが、

潔く兜を脱いで認識を改めた姿は、ほほ笑ましくもある。

異論が出された時、どのような行動を取るかで、結果は大きく異なってくる。

いたずらに自説に固執することなく、互いに打ち合うことで、自他共の進歩の道が開かれるのではないだろうか。

「知の巨人」と一目置かれた歴史学者のトインビー博士は、

自身の学説に寄せられた反論にも、誠実な思索、検討を重ねたという。

そして、誤りがあれば修正し、それを「再考察」の成果としてまとめ、大著『歴史の研究』の第12巻として発刊した。

この柔軟にして、たくましい錬磨の姿勢こそが大事であろう。

鍛えの夏の到来!――常に切磋琢磨の心を忘れまい。(09.07.14) (城)

196代理人:2009/07/15(水) 11:34:17

名字の言

この1年間に流されたテレビコマーシャル1万7765作品を調査したところ、

約6割が視聴者の印象に、ほとんど残っていないという。

不評だった作品の中には数億円かけたもの、

有名タレントを使ったもの、何百回も放映したものもあった(「CM総合研究所」調査)。

多様化したメディア社会。その中で人の心に何かを残すことが、いかに難しいか――調査は雄弁に物語っている。

加えて、もっと困難なことがある。それは一度、人の心に残った印象を打ち破ることだ。

最近の脳科学の研究によると、人間の脳は、

「なるべく少ない労力で、的確な結論を出したい」という節約・安定の志向性を持つことが分かってきた。

よほどのことがない限り、一度、安定化させた結論は修正しない傾向があるというのだ。

つまり、最初に目にし、耳にした情報は変えにくい。ずっと心に残ってしまいがちなのである。

だからこそ、一番初めに何を伝えるかが大切になってくる。後で先入観を覆すのは、何倍もの労力がかかる。

現代社会には、情報があふれている。

まさに玉石混交の“情報の海”にあって、いかに正しい情報を素早く発信していけるか。

先んじて真実を伝えることができるか――ここに広布の言論戦の要もある。(09.07.15) (高)

197代理人:2009/07/16(木) 11:18:33

名字の言

俳人・正岡子規の直筆の選句集がこのほど発見され、話題になっている。

“俳句の世界をもっと自由で雄壮なものに広げよう”と「俳句革新」を志した時期の作品とみられる。

子規の生涯は、病を抜きに語れない。雅号「子規」とはホトトギスの異称。

学生時代に肺を患って喀血した時、鳴いて血を吐くといわれる子規にちなんで号した。

病に関する句も多く、晩年は病床で、時に口述に頼りながら詠んだ。病むことは敗北ではない。

子規は病床で自己を厳しく凝視することで、「その独自性をはじめて確立した」(中村稔『子規と啄木』)。

病と格闘したからこそ、傑出した作品を生み出せたのである。

御書には「病気によって仏法を求める心が起こる」(1480ページ、通解)と。

長い人生で病む時があるのは当然のこと。大切なのは“病に断じて負けない”という強き一念だ。

その一念が諸天を動かし、何よりも自身の生命力を強め、無限の可能性を発揮させてくれる。

子規が喀血した時、友人の夏目漱石は「帰ろふと泣かずに笑へ時鳥」と句を贈り“故郷に帰るな 病を笑い飛ばせ”と励ました。

創価の同志も、苦楽を分かち合い、共に前進する得難き宝友。

互いに励まし合いながら、“人生の勝利”を飾っていきたい。(09.07.16) (弘)

198代理人:2009/07/17(金) 06:41:42

名字の言

「メロスは激怒した」――。

本年、生誕100年となる太宰治の『走れメロス』は、この一節から始まる(岩波文庫)。

メロスは、何に対して怒ったのか?

それは、「邪知暴虐の王」に対してであった。彼は、罪のない人々を平然と殺す傲慢な権力者が許せなかった。

青年らしく正義を訴えた。命懸けで友情を貫いた。その姿が最後には、王の心を変えた。

山本周五郎の代表作『赤ひげ診療譚』。

“赤ひげ先生”と称される老医が、貧しい病人を苦しめる圧政を、糾弾する場面がある。

「おれはごまかされないぞ」

「人間を愚弄し軽侮するような政治に、黙って頭を下げるほど老いぼれでも お人好しでもないんだ」(ハルキ文庫)。

市井(しせい)の人々の幸せを願う心は、時に「怒り」となって噴出する。

優しいだけでは人々を守れない。また、庶民を踏みにじる動きを“見て見ぬふり”は、悪への加担だ。

御書には「怒りは善悪に通じる」(584㌻、通解)とある。

創価学会は、その精神のまま、正義の「怒り」を片時も忘れなかった。

だからこそ、民衆を守る大城として栄え続けてきた。

歴代会長が、軍部権力等と戦い抜いた7月。

今また、私たちも、庶民を足蹴にする権力に「怒りの声」を上げ、民衆が主役の時代を築きたい。(09.07.17) (立)

199代理人:2009/07/18(土) 11:11:49

名字の言

水中を華やかに舞うシンクロナイズドスイミング。

井村雅代氏は、2004年のアテネまで27年間、6回の五輪すべてで日本にメダルをもたらした名コーチだ。

選手が「もう私、これが限界です」と弱音を吐くと、

彼女はいつも「限界ってどこにあるの? どこに見えてるの?」と聞いた。

そうやって、選手の心から、固定観念や限界という言葉を取り払い、

潜在能力を引き出した(NHKテキスト『知るを楽しむ〜人生の歩き方』)。

ある青年の体験を思い出す。

設計事務所に就職したが、雑務のような仕事ばかり。休みもない。

「もう駄目」と絶望していた時、池田名誉会長のスピーチと出合った。

「『自分なんかもう駄目だ』と思うような瀬戸際の時が諸君にもあるにちがいない。

実は、その時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである」と。

目が覚める思いだった。一番つらい今こそ「一番成長できる時」と知った。

以来、どんな仕事にも、これ以上できないくらい全力を注いだ。

周囲の評価も高まり、百貨店など大きな仕事を任されるまでに。今は独立し、1級建築士の資格も取得した。

「限界だ」と思う時こそ、実は勝利のドラマの始まりだと痛感する。

きょうも、新しい“自分史”を綴りたい。(09.07.18) (陸)

200代理人:2009/07/19(日) 08:53:06

名字の言

民俗学者の柳田国男が、「これこそ口承文学の最高傑作」と絶賛した『アイヌ神謡集』。

著者の知里幸恵(ちり ゆきえ)は19歳の時、

失われつつあったアイヌ語の物語を日本語に翻訳し、不朽の名作を完成させた。

現在、英語やロシア語などでも出版され、「アイヌ」の誇りを今に伝える(中井三好著『知里幸恵』彩流社)。

民族の文化を絶やすまいとした思いは、現在もアイヌの人々の心に生きる。

若き一人の女性の決意の行動の、何と素晴らしきことか。

先日、発表された女子部の「永遠の五指針」。

昨年11月に「池田華陽会」が結成されたカンボジアでも、早速、女子部がクメール語に翻訳。

「華陽会総会」で発表され、大きな波動を広げている。

現地では、座談会の御書講義の担当など、女子部の活躍が目覚しい。

青年部長のソチェット・ソクさんも、アメリカ創価大学出身の女性リーダー。

「指針の一節から“負けない!”を合言葉に、前進を誓い合っています」と。

乙女たちの奮闘に、壮年も婦人も、拡大の勢いを増している。

御書に「女子は門をひら(開)く」(1566㌻)と。

女子部の活躍は、世界広布の“希望の扉”を開く原動力。

7月19日は「女子部結成記念日」。次代を担う勝利の王女たちの健闘を祈りたい。(09.07.19) (誼)

201代理人:2009/07/20(月) 12:04:27

名字の言

2009年7月22日、日食が見られる。本年最大の天体ショーだ。

各地とも部分日食だが、屋久島などの島々では100%欠ける皆既日食が見られる。

日本で観測されるのは46年ぶり。

今回、皆既日食が観測できるトカラ列島。鹿児島県・奄美大島の北側に位置し、12の島々からなる。

この地でも、創価の同志は意気軒高だ。北端の口之島では、学会世帯が4分の1を超える。

同志の顔ぶれも多士済々。畜産組合の組合長や理事、島唯一の小中学校の校長も学会員だ。

さらに聖教新聞は一般紙を含め、配達部数で第1位。世帯の95%が購読経験をもつ。

信頼と友好の輪が、小さな島に大きく広がっている。

発展の秘訣を尋ねると、皆の口から「そりゃあ、一人一人の責任感よ!」と返ってくる。

小さな島では全員が顔見知り。言葉と行動が一致しているかどうかも、よく見える。

だからこそ、「“われこそ学会の全権大使”との決意で対話し、行動してきました」と友は語る。

責任を担う覚悟があれば知恵がわく。力も出る。

池田名誉会長は「『私が創価学会だ』『私が地域の学会の代表だ』と胸を張り、

悠然と正義を語り、勝ち抜いていくことだ」と。

自分こそが地域の幸福責任者――その強い自覚こそが離島の同志の誇りだ。(09.07.20) (之)

202代理人:2009/07/22(水) 07:31:38

名字の言

若き豊臣秀吉の“三日普請”の故事は有名で、数々の小説やドラマなどで紹介されてきた。

中でも、吉川英治氏の『新書太閤記』に描かれた内容は、示唆に富んでいる。

織田信長の清洲城の壁が、暴風雨で100間以上も崩れた時のこと。

修復工事がノロノロと進まない。それを憂いた藤吉郎(秀吉)が、「三日もあれば」と普請奉行を請(こ)い請(う)けた。

しかし、前任奉行が邪魔立てし、老獪な棟梁らも怠けてばかり。

藤吉郎は訴えた。

「国の興亡は、実はお城にあるわけじゃない(中略)お前らの中にあるのだ。領民が石垣だ、塀だ、濠だ」。

ただ国を思い、民を思う叫びが、棟梁たちを目覚めさせた。

自身も一職人となって泥仕事。総力戦の突貫工事で、約束通り、わずか三日で修復した。

確かに、どんな世界でも“全責任を担う!”という必死の一人が立てば、劇的に道は開かれる。

逆に、心の片隅のどこかに、他人を当てにする心があれば、物事は停滞してしまう。

小さな一念の差が、大きな勝敗を決するのだ。

御書に「一の師子王吼れば百子力を得て」(1316㌻)と。

環境ではない。人でもない。

自分が師子となって祈り、走り、断じて勝ってみせる!

本物の覚悟が決まった瞬間、勝利への大回転は始まる。(09.07.22) (誠)

204代理人:2009/07/23(木) 08:41:23

名字の言

作家の向田邦子さんは、右胸の乳がん手術を受けた際の輸血が原因で血清肝炎となり、寝たきりになった時期がある。

利き手の右手が動かせない彼女に、連載執筆の依頼が来る。

「考えた末に」――引き受けた。彼女は、不慣れな左手で書いた。

「こういう時にどんなものが書けるか、自分をためしてみたかった」(『向田邦子 映画の手帳』徳間文庫)。

不遇な状況に置かれた自分が“何を書くべきか”を考え、挑戦したのであった。彼女は、のちに直木賞を受賞する。

「生死」を見詰めた人は、「何に生きるべきか」を深く自覚する。

福島県の壮年部員の体験に、つくづく、そう思った。

彼は白球を追いかけた高校時代に、甲子園出場を果たし、就職後も信頼と実証を勝ち取って要職に就いた。

学会組織でも本部長で活躍。

ところが6年前、肺がんに。「今こそ、病に勝ち、この身で仏法の偉大さを証明する“時”だ」と誓った。

術後のリハビリにも耐え、先ごろ、医師から「もう大丈夫」と太鼓判が。

現在、壮年部リーダー、聖教新聞通信員として、友に勇気を送る日々。

困難を嘆いて終わっては何も生まれない。

今の状況を「前進の糧」と捉えて、前に進むことだ。挑戦することだ。

ここに人生の勝利の因がある。(09.07.23) (城)

206代理人:2009/07/24(金) 10:22:52

名字の言

勝負に挑む時の彼女の心境を一言で表すと「嬉しくてならない」だった。

800メートル走で銀メダルを取り、日本人女性初の五輪メダリストとなった人見絹枝である。

1928年(昭和3年)のアムステルダム五輪。“世界の壁”は高かった。

しかし彼女は「あれだけ努力し期待した事が、この調子ならいよいよ一週間とたたないうちに、

あのスタジオンで実現するのかと思うと嬉しくてならない」「私はベストを尽そう」。

弾むような足取りで、会場に向かった(人見絹枝『炎のスプリンター』)。

体格のいい選手、経験のある選手は、山ほどいた。

が、すべてをやり切った彼女は自信をもち、喜びをもって戦った。彼女は「世界のヒトミ」と仰がれた。

鎌倉時代、日蓮大聖人は、邪僧との言論闘争を控えた弟子の弥三郎を激励された。

「今まで生きながらえてきたのは、このこと(今回の法論)にあうためである」

「勝利して名を上げるか、敗れて名を下すかの境目である」と(御書1451ページ、通解)。

今月の座談会拝読御書の一節である。

ここ一番の大勝負。人生も、広宣流布の戦いも、何より「断じて勝つ」と腹を決めることである。

さあ、喜び勇んで打って出よう。「私はベストを尽くす!」と胸を張って。(09.07.24) (鉄)

210真面目な質問です:2011/12/11(日) 03:52:18
昭和55年6月21日日顕上人書写の御形木御本尊ですが、
妙楽大師と竜樹菩薩が抜けています。これはどういう理由による
ものなんでしょうか?何か意味があって抜かしているのでしょうか?
ちなみに当時学会員に下附されたものです。それから、この御形木御本尊を持っている方おられますか?
誰に聞いても教えてくれません。ここの方々は博識とお見受けしたので
真面目にお尋ねする次第です。御教示の程宜しくお願い致します。


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